<「習近平皇帝」のための穢れた五輪>
北京冬期オリンピックは、やはりというべきか、習近平個人のための祝祭空間となってしまった。
開会式の台湾選手団の入場シーンで、中国中央テレビは台湾を「中国台北」とアナウンスし、「中国香港」と同じく中国国内チームの扱いをしたばかりでなく、香港と同じく台湾の映像でもその途中に習近平の顔を大写しに映し出した。つまり台湾も香港と同様、習近平が支配する中国のものだという露骨な政治宣伝だった。台湾選手団は開会式で「中国台北」と呼ばれる危険があったため、当初、開会式をボイコットする予定だったが、IOCの説得で結局、参加することになった。やはり最後まで参加を拒否すればよかったかもしれない。インドは前日の聖火リレーで中印国境の紛争で戦ったという人民解放軍兵士を参加させたことに抗議し、開幕式をボイコットしている。
欧米の多数の国が外交的ボイコットを表明するなか、開会式にはロシアのプーチン大統領をはじめ22か国の首脳級が出席したということだが、そのうちの13か国は中国が資金を融資し「借金漬け」にしている負債国家だった。たとえば75億ドルの借款を抱えるアルゼンチン、数10億ドルのエジプト、2億7000万ドルのカンボジアのほか、多額の対中負債で財政危機に陥っているパキスタンやパプアニューギニア、モンゴルなどは借款の返済免除や延期を求めている。
さらにウズベキスタン、カザフスタン、キルギスタン、タジクスタン、トルクメニスタンの中央アジア5か国に対しては、中国は今後3年間に各国に1億ドルずつの無償援助を行うという約束を1月25日に表明し、それによって中央アジア5か国の首脳が北京五輪開幕式に参加することになったとされる。これについて、石平氏は、習近平の面子を保つための世紀の『国家的大贈賄』オリンピックとなったと指摘する。
<YouTube「石平の中国週刊ニュース解説」22/2/5「北京五輪増刊号」>
習近平の面子を保つために五輪にあわせて北京詣でをした各国の賓客を招いて、人民大会堂で5日に行われた習近平との昼食会では、会場に設けられた長方形の巨大テーブルの上には真ん中に龍のような水の流れとスキージャンプ台やボブスレー競技場の模型などを置いた大きな「箱庭」が作られ、その宴席の一方に習近平など中国側の要人が並び、その対面には欠席したプーチンを除く各国の首脳や国連事務総長・IOC会長など24人がずらりと並ぶという配席で、まるで皇帝様とそれに拝謁する朝貢国といった構図そのものだった。
今回の北京五輪が、習近平の権威づけのための習近平礼賛オリンピックであることは、1月25日に行われた中国選手団の結団式で示されたスローガンからも分かる。スローガンは「領袖(すなわち習近平)に報いるために命をかけよう。1位を争い敗北は認めない。総書記とともに未来に行こう」だった。習近平のために命を賭けるとは何とも激しいことばだが、このスローガンのとおり、中国選手団は何としても1位をとることに執念を燃やし、スケート・ショートトラックなどでは中国選手に有利な不可解な判定が相次いでいる。
国を単位として争う以上、愛国主義はつきものだが、極端に政治的な愛国主義はスポーツの価値を傷つけ、ヒトラーによるベルリン五輪のように将来に必ず禍根を残すだろう。
<「習近平皇帝」に楯突きたくてもできない韓国>
ところで、「北京冬期オリンピック」の開会式のある場面をめぐって、韓国では天地がひっくり返るほどの大騒ぎとなっている。それは、開会式のなかで55の少数民族の代表と国家に貢献した人々などが2列の列をつくり中国国旗を手渡しで掲揚台まで運ぶシーンのなかで、チマチョゴリ(韓服)を着た若い女性が登場したことだ。韓国人にとって問題となったのは、このシーンによって朝鮮民族が中国の少数民族の一つに数えられたことと、「韓服」が中国の伝統的な衣裳として扱われたことだという。
