韓国映画に見る民族分断の歴史②

もう一つの映画、「1987、ある闘いの真実」は、同じ全斗煥軍事政権の末期に起きたソウル大生拷問死事件を契機に、マスコミや宗教界を巻き込んで真相究明を求める運動が全国に拡大、大統領直接選挙に道を開いた「6・29民主化宣言」につながる、一連の「6月民主抗争」の時代を描いている。

映画「1987、ある闘いの真実」予告編

<大学生拷問死の隠蔽工作から始まった民主化闘争>

1989年1月、ソウル大生朴鍾哲(パク・ジョンチョル)は、「南営洞(ナミョンドン)」と呼ばれた警察の秘密施設・治安本部対共分室で、北のスパイと関係していると疑われて尋問中に、水責めの拷問を受けて死亡する。治安本部は、取調中に心臓麻痺を起こしたことにし、遺体は直ちに火葬に付して証拠隠滅を図ろうとするのだが、ソウル地検の公安部長は拷問死を疑い、火葬処分を許さず司法解剖を命じる。警察だけでなく、国家安全企画部や青瓦台(大統領府)まで巻き込んで隠蔽工作が行われるなかで、マスコミ各社の真相追求キャンペーンも始まる。検視を担当した医師は記者に、死因は水責めによる窒息死であることを告げる。担当を外された検察官も、解剖結果が書かれた書類を記者の手に渡るようにわざと放置するなど、情報がリークされ、新聞のスクープ合戦につながった。窮地に立った警察は、事件は尋問中の「障害致死」だったとして、取り調べ班の班長だった刑事に罪を押しつけ、トカゲのしっぽ切りで事態を乗り切ろうとする。しかし、刑事が拘留された刑務所の看守は、面会にやってくる別の刑事らとの会話などから、実際に手を下した真犯人は別にいることを知る。看守は刑務所での詳細な面会記録を外部に持ち出し、これが教会関係者の手にわたることになった。そして、これが動かぬ証拠となって、5月18日、ソウル明洞聖堂で行われた光州事件追悼ミサでカソリック正義具現司祭団の金勝勲神父が非難声明を発表、朴鍾哲拷問死と政権側の隠蔽工作の全容が暴露されることになった。

これを受けて、6月に入ると、学生デモはいっそう激しさを増し、そのさなか延世大学の学生李韓烈(イ・ハニョル)が、機動隊が水平発射した催涙弾を頭部に受けて死亡するという事件も起きた。これを契機に民主化運動はさらに全国に拡大し、100万人以上がデモに参加し、各地で交通はマヒ状態となった。こうした事態に、全斗煥は一時、デモを鎮圧するため軍の出動を決断するが、アメリカの強い圧力を受け断念するということもあった。

そして6月29日、全斗煥から次期大統領候補に推挙されていた盧泰愚は、事態収拾案として大統領直接選挙の実施を約束し、国民の団結を呼びかける特別宣言「6・29民主化宣言」を発表。実際に、その年の12月に行われた大統領直接選挙では自らが当選することになる。

以上の経過は、以下のウィキペディアに詳しい。(https://ja.wikipedia.org/wiki/朴鍾哲)

<1987年を描いた初めての映画という驚き>

この映画に出てくる人物の役職名と名前は、看守の名前と伝書バト役の女子大学生を除いて、すべて当時の実在の人物のものだという。ソウル大生に対する拷問や面会記録を持ち出した看守に対する拷問のシーンは、むごいの一言でしかない。学生デモを鎮圧するために特別に編成された機動隊は、軽装のジーンズ姿にガスマスクをつけ、警棒を振り回して手当たり次第に市民を打ちのめしたり、足蹴にしたりしていた。当時を知る人の中には、その姿をみるだけで恐怖を覚える人もいる。そうした機動隊員の中には、徴兵制で軍に入隊した大学生なども含まれていて、80年代を通じて鎮圧する側とされる側の両方を経験した人もいる。実は当時、大学キャンパス近くの学生デモなどで、よく見られたシーンだが、学生側から石や火炎瓶が投げ込まれ、その次に機動隊側から催涙弾が打ち込まれて、学生が逃げ回るなどして一陣の応酬が終わったあとには、道路に散らばった石を学生と機動隊員が一緒になってジェラルミンの盾などで片付ける光景があった。同じ民族どうしで、互いに傷つけ合い、憎悪をぶつけ合うが、結果はみんなで引き受けなければならない。悲しいけれど、そんな複雑な社会でもあった。しかも、これが今から30年前のソウルオリンピック前年の韓国の状況だった。

映画「1987」に関して言うと、ソウル大生拷問死から6月民主抗争までの経緯はみな周知の事実で、隠蔽工作の実態も関係者の証言ですでに明らかになっているなど、この映画で新たに明らかになった事実はない。そうしたなかで、1987年という時代を正面から取り上げた映画は、これが初めてだというのは驚きだ。しかも映画の企画が始まったのは、朴槿恵政権に批判的な文化人がリストアップされ、圧力が加えられた時期と重なり、シナリオ作りや出演交渉はすべて秘密裡に行わなければならなかったという。さらに撮影、制作も朴槿恵大統領の弾劾を要求するデモが拡大するなかで行われた。

