日韓のスポーツ交流、選手の往来はすべて断ち切ってもいい

こんなことはあまり書きたくないのだけれど、韓国社会の最近の姿を見ると、この国の人たちは人生を本当に楽しんでいるのか、生きることは楽しいことだと思っているのかと、疑ってしまう。

野球のWBCで韓国チームが1次リーグを敗退したことに対する韓国の反応もそうだだし、徴用工問題で政府が示した解決案に対する野党陣営の辛辣なコメントや政府糾弾集会の様子を見てもそう思う。いずれも日本が絡むことなので、日本憎しという感情があるのかもしれないが、だからと言って、そこまで言うか?そこまでするか?と率直に驚く。そんなことをして、彼ら自身は楽しいと思っているのだろうか、心の底から満足しているのだろうか、疑問に思う。

WBC敗戦で国民に謝罪声明まで出す韓国プロ野球

まず野球のWBCだが、韓国チームは1次リーグでオーストラリアと日本に負け、チェコと中国には大勝したものの、3位となり、悲願の日本を打ち負かしての準々決勝進出はならなかった。そのチームが韓国に帰国すると空港では記者会見や歓迎セレモニーもなく、選手たちはうつむいたまま足早に空港を後にしたという。ただ一人、監督だけがインタビューに応じ、「申し訳ないという言葉しか出てこない。しかし、選手たちへの非難は控えてくれるとありがたい」と哀願する始末だった。

朝鮮日報3月14日「WBC:帰国した韓国代表監督、厳しい世論に「全て私のせい…選手を非難しないで」>

さらにKBO韓国野球委員会は16日、「国民の皆様に心よりお詫び申し上げます。WBCの結果に対し責任を痛感し、叱責を謙虚に受け止めたい」と公式の謝罪声明まで出した。何か世の中でたいへんな事態でも起きているかのような雰囲気だ。

球場の内外で暖かい交流に心温まる日本

一方、日本では、順調に勝ち続けているからというわけでもないが、WBCをめぐっては、本当に心温まる話題が絶えない。大谷など個々の選手の活躍はもちろんだが、毎回、東京ドームは満員の観客で埋まり、相手国チームにも暖かい声援と拍手が送られ、選手たちもそれに礼儀正しく応える姿があった。

死球を与えたチェコ選手を心配して、佐々木朗希投手が翌日、手土産を持って宿舎を見舞ったことがMLBの公式サイトが伝えた。大谷選手も佐々木投手も死球を与えた場合は必ず帽子をとって謝っていたが、ヌートバー選手の背中に死球を当てた韓国の投手は、帽子も取ることも頭も下げることもせず、だから故意球だとみられた。

また大谷選手が他の職業と掛け持ちが多いチェコの選手たちが心から野球を楽しんでいる姿に尊敬(レスペクト)の気持ちをSNSで伝えると、チェコ選手団もそれにすぐに反応して感謝を伝えたこともニュースになった。あるいはオーストラリアやイタリアの選手たちが、日本のラーメンや寿司を食べて感激したことなど、球場外での日本体験の様子も微笑ましく伝えられた。

あるいは大谷が放ったホームランボールをたまたまキャッチした女子大学生が、そのボールを周囲の人たちに渡し、ボールを次々に回しながら皆がそれを写真にとるという場面があり、海外メディアは日本でしか見られないシーンだと絶賛して伝えた。

今回のWBCでは、選手たちの記憶に残る名プレーシーンの他に、そうした心温まるエピソードがたくさんあり、私たちもWBCというスポーツを通して掛け替えのない素敵な時間を共有できたと幸せな気分に浸ることができた。

申し訳ないけど、韓国の人たちにそうした気持ちは理解できるだろうか?

スポーツに政治を持ち込む韓国とは無理

この後に及んでも「旭日旗だ、竹島だ」と叫んで、スポーツの場を不純な政治目的を果たす場だとしか考えない人たちであり。スポーツの純粋な喜びなどとは無縁の人たちではないのか?

スポーツ観戦などそっちのけで「会場に旭日旗はないか」と鵜の目鷹の目となり、なんとか旭日旗を探し出したあとには、旭日旗は戦犯旗だなどという根拠のないデマを韓国メディアも平気で宣伝し、あるいはWBCの公式ホームページの地図に竹島と日本海の表示を見つけると、国民総出の猛烈な抗議でそれらの文字を地図上から削除させ、結局は韓国人がいう「独島」も地図から消滅したのだが、なぜかそれを喜んでいる人たちである。

野球に限らず、サッカーなど国際試合で日韓戦があると必ず、韓国側からは旭日旗や竹島の問題が事前に提起され、主催者側には大きな圧力が掛けられるわけだが、スポーツを純粋に楽しみたい日本人にとっては、本当に煩わしく、不愉快極まりない事態だ。スポーツの世界では、親善試合を含め、選手の交流など、日韓の関係は完全に断ち切り、日本のプロ野球やJリーグ、プロゴルフなどから韓国選手はすべて追放、出場禁止するぐらいの日本の覚悟を示したほうがいい。韓国は、日本と同じレベルでスポーツを純粋に戦い、スポーツを楽しむことができない人たちだからだ。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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