歴史エンタメ化でも恥じない、相変わらずの李舜臣“反日”映画

体感型映画館のために制作された映画

いま韓国で話題の映画「閑山‐龍の出現」を見た。封切2週間で観客460万人を集め、ことし興行1位だという。「閑山(ハンサン)」とは、文録・慶長の役で李舜臣の水軍が日本の武将・脇坂安治率いる船隊と戦い、勝利を収めたという“閑山島海戦”のことで、「龍の出現」とは“亀甲船”のことを指す。

李舜臣はこの海戦で初めて「鶴翼の陣」を敷き、脇坂軍をおびき寄せて全滅させた、ということになっていて、映画は当然、この船団同士の海上戦闘シーンを見せ場として作られている。そして、この映画は何と、完全に4DX=体感型映画上映システムというアトラクションシアターのために作られた興行用作品だった。

海上での合戦の間中、観客の座席は、上下左右前後に激しく動き、大砲が撃たれるごとにフラッシュの閃光が走り、弾丸や弓矢がかすめれば頭の後ろにある椅子のエアノズルから空気が噴き出し、船が快走するシーンでは冷たい風が頬にあたり、実際の水しぶきが顔にかかる。見終わった観客たちも、映画の中身よりも、夏のひと時の納涼タイムを楽しめたとでもいうような満足そうな顔で映画館を後にしていた。

4DXは韓国企業が開発した映画上映システムだという。

違和感だらけの“作り物”海戦シーン

ところで、この映画、韓国の俳優陣が日本の武将役を演じ、日本語のセリフをしゃべるのだが、最初は何を言っているのか全く聞き取れなかった。日本人が聞くと発音やイントネーションに違和感があり過ぎて、いかにも作り物という感覚は否めなかった。

作り物といえば、CGならどんなシーンでも演出できるとはいえ、帆船でもない手漕ぎの木造船が現代の駆逐艦のように白い航跡を残して海上を疾走するシーンや、まるで桶盥(おけたらい)のようなずんぐり丸形の亀甲船を巧みに操船し大砲を派手にぶっ放すシーンは違和感だらけだった。竜骨(キール)構造をもたない平底の船が荒海に出たら、それこそ前後左右に大きく揺れて操船不能となり、大砲などぶっ放したらその反動でひっくりかえることは、素人でもわかる。

そもそも亀甲船については、李舜臣が残した「乱中日記」のなかに、その外観と戦闘力についての簡単な記述があるだけで、細部の寸法や構造について記録したものはない。文録・慶長の役から200年後の1795年に国王(正祖)の命で収集・整理した『李忠武公全書』に「全羅左水営亀甲船」と「統制営亀甲船」という絵図が初めて登場し、それを見ると全く盥(たらい)そのものだ。(ウェブサイト「忠武公・李舜臣」参照)

https://www.gyeongnam.go.kr/index.gyeong?menuCd=DOM_000010403001000000

歴史をエンタメ化するためにデフォルメ

ところで閑山島海戦とは、1592年7月、秀吉の朝鮮出兵で日本軍が釜山への上陸を開始してから2か月後、閑山島と巨済島の間の海峡で発生した海戦だが、韓国側の主張では、脇坂安治率いる船隊73隻中59隻を撃破し、3000人の日本兵が戦闘で死んだとしている。

一方、日本側の記録では、脇坂の船隊はそもそも兵員輸送が主で、十分な火器を装備していたわけではなく、脇坂が指揮していたのは兵900人を含む1500人だった。海戦後には200人以上が近くの島に上陸して逃れているそうだから、59隻の船が破壊され3000人が戦死したというのは明らかに誇大な数字だ。

映画では、脇坂が功を焦り、明に一番乗りで攻め込むため、仲間を裏切って抜け駆けしようとしたとし、そのため日本の武将たちが集まる宴会の席で、加藤清正と脇坂が刀を抜いて大喧嘩するシーンが描かれている。映画では、脇坂は李舜臣の放った矢に当たり戦死したことになっているが、脇坂はその後も武将として活躍し、関ヶ原の戦いにも参加している。

映画を面白くするためなら、歴史をどんなに脚色してもデフォルメしても構わず、時代考証を気にすることもない。

世界4大海戦の一つだというが本当か?

そもそも、全戦無敗だという李舜臣の海戦について、当時を記録し、準拠できる資料・文献は、李舜臣本人が残した「乱中日記」ぐらいしかなく、勝敗の記録は李舜臣が記した検証不能の一方的な数字しかないといわれる。一方、日本側には毛利家文書や鍋島家、松浦家など出兵した全国諸大名の記録や詳しい兵力を示した「陣立て表」などが一次資料として多数残っている。さらに日本軍に従軍したルイス・フロイスら宣教師が第三者の目で記録した文書もある。どちらが信頼できるかは明らかだ。

韓国では、この閑山島海戦のことを「世界4大海戦」の一つだと呼ぶ。閑山島がどこにあるかも知らない日本人にとって、「えっ、本気か?」と揚げ足をとりたくなる。

ほかの3つとは、ギリシャ艦隊がペルシャ艦隊に勝った「サラミスの海戦」(紀元前480年)、英国がスペイン無敵艦隊を破った「カレー沖海戦」(1588年)、ネルソン提督の英国艦隊がナポレオンの艦隊を破った「トラファルガー海戦」(1805年)のこと。では、東郷艦隊がバルチック艦隊を破った「日本海海戦」はどうした?と言いたくなるが、「日露戦争」のことをわざわざ「露日戦争」と言い換え、日本を蔑む国にそんなことを聞いても無駄だろう。

かりに閑山島海戦が「世界4大海戦」の一つだとして、その海戦で世界はどう変わり、世界史に何を残したというのだろうか?


富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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