<安全保障のジレンマと回収不能コスト>
グワダル港は周辺の国からは中国が海外に置く初めての海軍基地だと見なされている。パキスタンにとっては膨らむ負債は長期的な経済の活力をむしばむ恐れがあり、中国にとってはインフラ投資で回収不能コスト(埋没費用sunk costs)が発生する懸念がある。また、自国の労働者の安全問題などでパキスタン国内の治安状況に中国政府自らが手を下さなければならない状況も生まれている。
グワダル港ができてすでに10年となるが、今も工事中であり、利益を出していない。2002年に中国輸出入銀行から1億9800万ドルのローンを借りて建設が始まった。2007年工事が終わるとシンガポールの港湾運営会社PSAが港の管理を担当した。6年間、中国はPSAやパキスタン政府が取り組む港湾建設を後ろから眺めるだけで、インフラ整備には手も口も出さなかった。2013年、PSAはパキスタン国内での治安悪化を理由に事業から撤退を決めた。ところが、中国は治安悪化には目もくれず、すぐに港の運営権を取得し、港の修復工事に2億7000万ドルの融資を決めた。
(PSAは、「シンガポール港湾庁」(Port of Singapore Authority)として1964年に設立。1997年に政府全額出資のPSAコーポレーションとして民営化された。世界最大の港湾運営会社として2011年時点でアジアや欧米の17カ国、29の港を管理。)
グワダル港の商業活動は本来の潜在能力に比べれば依然として低調で、AIS(自動船舶識別装置)のデータや衛星写真を独自に分析した結果、港は輸出入・貿易を行うというより、船の貨物の積み替えを主に行うだけだった。2008年から2017年のあいだ、寄港した船は全部で200隻、月平均1.5隻に過ぎない。グワダル港の管理責任者も「15日間に1~2隻が入港するだけだ」と明かしている。シンガポールのPSAが運営管理してから11年間、中国が管理して5年たつが、グワダル港に初めてのコンテナ船(COSCO中国遠洋海運集団のコンテナ船)が到着したのは今年2018年3月7日だった。
中国政府は、グワダル港を中国西部から延びる「中国パキスタン経済回廊CPEC」の終着点と位置づけ、このルートを中国の原油輸送ルートとして活用することを目指している。それによってマラッカ海峡を通る必要がなくなれば1万キロも短くできると見込んでいる。パキスタンの海岸からカシュガルまで船と陸路を使って運んだら1ヶ月かかるが、陸上ルートだけなら10日で済むという。グワダル港の戦略的位置づけとしてはオマーン湾の入り口にあり、中東の原油積み出し港とインド太平洋のシーレーンを繋ぐ玄関口の役割を担っている。またグワダル港からの原油パイプラインが計画通り、中国西部まで延びれば、有事の際に原油供給が絶たれる恐れ、いわゆる「マラッカ・ジレンマ」を解消することができ、過激な分離独立派がはびこる新疆ウイグル自治区の経済開発に役立つとみている。
一帯一路の構想が発表されると、パキスタン国内の不安定な治安状況にもかかわらず、中国のグワダル港への関与は急速に拡大した。2013年には国有企業の中国海外港口股东有限公司China Overseas Port Holding Company (COPHC)がPSAから運営権を引き取り、2014年には中国パキスタン経済回廊CPECへの出資を正式に表明した。620億ドルもの資金をつぎ込み、CPECは中国パキスタンの内陸部に産業用の送電網、エネルギー開発、高速道路などを建設し、カシュガルからグワダルまでの兵站物流ルートに変えることを狙っている。
こうした目標を念頭に、中国はグワダル港を「産業の発電所」として開発する方針で、ここでも「Ports-Parks-Cities (PPC) (前港-中区-后城)」という方式が採用されている。さらに水深14.5メートル、長さ200メートルのバースを2本から3本に拡大し、コンテナ船や貨物船の増加に対応するほか、LNG基地や化学工業の設備を建設し、2620ヘクタールの工業区、製鉄所、製油所などを建設する計画だ。中国企業は300メガワットの石炭火力発電所と国際空港の建設も提案している。自由貿易区の第1区画はすでにオープンしている。港の接岸部分とターミナルの改修工事は中国政府の無償ローンで実施され、空港建設は2億3000万ドルの補助金でまかなわれている。
(PPCとは:一帯一路の開発パターンとして中国が提唱しているのが“Port-Parks-Cities” (PPC) という考え方だ。漢語では「港口+園区+城市」あるいは「前港-中区-后城」と表記される。つまり、開発の入り口としてまず輸送の窓口となる港湾(「港口」port)を建設し(「前港」)、次にこの港湾を利用して工場用地や物流団地など(「園区」park)を造成し(「中区」)、最後には港の後背地を含めて都市としての自由貿易区や産業都市(「城市」city) を形成する(「后城」)というものだ。)
<中国海軍の拠点化とコストが嵩む治安対策>
しかし、CPECとグワダル港の成功には大きな障害も残っている。中国からパキスタンに抜ける道路は、標高7000m以上の山々が連なるカラコルム・ハイウェイを通らなければならない。世界でもっとも危険な山岳道路といわれ、冬には雪で数ヶ月間、閉鎖される。またインドと主権・領土問題で争う紛争地カシミールや反政府活動が活発な地域を通らなければならない。グワダル港があるバロチスタン地方では、2014年から16年にかけて、CPEC計画に反対する武装集団による襲撃で、中国人を主体とする作業員44人が死亡、100人以上がけがをしている。さらに物資がパキスタンの港に到着したとしても高いドック使用料を請求され、長い時間待たされるだけだ。
