韓国はG7にはふさわしくない異質・異様な国

韓国の外交は、ほんとうに程度が低い。幼稚園児以下だ。あまりに馬鹿げたことばかりしていて、どれだけ自分たちの品位を落としているか、分かっていない。こんな国をまともに相手にする国はますますいなくなるだろう。

<「G7首脳集合写真」加工に、菅首相SNSを引き合いに出すあざとさ>

フェイスブックの韓国政府公式アカウントに、G7コーンウォール・サミットの各国首脳の集合写真が「写真1枚でみる大韓民国の立ち位置」と題されてアップされた。ところが、本来はこの写真の前列一番左側に立っていたはずの南アフリカのラマポーザ大統領の姿が切り取られ、菅首相が一番左端に追いやられる一方、文在寅大統領が前列中央でジョンソン英首相とバイデン米大統領に挟まれて立つ構図になっていた。明らかに意図的な写真の編集・加工であることは間違いない。そして、この写真の下には「この場所、この姿が、大韓民国の立ち位置です。われわれはここまで来ました。苦難の時間を克服した偉大な国民の血と汗にまみれた努力の成果です。感激しました。すべて国民のおかげです」と、まるで韓国がG7の主要国にでもなったかのようなコメントが書かれ、G7サミットに初めて出席したことがうれしくて、文在寅と韓国人が舞い上がっていることが伺える。

本当か?集合写真の各国首脳の立ち位置は、大統領が前列、首相が後列と区別され、就任期間の長い人物ほど中央に位置するということが慣習で決まっているだけで、国力とか国の格とかはまったく関係ない。それをあたかも韓国の大統領が特別にもてなされ、国力が高く評価されたかのように見せるため、意図的に加工・「ねつ造」した写真を使って宣伝することが問題なのだ。

集合写真から南ア大統領だけをカットしたことが「外交非礼だ」と批判されると、それを伝える「中央日報」記事はなんと、菅首相がインスタグラムの公式アカウントに掲載した写真を引き合いに出し、「菅首相が立っている左部分だけがトリミングされたもの」だと主張し、文在寅の姿を消したと詰(なじ)ったのである。

中央日報6/15「G7写真から南ア大統領カットした韓国大統領府…菅首相はバイデン・文在寅を消した」

「トリミング」というけれど、各国首脳のなかで自身の姿がよく見えるように左側半分を拡大しただけに過ぎず、コメントも「国際保健をはじめとする世界が直面する課題について議論しました」とその日の日程を伝えているだけで、それ以上の何か別のメッセージを伝える狙いがあるとも思えないし、誰に対しても非礼は働いていない。中央日報の記事は、菅首相のSNSを引き合いにだすことで、韓国の外交非礼の非を認めようとしない、卑しい意図が丸見えなのである。

ところで集合写真で、文在寅だけがノーネクタイで、他の首脳たちとは違って場違いな人という感じで明らかに浮いている。後述するようにG7会議で決まった対中国政策にひとり韓国だけは与しないという態度を示すなど、やはりG7やD10(民主主義国グループ)とは価値観の違う異質の国、異質の指導者であることをこの写真は象徴している。

ところで、今回のG7サミットへの韓国のゲスト参加について、大統領府の首席秘書官は、韓国は「名実ともにG8国家に位置づけられたという国際的な評価を得た」と大はしゃぎした。

中央日報6/15「韓国大統領府国民疎通首席『韓国、名実ともにG8国家』」

文在寅自身も、G7サミットを終えて次の訪問国オーストリアに向かう機内でフェイスブックに「もう我々は我々の運命を自らで決め、他国と支持や協力をやりとりできる国になった」「数多くの国が我が国と協力することを望んでいる。持続可能な世界のために、我々の声を出せるようになった」と投稿した。今までは「運命を自ら決める」ことも「自分の声を出す」こともできない国だったと言いたいのか?それができるようになったとしたら、それはまさに「革命的」で天下がひっくり返るような喜びかもしれないが・・・、しかしここで、彼が引き合いに出したのは1907年の「ハーグ密使事件」(日本による外交権剥奪を訴えるためハーグ平和会議に国王高宗の密使を送ったが、各国の妨害で会場にはついに入れなかった)だったのである。

<世界日報6/15「G7首脳会議を終えた文「私たちの運命を自ら決める国になった」>

110年以上前と比較して「運命を自ら決め、自分の声を出せる」ようになったと言っているのだ。文在寅の頭のなかの“歴史意識”の構造がどうなっているのか、よく分かる。現在の自分たちの立ち位置を説明するのも、日本統治時代の“屈辱の歴史”を引き合いに出す以外、他には想像力が及ばないのであろう。哀れだ、というか、一つ覚えで成長がなく、子どもじみている。

