若者との対話②中国とどう向き合い付き合えばいいのか

来年から大学で中国語を学ぶことになった姪の娘とのLINEによるやりとりを記録に残すべく紹介している。「若者との対話」といっても、ほとんどこちらからの長文の一方通行で、相手から短い質問はあっても、私の発信に対する反応はほとんどなく、理解してくれているかどうかは分らない。

それにしても、今の若者たちにとって、中国語を学ぶというのはどういう意味があるのだろうか?実は、その問いは50年近く前の、自分自身に対する問いでもあった。1972年日中国交回復の翌年、私は大学に入学し中国語を専攻した。中国ブームが起きるだろうという予感はあったが、何かしっかりとした目的意識があって中国語を選んだわけではなかった。その年の中国語専攻の志望者の倍率が意外と低いという打算が働いたことが大きい。

しかし、当時、中国は文化大革命の真っ最中で、69年東大闘争や70年安保闘争に遅れてやってきた世代として、上海コミューンや人民公社を理想として憧れるという左翼思考の学生がいた一方で、批林批孔運動や周恩来批判などに戸惑い、何と訳の分らない国かというイメージがつきまとったのも確かだった。

それは今の若者にも通じるモノがあるのではないか。香港でいま起きている事態は、人類が営々と積み上げてきた普遍的な民主主義思想や自由の価値に逆行する事態であり、チベットやウイグル、モンゴルで進行する民族抑圧は、情報化・透明化が進んだ21世紀の現代社会ではあり得ない事態だ。

こうした現実を目の前にしたとき、中国語を学び、これから中国の現状に接することになる若者たちは何を考えるだろうか。

ところで、姪の娘に、何とか、中国に関する具体的なイメージを持ってもらい、関心や興味を引きつけたいと思い、今の中国・香港の若い子たちが何に興味をもっているのか、香港の昔の知り合いに聞いてみたところ、周囲の10代の娘さんがいる知り合いに連絡をとり、同世代の若い子たちに質問を送り、日常の生活の中で何を楽しみにし、お小遣いに使い方や将来の夢など聞いている。答えてくれたのは香港と広州市に住む高校生や大学生6人。

彼女らが答えてくれた回答の中で、面白いと思ったのは、けっこう日本のゲームキャラクターやアニメのことに詳しいこと。中国の若者たちの間で流行しているのはコスプレだということ。K-POPや日本の歌手についても詳しいこと。ドラマ「半沢直樹」は、いま中国でも大人気で、下の者が上の者をやっつける、いわゆる「下克上」に中国の人もワクワクするのだという。こうした好きなテレビや音楽、アニメなどを見ると、香港・中国の若者と日本の若者のサブカルチャーの世界には、それほど大きな違いがないことが分る。

それに面白いと思ったことは、好きなブランドとして日本の「無印良品」を上げているひとがいること、それに、アンケートからは意外と勉強に真面目で、お小遣いや貯金などお金の使い方も堅実であること。そして将来の理想の職業などを見ても、医者や銀行など将来を真面目に堅実に考えていることがわかる。

こうした結果を姪に娘に教えたところ、このなかの香港の女子高生に興味をもったようで、いまLINEでやりとりをしているようだ。その香港のことについて、教えてほしいと聞かれたので、次のような文を送った。

<香港って、どんなところなの?>

香港に住む人たちの多くは、もともとは中国の政治体制を嫌って香港に逃れてきた難民や移民、その2世、3世の人たちです。中国に残る親戚を頼ったりして、中国と世界の間を仲介して貿易や商売を行い、お金もうけする人も多くいます。

そうした香港の人たちが、中国返還前の植民地時代に、もっとも悔しいと思ったことは自分たちにはパスポートがないということでした。植民地時代の香港の市民は、イギリスや中国政府が発行したパスポートではなく、ただ「居留証」という身分証明書しかなく、それで海外旅行をしていました。

私たち日本人が海外に出るときに持っていくパスポートというのは、私たちが海外で何か事故や事件に巻き込まれたときには、その国の政府に対してそのパスポートを持っている日本国民を保護することを要請できるもので、パスポートを持つということは、世界どこにいっても日本国民として保護され、安全が守られるという意味を持っています。

しかし、当時の香港の人たちにはパスポートはなく、国家の保護は受けられませんでした。ですから、香港の人たちは、中国に返還され、中国のパスポートを持つことができれば、普通の国の国民として扱われることになるという希望を抱いていました。

香港に住む人たちに、自分を「香港人」と「中国人」のどちらだと思うかを尋ねる意識調査を行なうと、20代の若者の80%は「香港人」だと答え、この傾向は年々増えているようです。つまり若者を中心に、香港が中国に返還されて中国国民になったことをあまり喜んでいない傾向がうかがわれます。

かつて、円滑な香港返還を実現させるために、中国側の責任者を務めた中国政府の高官(天安門事件後、米に亡命した許家屯新華社香港支社長)は、「土地だけ戻っても、人々の心が祖国に戻らなければ、本当の返還とは言えない」と語ったことがあります。そういう意味からいうと、香港の人々の心が中国に戻ることはなく、香港返還はうまくいかなかったと、といえるかもしれません。

そして、中国語を学ぶ意義について、以下のような励ましの言葉を送った。

<中国語を学ぶ君に>

ところで、中央大学文学部中国言語文化専攻のホームページを見てみると、その最初の「専攻概要」には以下のように書かれています。

<飛躍的な経済発展とともに政治・外交面でも存在感を増している中国。同じアジアの隣国として、私たちの日々の生活にも密接な関係を持っています。しかししばしば報道されるように、両国の人々の相互理解は必ずしも深まっているとは言えません。このような状況のもとで、私たちが目指すことは、中国に持続的な関心を払い、中国の諸事情を正しく理解することです。>

<「言葉」と「文化」は、中国を理解するために欠くことのできない車の両輪です。私たちは「言葉」と「文化」の両方を学んで初めて、中国とはどのような国か、中国人とはどのような人々かを理解することができるのです。>

これを読んで、確かにその通りだと思いました。何と言っても言葉はコミュニケーションのツールであり、言葉を覚えることで、その国やそこに住む人々はぐっと身近な存在になります。言葉が分かることで、もっといろいろ知ってみようと興味も広がると思います。中国という国は、新型コロナウイルスや香港に対する政治的な締め付け、尖閣諸島や南シナ海での領有権の主張など、国際関係の中ではいろいろと複雑な問題を抱えていますが、何と言っても14億人あまりの中国人がこの地球上には居て、特に日本は隣人として経済交流や環境問題を含めて、否応なく付き合わなければならない存在でもあります。どうせ付き合うのであれば、相手のことをとことん知って、懐に飛び込んで互いに言いたいことを言い合うほうがいいかもしれません。これからの日本には、そういう人材がもっともっと必要になると思います。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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