日本に「米国=悪」の手先になるなと恫喝する中国外交

拘束日本人の早期釈放こそ喫緊の外交課題

林芳正氏が外相としては3年3か月ぶりに中国を訪れ、4月2日、秦剛外相と3時間半にわたって会談したほか、新任の李強首相、王毅中央外事弁公室主任とそれぞれ会談した。

今回の訪中で、林外相の最大にして喫緊の外交課題は、中国の公安当局によって反スパイ法容疑で拘束されたアステラス製薬の日本人幹部の早期釈放を求め、中国でビジネスを展開するためには透明で公正なビジネス環境と正当な経済活動の保証が必要だということを訴えることだった。

これに対して秦剛外相はあくまで「中国の法律に従って処理する」と応じただけで、この件では平行線をたどったと伝えられる。しかしその際に、中国側の報道によれば、秦剛外相は「為虎作倀」という四字成語を使って日本批判を展開したという。

「為虎作倀(いこさくちょう)」とは「トラに食い殺された人の霊魂が、死後にトラの手先(‘倀鬼chāngguǐ’)となり、人を誘ってトラに食わせるなど悪事を働く」という故事に由来する言葉で、「倀」あるいは「倀鬼」とは、「悪人の手先」「暗黒の中で惑い狂うさま」などと辞書(『中日大辞典』大新書局)には載っている。

「悪の手先」になるなという中国レトリック

要するに米国を「虎」=悪の国に例え、その手先になって悪事に加担するトラの手先=悪の手先として日本を位置づけていることになる。こんな言葉が、堂々と外交の場で使われること自体が信じられないし、許されるべきことだとは思えない。外相会談の場で、実際にこれがどう通訳され、林氏にどう伝えられたのかは分からないが、日本側の発表や日本メディアの報道にこの言葉が引用されていないところをみると、林氏はこれについて何の反論も反応もなかったのだと思われる。

こうした中国人でも一部の人にしか理解できない、特殊な四字成語を使って、あたかも博学の文人風を装い、人の高み立って威圧し、眩惑させるというのが、中国人の外交術・交際法なのかもしれない。人を小馬鹿にして悦に入るというのは、面子(メンツ)や外面だけを重んじる典型的な中国人の振る舞いだ。

こうした態度は、中国国営のメディアの報道の仕方にも現れている。人民日報系の「環球時報」は4月3日付で「不“为虎作伥”,应是日本对华外交的前提」(「為虎作倀」つまり悪の手先にならないは、日本の対中外交の前提であるべきだ)と題した社説(社評)を掲載し、「為虎作倀」という言葉を使って以下のような日本批判、対日要求を展開している。(以下引用)

<秦剛(外相)は会談で、日本が「為虎作倀」("虎の手先になって悪事を働いてはならない")と直言したが、これは最近2年間、日本の中国に対しての否定的な動きの中で最も目立つ部分だ。秦剛は半導体産業を例に挙げた。つまり林芳正が日本を出発する前日、日本の経済産業省は軍事的脅威となる国家が日本の先端技術を獲得することを防止するためとして、今年7月から半導体製造設備23品目の輸出を制限すると発表した。これは、米国の中国の科学技術を圧迫してサプライチェーンを切断することに合わせたものであることに疑いはなく、これこそ「為虎作倀」“悪の手先になって悪事を働く”を拡大しグレードアップしたものだ。>

<日本は外交·軍事面で中国に対する敵意をほとんど隠さず、抑制もしていない。(略)現実は明白だ。日本は平和憲法の約束から脱しようという衝動がますます強くなり、それに応じて振幅の幅も大きくなっている。いわゆる'中国脅威論'を持ち出すだけでは、日本国民を含めた周辺国の(日本に対する)疑念を払拭することはできなくなっている。(略)日本の「為虎作倀」“悪の手先になって悪事を働く”の心理の出発点は、まさにその誤った中国に対する認識だ。王毅(主任)は2日、林芳正との会見で"日中関係の雑音と妨害の根本原因は、日本国内の一部勢力が米国の誤った対中政策に追従し、中国側の核心利益に対する挑発に協力することだ"と強調した。>