中国は2017年10月までに総額185億ドルをパキスタンに投資しているという。2016年にパキスタンを訪れた中国人は71000人で、2015年に比べ41%も増えている。パキスタン商工会議所によれば、毎年25万人の中国人労働者が仕事を求めてパキスタンに入国するという。こうした拡大する投資、増加する中国人の流入人口、利害をめぐる摩擦の増大は、パキスタン国内の治安状況に中国政府が直接的な役割を果たす必要を生んでいる。中国の王毅外相は「海外において拡大する中国人の利益をいかに保護するかは、中国外交における緊急の関心事だ」と表明している。
中国の当局者は、バロチスタンの反政府グループに直接接触して説得しているほか、中国国境付近にいる武装勢力には武器を捨ててパキスタン政府との話し合いにつくよう説得している。
インドは、グワダル港を中国海軍のプレゼンスを拡大する先兵として捉えている。そうした見方は米国防省とも共有していて、2017年国防省による議会報告では、パキスタンを中国が海外基地として拠点を置きたい国の一つだとしている。2018年、未確認ながら、あるリポートが公表された。中国は、グワダル港に近いジワニに恒久的な空軍基地と海軍基地を建設するという噂がある。一方でグワダル港自体が、中国海軍の艦船を受け入れ、補給基地としての役割を果たすのではないかという見方がでている。中国はこうした見方を否定し、CEPCやグワダル港に関して軍事的な意図は一切ないとしている。にもかかわらず、パキスタンにおける中国軍のプレゼンスは拡大している。中国は正式に表明しているが、グワダルの治安維持を目的に海兵隊部隊がローテーションで派遣され、その数を2万から10万人まで拡大する計画が進められている。インドの軍事当局者は、中国の艦船の入港が増えているとしている。2013年、インド洋に初めて中国海軍の潜水艦が派遣されたのをはじめ、2015には初めてパキスタンの港に寄港している。現在までのところカラチだけだが、中国海軍の潜水艦と水上艦は繰り返し寄港している。
こうした軍備の拡大は意図しない形で「安全保障のジレンマ」にもつながっている。「安全保障のジレンマ」(Security dilemma)とは、軍備増強や同盟締結など自国の安全を高めようと意図した国家の行動が、別の国家に類似の措置を促し、実際には双方とも衝突を望んでいないにも関わらず、結果的に衝突に繋がるような緊張を増加させてしまうような状況を指す。
<WinWinには程遠い不平等さと高まる不満>
CPECは、一帯一路のWin-Winの関係を示すモデルとしてつねに取り沙汰されてきた。しかしCPECに関連した投資に関する透明性や特殊性には限界がある。計画通り完成したとしたら、CPECの生産性はパキスタンの2015年国内総生産の17%に匹敵するとされ、70万人の新規雇用を生み出すとされる。しかし、これはあまりに不確かなもくろみで、CPECの中身や経済効果に関して信頼できる調査研究はいまだなされていない。パキスタン国有銀行の総裁は、CPECはもっと透明度を高めるべきだと公に批判している。関連するコストと利益を見積もるのは非常に複雑だが、入手できた証拠によれば、グワダル港を含めたCPECプロジェクト全体でパキスタンは長期に渡って負債に苦しむ一方で、まったく釣り合わないが、中国には有利に働くという。
中国海外港口股东有限公司COPHCはグワダル港の40年リースを2017年4月から始めた。この中国の国有企業はBOT方式によってグワダル港の収入の91%を得ることになっている。自由貿易区の管理運営ではそこで発生した利益の85%を中国企業が手にすることになっている。グワダル港の港湾当局は残りの9%を受け取るだけだ。COPHCは所得税や関連する税金について23年間の免除をうけることになっている。こうした免税措置は、2017年初めにパキスタン上院での証言で明らかになったことだが、ほかのCPECプロジェクトやパキスタンで操業する中国企業に適用される。治安対策に関するコストも増大している。2016年、パキスタン政府は特別治安部隊15000人を発足させ、34にのぼるCPEC関連プロジェクトの警備に専従させている。グワダル港には専従の海上保安部隊もいる。
中国からの資金は借款・ローンという形で、譲与や直接投資ではない。しかもこれらのローンは「部分的に実行される」。パキスタンは「かつて経験したことのない」借金を中国に負う。グワダル港のバースやターミナルの改修でも中国政府の借款が使われる。CPECの投資額の80%は、中国の高い利息を伴った金融に依存している。最近の研究ではCPECの資金は最高で5%の利息がかけられている。たったこれだけの利息でも、パキスタンの公債比率(public-debt ratio)は70%に達し、長期のマクロ経済にとってはリスクとなっている。グワダルに関しては条件はより厳しい。パキスタンの閣僚は2017年11月、グワダルの借款は自由貿易区や通信施設含めて総額1600億ドル、利率は13%以上だと、議会で証言している。
これらの事業が、地元の雇用や投資を刺激するかどうかは不確かだ。地元メディアの報道によると、CPEC関連の建設プロジェクトに関しては、中国国営の企業が請け負うことがほとんどでパキスタンの地元企業が現地パートナーとしてその下請けに入ることはめったにないという。同様に、地元バロチスタンの労働者がCPECプロジェクトで働くことも限られている。彼らには技能に欠けるというのがその理由だ。中国企業が労働力として頼るのは中国からの労働者だけで、急激に数を増している中国人労働者の存在は、政治的に対立しているバロチスタン社会の緊張を高めている。
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