ところで、そのオーストリア訪問について伝えた青瓦台の公式インスタグラムにオーストラリア国旗だとして「ドイツ国旗」を表示していたことがわかり、訂正したという。オーストリアはかつてドイツに強制合併された歴史をもつ。その国旗をあろうことか、かつての侵略国の国旗に置き換えたというのだから、外交非礼もいいとこだ。今回、文在寅が国賓訪問した理由について、韓国がオーストリアと修好したのは1892年で、来年が国交樹立130周年だからだという。韓国メディアは、オーストリアとの関係はこの間129年間、連綿と続いてきたかのように報じるが、1905年から40年間は外交権はなく1910年から35年間は国自体がなかったことを忘れている。

<「日韓首脳会議」不発の恨みに虚偽情報ばらまく>

ところで、今回のG7サミットへの韓国の参加に関する政府の発表や報道ぶりを見ていると、G7で何が討議され決定されたのかという中身の問題より、日韓首脳会談が実現しなかったことに対する恨み・つらみのほうがはるかに大きく報道されているのは、驚きである。

その極めつきが、韓国外交部の当局者が「日韓の外交当局は、G7首脳会議に合わせて、略式の首脳会談を行うことで暫定合意していたにも関わらず、日本側が一方的にこれを取り消した」と批判したことだった。

≪中央日報6/14「日本、G7韓日略式首脳会談に合意しておきながら一方的にキャンセル」

この発言はG7サミットが終了した翌14日に、韓国側外交当局者から発せられたもので、報道されたその日のうちに加藤勝信官房長官は「そうした事実はない」と否定し、「事実に反するだけでなく、一方的な発信は極めて遺憾であり、ただちに韓国側に抗議した」ことを明らかにした。

それにも関わらず、ハンギョレ新聞はその翌15日も「首脳会談を開く予定だったが、日本がきちんとした通知もなく、日程を取り消したという。この過程で菅義偉首相が納得しがたい「外交的欠礼」を犯していたことが確認された」と、あたかも確定した事実のように一方的に断じた。韓国政府と韓国メディアの「嘘」は、このように形作られて、固定化されていく、というその典型をみるかのようだった。

韓国側が、G7に合わせた日韓首脳会談の開催に執心していたことは、韓国メディアがG7サミットへの文大統領の参加予定を伝えるごとに、G7期間中に日韓、日米韓の首脳会談が開催されるかどうかについて言及し、外交部のコメントを伝えていたことでも分かる。しかし、G7に向けて文在寅が出発したことを伝える11日の記事でも「韓日米首脳会談や韓日首脳会談が開催されるかが注目されているが、大統領府青瓦台は『会談の調整などはしていない』としながらも、『対話は開かれているという立場』と示した」とし、「会談の調整はしていない」ことを明確にしていたのである。

<KBS日本語放送6/11「文大統領 G7サミット出席のためイギリスへ出発」

ということは、「略式会談で暫定合意していた」という事後の発言と、「会談の調整はしていない」という事前の発言は矛盾し、どちらかで明らかな嘘をついていたことになる。

一方で、菅首相の姿勢は一貫していた。安倍政権からの申し送りで、韓国側が態度を変えない限りは、こちらも態度を変えないというのが、菅政権でも徹底されている。徴用工や慰安婦問題の裁判で国際法に違反した判決を出した韓国側がまずその事態を是正するための解決策を持ってこない限り、首脳会談をやっても意味はないという立場で、首脳会談を行なうつもりもその必要性も感じていないのに、略式会談の開催などに同意するはずはない。

それに2019年11月、バンコクで行なわれたASEAN+3の首脳会議のとき、文在寅は安倍首相を誘って無理やりソファーに座らせ、「11分間の会談」をしたとして、そのときの写真を日本側の合意なしに一方的に公開するという「だまし討ち」を行なっている。下手に会談すれば、あとで何を言われるか、分かったものではない相手として、すでに「前科がある」のだ。

ところで去年3月にも、このブログで「もはや外交ではない、幼稚園児のケンカだ!?」という一文を書いた。

新型コロナの感染拡大が始まったころ、日本政府の水際対策として中国・韓国からの入国制限措置に踏み切ったとき、韓国外務省は「事前に通知がなかった」と主張したのに対し、当時、官房長官だった菅氏はただちに「事前に知らせた」と反論し、「事前通知があった、なかった」で水掛け論争になったことがある。このとき韓国外務省は、日本を「信頼できない国」とまで言って批判したうえで、この問題をめぐる一連の日本とのやりとりについて、詳細な交渉経過を一方的に公開したのである。複雑な外交的合意を目指す交渉でもなく、単純な事実をめぐって180度違う相手の言い分をなじるだけのやりとりで、韓国の主要メディア、朝鮮日報の論説委員でさえ「これでは外交ではなく、ほぼ幼稚園児のケンカだ」と嘆くほどだった。

