外国人を格付けする中国就労許可制度

外国人を学歴や収入などに応じて点数制でランク付けして、就労許可を出すかどうか決めるとは、プロレタリアート(無産階級労働者)の平等をうたう共産国家にはあるまじき、独裁国家らしい強権的専制支配というしかない。

中国で外国人の管理を担当する国家機関が、去年11月「外国人来華工作許可制度」という、世界に例を見ない制度を突然、発表。来年4月1日から実施するというその制度は、中国に居住するすべての外国人を、Aランク(ハイレベル人材)、Bランク(専門人材)、Cランク(一般人員)の3つに分類し、「Cランクの外国人」に分類されると、駐在の許可が下りずに中国から追放される社員が続出しかねないといわれる。

JETRO(日本貿易振興会)は、そのウェブサイト「通商弘報」(世界のビジネスニュース)で中国のこの新しい就労許可制度を何度も取り上げ、JETROの広州や大連の駐在事務所は、中国人弁護士を講師に、現地の駐在員を集めてセミナーを開いている。しかし、日本の新聞社など大手メディアがこの問題を大きくとりあげた形跡がないのは、いったいなぜなのか。中国専門家の近藤大介氏が、現代ビジネス 1/2(月)の配信で「前代未聞! 中国が始める外国人「ABCランクづけ」制度 日系企業は大パニック」として報告したのが最初かもしれない。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170102-00050496-gendaibiz-bus_all

この記事とJETRO「通商弘報」によると、新しい就労許可制度(「外国人来華工作許可制度試験実施方案の分類基準」)のランク付けとは以下の通りである。

Aランクの外国人とは、中国の経済・社会の発展に早急に必要な人材で、中国の人材誘致計画の対象者などが含まれる。またノーベル賞などの国際的な賞の受賞者、フォーチュン500企業における高級管理職、特許など知的財産権を所有する創業者、35歳以下で世界上位200の大学の博士、研究者など。このほか、ポイント加算による「点数評価制度」で85点以上の人材もA類に分類される。いくら中国が欲しいといっても、ノーベル賞級の研究者や国際的大企業の幹部が中国に行って何をどうするというのか?

Bランクの外国人は、中国の経済・社会の発展に必要な人材とされるが、国内市場の需給や発展に応じて増減があり、居住地域も管理されるという。学士号以上の学歴と中国で就業予定の業務に関連する2年以上の職歴がある人材、外国語の教員などのほか、点数評価制度で60点以上の人材もB類に分類される。

Cランクの外国人は、臨時的、季節的、及び技術を伴わないサービス業などに従事する外国人で、今後は国家政策に基づきながら、居住を厳格に制限していくという。具体的に例示されるのは、ハイレベル人材に付帯する家政サービスの従事者、遠洋漁業に従事する漁船員、国境における季節的な労働者などで、対象業務は限定される。

つまり、外国企業の駐在員として就労許可を申請する場合、職種が限定されるCランクではなく、必然的にBランクでの申請となり、点数評価制度では60点以上が必要となる。しかし、60歳以上や大卒ではない人はそれだけで60点以上をクリアすることはできない。日本の製造業など中小企業の場合、工場の生産管理のために経験豊富な定年退職者を中国に駐在させることが多く、一貫して工場勤務をしてきた人材は大学卒でないケースもある。要するに新しい就労許可制度は、中国に進出した日本企業の日本人駐在員を中国から追放するための手段なのではないかと勘ぐりたくなる。

ところで、個人を点数制で評価・分類し、差別化するというのは、中国ではごく普通に行われている手法のようで、福島香織氏の日経ビジネスオンラインのブログ記事「中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップ~」(「中国の若者は『君の名は。』のどこに共感するか」)には、次のような記述があった。http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/121300079/

「中国では、改めて説明するまでもなく、農村戸籍と都市戸籍の差別がシステムとして存在している。最近では納税額や投資額、犯罪や規則違反による加点減点によって、個人の社会信用度をスコア化して差別化するシステムも導入されはじめている。この新たな社会信用システムは2020年に完成される予定で、ブラックリスト入りした市民の名前をネットサイトで公開するといったことが既に一部都市で行われており、それを多くの市民は、中国人のモラルの低さはこのくらいしないと直らないと受け入れている。(中略)中国社会はますます、人を信用しないことを前提とした密告システム、ブラックリストシステム、差別化システムを導入し、まるで『1984年』(ジョージ・オーウェル著)のビッグブラザーに監視された社会を彷彿とさせる」。

自分の頭脳で思考判断できるのは国家のトップを占める専制者だけで、その下の人民には思考判断の自由も個人や個性の主張も許されない。彼らは、まさに社会の部品として点数(スコア)化され、分類・差別化される存在に過ぎず、専制者の都合でその社会システムから不適合と判断されれば、ブラックリストに載せられ排除されるしかない。それこそ、中華世界の皇帝政治、共産主義独裁国家の論理なのだ。

それにしてもそうした教条ドグマのもとで、自国民をいかに取り扱うかは、彼らの勝手だが、それを無理やり外国人にも適用するというのは理不尽というしかない。外交通商政策では、相手が行なうことはこちらも行えるという相互主義が原則だ。中国が日本人駐在員を分類・差別化し排除するというのであれば、われわれ日本も在日中国人を点数化して分類し、日本社会に不適合かつ有害な者は即刻、国外追放する手段を講じるべきではないか。

それでなくても最近、日本では在日中国人による殺人など凶悪事件が頻繁に起きている。彼らの多くが日本で従事する職業、たとえば飲食業や接客業を見ても、在日中国人の能力や質は、中国駐在の日本企業ビジネスマンに較べてはるかに劣るのは明らかだ。日本の高度で繊細な社会システムのなかで、彼らが適応できる生存空間などないことをこの際、はっきりと自覚させるべきかもしれない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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