桜に罪はないのに、日本の桜から韓国固有種に植え替え運動

桜咲く今年の春は、プーチンのロシアが武力侵攻したウクライナ各地から、目も当てられないほどの民間人殺戮と破壊行為など、非道な戦争犯罪の数々が連日、伝えられる春でもある。ロシア兵が去った街の路上には後ろ手に縛られ銃撃された遺体があちこちに横たわり、住宅の地下室からはレイプされたり拷問されたりして殺害された遺体が折り重なって発見されている。何の罪もない子どもを含め、庶民の日常の暮らしがあった住宅やアパートがどこもかしこも砲撃され、無惨に破壊された風景など、けっしてこの世にあってはならない映像が、ユーラシア大陸のむこう側から、連日、伝えられるなかで、日本でも韓国でも、いつもの年のように満開の桜が咲き誇り、平和な時間を過ごすことができる。

ロシアによる明らかな戦争犯罪でも、ロシアの国連大使はフェークニュースだと言い逃れ、駐日大使は「ウクライナの自作自演」だと強弁する。桜の無邪気で純粋な美しさを目の前にすると、人間の醜さ、愚かな国の醜態だけが浮き彫りになり、やりきれなさを覚える。「何と申し訳ないことか」、桜には何の罪もないのに、春の桜に一瞬でも心を奪われる自分の姿に、なにか後ろめたさえ感じる春である。

「桜には何の罪もない」と書いて、唐突だが、ウクライナを離れ、韓国の桜について話題を移すことにしようと思う。

ソウル東大門区に「国立山林科学院」と「洪陵樹木園」という研究所と植物園が一帯になった場所があり、毎年、この季節になると、園内の桜を見るために大勢の市民が訪れる。国立山林科学院は、日本統治時代の1922年にここに移転した林業試験場がもとになっていて、ことしはそれからちょうど100周年である。園内には樹齢120年を超える立派な松の大木や、北朝鮮の白頭山山麓から移植したという針葉樹の大輪が大切に保存されている。「洪陵樹木園」の「洪陵」とは1895年の乙未事変で暗殺された閔妃のちの明成皇后の陵墓「洪陵」が、高宗の逝去に伴って別の場所に移転するまで、この樹木園の山中にあったことに由来する。いずれにしても日本人には縁が深い場所でもある。

研究所の構内には高さ10メートルを超す大木など、街中ではなかなか見られない樹齢の桜を目にできるほか、裏山の樹木園の散策路ではヤマザクラなど数種類の桜の花を楽しむことができる。そして満開の大木のほとんどには、幹の根元に「왕벚나무(ワンボンナム)」と書かれた品種分類を示す表示がある。「ワンボンナム」とは「王桜」とも呼ばれ、済州島漢拏(ハルラ)山などに自生している韓国固有種といわれる桜の品種で、韓国の人たちは、日本のソメイヨシノはこの王桜が日本に伝わったものだとし、ソメイヨシノの起源は韓国だという、例のとおりの「ウリジナル起源説」をこの100年以上主張してきた。

韓国の人は、ソメイヨシノも「ワンボンナム」と呼んで区別しないため、樹木園の桜が本当にワンボンナム、つまり本物の「王桜」なのか、はっきりしない。素人の目には、王桜だといわれる花びらはソメイヨシノより白っぽく感じるが、それ以外はほとんど見分けは付かず、枝を大きく広げた満開の姿はどちらも立派で見応えがある。

しかし、ソメイヨシノの起源ははっきりしていて、江戸時代に現在の東京都豊島区巣鴨の染井霊園近くにあった染井村の植木職人らが接ぎ木で大量栽培に成功し、将軍吉宗の時代には河川の堤防を強化するために川沿いに一斉に植えられたことで知られる。つまり、日本全国に普及しているソメイヨシノは、もとは一本の木から接ぎ木や挿し木で増やしていったクローンであり、全国の気象台が毎年の観測で桜の開花を宣言し、桜前線の北上を予想できるのも、同じ気象条件で開花するクローンだからこそ、科学的に検証できることを、日本人ならほとんどの人が知っている。

ところで、ソメイヨシノと王桜の遺伝子のゲノム解析を通じて、ソメイヨシノはエドヒガンと日本固有種であるオオシマザクラの雑種であるのに対し、王桜はシダレザクラとヤマザクラの自然雑種で、完全に別種であることが分かった。それを伝える中央日報の記事は「日本のソメイヨシノの起源は済州(チェジュ)にあるという主張が提起されてきたが、ゲノム分析を通じて日本のソメイヨシノと済州の「ワンボンナム(王桜)」は異なる種であることが確認された。これを受け、110年間続いてきた論争はやや呆気なく終止符を打つことになった」と、勝手に騒ぐだけ騒いでおいて「呆気なく終止符を打った」などと無責任な幕引きをしたのである。また、ワシントンの桜も済州島の王桜を送ったものだと何の根拠もなくこれまで主張しておきながら、あっさりその主張を取り下げている。

