日本はしっかりと謝罪を実行、謝罪していないのは韓国だ

韓国の人たちは、日本は「謝罪」していないと頻(しき)りに言うが、「謝罪」とは過去を反省し、二度と同じことをしないと約束するということです。だとしたら、日本はこれまで一貫して約束を守り、そのとおりに謝罪を実行してきています。

戦後80年近く他国の領土を侵犯したことはなく、他国に武力を行使したこともない。過去の反省に立ち、約束を守っているということは、まさしく「謝罪」をその通り実行していることであり、この上に、いったい何をさらに謝罪し、約束しろというのでしょうか。

むしろ、国際法上に決まった約束を実行せず、国と国との約束をいとも簡単に反古にしても平気で、竹島というれっきとした日本の領土を侵犯し、ベトナムでは無辜の民を虐殺し、多数のベトナム人女性を陵辱しライダンハンと呼ばれる混血児を残したのは紛れもない韓国の真実の姿です。

どちらが謝罪していないのかははっきりしています。裁判で韓国軍によるベトナムでの村民虐殺があったことが認定され、生き残りの被害女性に賠償が命じられても、韓国国防省は虐殺を否定して控訴しました。韓国海軍駆逐艦が自衛隊哨戒機に対して火器管制レーダーを照射し攻撃態勢を執ったことは電波記録でも否定できない事実であるにも関わらず、レーダー照射はなかったと白々しいウソをつきとおし、反対に自衛隊機が低空飛行で威嚇したととんでもない言いがかりをつけてきたのは韓国軍です。

日本で軍国主義が復活し韓国を再び侵略するは本当か

韓国の人たちは、日本が「謝罪」をしていないということは、再び「軍国主義」が復活し、日本の自衛隊が朝鮮半島に再び足を踏み入れることだと考えているようです。韓国野党「共に民主党」の李在明代表は、日米韓3か国で共同訓練をしただけで、自衛隊を正式な軍として認める「親日行為」であり「国防惨事」だとし、「日本の軍隊が朝鮮半島に進駐し、旭日旗が再び朝鮮半島に掲げられる日が実際に起こりうる」としばしば非難しています。そういう野党指導者を韓国国民の半数近くは支持し、そうした発言・妄言を黙認しているようです。

しかし、日本の政治状況や、マスコミやSNS上などに現れる言論状況、あるいは国民感情を含めた日本人の意識の中に、朝鮮半島を再び侵略して植民地にしようという議論や野心、あるいはそうした気分や雰囲気が少しでもあると本気で思っているのでしょうか?

日本に暮らしていて、そんな話は、「例え話」や「空想物語」としても聞いたことはなく、そんな気分や雰囲気を感じたこともありません。

そもそも現在の日本国憲法第9条の下では、他国を侵略するという法理も理屈も存在できるはずがなく、初めから日本にそうした意思がないのは明らかです。法律がなかった韓国に、法に基づく統治、法治という概念を教えたのは日本です。法律がなければ何の行動もとれないのが日本です。

現在の自衛隊の能力や装備にしても、他国を侵略して、そこを継続して占領できる能力がないことは、軍事専門家なら誰でも分かり、韓国軍自身がそれを最もよく理解しているはずです。

韓国には対日暴論を煽動する時事評論家がいる

冷静になって考えれば、日本が朝鮮半島を再び侵略するということが根拠のない妄想であることはすぐに分かると思いますが、韓国の人たちはただそう信じたいだけなのかもしれません。

時事評論家を自称する光云(クァンウン)大学の陳重権(チン・ジュングォン)特任教授は、中央日報3月23日に寄稿したコラム「屈辱外交の修辞学」で、尹錫悦大統領が「日本はすでに数十回にわたって反省と謝罪を表明した」と述べたことについて、「『謝罪』の独特の用法は韓国と日本の右翼の公用語に属する」としたうえで、次のように論じています。(以下引用)

<「謝罪」とは本来「これからはそのようなことをしない」という約束だが、韓日の右翼はそれを状況の必要による一回のジェスチャーと見る。実際「数十回」の謝罪は謝罪の十分性でなく「約束」の反復的破棄を反証する。

