中国首相の公賓としての来日は温家宝以来11年ぶりだという。日中韓首脳会議(5月8日)に合わせてようやく実現した李克強の来日では、安倍総理が北海道視察のすべてに同行するなど厚遇ぶりが際立った。ところで今回の日中首脳会談の成果として注目されたのは、東シナ海で不測の事態に対処するための「海空連絡メカニズム」の運用開始に関する覚書と、中国の「一帯一路」構想への協力も想定した「第三国における日中民間経済協力についての覚書」に署名したことだ。
覚書によると「(日中)双方は,日中経済関係は相互補完性が強く,両国の企業はそれぞれの強みを有しており,民間企業間のビジネスを促進し,第三国でも日中のビジネスを展開していくことが,両国の経済分野での協力の拡大,更には対象国の発展にとっても有益であるとの認識で一致した」として、「日中民間ビジネスの第三国展開推進に関する委員会」を設置することになった。覚書では「一帯一路」という言葉は一度も使われず、あくまでも民間レベルでの協力が主体であることが強調されている。日本政府としてはAIIB(アジアインフラ投資銀行)への出資を含め、一帯一路への対応は依然、慎重姿勢を崩していないということだろうか?
習近平の提唱で2013年から始まった「一帯一路」経済圏構想は、60か国以上、地球上の全人口の65%をカバーする壮大な計画だとされる。AIIBへの出資国はすでに70か国以上を数え、アジア・アフリカ・中南米も含めて世界各地で様々な事業が動きだしている。しかし、早くもというべきか、一帯一路プロジェクトは深刻な資金不足に陥っているとも報道されている。
それによると4月中旬、広州で開かれたフォーラムで、中国進出口(輸出入)銀行の前総裁は「一帯一路」の関係国のほとんどは、計画に必要な十分な資金をもっていないと述べた。多くの国がすでに多額の負債を抱え、それらの国の平均負債(他人資本)は35%で、警戒レベルだといわれる20%をすでに超えている。また財務の健全性を測る負債比率は警戒レベルの100%を超えて126%に上っている。一帯一路はAIIBやCDB中国開発銀行、中国輸出入銀行、シルクロード基金などの金融機関が資金を提供しているが、依然として5000億米ドルの資金不足を抱えているという。資金不足の主な原因は、民間企業からの投資が少ないことや低い利益率などのためだといわれる。さらに投資事業が不良資産化する危険も指摘される
一方で、中国が投資する相手国が「借金漬け」になり、中国の政治的影響力から抜け出せなくなるいわゆる「借金の罠」(debt trap)の問題もかねてから指摘されてきた。ワシントンを拠点に、地域紛争と安全保障に関するデータ分析を行っているNPO法人C4ADSが、「一帯一路」構想が抱えるリスクについて、詳細に分析し、評価したリポートを発表している。
「秘められた野心、中国の港湾投資はインド太平洋を戦略的にいかに作り変えるか」(Harbored Ambitions How China’s Port Investments are Strategically Reshaping the Indo-Pacific)と題された報告書は、中国が出資するインド太平洋地域の15の港湾建設プロジェクトについて、公刊された公文書や各種の報道資料、独自のデータ解析などをもとに、プロジェクトの経緯やその性格、投資コストや利益見通しなどを詳細に分析し、課題を検証したものだ。
全体としてこのC4ADSの報告書が強調しているのは、インド太平洋地域における中国の港湾への投資は相手国との相互利益、ウィンウィンの関係というより、中国の安全保障上の利益を優先させている、ということだ。一帯(belt)と一路(road)のうちで一帯つまり「海のシルクロード」は、中国のまさに生命線ともいえる原油の輸送ルートであり、有事の際、海上封鎖でルートが切断されるという危険を抱えている。インド太平洋に点在する各地の港湾を拠点として確保することは、こうしたシーレーンへのアクセスを確かなものにすることに役立つはずだ。一方、港湾プロジェクトのいくつかは、中国が、チベットや尖閣諸島と同じく核心的利益と位置づける南シナ海への入り口にあたるなど戦略的要衝に位置している。
また「真珠のネックレス」と呼ばれるようなインド洋に面した各地の港を「兵站ハブ」として確保して、民間利用と軍事利用の二つの機能を持たせ、相互にネットワークをつくることは、中国海軍の遠洋作戦を可能にしている。中国海軍の鄧先武司令官は2016年9月、「中国の戦艦が外国の港に寄港できれば、そこでの中国ビジネスを支援することができる」と述べたことがある。一方で、中国には「国防動員法」によって、有事の際には、漁船や貨物船など民間の船を中国海軍が徴発し、軍に協力させることができる。いわゆる「海上人民戦争」という考え方で、実際に南シナ海やベトナム沖では中国の民間の船が、米軍やベトナム船に対する航行妨害活動に参加している。
報告書によると、インド太平洋地域で進められる中国による港湾開発15か所のうち、そのすべてで民間利用と軍事利用の二つの目的があり、中国共産党による国有企業への関与など何らかの形で党の介入・プレゼンスがあるといわれる。「海上人民戦争」の考え方が南シナ海からインド太平洋地域全体に拡大することにならないか、つまり中国のシーレーンに展開する民間の船が有事の際には、すべて敵対的な軍事行動をとる可能性はないか、危惧される。
