未来に希望のない中国に共産党の“後継者”など出てくるはずがない

北京で若者9人が集団で飛び降り自殺

中国・深圳で日本人学校に通う10歳の児童が中国人の男に刃物で刺され、翌9月19日未明に死亡した。実は、同じ9月19日の夜、北京市海掟区にある上庄橋という橋から、若者9人が集団で飛び降り自殺する事件があった。SNS上では、亡くなったのはいずれも「90后」(ジュウリンホウ)と呼ばれる1990年代以降に生まれた20~30代の若者たちで、互いに事前に約束を交わし、示し合わせての集団自殺だと伝えられている。しかし、中国当局は例によって厳しい情報封鎖を行い、事件の有無さえ明らかにしないため、詳しいことはいっさい分からない。

実は、ここ数年、中国各地では若者による「飛び降り自殺」(中国語では「跳楼」(ビルからの飛び降り)「跳江」(橋からの飛び降り)などと呼ばれる)が頻発している。経済不況で、失業率が高止まりし、不動産市況の崩壊で、多額な住宅ローンを抱えている人々もリストラで職場を追われ、また給料が下がったために高利のローンに頼らざるを得ない若者が増え、経済的ににっちもさっちもいかなくなっているからだ。

大纪元09月22日「知情人:北京海淀上庄桥九名90后青年跳桥自杀」

            (9月19日北京海掟区集団飛び込み自殺の現場「大紀元」より)

党の「後継者」を育てることが教育の使命だというが・・

それだけではない。若者たちを苦境に陥れているのは、中国の教育システムそのものに問題があるからだという指摘もある。教育内容と教育を取り巻く現実の社会環境が悪すぎるため、若者たちに未来への希望を与えず、教育本来の目的であるはずの、次の時代を担う「後継者」(接班人)を育て、そうした自覚を持つ若者を育てることに失敗した、とも指摘されている。

習近平は、今から6年前、2018年9月に開かれた全国教育大会での講話で、"中国は共産党が指導する社会主義国家"だと強調した上で、次のように言っている。

「私たちの教育は社会主義の建設者と後継者(接班人)を養成することを基本任務とし、共産党指導と社会主義制度を代々擁護して、中国の特色ある社会主義のために一生を奮闘する有用な人材を養成しなければならない。私たちの教育は社会主義の破壊者と墓穴を掘る人(掘墓人)を養成してはいけない。また、'中国人の顔を持って大きくなったのに、中国の心がない人、中国の情がない人、中国人としての味覚がない人'を養成してはいけない。それは教育の失敗ということになる」

はたして習近平がいう「中国の特色ある社会主義のために一生をかけて奮闘する有用な人材」とは、いったいどこに、どれだけ育っているのか?中国共産党の基準に合致するような“社会主義建設を推進する後継者”の養成はどれだけ進んでいるというのか?逆に、前述の北京海淀区での若者9人の集団自殺のように、社会主義への絶望と抗議を集団自殺によって世の中に示そうとし、深圳で起きた児童刺殺事件のような各地で頻発する凄惨な殺人事件は、社会主義の破壊を目論み、社会主義に公然と反抗して「墓穴を掘る人」(掘墓人)ではないのか?

中国の教育が失敗した4つの原因

中国共産党は1993年《中国教育改革和発展鋼要》を発布し、1995年には現在の「反日愛国主義教育」の根拠となる《中華人民共和国教育法》を施行した。しかし、後継者(接班人)の養成になぜ失敗したのか。法輪功が運営するネット新聞『大紀元』は、「中共は“社会主義の後継者”を育成するのに失敗した」(「中共培养“社会主义接班人”失败」)と題する評論を掲載し、教育が失敗した4つの原因を指摘する。

まず第1に、「後継者」を育てる教師や校長など教育者の質が劣悪で腐敗し、教育が金儲けの手段になっていることだ。教師や校長の地位を得るためには、投資つまり賄賂が必要であり、その投資を回収する手段として子どもを名門校に進学させるなどの名目で保護者から謝礼、心付けをもらう必要がある。そして子どもの成績はその心付けの多寡によって決まる。このように腐敗した教師や校長の下から、人徳と才能を兼ね備えた優秀な人材・「後継者」が生まれる訳がない。

第2に、「後継者」を育てる教科書の中身が嘘だらけで、教育方法が知識の詰め込み中心で子どもの奴隷化を強いていることだ。嘘と流言、暴力で政権を獲得した中国共産党にとって真実を教えることは自分たちの政権を覆すことでもある。たとえば、中学の歴史教科書では、抗日戦争中、国民党反動派は抗日せず、日本に中国の山河を明け渡したとする一方、共産党が血を流して抗日戦を戦い日本を打ち負かしたが、国民党はその勝利の果実だけを奪ったと、まるで白黒を逆転して書いている。真実はそれとは正反対で、抗日戦の間、国民党軍が消耗戦を続けるなかで、共産党は山に籠もり、日本の敗戦のあと山を下りて、消耗し尽した国民党軍を打ちのめし、台湾に追いやったというのが真実である。