<日本は中国に対する狭い見方から脱し、日中関係をより大きな視野と高いレベルから観察し、目の前のいばらの低木ではなく、その向こうに広がる広い地平を見渡し相互に利益がある日中協力の将来を見通さなければならない。とりわけ「為虎作倀」“悪の手先になって悪事を働く”をしないことは、日本と中国が建設的かつ安定的な関係を構築する上で重要な前提条件だ。両国関係の発展潜在力を両国国民に恩恵を与える現実的福祉に変えるため、日本と中国が共に努力することを望む。>(引用終わり)

相手国を「悪の手先」とする外交修辞は許されるのか

一つの社説の中で「為虎作倀」という言葉を4か所で使うほど、この言葉がたいそう気に入ったと見えるが、実は辞書(前掲)には「甘為虎倀」「甘為作倀」(甘んじて悪者の手先になる)という四字成語も載っていて、こちらの方が中国では馴染みが深いのではないか?

それにしても、米国を「虎」すなわち「悪の国」だと処断し、日本がその「虎の手先」「悪の手先」となるのは止めよと、「環球時報」すなわち中国政府はいっているわけだが、中国と米国のどちらが人を食う「虎」かは、誰が見ても判然としている。20年以上も長きにわたって中国に滞在し、中国の発展のために貢献してきた日本人駐在員を、拘束理由も明らかにせず、帰国直前にスパイ容疑で捕まえ、それを当然のこととしているのが中国なのである。

日本人の拘束は、習近平のロシア訪問に合わせて、ウクライナを訪問した岸田首相に対する見せしめという見方もあるが、果たして見せしめかどうかは別にしても、まっとうなビジネスのために働き、日中の経済活動のために貢献した人物の人生を台無しにしても、まったく痛痒を感じない、まさに「虎」の国が中国なのである。

「人を食う」=虎の国こそ中国

話が変わるが、『私が陥った中国バブルの罠 レッド・ルーレット 中国の富・権力・腐敗・報復の内幕』(草思社)という本を読んだ。デズモンド・シャム(沈棟)という上海に生まれ、香港と米国で教育を受け、幅広く中国ビジネスを展開した実在の実業家が書いた本だが、その内容はまさに「人を食う」ような中国に関する凄まじいストーリーが次々に展開され、一気呵成に読むことができた。

著者のシャム氏とその妻のホイットニー・ドゥアン(段偉紅)は、中国経済が急拡大するなかで、温家宝首相の妻と知り合いになるなど、多くの中国共産党幹部と親密な「関係(グァンシー)」を築くことで、北京首都空港の貨物ターミナルの建設や北京市内の一等地にホテルやオフィスビルなどの複合施設を開発する事業に取り組むことになる。計画どおりなら、莫大な利益を上げるはずだったが、2012年に温家宝首相の妻(張培莉)による宝石や不動産への投資、温家宝一家によるビジネスや巨額蓄財の実態がニューヨークタイムズに曝露されたことで、命運は翻弄されることになる。

温家宝夫人を「張おばさん」と呼び、密接な関係にあった妻のホイットニー・ドゥアンはその後、2017年9月に、突如何者かに連れ去られ、5年半以上たった今も、拘束の理由も罪状もいっさい明かされず、所在も生死も不明の状態に置かれているという。

理由もなく民間人を拘束して説明もない中国

いくら民間人とはいえ、ホイットニー・ドゥアンは、北京市内で巨大な開発プロジェクトをいくつも展開し、精華大学に図書館を寄贈したり、中国の有名画家の絵画を億単位の金で買い漁ったりした、中国富裕層の間では超一級の才覚の持ち主として名前の知れた女性だった。そうした人物が忽然といなくなっても、誰も咎めもせず、見て見ぬふりをする恐ろしい社会、それが中国なのだ。

著者デズモンド・シャム(沈棟)氏は、妻ホイットニーが行方不明になる前の2015年にすでに離婚していて、その年にイギリスに移住し一人息子と暮らしているが、この本の中では、彼ら夫婦が直接身近で目撃した中国共産党中枢部での凄まじい権力闘争の実態も生々しく描写している。