日本政府は「歴代内閣の歴史認識を引き継ぐ」という言葉を謝罪を(ママ、「謝罪に」の間違い)替えた。ところがそこには「未来の世代に謝罪する宿命を背負わせてはいけない」という安倍内閣の認識も含まれる。真の「謝罪」なら反省とおわびの立場が後代まで続くようにすべきだが、日本はそれをむしろ後代に継がさない「宿命」と理解する。>(引用終わり)

韓国語の原文がどうなっているかは知りませんが、自動翻訳が多いといわれる中央日報日本語版では、いかにも難しいことを高尚な言い方で論じているように装ってはいますが、要するに言いたいことは、「日本の右翼は、謝罪は一回だけジェスチャーですれば済むと考えている。それなのに数十回も謝罪するのはむしろ約束を繰り返し破棄していることの証拠だ。真の「謝罪」は後代まで永遠に続けるべきだが、日本は謝罪を「宿命」と捉え、そうした宿命は後代に継がせてはならないものと考えている」ということでしょう。いかにもアジテーター(煽動者)が口にしたい理屈、人心を煽る論理展開だといえます。

この論で行けば、日本がいくら謝罪しても十分ではなく、謝罪を繰り返すことは約束を破った証拠と見なされる、ことになります。結局、謝罪しても無駄ということになります。

日本に対して優位に立ちたいというコンプレックス

先に述べたとおり、謝罪に真心や誠意がこもっているかどうかは、約束が実行されているかで判断すべきで、仮に約束を破ったことが明らかになったなら、真実の謝罪をしていないと非難し、その責任を追及すればいい。

しかし、前述のとおり、日本は何も約束を破っていないし、約束に反するやましいことは何も行っていません。約束を破っているのは明らかに韓国の側です。自分の側に誠意がないことをいかに弁明するのでしょうか?

韓国が日本に対して繰り返し謝罪を要求するのは、謝罪に誠意や真心がこもっているかは問題ではなく、ことあるごとに日本に謝罪させ、自分たちが日本の上に立っているという優越感に浸るために、日本を貶めること自体に目的があるからです。それはつまりコンプレックスの裏返しであり、そうした感情を持ち続けるかぎり、いつまで経っても実力で日本を越えることはできないといえるでしょう。

韓国の人たちの日本に対するそうした考えは、今後も何千年経っても変わらないでしょう。それならば私たち日本人も、この何千年かの歴史を思い返し、韓国に対する恨みをもう一度、確かめる必要があります。

朝鮮半島が日本を犠牲にした歴史を忘れない

朝鮮半島が高句麗、新羅、百済の勢力に分裂し争っていた三国時代、ほとんど滅亡しかけていた百済がその復興のために仕掛けたのが援軍を日本に頼み、日本を唐と新羅の戦いに引き込むことだった。大和朝廷は百済の要請に応え、3次に渡り、4万2000人の兵と船を派遣して唐・新羅連合軍と戦うことになった。白村江の戦いである。このとき百済の国王は自らは戦うことなく、高句麗に逃亡した。日本の軍は全滅し、白村江(現在の錦江クムガン)を血で染めたのである。

元寇のとき、日本に襲来した主体は高麗軍だった。彼らが壱岐・対馬で行った蛮行はベトナムでの村民虐殺事件の比ではない。蒙古襲来を予想して「立正安国論」を書き、鎌倉幕府北条時宗に諌言した日蓮大聖人は、文永の役から二年後の1276年に、被害を受けた壱岐・対馬の実態について、蒙古・高麗軍は島の住民を次々と虐殺し、あるいは捕虜として捕獲し、捕らえた女性の手に穴を開けて縄を通し、船の横に並べさせたと記録している。またこのとき奴隷として連れ去られた島民200人が高麗王に献上されたとも伝わる。

時は流れ、現代に至り、北朝鮮による日本人拉致は、何のために行われたかというと、韓国に日本人を装って侵入し、スパイ・テロ活動を行うための工作員の日本人化教育のためだった。日本の植民地支配がなかったら朝鮮半島の南北分断はなかったと韓国人はいうが、選挙を行って統一政府をつくるという国連決議を無視して、南北それぞれ国家を作ったのは金日成と李承晩による自らの選択だったことは間違いなく、そこに日本が介在する余地はなかった。拉致された日本人は朝鮮半島情勢の犠牲になったのである。

歴史的に朝鮮半島から受けたそうした被害や恨みは、日本人の心になかに今後、永遠に刻印し続けなければいけない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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