前回のブログには「そもそも外交交渉の経緯を、相手側の同意もなく一方的に公開するという行為自体、外交上、極めて非礼で、それがもたらすマイナスの結果は計り知れない。永遠の喧嘩別れで終わるのならいいかもしれないが、これでは話し合いの前提となる信頼も生まれない」と書いたが、まったく同じことが今回も韓国側から繰り返されたのである。韓国側がまったく学習しない人たちである一方、前回のゴタゴタでは、まさに当事者だった菅首相は、韓国のやり方は十分に学習済みだったはずである。

以上のような、すべての経緯を知っている日本国民からしたら、韓国側が発表した「略式会談に暫定合意」は、それこそ青天の霹靂、寝耳に水、国民に対する『裏切り』とさえ言えるものだった。しかし、首脳会談を行なうのは当然のことだと思っている韓国国民にとっては、日本がまた不当なことをした、韓国に嫌がらせをしているとしか考えず、日本を非難し一方的に貶める報道を見聞きすることで、なにがしかの溜飲を下げている、という面があるようだ。

たった一つの物事に対して、ここまで見方、考え方が違い、国民感情にもこれだけ開きがあることを考えたら、お隣の国とはいえ、もはや付き合い方を根本から改める必要がある。

<やはり異様、異質な国=韓国>

ところで、今回のG7サミットでは、加盟7か国が署名した「共同声明」で、新疆ウイグルや香港問題を取り上げられ「特に新疆や香港との関係で人権や基本的自由を尊重するよう中国に求 めることを含め、G7の価値を推進していく」と表明されたことや「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」と宣言され、G7として初めて台湾問題に言及されたことは、会議の大きな成果だった。

さらに「東シナ海及び南シナ海における状況を引き続き深刻に懸念し、現状を変更し、緊張を高めるあらゆる一方的な試みにも強く反対する」、「法の支配に基づく自由で開かれたインド太平洋の維持の重要性を改めて表明」したことなど権威主義の中国に対する対抗策を打ち出し、G7各国が共有する価値を推進していくことの重要性を謳い上げたこと、それに台湾問題を取り上げ、東シナ海や南シナ海の現状、それに自由で開かれたインド太平洋が言及されたことは、菅首相の役割が大きかった。

「G7コーンウォール・サミット首脳コミュニケ(骨子)外務省訳

このように、かつてないほど中国・台湾問題がクローズアップされ、中国に対する先進各国の態度が焦点になったG7サミットだが、ゲスト国として参加した韓国は、文在寅が出席したG7拡大会議では「中国に対する言及はひと言もなかった」と釈明し、G7拡大会議のあとに採択され韓国も名前を連ねている「開かれた社会の声明」については「特定の国を狙う内容はまったくない」と強調することに躍起だった。

そうした釈明や言い逃れは、G7サミットへ出発する直前の6月9日、中国の王毅外相が鄭義溶(チョン・ウィヨン)外相と電話会談し、米国による中国けん制構想の「アジア太平洋戦略」を激しく非難した上で「(米国の)偏った動きに流されてはならない」と恫喝されたことに対する、韓国の苦し紛れの返答でもあった。

<朝鮮日報6/11「中国外相が韓国を脅迫『米国の動きに流されるな』」>

ちなみにG7拡大会議を経て採択された「2021年開かれた社会声明」(2021 Open Societies Statement)には、以下のような言葉が連なる。

「我々は重要な分岐点におり、顕在化する権威主義、選挙介入、腐敗、経済的強制、偽情報を含む情報操作、オンライン上の危害やサイバー攻撃、政治的な動機によるインターネットの遮断、人権侵害、テロ及び暴力的過激主義による、自由及び民主主義に対する脅威に直面している」。「全ての人が完全かつ平等に社会に参加できる」「責任及び透明性のある統治体制内における、自由かつ公正な選挙での各市民の投票権や、全ての人々の平和的な集会・組織・結社の権利を含む、民主主義」の重要性を訴えている。

<G7コーンウォールサミット「2021年 開かれた社会声明」外務省訳

「全ての人が完全かつ平等な社会」、「自由で公正な選挙」や「平和的な集会・結社の権利」が実現していない国こそ、中国と北朝鮮であり、ここに出てくる「権威主義、腐敗、情報操作、サイバー攻撃、ネットの遮断、人権侵害」など自由と民主主義の脅威になっているのが中国と北朝鮮ではないのか。いずれの国とも関係が深く責任を持つ韓国が、この声明は「特定の国を対象にしたものではない」などといったら、せっかくの声明も骨抜きにされ、何の価値もない紙切れにしたのも同然だ。そんな国をG7に招く必要があったのだろうか?

韓国は、G8国になったと自らを格上げし、世界の経済大国の一員だといくら自慢しても、かつての宗主国Chinaの属国としての身分からは今も自由になれない。他の民主主義国とは価値観が異なる異質の国であるということを、今回のG7サミットを契機に改めて世界に示すことになったのである。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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