港湾への投資は、中国が政治的影響力を相手国に発揮するための道具であり、中国の地政学的目的を追求する手段として位置づけている。中国の国有企業が出資し運営する港湾事業で、中国側企業が見せる行動や姿勢は、中国が主張するように、これらの投資がすべてWin-Winの相互発展という考え方に突き動かされているわけではないことを示している。むしろ、中国による投資は相手国への政治的影響力を生み、中国の軍事的プレゼンスをひそかに拡大し、その地域で有利な戦略環境を作り出そうというものだ。
報告書では、そうした戦略的な特徴と行動パターンを、各地の港湾プロジェクトがもつ戦略的重要性、民間と軍事の併用、国有企業の参加を通じた共産党の影響力、株式の持分や長期借用を通した影響力の拡大、資金管理や利益配分などの透明性、そして収益性などの方面から分析、評価している。そして特にパキスタンとスリランカ、カンボジアの港湾事業について、具体的なケーススタディーとして取り上げ、その問題点を詳しく論じている。
たとえば、中国とパキスタンの関係は、一帯一路プロジェクトによって大きく変化している。中国による投資の拡大によって、建設工事に従事する中国人労働者のための安全の確保が必要となり、治安対策など付随するコストの増大で中パ双方に負担が大きくなっている。
スリランカの主権は中国資本の進出で圧迫され、民主主義の危機につながっている。スリランカのハンバントタ港は近隣の住民や僧侶の反対を押し切って中国国有企業に99年間、租借されることになった。利益が上がらず、負債が大きいハンバントタ港のような港湾プロジェクトは、スリランカの対外政策を制約し、中国に永続的な利益を与える道を開いている。
カンボジアでは中国企業による土地の取得が現地の法律に違反する形で行われ、カンボジアの20%にも及ぶ海岸線を中国に売り渡す取り引きが成立した。国立公園を含む沿岸地区の巨大開発事業は地元の農林漁業を破壊し、それによる経済的損失、環境の悪化、住民の強制移転など人権侵害の問題を引き起こしている。
(これら3つの具体的なケースについては、このあと別稿で翻訳して紹介したい。)
中国外務省は、こうしたC4ADSの報告書の内容に対して、まっこうから否定する声明を出し、「一帯一路はインフラ建設を通して共通の発展を促進しようという経済協力の提案であり、中国は地政学的なゲームをするつもりはない」と主張する。
しかし中国は、相手国を借金漬けして土地を簒奪するやり方や、収益性を度外視した軍事利用が目的ではないか、という批判が高まる中で、「一帯一路」の理論づけに苦労しているようだ。
中国社会科学院アジア太平洋・グローバル戦略研究院の李向陽院長は、「一帯一路」の目的は、開発途上国における単なるインフラ建設ではなく、大国であることを自覚する中国が「その価値観と理念を諸外国と共有する」ことにあるとし、「一帯一路は中国が世界に提供する公共財だ」と主張する。
李院長によると「一帯一路」とは、インフラによる相互連結を基礎とし、多元的協力メカニズムを特徴とし、運命共同体の構築を目標とする発展主導型の地域経済協力メカニズムだと定義する。そして「一帯一路」の展開にとって最も重要なのは、正しい「義利観」に則って展開することだという。「義利観」とは聞きなれない言葉だが、出典は論語にまでさかのぼり、「義」は理念や道義、「利」は利益、互恵といった意味で使われている。
すなわち「義」は中国が「一帯一路」を推し進める上での核心的な目標・理念であり、「利」は「一帯一路」が持続的に発展していくために必要な利益だということになる。「義」がなければ「一帯一路」の存在価値が失われ、「利」がなければ「一帯一路」は単なる対外援助プロジェクトになってしまう。
一方、外交政策の側面からみると、中国政府が一帯一路の目標、すなわち「義」として求めるのは、(1)中国の全方位対外開放の新たな措置、(2)新時代に入った中国の周辺外交戦略の重要な拠り所、(3)中国が推進する経済外交のプラットフォーム、(4)グローバルな貿易と投資の自由化を促す新しい手段・方法、だと説明される。
習近平の中国はいま、世界をリードして世界経済のルールづくりに参画し、世界の秩序形成にも主体的に関わろうとしている。一帯一路はそうした中国の「義」、つまり対外政策の目標を世界に示すいい手段となっている。しかし、一帯一路の具体的な中身はと言えば、計画から建設、運営まですべて民間企業の手に委ね、市場の需給関係に即して運営し、利益をあげる必要がある。企業の目標は「利」であり、民間企業に利益が出なければ、インフラ事業は完成しない。しかし、パキスタンやスリランカ、カンボジアなどの港湾開発事業、さらにはラオスの高速鉄道建設事案をみる限り、これらのインフラ事業にそもそも持続的な需要があるのかどうかさえ疑わしい。人やモノの移動の必要性がないところに港湾や高速鉄道、高速道路を通しても、維持経費だけが嵩み赤字が膨らむのは目に見えている。
現状では中国側の「義」、理念・理屈だけが先走りしすぎている。しかも、そうした中国の「義」が、相手国側にしっかりと説明され、理解や納得が得られているのかも疑わしい。日本と中国がこのほど合意した「日中民間ビジネスの第三国展開推進に関する委員会」では、中国の論理や理屈ではなく、相手国・第三国側の状況・ニーズに合わせた可能性調査を行い、民間ビジネスの視点から、しっかりとしたコスト計算、将来の需給見通し、収益性を慎重に考慮する必要がある。仮に第3国でのインフラ投資・建設事業に日中両国が絡んだとして、どのようなコラボが生まれるのか、その間の予想されるトラブル処理を含めて、興味は尽きない。
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