韓国・尹錫悦新政権で何が変わったのか?

<米中二股外交からの脱却>

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニュル)新大統領が就任したのは5月10日。それからわずか1か月と少しが経過していないが、韓国メディアは早くも新政権の成績評価、勤務評定に忙しい。

就任から、わずか11日目でアメリカ・バイデン大統領との韓米首脳会談を行い、韓米同盟を経済分野に拡大することで合意したほか、アメリカ主導の新たな経済圏構想「IPEF=インド太平洋経済枠組み」への参加を決めた。これまでの文在寅(ムン・ジェイン)政権では、中国に気を遣って、「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」や台湾海峡の防衛問題などについては決して言及しなかった。しかし、尹政権ではQUADの枠組みの中の技術協力分野への参加にも自ら言及するなど、従来の「米中二股外交」には見切りをつけて、「米日韓三か国体制」に明らかに比重を移している。

ウクライナに対する軍事協力については、ウクライナからの度重なる兵器の提供要請を断るなど、必ずしも米国やEUと足並みを揃えている訳でもなく、ロシアに対する制裁にも消極的だが、それでも、6月末にスペイン・マドリードで開催されるNATO(北大西洋条約機構)首脳会議には出席を表明している。そのNATO首脳会議の場を利用して、開催を目論んだのが日韓首脳会談だった。ひょっとしてNATO出席は、岸田首相との会談が目的かと勘ぐりたくなるが、岸田首相の拒否に遭い、早々に頓挫した。参議院選挙を控えた日本にとって、徴用工問題や竹島周辺での海洋調査問題などを棚上げにして、韓国新政権と渡り合うことは、確かにリスクが大きく、前のめりになって行うことでもない。

<北朝鮮に対する態度は180度かわった>

一方、新政権の北朝鮮に対する姿勢は、大きく変わった。

北朝鮮によるミサイル発射は、尹氏就任後一か月間で3回(5月12日、25日、6月5日)の計12発に及んでいる。文政権の下での韓国軍は、北朝鮮がミサイルを発射してもこれまでは「未詳の飛翔体」などといった、あいまいな発表をすることが多かった。しかし、新政権になってからははっきり「弾道ミサイル発射」と発表し、「明らかな挑発」だと非難し、対抗措置として直ちに米軍と一緒に地対地ミサイルを発射したり、両軍の空軍戦闘機による共同訓練を実施するようになったりしたのは、前政権と比べて大きな変化だ。

さらに、おととし9月、NLL北方限界線の近くの海上で、行方不明となった海洋水産部所属の公務員の男性が、北韓軍に射殺された事件について、海洋警察は、この男性が自ら北韓に越境しようとした根拠はないとする最終捜査結果を16日、発表した。文政権は、この男性について、ギャンブルによる借金などがあり、自ら北韓側に渡ろうとしていたと発表していたが、その判断を覆したことになる。

KBS WORLD日本語ニュース6/17「北韓による韓国公務員射殺事件 前政権の判断覆す」

男性の遺族は、こうした説明に納得せず、大統領府に対し情報公開を求めて裁判を起した。一審では、大統領府に情報公開を命じる判決が出され、文在寅政権は控訴していたが、新政権になってこの控訴を取り下げ、1審判決が確定する見通しとなった。しかし、関係文書は、すでに大統領指定記録文書として15年間極秘扱いの保管処分となっていて、実際の公開は難しい。

尹大統領はこの事件の真相解明を選挙公約に掲げていた。大統領室は控訴取り下げの会見で、「国のもっとも大きい責務は、国民の命と財産を守ることだ。遺族の真相解明の要請に前政権はきちんと応じなかった」と批判した。

まったくそのとおりで、文政権はこのほか、北朝鮮から韓国に漁船で逃亡し、亡命意志を示した漁民2人を、北朝鮮に戻したら確実に死刑になると知りながら、何の取調べも事情聴取もせずに北朝鮮に強制送還したことがあった。

<中央日報2019/11/08 「イカ釣り漁船の同僚16人を殺害」亡命意向を明らかにした北朝鮮漁民2人を北朝鮮に強制送還>

被害者中心の人権重視を標榜した革新左派の文在寅政権は、北朝鮮古代王朝の金正恩政権との関係を重視するあまり、彼らの意向を無視することはできず、妹の金与正にさえ何も言えず、自国の国民が海上で射殺され、遺体が焼却されても何の抗議もせず、北朝鮮の同胞が亡命を求めてきてもその願いを一顧だにすることなく簡単に突き返す、人権に何の配慮もしない冷酷無情の政権だったのである。新政権になって、前政権のそうした実態を改めて知ることができる政権交代でもあった。