この開会式を見た韓国人たちが、中国が韓国の伝統文化を奪っていると大騒ぎするなかで、開会式に出席した韓国文化体育観光部の黄熙(ファン・ヒ)長官は中国に抗議する計画はないと明らかにし、なぜか日本を引き合いにだした。東京オリンピック組織委員会のホームページで日本列島の地図に竹島を表示したことについて、日本政府が竹島を自国領土だと主張していると韓国が抗議したが、「韓服は中国政府が『中国の服』と主張したことはなく、日本の独島(竹島)問題とは違う」と言及したのだ。しかし、これに対して韓国国内では「日本に対しては何でも抗議するくせに中国には何も言えないのか」と反発が広がり、「弱腰外交」「二枚舌外交」という批判の声が巻き起こった。
<中央日報2/6「韓服議論」の質問に…抗議しないという韓国文化体育観光部長官「独島問題とは違う」」>
それにしても、開会式に韓服を着た朝鮮族の女性が登場することが、なぜそれほど問題なのか。韓服が韓国起源のものだという韓国の主張も、文化の伝播・継承という観点から見ても、根拠の薄い願望を込めた韓国独自の主張というしかない。
そもそも中国吉林省には「延辺朝鮮族自治区」という行政区域があり、55の少数民族の一つとして朝鮮族が厳然と存在し、朝鮮語と朝鮮文化を保ちながら暮らしているという現実がある。つまり、開会式の場で、朝鮮民族を代表する女性が列に並んでいても何の不思議はなく、彼女にはチマチョゴリ以外に他の衣裳を着る選択肢はなく、どこからも非を唱えられることはなかったはずだ。
そして韓服が朝鮮固有の伝統衣裳であるという主張は、さすがに広い国土と悠久の歴史を持つ中国の膨大な資料と比べると、韓国側の主張はかき消されるほどの根拠薄弱なものでしかない。
<韓服と漢服、どこが違うのか>
中国は「韓服」のルーツは、明代の衣裳「漢服」にそのルーツがあると主張している。そもそも「漢服」は、文字通り「漢の時代の服」として、漢代の絵画にもはっきりとその姿が描かれている。
さらには、新疆ウイグル自治区のアスタナ古墳に描かれている唐代初期の舞楽図や敦煌の壁画に描かれた楽人の衣裳を見ても、西方からやってきた踊り手など西域の人々も漢服と同じような様式の服を着ていることがわかる。
漢服はその後、北方民族系の隋や唐、さらにモンゴルの元朝、女真族の清朝と歴代王朝を経るごとに、さまざま変化しているが、そうしたなかで古くから「上衣下裳」と「深衣」という二つの系統があった。 「上衣下裳」とは、長い袖と短い着丈の「上衣」あるいは「外衣」と、胸あるいは腰から下の部分に巻き付けて下半身を覆う裳(も)、つまりスカートの部分に分かれ、その裳の上部をしめる帯「束腰」、腰巻き「裙囲」からなっていた。つまり、「韓服」のチマ(スカート)とチョゴリ(上衣)と構造はまったく同じ。
「漢服」と「韓服」の違いを、この「上衣」と「裳」が繋がっているか、離れているかの違いだと説明する人もいるが、それは間違いだ。中国では、「上衣下裳」の上下の組み合わせではなく、肩首から足の裾まで一つの布で繋がっているものは「深衣」といって区別している。この二つの系統がそれぞれ併存し、時代を経るごとにそれぞれ進化、発展しているが、このうち「深衣」の系統が日本に伝わって「和服」へと連なっていったものと思われている。
そうした進化と変遷は、中国に残る壁画や絵画など大量の歴史的資料からも十分に後付けすることができる。 さて、それでは韓国は「韓服」の起源は中国ではなく、自分たちオリジナルのものであると言っているが、それを証明する歴史的な記録、絵画や文献の類いはあるのだろうか。
韓国政府の文化体育観光部のホームページでは「韓服(ハンボク)は韓国民族固有の衣装であり、5000年間以上にわたって韓民族の生活において基本構成を維持しながらも、当代の生活文化や時代状況、美意識などによってその形態や構造が多様に変化してきた。現在の韓服は朝鮮時代の中・後期の形態を継承しており、上衣はタイトで下衣はふわりとした、『下厚上薄』の構造」とあるだけで、その起源や変遷に関する具体的な記述はいっさいなく、韓国が起源であるという論拠も文献資料も示していない。
「5000年前」というのは、韓国人の創作神話「檀君神話」の時代のことだが、そんな時代から韓服が人々の生活の基本であったそうだが、日本で言えば縄文時代中期、文字もない時代のことをどうやって知ることができたのだろうか。すべて口からでまかせの空言に過ぎない。
