弾劾裁判で「日本」を大統領批判の口実に持ち出すのはやめて欲しい

いよいよ罷免か?超特急の弾劾裁判

非常戒厳の発令で弾劾訴追された尹錫悦大統領について、韓国の保守系新聞や日本の産経新聞を含めてほとんどのメディアは、憲法裁判所の判決で尹大統領が罷免されることは決定的だと見ている。なぜなら、憲法裁判所で審理されているのは、非常戒厳の発令に値する国家の緊急事態に実際にあったのか、そして戒厳令発令のプロセスが、憲法が定める規定の手続きに従っていたかなど、純粋な憲法問題だけに焦点が当てられているからだという。しかし、憲法裁判所での実際の弁論や証人尋問をみると、国会議員を逮捕しろという命令や国会本会議場から議員を引きずり出せという指示が大統領からあったのかどうかなど、要するに内乱罪を構成する犯罪事案についての検証に多くの時間を消費しているように見える。憲法裁判所の判事たちが弾劾罷免の決定を急ぐためにも、野党側の主張に沿って、内乱罪に関しての判断は回避するものと見られている。そのため、憲法に従って戒厳令の発令が必然だったという証明の弁論が行われなかったことは、尹大統領側の弁護団の法廷戦術の間違いだったとして、批判も出ている。<李相哲TV2月13日>

そこで、尹大統領は実際に非常戒厳を発令しなければいけないほどの国家の緊急事態に追い込まれていたのかどうかが問題となる。憲法裁判所での意見陳述で、尹大統領が野党の横暴によってどこまで心情的に追い込まれていたか、それが戒厳令発令という事態にまで発展したことを示す興味深い証言があるのでまとめたみた。

2月11日、第7回弁論に出席した証人の李祥敏(イ・サンミン)前行政安全部長官に対する尋問が終わった後での尹大統領の発言である。

非常戒厳にまで追い込まれた大統領の苦渋

非常戒厳の違憲性について国会訴追側は「大統領は政治家として野党と対話と妥協をすべきであるにも拘わらず、むしろ状況を悪化させ、これを戒厳で解決しようとしたため、違憲性が非常に濃厚だと主張したが、私も一言申し上げます。

私の就任前から、民主党と野党は先制的な弾劾要求を主張し、戒厳を宣布するまでの間に、私は178回もの退陣・弾劾要求を受けた。また私が国会で予算案演説を行う際も、どんなに相手を嫌っていても、話を聞き、拍手の一つでもするのが対話と妥協の基本だが、私が就任して国会に行った際には、議事堂のロテンデホールで、「大統領退陣」を要求する看板を掲げてデモを行い、野党議員は議場にすら入らなかった。そのため与党議員だけを前に予算案演説を行わざるをえなかった。その次の機会には、世論の批判を受けて野党議員も議場に入場したが、全員が顔を背け、演説後には握手を求めてもほとんどの議員が拒否し、『早く辞任しろ』とまでいう議員が多くいた。

野党がこれほど私を攻撃するなかで、では私が大統領として、なぜ対話と妥協をしないと思われるのか?与党の議席数はわずか100議席余りであり、どうにかして野党を説得しながら国政を進めようとしたが、文明国家の現代史において見たことがないような「ロープ弾劾」という行為は、極めて悪意的なものであり、対話や妥協を求めるものではなく、ただ政権の崩壊を目的にしているのは明らかだった。

野党側は「予算削減は0.1%に過ぎない」と言ったが、米国では数兆ドル規模の予算案をめぐり、政府機関がシャットダウンし、大統領や議員の給与が支払われない事態に発展するため、与野党の間ですぐに妥協が成立する。しかし、最も重要な予算案を野党が一方的に削減した上で、単独で可決したという事態は、去年12月が我が国の憲政史上、唯一のケースだった。この点を指摘したい。結局、大統領が対話と妥協を拒否し、一方通行の政治を行ったというのは、民主党側が主張する継続的なフレームアップ(捏造・虚構)に過ぎない。(略)従って、このような主張はむしろ自分たちが振り返るべき問題を私に投げかけているのではないかと思う。

<以上は「なぜなぜ韓国2月13日「ユン大統領の素晴らしい意思表明」の日本語翻訳引用

これを見ると、尹錫悦氏は選挙で当選して晴れて大統領になったといっても、その後は国会で3分の2近くの勢力を占める巨大野党の「心理的な嫌がらせ」といってもよい、執拗な圧力や抵抗を受けて、それこそ針の筵(むしろ)に座らされているような地獄の日々を過ごしてきたことがよく分かる。韓国における「大統領」の地位というのは、歴代大統領の来し方行く末を見ても、それほど過酷なものだということなのだろう。


強権「大統領」の出現は日本の「プレジデント」誤訳のせい!?

