『「暗黒・中国」からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄』顔伯鈞著(安田峰俊編訳 文春新書2016年6月)を読んだ。
これは、中国共産党幹部や官僚の資産公開を要求する「新公民運動」(公盟)と呼ばれる活動に参加した大学副教授が、習近平政権による追及・迫害から逃れて、中国国内2万キロを潜伏・逃亡し、さらに逮捕・投獄されて厳しい尋問や拷問を受けても罪を認めず、ついにミャンマー・ラオスを経由してタイへと密出国するまでの2年間を描いた体験記である。
一読して、なんとも虚しく思えたのは、「暗黒・中国」の迫害から逃れ、脱出を試みる反体制側の人間に強いられた苦痛の大きさや理不尽さ、潜伏・逃亡のために費やす徒労の時間と莫大なエネルギー。一方で、そうした反体制側の人間を24時間監視・追跡し、罪に陥れようとする体制側の要員が費やす膨大な人的資源とコスト。どちらも何の価値も生み出さない無駄な投資、浪費にしかすぎず、そこに費やされるエネルギーやコストを別の生産活動に振り向ければ、もっと有益な価値を生み出すはずだと思うのだが、中国という国家システムは、共産党一党独裁体制を維持するためなら、いかに無駄なコストや資源消費でも、いっこうに構わない体質、仕組みなのであろう。
中国といえば、毎年、二桁の伸びで拡大する国防予算(軍事費)に注目が集まるが、実はそれ以上に刮目すべきは、国内の治安維持費に使われる「公共安全予算」の伸びだといわれる。たとえば2014年の国防費(軍事費)が約13兆5000億円(日本の防衛費は5兆円)なのに対して、治安維持費はそれよりも多い15兆円にものぼり、2011年から3年連続で公共安全予算が軍事費を上回った(「黒い報告書・狂気の沙汰の習近平体制」石平著(ビジネス社・2016年11月)。
新公民運動では、人権派の弁護士300人が一斉に拘束され、行方不明になったり、投獄されたりした。毎年3月の「両会」、つまり全人代と政治協商会議の期間、あるいは大きな国際会議が開催され、外国の要人が中国を訪問する際などには、反体制派の「維権人士」(人権活動家)や「異見人士」(民主派)は、その期間、一時的に北京を追い出され、無理やり地方旅行を強いられたり、自宅軟禁措置をとられたりする。人権活動家1人を対象に、24時間3交代で監視・尾行するだけで、休日要員も含めて少なくとも4~5人、二人体制だったらその倍の10人前後の監視要員が必要となるはずだ。公安部傘下の秘密警察で国内の治安を担当する「国家安全保衛局」(国保)は、人権活動家・民主活動家の5倍から10倍の人員を、日夜、全国に配置し、強力な監視の網を張っていることになる。
このほか公共安全予算からは、一般市民のネットへの書き込みを監視し、体制側に有利なように世論を誘導するための書き込みを行う「五毛党」いわゆる「ネット工作部隊」や「ネット警察」の経費も支出されているという。「五毛党」とは、ネットへの書き込み一件につき「五毛=8円」が支払われることから名づけられた名前で、全国に200万人ともいわれる人員を擁している。
しかし、こうした監視システムにも関わらず、中国国内では「群体性事件」と呼ばれる集団的な暴動や騒乱が年間で20万件も起きていると石平氏はいう。
『ニューズウィーク』誌11月8日号の「中国特集」によれば、経済の減速に伴って社会保障給付の支払いにも悪影響が出ていることを背景に、去年は前年の2倍にあたる2700件ものストライキが起きたという。ことし10月には4000人を超える人民解放軍の退役軍人が国防省前で年金の不足に抗議するデモを行ったほか、今年4月には解雇された教師数千人が北京に押しかけ、退職金と医療保険を要求する事件も起きた。
莫大なコストと人的資源を浪費するだけの「国家安全保衛局」の予算を含めて、軍事費よりも多い15兆円にも上る治安維持費を、同じ「国保」でも国民健康保険の「国保」に振り向けたなら、治療費が払えず病院にも行けない多数の低所得者の救済に繋がり、退役軍人や元教師たちのデモなど、全国で頻発する抗議行動や騒乱事件もすぐに収まるのではないかと思うが、どうだろう?
6中全会(党中央委員会第6回総会)で、習近平を「核心」だといってどんなに持ち上げてみても、習近平が課題山積の国内経済をうまく処理し、適切な経済政策の方針を示しているとも思えず、外交でも金の力にモノを言わせて、アジア・アフリカ諸国に対する「札束外交」を繰り広げてみても、国際社会のなかで中国の信頼や威信を獲得したとも思えない。また国内問題で汚職摘発などに強権的な権力を行使してみても、自身の一族の腐敗を差し置いていては説得力に欠け、求心力を高める材料にはなっていないのではないか。
われわれ日本人にとっては、安倍首相を出迎える際に、ホストである習近平がとったあの憮然とした態度、傲慢な表情に代表されるように、礼節をわきまえるべき大国の指導者としての能力・人格ではすでに見限られているのである。そんな暗愚の人物を「核心」だと仰ぎ見ることを強制された中国国民の心情には、真に同情するしかない。
『暗黒・中国からの脱出』の著者は、万策尽きてやむを得ず、家族と別れ祖国を脱出する道を選んだが、中国では共産党の幹部や企業経営者、あるいは子育て中の中流階層まで、多くの人がチャンスがあれば中国を脱出したいと考えている。
『選択』(2016年11月号)によれば、「2000年から14年の間に、この国(中国)では9万人の大金持ちが国を捨てた。バークレー銀行が14年に行った調査によると、中国人の47%までが5年以内に海外に移住したいと答えている」という。
「トラもハエも叩く」という習近平の腐敗摘発運動や贅沢禁止令によって、さまざまなコネや賄賂を使って手に入れた共産党員の地位も、うまみ(見返り)はほとんどなくなってしまった。党幹部や企業家は、いつ弾けるか分からない不動産バブルや通貨危機を嫌って、資産の海外移転に励んでいる。
一般庶民でも資産に比較的余裕がある中産階級は、食品の安全性、水や空気の汚染など、健康や子育てに直結する問題を抱え、信頼できる外国製品にますます依存するようになっている。観光で訪れる中国人旅行者が、東京の透き通るような青空を見たなら、おそらく同じ地球上でも中国とは別世界だと感じ、PM2.5で100メートル先も見えず、どんより曇って窒息しそうな北京や上海には、もう2度と戻りたくなくなるのではないかと想像する。その意味でも、お金に余裕のある中国の方には、ぜひ一度、観光で日本にお越しいただき、自分の目と肌で、日本の水や空気、そして日本社会や日本人の日常の姿を確かめていただきたい。
最後に、『暗黒・中国からの脱出』を読んで、唯一救われたのは、著者が2年近くにわたって、国内2万キロを潜伏・逃亡する過程で、見ず知らずの支援者がどこにもいて、必ず援助の手を差し伸べてくれたことだった。著者の顔伯鈞氏によると「新公民運動」の支援者は、最盛期には中国全土に10万人、北京だけでも5000人に上ったという。中国各地を転々と逃亡した著者は、ネットを通じて連絡をとるだけで、匿ってくれたり、逃亡を手助けしてくれる人が必ず現れた。党官僚の資産を公開せよ、という至極真っ当な主張を支持し、陰に陽に活動を支援してくれる人が、全国に10万人いたという事実は、中国が将来、変わりうるかもしれないという希望にもつながるのではないか。
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