ソウルの中心で慰安婦詐欺の元凶「河野談話」撤回を叫ぶ

いわゆる「慰安婦の強制連行」を認めたとされる「河野談話」の軛(くびき)に苦しんでいるのは、日本だけではなかった。韓国で、韓国人自身が、正しい歴史認識のもとで、歪曲された歴史を正そうと運動を進めている人たちがいるが、その人たちにとっても、「河野談話」がネックとなり、虚偽の歴史を糺すことができない、というジレンマに陥っている。

ソウルの旧日本大使館前の歩道に設置された慰安婦少女像の周囲では、毎週水曜日、慰安婦団体「正義記憶連帯」が水曜集会を開いているが、その集会から20メートルも離れていない近くの歩道で同じ時間帯に、慰安婦像の撤去を要求し、「慰安婦被害者法」の撤廃を訴えているのが市民団体「慰安婦法廃止国民運動」の「慰安婦詐欺中断を促す記者会見」だ。毎回、代表の金柄憲国史教科書研究所所長が声明書を読み上げ、その様子はYoutube動画で配信され、在韓日本人の手で日本語字幕もつけられている。

金柄憲所長は、「元慰安婦」を名乗る李容洙(イ・ヨンス)氏と吉元玉(キル・オノク)氏について、今年1月27日、“補助金の管理に関する法律違反の疑い”で鐘路警察署に告発し、2月24日にはこの2人の慰安婦補助金支給の適正性に関連して女性家族部に対する監査を求める国民監査請求を出した。

この二人の「元慰安婦」がどういう人物かというと、李容洙氏は「自称・元慰安婦」として有名な人で、発言するたびに証言内容が異なり、年齢も92歳と言っているが、実際はもっと若いのではないかという疑いも出ている。年齢についても、どの証言を信用すればいいのか、分からないからだ。

金柄憲所長によると、李容洙氏は「(慰安婦になるとき)大邱から連れて行った男性が慰安所の主人だった。私たちは彼を“おやじ”と呼んだ」と証言しているという。李容洙氏のフランス議会での証言では、背中に刃物を突きつけられ日本軍兵士によって連行された」と証言しているにもかかわらず、である。また、彼女が慰安婦生活をしたという台湾・新竹には、日本軍慰安所はなかった。戦場でも占領地でもない台湾に慰安所を設置する理由はないからだ。朝鮮人の“おやじ”に付いていき、そもそも日本軍慰安所は存在しない台湾に行った李氏が、どうして日本軍慰安婦であり、その被害者だと言えるのか。それだけではない。李容洙氏は「サック(コンドーム)も知らなかった」「病院や保健所で診断を受けた記憶もない」と証言した。性病管理がもっとも懸案だった日本軍慰安所では、到底考えられないことだ。

吉元玉(キルオノク)氏の場合、彼女を「ニセ慰安婦」だというのは、吉氏が満13歳の時20円で売られて満州に行き、15歳の時には平壌の妓生(キーセン)学校の友達と金を儲けるために中国にいったと証言していることだ。13歳や15歳は、基本的に日本軍慰安婦になれる年齢ではなく、自発的に金儲けのために行った女性がどうして日本軍に強制的に動員された日本軍慰安婦といえるのか?

金柄憲所長は、この李容洙氏と吉元玉氏の二人について、「元慰安婦被害者」を名乗るのは「慰安婦被害者法」に定める「旧日本軍慰安婦」の定義に違反し、「慰安婦補助金」支給の適正性に欠けるとして、“補助金の管理に関する法律違反の疑い”で鐘路警察署に告発し、補助金支給の適正性について女性家族部に対する監査を求める国民監査請求を出したのである。

しかし、鐘路警察署と監査院は、この2件について、いずれも却下するという決定を金所長に通知したという。鐘路警察署と監査院が、その棄却理由に上げたのはいずれも“河野談話”だった。