<新型コロナ対策では迅速な補正予算措置>

尹新政権の目を見張る実績としては、新型コロナウイルスの感染防止対策で打撃を受けた小規模事業者の救済策として、事業者の損失補填に必要な62兆ウォンの補正予算案を就任の翌日に閣議決定して国会に提出。5月29日深夜に国会本会議で可決された翌日午後には、直ちに支給を開始。商工業者371万人余りに600万ウォンから最大1千万ウォン、日本円でおよそ64万円から107万円を支給したことだった。期待以上の政策遂行能力を示したというのが、国民多くの受け止めに違いない。

そうした政策実行の成果もあって、大統領選挙の第2ラウンドとも言われた6月1日の統一地方選挙では、与党「国民の力」が野党「共に民主党」に圧勝した。

<「検察身内偏重人事」に批判の声も>

一方で、尹錫悦政権発足以降、最も激しい批判にさらされているのが人事だ。法務部長官に検察総長時代の側近を当てたのをはじめ、統一部長官や国土交通部長官も元検事出身。さらに金融監督院、国家情報院といった権力機関の要職にも自身の出身母体である検察出身者を配置した。さらに大統領室の秘書官には、検事時代に一緒に仕事をした側近や、自身の配偶者や親族をめぐる事件で弁護を担当した元検事などで固めた。こうした身内の検事出身者で固めた「偏重人事」は、「検察共和国」を作る試みであり、政局の不安定につながると指摘する声もある。

しかし、もともとは文在寅大統領が「検察改革」と称して検察からほとんどの捜査権を奪うなど弱体化を図ったことに対する意趣返しという面もあり、こうした新政権の検察出身者たちが前政権の清算にどう取り組むかも目が離せない。

<新政権自らが発表した前政権との比較表>

ところで、メディアによる政権の成績評価とは別に、尹大統領側が前の政権との違いを強調するため「尹錫悦大統領1か月、新しい10の変化」と題して、前政権から新政権になって変化したこと、その相違点を、大統領室のウェブサイトで発表している。

その①番目は「龍山時代の開幕、大統領府を国民のもとに」

として、大統領執務室を青瓦台から龍山(ヨンサン)国防部庁舎に移転したことを挙げている。歴代大統領が青瓦台から外に出たいと思いながら,出来なかったことを、尹政権はセキュリティー問題などさまざまな制約と憂慮を乗り越えて、実現させた。帝王的な大統領制の象徴だった青瓦台を、5月10日の就任式当日から市民に開放され、それから6月8日までの1か月間で75万8394人が入場したという。

②番目は「出勤する大統領の常時ドアステッピング(ぶら下がり取材)」

だという。尹大統領は現在、私邸のマンションから通勤しているが、龍山大統領室に到着して建物の中に入る際には、待ち構えているテレビカメラに近づき、報道陣の問いかけに応じている。

いわゆる「ぶら下がり取材」は、日本では首相官邸でのごく当たり前の風景だが、韓国では前任の文在寅氏の場合、記者会見を開いた回数は,任期5年のうち10回もなく、3月1日や8月15日など記念日での演説を除いては、その肉声を聞く機会がほとんどなかった。

説明責任・透明性が求められる民主主義国家のなかでは極めて特異な指導者だったが、それは大統領府青瓦台という宮殿のような施設も関係していた。記者室がある建物(春秋館)と大統領執務室がある青瓦台本館は歩いて5分もかかる距離で、住居部分の官邸を含めて、大統領と記者の動線が重なる場所は全くない。朴槿恵元大統領や文在寅前大統領夫婦が世間と隔絶して、秘書たちと接触することなく、生活しようと思えば可能だといえるほど特殊な空間だった。その国民とは完全に隔絶した空間だった青瓦台は今、連日、大勢の市民が見学に訪れ、邸内には臨時のトイレ施設が4か所も造られるほどの、大賑わいとなっている。