凄まじい習近平体制下の権力闘争

それによると、共産党内部の雰囲気が変わり、改革開放の恩恵を受けてきたビジネス界への風向きが変わり始めたのは2008年だという。その年は、習近平が次期後継者がらみで国家副主席に就任した年だった。そのころ同じ太子党として次期トップの座を争っていたのが薄煕来重慶市党書記だった。しかし、2011年に薄煕来の妻が英国人殺害事件を起こし、側近の公安局長が米領事館に逃亡する事件があった。党政治局は、捜査が薄煕来自身に及ぶ前に事件を打ち切ろうとする意見もあったが、最後まで捜査の徹底を主張したのは習近平で、これによって薄煕来は失脚に追い込まれたという。温家宝一家の巨額蓄財問題がニューヨーク・タイムスにリークされたのは、この薄煕来失脚事件に恨みを持つ司法公安系の一派の仕業だ、とこの本は主張する。

デズモンド・シャム氏は、次期中央指導部入りが確実だとみられていた令計画(2012年まで党中央書記処書記、2014年まで党中央統一戦線部長)や孫政才(2012年まで吉林省党書記、2017年まで重慶市党書記)とも個人的な繋がりを持ち、家族ぐるみの付き合いをしていたが、その二人は重大な規律違反があったとして相次いで取り調べを受け、終身刑(無期懲役)の判決を受け服役している。しかしこの本によると、これまで伝えられてきたような内容の不正とは違って、仕掛けられた罠に嵌まった形跡があり、その罠を仕掛けたのは習近平だとも示唆される。

誰が想像できるか 変わり身の早すぎる中国

いまや「終身皇帝」と言われる地位まで上り詰めた習近平だが、その登場と権力の掌握によって、中国のイデオロギー的な雰囲気も一変し、ビジネス環境も大きく変わることになる。アリババやテンセントなどIT企業の自由な経営が制約を受け、土地・金融政策の締め付けで不動産開発企業も苦境に陥ることになった。

何よりも、それこそ才覚とチャンスさえあれば、出自や権力の背景など何もない貧しい家庭出身の若者でも、ビジネスを立ち上げ、いくらでも金儲けできる可能性が広がっていたが、今は、それこそ一部の共産党幹部と関係があったり、特定の国営企業でなければ、発展のチャンスはつかめない社会に変わりつつある。この変化はひとえに習近平という独裁者によるものだ。

長年中国をウォッチしてきた私自身の経験からいうと、この間の中国の変遷は想像を超えるものがあった。例えば1980年代から90年代前半にかけて貴州省や四川省など山深い中国内陸部を旅行し、深圳などまだ工業化が始まったばかりの沿岸部の経済特区などを視察した経験からいうと、農村部には靴も履かず真っ裸の子どもたちが土埃が舞う道路脇で走り回り、北京や深圳など都市部では病気で今にも死にそうな乳児を路上に横たえ、その兄を装った幼い子どもが通行人に金をせびり、北京飯店の前では、赤ちゃんを抱いた若い女性が「子どもが病気なので金を恵んでくれ」と近寄ってきたりするなど、街のあちこちには浮浪者や物乞いの姿が溢れていた時代だった。

夢を抱けなくなった国の衰退は早い

それからわずか10年、20年で「世界の工場」から今や「世界第2の経済大国」となり、100ドル紙幣の札束を手にした中国人旅行客が海外で手当り次第に高級品を買い漁る姿があった。これほどの変化を誰が想像できただろうか。

この本の中にも、温家宝夫人の「張おばさん」や高級幹部の子弟、成り上がりの実業家たちと、プライベートジェット機を乗り回して、フランスやスイスに行き、高級ホテルに泊まって、毎晩、高額ワインやシャンペンを次々に開けて、一晩で何百万円もの金を食事につぎ込んでも平気だという中国の超富裕層の姿が描かれている。

中国では確かに、こうした特権富裕層はごく一部だったとしても、かつては誰もがそういう地位を手にする可能性があると夢見る自由があった。しかし、今の習近平の中国では、そうした夢を見ることさえもが許されない。白紙を掲げ、ゼロコロナ政策に異議を示しただけで拘束され、闇から闇へ葬り去られる社会である。夢と活力をなくした中国が衰退の道に迷い込むのは案外早いかもしれない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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