鐘路警察署と監査院がその決定の根拠に挙げたのが、河野談話のなかで「慰安婦の募集に対しては、軍の要請を受けた業者が主にこれを引き受けたが、その場合にも甘言、強圧によるなど、本人の意志に反して募集された事例が多くあり、さらに官憲等が直接加担したということが明確になった」という部分だった。

これについて、金柄憲所長は6月2日の「慰安婦法廃止国民運動」の「慰安婦詐欺中断を促す記者会見」で、以下のように反論する。(以下引用)

<これ(河野談話)は河野官房長官の立場表明であり、慰安婦強制動員の証拠にはならない。何よりも河野談話の内容のとおり、慰安婦募集は日中戦争と太平洋戦争の際に、日本軍占領地で、日本軍の要請を受けた業者によって行なわれた。よってこれら業者は、日本軍の管理下に慰安所を運営しており、彼らが運営した慰安所で働いた女性のみを“日本軍慰安婦”といえる。日本軍慰安所がなかった日本、朝鮮、満州、台湾や日本軍管理と関係のない遊郭や料亭で働いた売春女性たちは、日本軍慰安婦になることができないという意味だ。

次に「官憲などが直接加担した」という官憲とは、一般的に「警察」を意味する用語で、「日本軍」を指すものではない。何より警察は誘引・誘拐または人身売買などの犯罪行為を取締り処罰する公務員であって、民間女性を募集するなどの不法行為を行なうことは不可能だった。ただ一部の慰安婦の証言に巡査が登場した場合があったが、これはすべて“公務員詐称の詐欺犯”に該当するものだ。

河野談話にはまた、「当時の朝鮮半島は日本の統治下において、その募集、移送、管理なども甘言、強圧によって行なわれた」としたが、慰安婦は出国前に親権者の承諾を得て、店のオーナーと契約したあと、直接管轄警察署に出頭し、身分証明書の発給を受けなければ、占領地の慰安所に行くことさえできなかった。なのにどうして移送や管理に甘言や強圧があったと言えるのか?

このように官房長官の立場表明という理由以外に決定的な誤りを内包している河野談話がなぜ強制動員の証拠になり得るのか、ということを鐘路警察署と監査院は説明しなければならない。

(中略)私は歴史を研究する研究者として、すべての判断の根拠は歴史的事実を根っことしている。断言する。30年近い国内の葛藤と韓日外交破綻の中心に立っている慰安婦問題の核心は、日帝による強制動員と性奴隷説は歴史的な事実ではない。このような歴史的事実に顔を背けている大韓民国の政府と市民団体は可哀想な老人を前に立たせ、国民を騙し世界を騙し、国際詐欺劇を繰り広げながら、ここに歴史的事実と反する内容を含んだ河野談話がこの詐欺劇の頑丈な杭留めとなっているのだ。昨今の韓日関係を崖っぷちに追い込んでいる慰安婦問題は結局、韓国の慰安婦歪曲と歴史的事実に顔を背けたまま外交的に適当に妥協した河野談話がもたらした結果だといえる。>(引用終わり)(2021年6月2日、慰安婦法廃止国民運動「慰安婦詐欺中断を促す記者会見」での声明)

