「私怨」を「公憤」に変える、「徴用工」解決案を「国恥」という韓国野党

「三田渡屈辱」とか「庚戌国恥」ってなに?

元「徴用工」への損害賠償問題をめぐって韓国政府が示した「韓国の財団が日本企業に代わって肩代わり」するとした解決策について、韓国最大野党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表は「日本が最大の勝利を勝ち取った一方で韓国からみれば最悪の屈辱であり羞恥」だとして、尹錫悦「親日売国」政権による「事実上の対日降伏文書」だと口を極めて罵倒した。

さらには韓国史における中国屈服・隷従事件である「三田渡(サムジョンド)の屈辱」を持ち出し、それに匹敵する「外交史最大の恥辱であり汚点だ」と批判、また別の野党議員は「第2の庚戌(こうじゅつ)国恥だ」と糾弾した。

中央日報3月6日「韓国野党代表『徴用賠償案、三田渡の屈辱に匹敵する最大の恥辱』」

いずれも日本人には馴染みのない韓国史の言葉だが、「三田渡の屈辱」とは、明を亡ぼし清を建国した皇帝ホンタイジ(皇太極=太祖)が朝鮮に対して清への臣従を要求したが、朝鮮がこれを黙殺、拒否したのに対し、1636年、清は12万人の兵を送り、第16代国王仁祖が立てこもった山城を包囲して降伏させ、清への絶対服従を誓わせた事件を指す。

また「庚戌国恥」とは干支が「庚戌(かのえいぬ)」の年、つまり1910年の韓国併合を指し、韓国人はこれを「国の恥」だとして歴史教科書で教えている。

漢字を使わない韓国の人たちは、삼전도굴욕(サムジョンド クリュク)という発音を聞き、このハングル(文字)を見ただけで「三田渡の屈辱」のことだと分かり、경술국치(キョンスルクッチ)と聞いて、すぐに1910年の韓国併合という「国の恥」だと分かるというのである。それだけ韓国人にとっては心に深く刻まれた歴史的痛恨事ということなのだろうか?

民事裁判レベルの話を国家間の生存問題に格上げ

しかし、それにしても徴用工問題とは、元「徴用工」を自称する原告15人(うち生存者3人)に対して、大法院(最高裁)判決で確定している分だけで、損害賠償1人1億ウォン、利子遅延金を入れても日本円にして総額で4億円余りを支払うという判決の処理問題にすぎない。「たったそれだけ」などといったら韓国の人は怒り出すのだろうが、それにして、その種の「民間」の話と、かつて清の大軍と戦って敗れ、朝鮮という国が完全に清の従属国家になった歴史や、主権を奪われ日本に併合されたという国家間の歴史とを並べて、それに匹敵する「屈辱」だというのだから驚く。本来、民法レベルの個人の損害賠償請求訴訟である「徴用工」問題を、民族の歴史における最高レベルの国家的屈辱という高みにまで押し上げたことになる。

世が世であれば、というか、北朝鮮は今でも、簡単に「火の海にする」などと口先では最大限の脅しを仕掛けてくる国だが、これほどの国家的屈辱を晴らすためには、それこそ戦争という最後の手段に訴えるか、「3・1独立運動」並みの全国規模の騒乱事件、抵抗運動を起すしかないとも思えるが、李在明氏や共に民主党は自ら最高レベルまで問題を大きくして拳を突き上げておいて、その覚悟はあるのだろうか?

極左労働団体・民主労総や反日団体・正義記憶連帯を中心に600とも1500とも言われる市民団体が集まって、尹政権の退陣を求めて汎国民大会を開催するそうだが、せいぜい集まっても数万人レベルの集会でそんなことができるのだろうか。

問題は、こうした集会でのスローガンが完全に北朝鮮の指示に従っていることが警察の調べで分かったというニュースが最近流れた。要するに徴用工問題は、人権問題でも歴史問題でも何でもなく、保守政権打倒を目的にした左右の陣営対立の材料に使われているに過ぎないのである。

朝鮮日報3月14日「尹錫悦退陣が追悼だ」…民主労総の反政府デモ、北朝鮮がスローガンも指示していた」

国内の陣営争いを安保外交問題に拡大の愚

問題は、自分たちの陣営に有利なように、国内政治の駆け引きとしてこの問題を使うのなら、「どうぞご勝手に」の世界だが、野党代表の李在明氏は政府糾弾反日集会で「屈辱的賠償案強行の後には韓日軍需支援協定と韓米日軍事同盟が待っている」「韓米日合同訓練を言い訳に自衛隊の軍靴が再び韓半島(朝鮮半島)を汚すことが発生する可能性がある」などと発言、北朝鮮をめぐる安保協力体制を否定した上で、何の根拠も示さず自衛隊をまるで「侵略者」扱いしたことだ。

<中央日報3月12日「韓国野党代表「恥辱的強制動員賠償案…日本に頭下げる屈辱的様相」

何のために自衛隊がわざわざ朝鮮半島の土を踏み、住民を脅す必要があるのか?もともと北朝鮮寄りの思考と特異な抗日歴史観を持つ左派民族主義の人物だとはいえ、こんな野党指導者が隣国にいること自体が、この地域の安保状況を不安定にさせ、日本を危険にさらしているといえる。

(続く)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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