中国の海軍力増強の狙いは何か④

<「鄭和の大航海」に見る侵略性>

中国がどれほど「海洋国家」を自称しても、本質は大陸国家だ。大陸国家は海を怖れ、海を遠ざけてきた民族であり、「海洋」の何たるかを知らない。明の海禁政策や海防政策を見ればあきらかだ。

明の永楽帝の命令で、大艦隊を率いて大航海した鄭和について、今の中共政権は「平和の使節」だったと宣伝しているが、実態は侵略と略奪のための大兵力と艦隊の派遣、文字通りの「砲艦外交」だった。一度の航海で、艦隊は50隻から250隻の船で編成され、さまざまな官位の使節や艦長や海軍提督、士官だけで400人、下士官、精鋭兵、非正規兵など兵員は最大で3万人にも及んだ。また彼らが装備した武器は、当時としては最先端の火砲だったといわれる。鄭和の大航海は「下西洋」(西洋くだり)とも呼ばれるが、遠くはアラビヤ半島からアフリカ大陸東海岸にも及び、シナ大陸を出てから戻るまで数年間に渡ったという。

『明実録』の研究者であるジェフ・ウェードの研究によれば、鄭和の大航海の目的は、永楽帝の雲南への領土拡大やベトナム侵攻と同じで、「蛮族」の地で明の国力を示し、明への服従を示すようにさせ、明を中心にした平和Pax Ming(パックス・ミン)を地上に実現させること、宮廷のための宝物を集めること、さらに航海や交易の拠点となる港、「官廠」と呼ばれる補給や修理のため寄港地を各地に確保することだった。つまり大艦巨砲外交とともに各地に根拠地を作る植民地主義の意図を持っていた。

鄭和は1407年の最初の航海でスマトラの港を攻撃し、 地元民5000人を殺害し、10数隻の船を焼き打ちした。その後の航海でも、ブルネイやスリランカの地元の王族を拘束して南京に連行したり、ジャワでは地元の支配者同士の内戦に関与して、多額の補償金を脅しとったりした。またタイのアユタヤでは寺院を焼き払ったり、アラビヤ半島では都市を砲撃するなどやりたい放題だった。

「鄭和は、行く先々で朝貢を促しており、決して対等な国交を結ぼうとしたわけではない。それゆえ、明側の要請を拒絶し敵対的な態度に出た国には、武力を用いて国王を取り替えることすら辞さなかった」(壇上寛著『天下と天朝の中国史』岩波新書2016/8)

鄭和の大航海は、「平和の使節」どころか、軍事的侵略そのものだった。現代の中共政権による海軍力増強と海洋進出には、鄭和の影がどうしてもダブってしまう。鄭和のDNAを引き継いでいないか、その意図を疑わざるを得ないからだ。

<中国の海軍力に対抗する手段>

海軍力の増強と海洋進出を加速する中共にどう対抗したらいいのか。

軍学者を名乗る兵頭二十八氏の『日本の武器で滅びる中華人民共和国』(講談社+α新書2017/01)によれば、中共の大陸棚やスプラトリー諸島周辺などの水深30メートル未満の浅い海域に、機雷の中でも最も仕掛けるのが簡単で、掃海するのが逆に難しい「沈底式機雷」を敷設するだけで、中共のライフラインを締め上げ、中共海軍の動きを簡単に封じ込めることができるという。

沈底式機雷は、一個2000ドル(21万円)で製造され、もっとも安価でローテクの兵器だそうだ。800万円台で買える小型潜航艇を機雷敷設用に購入し、フィリピンやベトナム、マレーシアなどに提供すれば、こうした弱小国でも中共に対して軍事的優位に立つことができる。それもこれも、沿岸は遠浅の大陸棚であり、ベトナムの対岸には海南島の軍事基地、重要なシーレーンがマラッカ海峡や台湾海峡を通るという、「地政学的な弱み」を中国は抱えているからだ。

一方で、敵対国が機雷戦を仕掛けてくる危険があれば、中共は敵の潜水艦の侵入を防ぐために、台湾海峡など沿岸に大量の機雷を敷設する計画で、そのために大量の漁船を動員し、機雷を敷設する訓練を行っている。これを「防御的機雷戦」という。要するに先に機雷を敷設すると脅し、「攻撃的機雷戦」を予告するだけで、中共は防御的機雷戦で応じざるを得ず、自らの手で自分たちの沿岸を物理的封鎖(ブロケイド)することになるという。

ただし、中共には機雷の掃海を行う能力はなく、一度、機雷が投入されれば半永久的にその海域は使用不可能になる恐れもある。

「マレーシア、ベトナム、フィリピンなど地政学的に中共の味方とはなりえない国々に対して、わが国から「機雷敷設専用の超小型潜航艇」等を武器援助するならば、驚くほど廉価な負担で、東アジアから侵略的な専制政体を除去し、世界平和に貢献することができます。機雷は地雷と違って、艦船の乗員に脱出するチャンスを与えます。シナ軍人の戦死者も結果的に最小で済み、体制崩壊後のシナ人民は、カレラガ1989年の天安門事件いらい希求してきた民主政治を手にいれることができるでしょう。これが日本の武器で中華人民共和国が滅びる」という意味です」(新書まえがきより)

<自由だからこそ豊饒の海に変わる>

「海」はモノの移動とともに、人や情報、多様な文化が自由に行きかうコミュニケーションの場でもある。コミュニケーションの場として万人に開かれた海だからこそ、「航行の自由」がいかに大切であるかは自明だ。

しかし、中共政権は、国際法のルールを無視して東シナ海や南シナ海を自分だけのものとして独占しようと勝手に振る舞い、大量のゴミや環境汚染物質を垂れ流し、沿岸の海を魚も住めない海に変え、遠洋漁業では稚魚を含めて一網打尽で採り尽くし、水産資源の保護など考えることもない。珊瑚礁を破壊して人工島を建設し、二度と復元できない自然破壊、地球環境破壊を行っている。

海を生活や交流の場としてきた海洋民族は、自由であるべき海の大切さを知り、そこから無限の恩恵を受けてきたことに感謝している。

評論家の松本健一氏によると、日本には、浜辺に鳥居を持ち、海をご神体として祀る神社が各地に存在し、海の向こうからやってくるヒトやモノ、あるいは海外の文化に感謝を捧げる風土が古来からあった。その著書『海岸線の歴史』によると、日本は「海岸線」が異常に長い特異な国で、海岸線の距離は、国土面積が日本の26倍ちかくもある大陸国家中国の2倍以上に達するという。海岸線は人間と海が接する場であり、「白砂青松」を大切にする心など、日本人は海岸線を通してアイデンティティを形成し、豊饒の海から得られる恩恵に感謝してきた海洋民族だった。

そうした自由であるべき海の資源と利益を独占し、南シナ海に勝手に「領海」のラインを引き、環礁を埋め立てて軍事基地化を図り、人々の自由な活動をさえぎる中共政権に海洋国家を名乗る資格はない。(終わり)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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