中央日報2018/9/13「済州か日本か…ソメイヨシノ起源めぐる110年論争に終止符」


そもそも済州島に自生していた王桜を最初に発見したのは、1908年、韓国で布教活動をしていたフランス人神父エミル・タケであり、王桜がソメイヨシノの起源だという説を1932年に最初に唱えたのも京都大学の小泉源一博士だった。さらにDNA解析の結果、王桜が別の品種だと確定し、2017年1月、それに「Cerasus × nudiflora (Koehne) T.Katsuki & Iketani」という学名をつけたのも日本の森林総合研究所の勝木俊雄氏と岡山理科大学の池谷祐幸という2人の日本人だった。韓国人は自分たちでは汗を流すことなく、他人の言説を都合良く利用するだけで、無理・無用の主張ばかり繰りかえしてきたのである。

さて日本統治時代に韓国各地に植えられたソメイヨシノは、日本の敗戦後、日本の侵略の象徴だとして、その多くが伐採される運命にあった。今は韓国最大の桜の名所として桜祭りが開かれている鎮海(チネ)は、当時、日本海軍の軍港があったところで、戦前、川沿いなどに植えられた11万本もの桜は「植民地の残滓(ざんし)を清算するという名分で瞬く間に切り倒された」と言われる。しかし、その後、朝鮮戦争を経て、荒廃して殺伐とした風景に文字通り花を添えようと、在日韓国人たちが桜の苗の寄贈運動を行い、再び植え直したのが現在の36万本と言われる桜になっているという。そしてその植樹運動を支えたのが「鎮梅の桜の原産地は済州島」という論理だった。つまり日本のソメイヨシノは元を正せば韓国のものだというご都合主義の勝手な理屈だった。

産経新聞2016/5/1「軍港・鎮海の桜に秘められた日韓110年の歴史を紐解いた」


韓国の桜にはどうしても日本統治時代と戦争という否定的なイメージがつきまとう。日本の敗戦後には日本への恨みの対象とされ、その多くが伐採され、さらに朝鮮戦争という国土の荒廃、まさに今のウクライナと同じような光景のあとには、再び成長の早いソメイヨシノに注目が集まった。

私が住んでいる京畿道光明(クァンミョン)市を流れる安養(アニャン)川の両側の堤防道路には2,3メートル間隔の密植状態でソメイヨシノの並木が10数キロに渡って延々と続いているし、国会議事堂や金融センター街があるソウル汝矣島(ヨイド)の歩道や公園に植えられている桜もソメイヨシノばかりで韓国原産の桜は一本もないという。

そうしたなか、今年になって韓国で一大キャンペーンとして呼びかけが行われているのが、日本の品種であるソメイヨシノを排除して、韓国原産の王桜に植え替えようという運動だ。

朝鮮日報がことし1月26日付で報じた「日本の桜を抜いて、済州の王桜を植えよう」キャンペーン始まる」という記事によると、「韓国の東北アジア生物多様性研究所は、韓国全土の市・道に「ワンボンナム(王桜)プロジェクト2050」社団法人を設立し、済州産の王桜の植樹運動を展開する」という。

「ワンボンナム(王桜)プロジェクト2050」とは、全国の公園や公共施設、それに街路樹として植えられている桜について、2050年までに日本のソメイヨシノではなく済州原産の王桜に植え変えようという運動で、山林庁の許可を得て、全国で発起人を募集し、法人の設立を進めるという。この記事でソメイヨシノと王桜は別品種と証明されたと言及しながら、「日本の王桜は『ソメイヨシノ』と呼ばれる」などと書き、相変わらずの「ウリジナル」、自己中心の勝手な論理を展開している。

今年2月18日に正式に発足したという社団法人「ワンボンナムプロジェクト2050」は、生態学者、園芸専門家、ジャーナリストなど111人が集まったといい、その創立宣言文には「醜い人間史に捕獲された桜を解放してあげなければならない」と書かれているという。中央日報の記事によると、桜は「百年間余り歴史に苦しめられた」存在だとし、「桜が日帝強占期の間は日本の統治手段となり、解放後は韓国人に憎まれるなど、歴史から抜け出せない現実」があったという。

そしてこのプロジェクトの初代会長に就任したシン・ジュンファン元国立樹木院長は、「自然にいる権利」を桜に返すためにとして「必ずしもソメイヨシノが悪いとは思わない。ただ、私達の先祖たちを苦痛に陥れつつ入ってきたのは明らかな事実」とし、「韓国にも固有種があるのに、子孫たちが日本の特産種を見つづけなければならないのは正しくないと思う」と述べたという。