習近平が政権を執ると、歴史教科書の中の文化大革命の記述を変更し、中国に大災禍をもたらした文革を「前进道路上的探索」(道を前に進めるための探索)と粉飾し、文革の荒唐無稽なやり方を復活させ、個人崇拝で自身を偶像化し、終身政権のための世論づくりを図った。中国共産党の教育の実質は、愚民化・奴隷化のための教育であり、仇や恨みを教える「仇恨教育」といっていい。教科書の中には嘘や誤謬が溢れ、生徒に真実や真理を教える体制にはなっていない。しかし、このインターネットの時代には、いずれは真実に触れ、真実に出会う日が来るだろうから、嘘は必ずバレる。そのとき、「後継者」になるはずだった生徒たちは党を否定し捨て去る「墓掘り人」となるだろう。

若者が党の「後継者」を選択する環境も理由もない

第3に、子どもたちが教育を受ける社会や環境が恐怖に満ち、不潔で汚い(中国語で「龌龊ウォチュオ」)という現実があることだ。その昔、「孟母三遷」の教えは、子どもによりよい教育のための環境を与えるため、教育の場を選べという教えだった。しかし、中国の今の現実は、無差別殺傷事件が多発し、経済的苦境や貧困による自殺が増え、共産党幹部の腐敗・汚職が蔓延し、地方政府の財政悪化で公務員給与もカットされ、企業の倒産で失業者が増え、大学を卒業しても就職先がない、等々、子供たちはどこにいても、こうした現実から目をそらすことはできない現状があり、見聞きしたくなくても必然的に目にし、耳にせざるを得ない現実がある。彼らがそうした現実を見て、聞いて、感じたのちは、必然的になぜそうなったかを考え、原因を探ることになるが、その時、共産党が隠した真実と犯した嘘は自然に暴かれることになる。彼らが真実を知り、真理に目覚めたとき、中国共産党のために命を捧げ、自発的に「後継者」になろうなどと考えるはずがない。

第4に、共産党歴代の「後継者」を見れば、その晩年はみな悲惨な最期を迎え、その名声は地に墜ちていることだ。中国共産党には建党以来、13人の総書記がいて、彼らは社会主義の信奉者、代を次ぐ「後継者」ということになっている。陳独秀、瞿秋白、向忠発、王明、博古(秦邦憲)、張聞天、毛沢東、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽、江沢民、胡錦涛、そして習近平である。しかし、この中に平穏な晩年を過ごし、名声を維持した人物は一人もいない。例えば中国共産党の創設者である陳独秀は共産主義の本質に見切りをつけ離党し、晩年は困窮した生活を送った。瞿秋白も共産党とは決別し、文革では叛党分子に数えられた。王明は路線対立で毛沢東に命を狙われたが、ソ連に亡命し客死した。博古は飛行機事故で死亡。張聞天は1959年蘆山会議で彭徳懐を支持して'反党集団'になり、文革では残酷な迫害を受け、無念の病死に至っている。そのあとの胡耀邦や趙紫陽の失脚と最期は衆知のとおりだ。そして現在の習近平についても、人々は“維尼熊”(テディベア・くまのプーさん)、“崇禎帝”(明を滅ぼした最後の皇帝)、“爛尾師”(腐った人)、“砸锅師”(やり損ない)などと呼んで侮蔑している。党のトップに立つ歴代総書記の運命が悲惨なら、それ以下の副主席や首相、閣僚クラスも似たようなケースが多い。

教育の過ちを認めないかぎりこの国に未来はない

総じて言えるのは、中国共産党一党独裁の下で党幹部の評判は芳しくなく、そういう姿を見て、若者たちがあえて中国共産党の「建設者」や「後継者」になるという動機づけになっていないという現実がある。若者が自発的に共産党に入党しようという動機は、ただ食べるための手段を確保するという意味しかない。

要するに、中国の若者たちには明るく輝く未来はどこにも見えていない。未来には希望があると子どもたちに訴え、教えることができない、という意味で、すでに中国共産党の「後継者」を育てる教育は失敗している。

深圳での日本人児童殺害事件を受けて、中国外務省の林剣報道官は9月23日の定例記者会見で、「中国にはいわゆる"仇日教育"はない。」と言い放った。彼が言う「仇日教育」とは、日本に恨みや反感を抱き、日本を敵視する教育のことで、つまり学校での「反日教育」や、官製メディアの新聞・テレビ、それにSNSなどネット上で繰り広げられている「反日宣伝」はない、と言い切った訳だが、しかし、まさにその中国のSNSを見れば、それが嘘であることはすぐに分かる。自分たちの教育の間違い、「反日・仇日教育」をただしてこなかった誤りについて率直に認めない限り、中国の若者たちの未来はますます暗く荒(すさ)んだものとなるだろう。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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