歴史観がおかしいと国は滅びる

「歴史観がおかしくなると国は崩れる」と国際基督教大学の西岡力教授はいう。

「1980年代以降、韓国社会に拡散した反日、親北、反韓歴史観が現在の韓国政治の混迷を生んだ元凶だ。歴史観がおかしくなると国がどのようにおかしくなるか、まさに韓国現代史はその実験結果を示している」(月刊正論2月号「韓国をダメにした甘えの構造と反日日本人」)。

パク・クネ大統領を弾劾裁判に追いやった毎週末のロウソク集会は、民主労総(全国民主労働組合総連盟)という反日親北の左派団体に主導されたものだ。「慰安婦像」という虚構を国民に信じ込ませ、反論を許さない雰囲気を作るためなら、国際約束を反故するのも厭わない。さらに本来は刑事告訴などありえない学術書「帝国の慰安婦」の著者を名誉毀損で起訴したものの、結局、無罪判決を出し、韓国の司法も一応まともだったかと思わせた次の日には、対馬のお寺から韓国の窃盗団が盗んだ仏像を、14~16世紀に倭寇によって略奪されたものだから韓国に引き渡せと、まるで窃盗犯罪を正当化する「仰天」判決を出した。政治も国民も司法もまったく近代国家の体をなしていない。まともに付き合える国ではないのだ。

西岡氏によると、韓国の歴史観が危うくなったのは1979年の『解放前後史の認識』(全6巻)という本の出版からだという。「民族至上主義と民衆革命論という70年代韓国左派知識人たちのイデオロギーに歩調を合わせ、韓国の現代史に対する認識を集大成したもの」といわれ、80年代に大学に通った世代の必読書であり、80年代末の社会主義崩壊以降も代表的な現代史教養書として位置付けられた。40代になって社会運動に飛び込んだ盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が、80年代初め、この本を読んで「血が逆流するような気持ちだった」と感想を述べた本でもある」(「日韓現代史資料集」2006年7月26日『解放前後史の再認識』出版)

その巻頭を飾ったのが宋建鎬氏の論文「解放の民族史的認識」だ。その結論部分は、西岡氏の訳によると以下のような内容だという。

「この論文は、8・15が与えられた他律的産物だったという点から、わが民族の運命が強大国によってどれくらい一方的に料理され、酷使され、侮辱され、そのような隙を利用して親日事大主義者らが権勢を得て愛国者を踏みつけて、一身の栄達のため分断の永久化を画策し、民族の悲劇を加重させたかを糾明しようとするものだ。過去もまた今も自主的であり得ない民族は必ず、事大主義者らの権勢がもたらされ、民族倫理と民族良心を堕落させ、民族の内紛を激化させ、貧富の格差を拡大させて、腐敗と独裁をほしいままにし、民族を苦難の淵に追い込むことになる。民族の真の自主性は広範な民族が主体として歴史に参与するときだけに実現し、まさにこのような与件下でだけ民主主義は花開くのだ」。

左派特有のアジテーション臭と修辞がいっぱいで、われわれには分かりづらい情緒的文章だ。行き過ぎた反日親北の歴史観を批判するソウル大学の李榮薫教授は『解放前後史の認識』に代表される歴史観を次のようにまとめている。

「日本の植民地時代に民族の解放のため犠牲となった独立運動家たちが建国の主体となることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽ったというのです。そしてそのような勢力を代表する政治家こそ、初代大統領の李承晩であるというのです。」

(李榮薫著「大韓民国の物語 韓国の国史教科書を書き換えよ」文藝春秋2009年P27)

朝鮮半島の分断を固定化したのは「親日勢力」あるいは「親日事大主義者」だというが、その親日派とは何か?

西岡氏の説明はこうだ。「親日派とは、単純に日本に親近感をもっているという意味ではなく、日本の統治に協力して民族の独立を阻害した勢力という意味だ。しかし、李承晩が近代国家建設をするに当たって必要とした官僚、警察、軍人などになり得る知識と訓練を受けていた人材の大部分は、日本統治下に教育を受け下級職で日本の統治に加わっていたものたちで、それ以外に人材はいなかった。そして彼らが身につけていたのは、近代的国作りに関する知識であり、それは日本が欧米から導入した人類普遍的な知識だった。彼らが韓国建国後も再び日本の支配を望み、そのために活動したなら「親日派」だが、そうではなく身につけた知識を韓国建国のために使ったのだとすれば愛国者だ」(『月刊正論』同上)。

視点を変えれば、まったく逆の見方も可能となる、といういい事例だ。

しかし、韓国の歴史教科書『国史』は、この『解放前後史の認識』に代表される行き過ぎた反日親北の歴史観に基づいて記述されている。李榮薫教授は、「私は敢えて言います。このような教科書の内容は事実ではありません。全く事実にそぐわないものもあり、似たような事実はあっても内容が誇張されていたり、誤って解釈されるものが大部分です。びっくりされる方も多いと思いますが、単刀直入に言うと、そのような話はすべて、教科書を書いた歴史学者が作り出した物語です。』(前掲書77ページ)

虚構の歴史の物語が捏造され、その捏造された物語に縛られ、亡国の泥沼にはまり込んでいく韓国の人たちは哀れというしかない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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