通州事件とチベット・南モンゴルとの連帯

「通州事件」から80年が経過した。事件があった7月29日、「記憶と慰霊の国民集会」と銘打った集会が東京日比谷で開かれ、主催者の発表で300人が集まり会場を満席にした。集会の模様と関連動画は以下で見ることができる。

https://www.youtube.com/watch?v=sTB7PopzHDg

https://www.youtube.com/watch?v=6WIuVadKG8E

去年の同じ日には、通州事件をユネスコの「世界の記憶」プログラムに登録しようという組織「通州事件アーカイブス設立基金」が作られ、その創立記念シンポジウムとして市民集会が行われた。その模様はこのブログでも報告している。

http://ameblo.jp/shimakichi-san/entry-12186738543.html

通州事件は、昭和12(1937)年7月29日、北京の東方20キロにある河北省通州で起きた日本人虐殺事件で、当時、通州にあった親日地方政権のもとで治安維持を任務としていた保安隊が、現地駐屯日本軍が訓練のため出動し不在だった隙をついて、日本人居留民を計画的・組織的に集団で暴行・拷問した末に惨殺し、さらにその上に死体を損壊するなど死者を冒涜する、まさに鬼神も哭く所業といっていい猟奇的陵辱行為を行ったもので、殺害された無辜の民間人居留民は225人、日本軍守備隊32人、犠牲者総数は257人に及んだ。

これほどの大事件だが、扶桑社の教科書を除いて、ほかは一言も書かれていない。日本の外務省も文科省も例の教科書誤報事件で宮沢内閣が作った「近隣諸国条項」に従って、「他人(隣国)が嫌がることはやらない」、つまりは相手の国のことを慮って敢えて口にせず、この事件をあたかもなかったごとく無視している。

一方で、中共政権はこの事件の痕跡をすべて消し去ることに躍起になっている。現在、通州地区は北京市に編入され、北京市のベットタウンとして高層アパートの林立する街となっているが、そうした都市建設を理由に、かつて城郭都市であったことを示す城壁や城門はすべて壊され、「通州事件」があった場所は、かつてあった犠牲者の慰霊碑を含め、「通州事件」の痕跡を示すものは徹底的に消去されているという。南京や盧溝橋、旧満州の日本統治時代の建物や「万人坑」(鉱山などで酷使し生きながら使い捨てした労働者の「ヒト捨て場」、旧満州には20から36か所を数え死者合計は100万人とも言われる)、「三光無人区」(焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす=三光作戦で、村ごと抹殺し無人にした地区といわれるが、実態は国民党軍や八路軍の移動・侵攻に伴う住民の強制移住だった)の事件現場などが「対日歴史戦」の証拠として保存され、宣伝や国民運動に活用されているのと比べると、通州事件の現場は明らかな違いがある。要するに彼らにとって都合の悪いことは徹底的に排除、隠蔽し、彼らが政治的に利用できるものは、ウソや捏造、ハッタリでも構わずに徹底的に利用し宣伝するということなのだ。

ところで、この通州事件はチベット人に対する虐殺事件とともに、ユネスコの「世界の記憶」事務局に「20世紀中国大陸における政治暴力の記憶――チベット、日本」(Records of Political Violence in the Continental China in 20th Century)というタイトルで登録申請が行われ、2016年10月3日に受理されている(受理番号は2016-75)。なぜチベット人に対する政治暴力と一緒に申請されたのか、というと、ユネスコへの申請には、①ナショナル、②リージョナル、③インターナショナルという三つの枠があるが、ナショナルの枠は一国2件までという制約があり、この2件については日本ユネスコ国内委員会の公募ですでに決まっていたので、どこか他の国と提携して、インターナショナルの枠で申請するしかなかったという。

「通州事件アーカイブス設立基金」代表でユネスコ「世界の記憶」への登録申請をリードする藤岡信勝氏(拓殖大客員教授)によると、中国が「世界の記憶」に南京事件を登録したことで、自ら「パンドラの箱」を開けてしまったのだという。ウソまぼろしの南京事件を登録したことで、その何十倍もの中国がらみの歴史的事件、政治暴力、人権弾圧などの登録申請の動きが沸き起こり、中国はユネスコの「世界の記憶」事業に困りきっているのだという。ざっと見渡しただけで、2000~4000万人が餓死したといわれる大躍進政策、民衆を二分した内戦・武力衝突だった文化大革命、都市を包囲し30万人から70万人の市民を餓死させた1947年の長春包囲戦、民主化を求め平和的な学生デモを武力で鎮圧した1989年天安門事件、それにこのほど刑に服したまま死去した劉暁波氏をはじめとする民主化運動人士・人権擁護派などの活動履歴も、人類の記憶にとどめるべき事柄だろう。

チベットでは1949年から1979年までの30年間に120万7387人のチベット人が殺害されたとして、「世界の記憶」に登録申請がなされた。さらに文化大革命時期のモンゴル人に対する大量虐殺・迫害の事例も「世界の記憶」に登録しようという運動が行われている。楊海英静岡大教授の研究によると、文革時の南モンゴルには150万人近くのモンゴル人が暮らしていたが、そのうち34万人が逮捕され、2万7900人が拷問を受けて殺害され、12万人に身体障害が残ったという。障害を負わされてからしばらくした後に亡くなった「遅れた死」を含めると、死者数は10万人以上との報告もあるとされる。

「日露戦争直後から満州国時代を経て第二次大戦が終わるまで、約40年にわたって日本統治を経験した内モンゴルでは、日本語を操る知識人が大勢いた。日本は植民地経営で教育への投資に力を入れていたからだ。このような親日派モンゴル人が文革期に「日本のスパイ」「対日協力者」としてギロチン台に追いやられた」。「中国人民解放軍の将校は、「旧満州国には中国の敵が多く、モンゴル人だけで70万人もいる」と兵士を動員し、漢民族の労働者と農民を扇動して殺戮へと駆り立てた」と楊海英氏はいう。(Newsweek日本語版2017.6.20号

南京事件に関しては、中国がいかなる資料をユネスコに証拠として登録したのか、実はその中身については公開されていないため、はっきりしていない。犠牲者の規模でいえば、中国が主張する「南京事件犠牲者30万人」に比べると、チベット人虐殺被害者120万人や南モンゴル人の虐殺被害者10万人のほうがはるかに資料は揃っているし、研究も進んでいる。南京事件が「世界の記憶」に登録されたのであれば、チベットや南モンゴルでの集団虐殺や組織的迫害、通州における民間居留民殺害事件が、「世界の記憶」に登録されないという理由は考えられない。

ユネスコ「世界の記憶」事務局は藤岡氏とのメールのやり取りで、「世界の記憶」登録は、平和構築と対話と理解の促進を目的にしており、歴史の判定や歴史の解釈を行うことではないとし、歴史に対する一定の見方を提示したいのであれば、「世界の記憶」は適当な場ではないとしている。それならなぜ、中国の主張に従って南京事件の「世界の記憶」への登録を認めたのか?南京事件の登録された資料は、おそらく中国側の一方的な主張を並べ、歴史に対する特定の見方を強制するものであり、こうした一方的な主張や見方をもとに、対話や理解を促進しようとしても逆効果でしかない。

藤岡氏は、通州事件とチベット人虐殺の登録が認められなかったときは、おなじような虐殺事件としてなぜ「南京事件」だけの登録が認められたのか、ユネスコはその根拠を示すよう強く要求している。登録申請が今後、どう扱われるか、注意深く見守っていく必要がある。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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