中秋節の料理のせいで離婚!儒教のお目付機関が料理簡素化を推奨


3年ぶりに帰省が認められた旧盆の連休

旧暦の8月15日「中秋節」といえば、日本では「中秋の名月」「十五夜」を楽しむ日というイメージしかないが、中国や韓国、ベトナムなどでは、親族全員が集まって祖先を供養する日として、旧正月と並んで、一年でもっとも大切な日とされる。韓国では中秋節を「秋夕(チュソク)」と呼ぶが、ことしは9月10日が旧暦の8月15日にあたり、この前後、9日から12日までが連休となっている。

ところで、韓国語では、祖先を祀る祭祀を「茶礼」(チャレ)といい、その祭祀で祖先にお供えするお膳料理を「茶礼床」(チャレサン)と呼ぶが、そのお膳には20種類以上の料理や果物が並ぶのが普通となっている。

中秋節チュソクの後には離婚率が高まる

そのチャレサンを用意し、一堂に集まった親族のための食事を用意するのは家庭の主婦、とりわけ長男の嫁だが、それだけの材料を準備し、料理するだけでも気苦労が絶えず、かつ重労働なので、この季節に交わされる主婦たちの会話と言えば、それこそ悲鳴のような嘆き、恨み節だったりする。

その結果、この季節になると体調を崩す主婦が続出し、それには「名節症候群」という特別な病名さえ付けられている。「名節」(ミョンチョル)とは秋夕(チュソク)と旧正月(ソルナル)のことを指す。

実はそれだけではなく、このチャレサンの料理づくりに孤軍奮闘し、憤懣やるかたない気持ちを抱く妻と、そんな妻の気持ちを理解できず、何の協力もしない夫との間で、夫婦げんかや仲違いが生じ、チュソク後に離婚率が高まる、という具体的なデータさえあると言われる。

「優れた礼節は簡素であるべき」祭礼料理の簡素化案 

本来は、先祖を敬い、子孫繁栄と一家団らんを祝うという儒教の伝統儀式のせいで、家族が崩壊したら、それこそ本末転倒だという反省から、儒教の総元締めでお目付け役を担う「成均館」(ソンギュングァン)が、秋夕前の9月5日、異例の記者会見を開き、チャレサンの簡素化を推奨した。

聯合ニュースによると、成均館の儀礼定立委員会はこの日の記者会見で、儒教の経典『礼記』には「大礼必簡」(優れた礼節は簡素であるべき)という言葉があるとし、先祖を敬う心は料理の数で決まるのではないので、多くの料理を作る必要はないと説明した。その上で、チャレサンの基本的な料理は、新米の米粉で作った餅ソンピョン、塩ゆでの野菜や山菜のナムル、焼き物のクイ、キムチ、果物、酒の6種。これに料理法を変えた肉類、魚、餅トックを加え、多くても9種類でいいとした「茶礼床標準案」(簡素化案)を発表した。また油で揚げた料理を並べるのは礼に反するとした儒教の書物もあるとし、手間がかかるジョン(チヂミ)を作る必要はないとした。

儒教が否定的に捉えられることへの「反省文」

成均館は、700年以上の歴史をもち、高麗王朝末期には「国子監」とも呼ばれた。儒教を国家の基本理念として定めた朝鮮王朝になってからは、儒教の教義の理論化と普及のための最高教育機関となり、現在も、文化体育観光省傘下の財団として、儒教を専門に学べる大学を運営している。

成均館がこうした記者会見を開くのはこれが初めてで、儀礼定立委員会の委員長は「茶礼(法事)は先祖を敬う子孫の真心が込められた儀式だが、あまりに形式にこだわり過ぎてこれが苦痛になり、男女差別の問題が生じたり、家族仲違いの原因になるとしたら、望ましいことではなく、儒教が否定的に捉えられる原因にもなっている」とし、自ら「反省文」だと述べて、この簡素化案を発表したという。

しかし、これを聞いた主婦たちからは「チャレサンを廃止するとは言わなかった。チャレを行わないよりは簡素化してでも行えという意味だ」と受け取り、「結局は、一家の柱である旦那が簡素化に同意するかどうかが鍵だ」として、すでに半分、諦めムードが漂っている。

儒教復活のためには政治の信頼回復が先?

去年とおととしのチュソクは、新型コロナで帰省が制限されたので、一家が一堂に会する機会はなかったが、ことしは3年ぶりに制限がなくなり、チュソクの期間、国民の6割に上る3000万人以上が帰省で移動すると見込まれている。

人口が縮減し、単独世帯の増加と少子高齢化が進む社会のなかで、家族に最大の価値を置き、先祖に孝を尽すという儒教の儀礼が社会の変化にいつまで耐えられるのか迫られている。

というより、家族における儒教の精神はともかくとして、儒教を国家の基本理念としてきた長い伝統のなかで、政治の世界では、とうに儒教の精神は失われているように見える。「信なくば立たず」(政治は民の信頼がなければ成立しない)とは『論語』の言葉だが、政権発足から3か月しかたたない現政権への支持率は20%台を低迷し、与野党とも互いに告訴・告発を繰り返し、党代表らがいずれも検察の捜査対象になっている。儒教の精神の復活のためには、政治家たちの信頼回復がまず先かもしれない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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