子や孫に過去を謝罪させるわけにはいかない 安倍氏の格闘

安倍晋三元総理が暗殺犯の手で殺害された。「暗殺犯」といっても、これまでの捜査で、政治的な背景はなく、一家と宗教団体(統一教会=世界平和統一家庭連合)の関係にまつわる個人的な怨恨が動機とされる。そんなつまらない個人的感情で、歴史に名を留めた宰相が、あっけなくこの世を去った。それだけに喪失感はなおさら深い。

海外メディアがその死を大きく扱ったのはもちろんのこと、米国のトランプ前大統領やバイデン大統領をはじめ海外の多くの首脳からも、安倍氏の国際政治における功績に高い評価が寄せられている。なによりも「自由で開かれたアジア太平洋」という構想を打ち出し、中国の海洋進出に対する企みに世界の眼を向けさせ、NATOなど欧州諸国も巻き込んで中国包囲網を形成させた功績は、世界史のターニングポイントとして、歴史教科書にも記述されると信じる。

安倍氏の死去を伝える韓国・朝鮮日報は、安倍氏を日本の政界における「保守派の心臓」だと表現した。韓国メディアにとって、安倍氏は日本の「極右」を代表する政治家であり、蛇蝎(だかつ)のごとく嫌悪し、唾棄する対象だった。

それは韓国メディアと韓国人にとって、安倍氏は「過去を反省しない政治家、歴史を歪曲する政治家だ」と一方的に断じてきたからに過ぎない。

安倍晋三という政治家は、歴史を歪曲し、好き勝手に捻じ曲げようとしたことはなく、むしろ歴史に正当な光を当て歴史の真実を直視しようとした政治家だった。そして政治家の責任として、過去の歴史の負債を清算しないまま、未来の世代に背負わせてはならないと奮闘した政治家だった。たとえばそれは慰安婦問題で、未来の子や孫の世代にまで永遠に謝罪を繰り返すようなことはあってはならない、と主張した信念にも表れていた。

こうした歴史に対する態度は、韓国と日本ではまったく異なり、それが相互不信を生む原因にもなっている。日本は、歴史的な事実は一つであり、それを動かすことはできないと考えている。そして、そうした歴史的事実に対して日本が責任を有し、何らかの償いが必要とするならば、外交交渉を通じて誠実にその責任を果たしてきたと信じている。

しかし、韓国にとっての歴史とは、そうではない。歴史の中には、「本来はそうあるべきだった歴史」と、実際は「そうではなかった歴史」があり、そのギャップのなかに、自分の中で満たされない気持である「恨(ハン)」という感情を持ち込み、「本来あるべきだった歴史」という観点から歴史を振り返り、自分たちの解釈に従って、いかようにも歴史を読み替え、作り直すことができると考え、それが正しい歴史解釈だと考えている。

安倍総理がいう「その時代を共有しなかった子や孫にも謝罪を強いる歴史の清算」は断ち切り、過去の歴史に対する責任問題はそれに関与した現役世代で決着をつけようという考え方は、おそらく韓国人たちの歴史観には通用しないかもしれない。

彼らにとって「本来あるべきはずの歴史」が、日本の「植民地支配」によってまったく別の歴史をたどることになったという事実は、子々孫々、未来永劫に渡って語り継がれなければならない「恨」の歴史であり、それを簡単に清算して忘れ去ることなどできない。まさにそうした歴史に対する「恨」を抱いて、過ごしてきた時間=歴史こそが、彼らが生きてきた証、「存在理由」(raison d'êtreレゾンデートル)でもあるからだ。

つまり、安倍氏の政治家として使命は、過去と決別する「断ち切る」歴史であるのに対して、韓国のそれは「断ち切ってはならない」「永遠に刻み続ける」歴史ということになる。しかし、現役世代が実体験として経験した事実について、検証し省みるのとは異なり、次世代や次々世代が伝える歴史は、まさに自分たちの都合のいい想像の「物語」としての歴史となる可能性が高く、実際に元「慰安婦」や元「徴用工」の証言の多くは、すでに定型化された空想の「物語」の世界に陥っている。

まさに「保守派の心臓」としての安倍氏の存在は、そうした歴史問題で韓国や中国の言い分に従うのではなく、靖国神社参拝に代表されるように、日本の立場・日本人の考え方に沿って主張し、堂々と歴史を論じようという保守派議員たちの理論的支柱、推進役(エンジン)でもあった。

史上最長の長期政権を担ったとはいえ、憲法改正や領土問題などでは道半ばで達成できなかった課題も多い。安倍氏の遺志を継ぐ政治家は、高市早苗氏をはじめ安倍派の下村博文、西村康稔、世耕弘成、萩生田光一各氏の名前が挙がっているが、彼らがそれぞれの政治信条を明確に掲げ、ポスト安倍の日本を縦横に論じてくれることを期待している。

(統一教会=世界平和統一家庭連合の建物、東京渋谷区)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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