韓服といえば、韓国宮廷ドラマで王妃や女官たちが様々な色彩と紋様の華やか衣裳として紹介しているが、モンゴル史の宮脇淳子氏の『韓流時代劇と朝鮮史の真実』によれば、そうした宮廷シーンはファンタジーでしかないという。なぜなら、韓国には染色技術と染色の材料がなかったため、漂白しただけの晒(さらし)の布しかなく、韓服とよばれるものは基本は白一色だった。そのため「白衣の韓服」といえば、確かに韓国オリジナルといえるかもしれない。それに韓国オリジナルといえば、男の子を出産した女性は、名誉の証としてチマチョゴリの間から乳を出して見せていた。そうした乳出しファッションは、確かに韓国だけの独自の風習といえるかもしれない。
さらに韓国宮廷と言えば、「小中華」を気取る朝鮮王朝では国王や役人の服はすべて中国王朝の様式に倣っていた。韓国の独自性など主張できるはずがない。
<画一的な見方・偏った主張しか教えない教育>
「5000年前から韓服があった」という議論は、「竹島は韓国領土」だという主張と同じく、何の根拠も提示できない政治的な主張と変わりはなく、硬直したイデオロギーと独りよがりのファンタジーに基づく偏狭な民族主義というしかない。前述のとおり中国古代の壁画や絵画には、韓服と同じようなデザインの衣服が存在しているのである。人とモノが行き来するところには、かならず文化の伝承が行われ、新しい文化、新しい思想、新しい考え方の影響を受けるものだ。韓国は5000年来、外来文化の影響をいっさい受けることなく、独自文化だけを純粋に維持発展させてきたとでもいうのだろうか?
ついでにいうと、韓国はキムチについて、中国がこれを「泡菜(パオツァイ)」と呼んで、キムチのルーツは中国にあると主張していることについても、激しく反発している。そのためキムチは「泡菜」とは違うことを強調するため、キムチという言葉に無理やり「辛奇(シンチー)」という漢字を当てて、中国国内で普及させようとしている。中国人にとってすでに「泡菜」という馴染みの言葉があり、キムチとまったく同じ製法と材料で韓国にも大量に輸出しているというのに、なぜ「辛奇」などというそれこそ奇妙キテレツな言葉を押しつけられなければならないのか、という思いだろう。
そもそもキムチに使われる唐辛子は、新大陸の発見で南米からスペインにもたらされ、それが秀吉の朝鮮出兵によってもたらせるまでは朝鮮半島には存在せず、赤いキムチが作られるようになったのは、20世紀になってからだとも言われる。
さらについでにいうと、韓国伝統の格闘技だというテコンドーは、戦前に日本に留学した崔泓熈(チェ・ホンヒ)が日本で習得した「松涛館流空手」をもとに、韓国の古武道テッキョンや中国武術などと組み合わせて、戦後独自に考案し、韓国軍の部隊内で最初に普及させたもので、韓国伝統の古武道だけでは成立しなかっただろう。
<テコンドー創始者・崔泓熈著「テコンドー百科事典朝鮮語版」より>
ところで、中国と韓国の間では、「韓服」をはじめとして互いのさまざまな文化の起源をめぐって、互いに相手の主張を非難・攻撃する対立がとりわけ若い世代を中心に深まっている。韓国の若者は「日本は100年の敵だが、中国は1000年の敵だ」ともいう。中国が習近平を中心にした醜悪な愛国主義を煽ればあおるほど、韓国の偏狭・独りよがりの民族主義もますます燃えさかることになるだろう。
その背景には、中国も韓国も歴史教科書やメディアが偏った画一的な見方しか教えず、政権の意向に沿った固定的な考え方しか教えないことがある。韓服やキムチなど韓国と中国の間の問題だけでなく、日本による大陸進出や韓国併合などの歴史的評価、慰安婦や南京占領などに対する見方、尖閣諸島や竹島に対する領土の主張、佐渡金山や端島炭鉱での朝鮮人労働者の問題にしても、明確な根拠は何も示さず、自由な論議は許さず、異なる見解や反論はいっさい認めず、政権が決めたただ一つの主張だけを一方的にたたき込み、オウム返しに唱えさせる。一つの見方も別な視点、別の要素から見れば、まったく新しい世界に見えるという当たり前のことを教えない教育こそが、中国と韓国の若者の未来をどんどん暗くしている。
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