金柄憲所長は別の日(5月19日)の「慰安婦詐欺中断を促す記者会見」で、「河野談話」の別の問題点も指摘する。

「河野談話」の核心は、「軍の要請を受けた業者が、甘言と強圧などで本人の意志に反し、慰安婦を募集した事例が多く、官憲等が直接加担したこともあった」という部分と「朝鮮半島は日本の統治下にあって、その募集・移送・管理なども甘言と強圧によるなど、本人らの意志に反して行なわれた」として日本の責任を認めた部分だ。そして慰安婦募集の「強制性」について、談話発表後の記者クラブでの説明で、河野氏は『官憲等が直接これに加担したこともあったこと』とはスマラン事件(別名・白馬事件)のことを指しており、スマラン事件以外には官憲等が直接これに加担した事実はなかった、と説明している。スマラン事件とは1944年2月、南方軍第16軍の幹部候補生隊が、オランダ人女性35人を民間人抑留所からジャワ島のスマランにあった慰安所に強制連行し強姦し、強制売春させたとされる事件で、オランダ人リーダーの訴えで事件が発覚し、その年の4月末には4箇所の慰安所が閉鎖されている。終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯としてこの事件に関わった軍人・軍属(請負業者)12人が有罪とされ、うち責任者の少佐1人が死刑になっている。

河野氏はのちの2015年6月9日、日本記者クラブでの記者会見でも「インドネシアでオランダ人女性たちが慰安婦に連れて行かれた事件の記録を見ても、”強制性がなかった“とは絶対に言えない」と強弁している。

これについて、金柄憲所長は、「河野談話」が「唯一の強制的な事例」としてオランダ人女性の事件を引き合いに出すことで、朝鮮人女性も日本軍に強制的に連れ去られたことは歴史的事実だという誤解を生む原因になっていると見ている。つまり、河野元官房長官は、戦争犯罪被害者であるオランダ人女性と、占領地の女性に対する戦争犯罪防止のために合法的に募集・運営された日本軍慰安婦を同一視する重大な誤りを犯したというのである。(以下引用)

<裁判の結果、死刑判決を受けた陸軍の某少佐をはじめとする12人の被告には、拉致、強制連行、強姦、売春強要などの罪が適用された。敵国女性を対象にした日本軍の戦争犯罪行為であることが明らかになったのだ。

歴史的事実がこのようなものでもあるにも関わらず、河野元官房長官は、スマラン事件のオランダ人女性と、日本軍の要請により合法的に運営された慰安所で働いた日本軍慰安婦を同一視した。河野元官房長官の主張のとおりなら、朝鮮人女性と日本人女性をはじめとする日本軍慰安婦たちはいずれも戦争犯罪被害者という結論だ。

かつての「挺対協」とその後身である「正義記憶連帯」は、1992年1月8日の宮沢首相来韓を機に始まった30年近い水曜集会で、たゆまずに日本軍の戦争犯罪に対する責任者処罰と謝罪、そして法的賠償を要求した理由がまさに、このため(河野談話)だったのである。しかも、金福童、李容洙、吉元玉など多数の元慰安婦の老人たちが人権運動家に変身して、世界各地を周遊し、戦争犯罪の中断と日本の蛮行を糾弾するという、とんでもないことを行なってきたのも、結局、河野談話が原因なのだ。>(引用終わり)

2021年1月8日、ソウル中央地裁は「元慰安婦」12人が起こした損害賠償訴訟の判決文の中で、「日本が強制的な人員動員政策を積極的に推進するため、被害者たちを欺罔したり、強制的に連行して慰安婦としての生活を強要した」とし、4月21日、李容洙氏など「元慰安婦」21人が起こした訴訟判決文でも「日本軍隊の要請によって朝鮮総督府が警察など行政体系を動員して、この事件の被害者たちを慰安婦として派遣した」という内容が書かれ、いずれも河野談話の中で示される「強制動員という強制性」が判決文の根拠となっている。

そればかりではない。2020年12月1日、ベルリン中心部、ミッテ区にある公園に設置された慰安婦少女像に対して、ミッテ区議会は少女像の永久の設置を要求する同意案を賛成24票、反対5票で可決させた。これによってミッテ区長から撤去命令を受けていた少女像は撤去を免れて、永遠に存知されることになった。こうした決定がなされた要因も、ミッテ区議会が歴史的な事実を認定をするために河野談話を参考にしたことが決定的な影響力を行使したと言われる。

要するに、河野談話を撤回し、この世から葬り去らさない限り、真実の歴史に戻ることはあり得ないのである。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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