③番目は「市民のそばに、言葉ではなく実践で」

として「平日のランチタイムや週末を利用して、市民と随時交流するためのびっくり(깜짝カムチャク)コミュニケーション」を挙げている。就任式当日には、執務室に入る前に大統領夫妻が突然、近くの公園を訪れ、お年寄りや幼稚園児らと交流したほか、週末には、夫婦でデパートや伝統市場で買い物をするシーンが目撃される。ランチタイムには側近らと連れだって街を歩き、キムチチゲやピザを食べたり、気軽に市民と言葉を交わす姿がある。こうした姿は「大統領府という密閉された空間を出て、市民と同じ空間で生活する最初の大統領」であり、「大統領夫妻の日常を市民が直接目撃する新しい経験」だという。

④番目は「市民に開放した大統領執務室」。

青瓦台から龍山に大統領執務室を移転しただけでなく、執務室を市民に随時開放し、市民に直接会うことができる空間として活用しているという。5月24日には,国会議長団を招いて接見したほか、6月9日には哨戒艦「天安(チョナン)」号沈没事件の生存者や延坪海戦、北朝鮮木箱地雷事件で犠牲となった将兵家族などを執務室に招き、「護国英雄招待昼食会」を開いた。そして、17日には執務室近くの戦争記念館で、朝鮮戦争の戦没者や国家功労者など130人を招いて昼食会を開いている。文在寅氏をはじめとする左派政権は、北朝鮮の魚雷攻撃で沈没した「天安(チョナン)」号」事件について、沈没原因は他にあるとして北朝鮮をかばうような主張を繰り返してきたため、遺族から抗議を受けている。尹大統領は、ここでも前政権の北朝鮮寄りの姿勢を非難し、それとは違うという姿勢を見せつけようとしているようだ。

⑤番目は「大統領庁舎の前庭を市民広場に」。

庁舎前の芝生広場を “市民空間”として随時、市民に開放した。5月25日には中小企業の経営者500人を招いて懇談会を開いたほか、6月12日には映画関係者を招きカンヌ映画祭での受賞祝賀会を開いた。

⑥番目は「近くなった大統領と秘書陣」。

前述のとおり青瓦台では大統領と秘書陣が執務する建物が別々で遠く離れていたが、新政権では一つの建物に集まっているため随時、意志疎通ができ業務の効率がはるかに高まった。そして大統領が主催する首席秘書官会議と閣議は、形式にとらわれず、みな自由な服装で出席し、議題を決めずに質疑応答するなど、「フリースタイル」会議宣言を行った。また国務会議では科学技術情報通信部の長官が「半導体の現状と戦略的価値」をテーマに自らブリーフィングする場面もあった。

⑦番目は「破格の統合の歩み」。

5・18光州事件記念日には大統領の要請で与野党議員全員が記念式典に出席し「国民は皆光州市民」だと宣言した他、国会での施政方針演説では「国政運営の中心は議会」だと述べ,演説後には、与野党の国会議員全員と握手を交わすなど,強い国民統合への意志を示したという。

⑧番目は,就任6日目に施政方針演説を行い,就任20日目で公約第1号の新型コロナ対策による中小企業の損失補填のための補正予算を成立させ実行したことだという。

⑨番目は「記者室から訪問した大統領」。就任3日目に尹大統領自身が記者室を訪問したほか、国家安保室長、市民首席秘書官、経済首席秘書官などの大統領秘書陣が随時ブリーフィングをしている。

⑩番目は「歴代最速の就任11日目に開催した韓米首脳会談」で、韓米同盟の堅固さを国民と全世界に刻印したことだという。因みに歴代政府の初の韓米首脳会談は、文在寅政府が51日目、朴槿恵政府が71日目、李明博政府が54日目、盧武鉉政府が79日目だった。ところで、岸田首相とバイデンの対面での会談は就任後232日目、菅前総理とバイデンの初の首脳会談は243日目である。直接会談が遅かったからといって、日米韓の意思疎通が出来ていなかったとは思えない。

<日韓首脳が会うことに意味が見いだせる変化こそ必要>

いずれにしても、これら10項目の変化は、新政権が今後、どういう方向で国政を運営するか、その道しるべを示すものであり、それが成功し成果を生むかどうかはこれからの話でもある。NATO首脳会議での日韓首脳会談が流れたように、日韓関係の改善を望むといいながら、徴用工問題でも竹島周辺での海洋調査問題でも、何ら新政権として対応を示していない。文政権の時にそうだったように、互いに顔をつきあわせて会談しても、毎回、従来の立場、同じ主張を繰り返すだけでは、会談することに何の意味も見いだせず、会うだけ無駄だ、ということになる。互いに会うことに意味が見いだせるような、発想や観念の抜本的な転換が必要になっている。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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