中央日報22/4/11「2050年の道には『韓国の桜』飛ばそう…『桜の解放』に取り組む人々」

「醜い人間史に捕獲された桜」といい、「私たちの先祖を苦痛に陥れた」桜といい、そう思っているのは韓国人だけであり、コンプレックスまみれの韓国人特有の感情移入だろう。戦前の日本人が韓国人を苦しめる意図や何らかの悪意をもってソメイヨシノを朝鮮半島に持ち込んだ事実もないし、そうする理由があるわけもない。

ましてや「桜には何の罪もない」のである。しかし、中央日報の記事によると、韓国では1962年に韓国人学者による「王桜の原産地は漢拏山」という学説が定着しはじめて以降、「『桜は韓国の花』という命題は少なくとも学界の事実だった(原文のママ)」とし、「そのため、桜は『倭色(日本風)』の象徴のように考えられるのと同時に、『韓国から渡った花を日本がまるで自分たちの花のように横取りしている』という相反する認識の中に置かれていた」と主張する。ソメイヨシノは日本が独自に開発し育てた桜であることは、前述のとおりその起源が江戸時代の染井村にあることは事実として分かっているので、「桜は韓国の花」とか「ソメイヨシノの起源は漢拏山」というのは、まったく根拠のない妄説であることははっきりしている。それを一方的に「日本が自分たちの花だと横取りした」という被害妄想は、もはや狂気錯乱というしかない。「横取りした」というならシャインマスカットやイチゴなど日本が開発した品種を盗み、莫大な利益を出していることを、まず謝罪し弁償すべきだろう。

中央日報は、この記事の冒頭で「桜は韓国の花なのか、日本の花なのか」と問い、「正解は、どちらも正しい」という答えで始まる。こうした問いを発することこそ、彼らのばかばかしい発想を示している。日本人が「桜(さくら)」と呼ぶものについて、日本人はそれがどこの国のものかとは聞かないし、どちらか一方の国のものでなければいけない、などと考えたこともない。たとえば「太陽」や「月」という概念についてどちらの国のものかと尋ねるだろうか?

しかし、「桜(さくら)」とわれわれが呼ぶ実際のものとそこに抱く感情や概念は日本人のものであり、韓国人が「벚꽃(ポッコッ)」と呼ぶ桜は韓国人のものであり、日本人が「桜」に込める感情や精神的意味、文化的背景と、韓国人が「ポッコッ」と呼ぶ存在がもつ意味や背景はまったく別なものだろう。

日本人にとって桜は、万葉集の昔から歌に詠まれ、文学や絵画のなかに描かれ、毎年のように桜にまつわる新曲が誕生してヒットし、人それぞれの毎年の暮らしや入学や就職など人生の節目ふしめに関わり、桜の花とともにある過去の記憶や思い出の場所を大切にする民族である。桜の品種が何で、どこの由来・起源だとかをいちいち気にして、桜を愛(め)でているわけではなく、今そこにある桜との出会いと、その短い一瞬の輝きをこよなく大切にしているだけだ。そうした日本人の桜に対する思いや心情を、よその国の人間からとやかく言われたくはないし、理解してもらいたいとも思わない。だから、口出しはやめてくれ、抛っておいてくれ、と韓国人には言いたい。

韓国人が「ポッコッ」やワンボンナム(王桜)を自分たちの花だと主張するなら、その花を愛(め)で古くから大切にしてきたという記録や、そうした思いを込めた歌や文学はあるのか。なくても別に構わないが、ソメイヨシノを目の敵にして簡単に伐採を云々するような人々が、他の花を大切にするとも思えない。済州島に自生する野生のワンボンナムは200本程度で、絶滅危惧種に分類されているという。ソメイヨシノを2050年までにすべてワンボンナムに植え替えるというなら、まずその苗木を何億万本も増やしてから言ってほしい。

ところで、今の国立山林科学院の元になった林業試験場には、林業技師として禿げ山ばかりだった当時の朝鮮半島の緑化植林事業に生涯を捧げた浅川巧(たくみ、1891~1931)がいた。彼は朝鮮の風土にあった朝鮮五葉松の種子の発芽と養苗法を開発したほか、兄の浅川伯教とともに朝鮮白磁の魅力にとりつかれ朝鮮陶磁史や木工の研究に貢献した人物で、その生涯は「道―白磁の人」(2012年公開)という映画にも描かれている。浅川巧は40歳の若さで朝鮮で没し、その墓はソウル近郊・峨嵯(アチャ)山の忘憂里(ワンウリ)共同墓地にある。こうした浅川巧の貢献などもあり、日本統治時代に朝鮮半島では82億1500万本もの植林事業が行われたのである。国立山林科学院や洪陵樹木園では、そうした日本人の足跡は、一切説明されていない。(参考:李大根『帰属財産研究』補論・山林緑化事業 位置No.268)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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