「慰安婦像」を子供にどう説明するのか③

<現在も続く中国の深刻な女性人件侵害>

歴史をそれほど遡る必要もなく、われわれと同時代史の、20世紀後半の中国を見るだけでも、女性に対する筆舌に尽くしがたい残虐行為の数々はそれこそ枚挙に暇がない。

<チベット>

中国共産党が1950年にチベットに侵攻したあと、チベット人によるさまざまな抵抗運動が行われ、厳しい弾圧を受けた。「ダライ・ラマ、万歳!」と叫んだだけで拘束され、監獄に収監された。そのなかには多くの尼僧も含まれるが、尼僧たちは監獄の中では裸にされ、電気ショック棒を膣に差し込まれるなど、日常的な性的拷問を受けた。

北京オリンピックの年2008年3月から5月には、聖火リレーにあわせて世界各地で中国によるチベット弾圧に抗議するデモが発生したが、チベット各地でも僧侶など多くの人たちが街に出て「チベットに自由を」と叫び声を上げた。多くの尼僧も拘束され、監獄の中で厳しい取調べと拷問をうけて死亡した人の情報も頻繁に伝えられた。さらにチベットでは、3人目以上の子供を妊娠・出産した女性に対して、強制的な堕胎手術や避妊手術が行われている、とも伝えられる。(「チベットNOW@ルンタ ダラムサラ通信http://blog.livedoor.jp/rftibet/ )(他に参考文献:パルデン・ギャツォ『雪の下の炎』2008年、P・ブルサール、D・ラン『囚われのチベットの少女』2002年)

<南モンゴル>

文化大革命のさなか、モンゴル人30万人が犠牲になった「内モンゴル人民革命党粛清事件」。想像に絶する残虐な方法での拷問、殺害が行われ、とりわけ女性に対する大規模かつ組織的な性暴力、凄惨きわまる拷問やレイプなど数々の事例は、静岡大学教授の楊海英さんが書いた『墓標なき草原~内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録 上・下』(岩波書店2009年)や『凶暴国家 中国の正体』(扶桑社新書2014年)に詳しく報告されている。楊海英教授によると「モンゴル人女性に対する性的な陵辱は、モンゴル民族に対する完全な征服を意図したもので、中国人たちはモンゴル人男性を侮辱しようとモンゴルの女性たちを公然と陵辱し、常軌を逸した性的虐待が行われた」と指摘する。確かにありとあらゆる手法を駆使した性的虐待や拷問、暴行の数々は、ここで文字にするのも忌まわしいほどの凄まじさ、われわれには想像すら及ばない残虐性、嗜虐性をもつ。どんな下等な動物でも同類に対してそんな行動をとることはないだろうと思うほど、人間性の欠片など一片も見られず、まさに神を冒涜する行為といってもよい。人間をここまで冒涜し、陵辱できる彼らの行為には、生命への畏敬といった宗教的観念の欠如だけでなく、何も考えないで目の前の欲望だけに走る、いわば人間になる以前の幼稚さを感じる。

<東トルキスタン・ウイグル>

「新疆ウイグル自治区」は、中国共産党独裁政権による完全な「殖民地」である。漢民族とウイグル人の関係は、中国政府がいうような「中華民族として大家族の一員」では決してなく、いまだに互いに交わることを避けて暮らし、ウイグル人は漢族を支配階級、人権抑圧者として見なし、漢族はウイグル人をまるでテロリストか犯罪組織の人間のように扱っている。そうした関係は、私もウルムチへの旅行で肌で感じることができた。北京の中国人観光ガイドは「一般の中国人は新疆ウイグルには怖くていけない、むしろ外国人のほうが安全だ」と平然といい、ウイグル人の店が立ち並ぶウルムチ市内のグランバザールでは、漢族の現地ガイドが「長くいると危険だから駆け足で見て回りましょう」と周りを気にしてびくつきながら案内してくれた。現在の形の新疆ウイグル自治区ができたのは1955年。60年に及ぶ植民地支配の結果がこの状態なのである。

その植民地支配の先兵として送り込まれたのが「新疆生産建設兵団」だった。農地の開墾と対ソ連辺境防衛を担い、1954年の発足当初には17万人の若い兵士たちが、いわば屯田兵として永住を条件に送り込まれたのである。彼らは農業用水や流通など主要な経済インフラを独占し、今では新疆地区の政治経済すべてを牛耳る特権的支配階層を構成している。2013年時点で生産建設兵団の規模は14個師団に分かれ、総員270万人、新疆全体の12%の人口を占める。ちなみに、2014年の新疆ウイグル自治区の総人口2298万人のうち、漢族は850万人(37%)を占め、この間も一貫して漢族の移住政策は続いてきた。(新疆自治区政府、新疆生産建設兵団Webサイト http://www.bingtuan.gov.cn/bt/ )

ところで、屯田兵として送り込まれた建設兵団の兵士たちは、全員が独身だった。1960年代、新疆自治区政府のトップだった王震は、若い兵士たちの不満に応えるため、上海の娼婦や山東省の農村女性など8000人を集め、「慰安婦」として新疆に強制的に送り込んだ。しかし、この程度の数ではせいぜい兵団幹部の慰みになるだけで、なおさら若者たちの不満をかきたて暴動にまで発展するほどだった。そのため、文革時代の「下放運動」とも重なり知識青年の若い女性80万人を「花嫁候補」として新疆に送り込んだ。女性の意思とは関係なく、国家の意思だけで、人の一生を勝手に操る。これはまさしく「性奴隷」そのものだ。鳴霞著『中国 驚愕の性奴隷』(青林堂2014年)によれば「文革時代の下放運動で、地方に送られた知識青年2000万人のうち、若い女性800万人は、地方の共産党幹部たちに強姦され、「慰安婦」や「性奴隷」として虐げられた」という。この本の表紙には「人民解放軍こそ女性を食い物にした最悪の軍隊」「暴かれた中国文化大革命期性奴隷」「人民解放軍の『性奴隷』にされた800万人にのぼる女性たち」などの言葉が並ぶ。

文革時代、中国で秘かなベストセラーとなった「ポルノ小説」が、いま香港で復刻版として売られている(『少女之心 文革第一禁書手抄本足本面世(文革期の禁書の手書き底本)』)。下放された少女が、地方の共産党幹部によって次々と手篭めにされ、情婦として党幹部の間を渡り歩くという物語で、そうして党の幹部に媚を売らない限り過酷な状況を生き抜くことはできなかったという当時の悲惨な状況も伝えている。

ところで中国はウイグル人の民族消滅を狙って、ウイグル人の若い女性を、中国沿岸部の工場労働者として強制的に集団就職させ、漢族との結婚を奨励しているといわれる。そうした中で発生したのが、2009年7月5日の「新疆7・5大屠殺」と呼ばれる騒乱事件で、そのきっかけとなったのは、遠く広東省韶関市の工場宿舎でウイグル人出稼ぎ労働者を地元の中国人が襲撃し、13人を殺害した事件だった。そもそも中国人による襲撃の発端となったのはウイグル人が漢族少女を暴行したというデマが発端だった。ウイグル人の民族消滅を狙った深刻な敵対感情は、すぐに暴動へと発火しやすい下地を作っていたのである。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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