<こうした歴史を経ても変わらない韓国国民の性癖>

「タクシー運転手」も、ドイツ人記者という存在があり、彼がタクシー運転手を探していたという事実があったからこそ出来た映画であり、それ無しで自分たちで事件を振り返える映画を作ることはできただろうか。

韓国で1200万人動員という大ヒットを記録した「タクシー運転手」、それに750万動員の「1987」を、韓国の人たちがどういう思いで見たのか、たいへん興味深いところだ。1980年代当時、多くの人が経験し心に刻まれたのは、警棒で小突かれたり追い回されたり、催涙ガスで激しい涙や咳に襲われたり、といった物理的な暴力による痛み、日常生活が破られ、声を上げても何も変わらない現実へのフラストレーション、そして何よりも同じ民族同士が敵と味方に分かれ、なぜ傷つけ合い衝突しなければならないのか、という理不尽さだったはず。

しかし、2017年の朴槿恵弾劾のローソク集会を見ても、従来の大衆動員スタイルが踏襲され、相変わらず国民の情緒に訴えかける手法に変わりはなかった。韓国の人たちは、これらの映画を見て、やはり政治を動かすには、大衆を感情で動かし、物理的な力の行使しかない、とでも納得したのだろうか?

日本人の立場からすると、戦前の記憶も記録もあいまいな時代の慰安婦問題に固執し、すでに解決済みの徴用工問題を蒸し返して、何かを得ようとするよりも、多くの人たちが今も記憶している時代の出来事について、何がどうしてそうなったのか、その背景や原因を冷静に分析し、何が今に引き継がれ、課題として何が未解決なのか、そして可能なら外国からどう見られているか、第三者の視点も気にしながら、振り返ってみた方がいい。その意味で、この二つの映画はいい参考材料になる。

<この映画を参考に日本の閉塞状況打破を訴えるリベラル左派>

「1987」は、50席ほどの小さな上映館で見たが、平日の昼過ぎにも関わらず席はすべて埋まり、映画が終わったあとは、すすり泣きの声があちこちから聞こえた。

ここからは日本自身の話である。日本で、この「1987」が全国ロードショーを終えても、なおロングランを続けている背景について、安保関連法やモリカケ問題をめぐって、野党や市民グループが国会前などで安倍政権に抗議する活動を続けても、いっこうに成果が現れない状況にフラストレーションがたまっていて、政権を変えるほどの力を持つ韓国の市民運動に関心が高まっている証拠ではないかという見方があるという。

実は、「1987」の映画パンフレットにTBS「報道特集」のキャスター金平茂紀氏が一文を寄せていて、この映画にこと寄せて反安倍の持論を展開している。

金平氏は冒頭で「熱い社会からは熱い映画が生まれる」とし、「1987」や「タクシー運転手」を絶賛する。それはいいとして結論部分の最後で「現代史に向き合う国がある。その一方で、現代史から目を逸らす、あるいは、現代史を見て見ぬふりをする。さらにはウソの歴史をでっちあげて改ざんする国がある。目の前で進行している、為政者や力を行使する者たちの<理不尽>に対して、<抗う社会>がある。一方で<おもねる社会>がある」と論じる。

文脈からして、「現代史に向き合う国」や為政者の理不尽に「抗う社会」とは韓国のことであり、その「一方」の国や為政者に「おもねる社会」とは、日本を差していることは明らかだ。ちょっと待って欲しい。日本はいつどこで「現代史から目を逸らし、ウソの歴史をでっち上げ改ざんした」というのか?それはむしろ韓国のことではないか。しかも現代史を記録するはずのメディアの人間が、そう言うことの意味が分からない。為政者の理不尽に「おもねる」とは「モリカケ問題」を指していることは想像がつく。金平氏は革命家でも気取りたいのか?続く文章は「日本で暮らしている僕らは、『1987』や『共犯者たち』(引用者註・韓国のテレビ局KBSやMBCの言論弾圧を扱ったドキュメンタリー)に釣り合う作品を本当は作り上げていかなければならないのではないか。さて、具体的に、何をどうするか。答えは映画をみた人がひとりひとり考えるしかない。だが確実にできることがあるはずだ。2018、ある闘いの真実、をこそ・・・」という意味不明のつぶやきで終わっている。

時の政権が気にくわないからといって石や火炎瓶を投げて抗議し、それを制圧する権力側がデモ隊に銃弾や催涙弾を浴びせ、無防備の市民を警棒で滅多打ちし足蹴りするような、そんな憎悪に満ちた分断社会を日本に望むのか。あるいは、選挙という民主的な手続きで選ばれた自分たちの代表を、「ローソク集会」というような曖昧で情緒的、気分に流されただけの集会で、安易に変えさせる社会がまともだと考えているのか?金平氏自身が「具体的に何をどうするか」の答えも見いだせていないのに、「2018、ある闘いの真実」などあるはずがない。そもそも、80年代の韓国の政治社会は、南北分断や軍事政権といった特殊な条件下に置かれた異様な国の状況であり、民主的で言論の自由が守られた日本が参考にするような普遍性はどこにもない。最近の徴用工をめぐる韓国最高裁判決を見ても、韓国が国際法の常識から逸脱した特異な国であることは明らかだ。

そんな韓国のまねをして、日本をどこに持って行きたいというのか。映画「1987」に対する金平氏のコメントは、彼の反日左翼的な立場をよく示しており、とりもなおさずTBS「報道特集」の報道姿勢が偏っていることの証左でもある。


富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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