ところで、韓国における「大統領」という地位は、「帝王的大統領制」だとか「王権的権威」だという言い方がされる。それだけ前王朝時代と変らない独裁的な権力を持ち、それを行使できる強大な背景を持っているということなのだろうが、この「帝王的大統領」を批判する文脈のなかで、西欧でいう「プレジデントpresident」という言葉に、日本が「大統領」という拙(つたな)い訳語を当てたのが、そもそも大統領に強大な権力を与える原因になった、と主張する記事が、韓国で最大部数を誇る保守系新聞「朝鮮日報」に掲載され、何を馬鹿なことをいうかと驚かされた。

『プレジデント』の日本語訳はどうして『大統領』になったのか」と題した朝鮮日報12月30日付の鄭佑相(チョン・ウサン)論説委員によるコラム記事である。

それによると、アメリカ合衆国の「プレジデントPresident」には「議長」や「司会者」といった意味しかないが、それに「大統領」という訳語をつけたのは、ペリー来航で日米修好条約を結ぶ際に、「民主主義を知らない日本」が黒船来航に慌てて「プレジデントをどのように解釈するか悩んだ」末に、「侍の頭目」という意味でも使われていた「統領(または頭領)」と言う言葉を拙速に選び、それに「大」を付したもので、「大統領は誇張され歪曲された造語だった」と主張し、鄭論説委員はコラムを以下のように結んでいる。

「民主主義を知らなかった日本が急造した「大統領」が、臨時政府に続き現代の韓国憲法にもそのまま借用された。民主国家・米国の「プレジデント」が太平洋を渡り、王朝の匂いが漂う「大統領」になったのだ。(略)

権力を取ったとしても5年間ずっと「犯罪者大統領」というレッテルが付きまとって国は真っ二つになり、5年後には前任者のように処刑・追放を避け難いだろう。改憲のような大袈裟な話も必要ない。今では涙と血でごちゃまぜになった大統領に代わる韓国の指導者を、本来の意味である「プレジデント」と民主政にふさわしく、国家議長や国務議長と呼べばどうだろうか。日本が166年前に急造した大統領という言葉の沼にはまり、民主政と封建王朝の間で、韓国人だけがもがいている。」

なんと、戒厳令を発令して弾劾訴追された尹錫悦大統領も、歴代の大統領が逮捕や自殺に悲惨な運命に追い込まれたのも、前王朝時代の権威をまとった「大統領」という呼び名が悪いと決めつけているのである。

民主主義を知らないのはどちらか、大統領に王朝の匂いはない

「プレジデント」に「大統領」という漢字を当てたのは確かに日本であり、その漢字語を使っているのは日本と韓国だけで、中国や台湾では「総統」と呼ぶ。しかし、韓国の歴史で「大統領」(대통령・デトンニョン)という職制を最初に採用したのは、「3.1独立運動」直後の1919年4月、海外にいた独立運動家らが上海に集まって結成した「大韓民国臨時政府」の「初代大統領」に李承晩を指名した時が最初だった。つまり自分たちが自分たちの意思で採用した職制名であり、決して日本が使えといって押しつけた訳ではない。

(臨時政府初代大統領李承晩の「弾劾案」通過と「免職」を伝える1925年3月25日付独立新聞号外「臨時政府記念館」展示資料。大統領弾劾はこの当時もすでに行われていた)

そもそもコラム記事で「民主主義を知らなかった日本」と言っているが、韓国人自身こそ、自らの手で独立を勝ち取ったわけでも、王朝を倒すための革命を自ら成し遂げたわけでもなく、宗主国チャイナからの独立も日本植民地からの離脱もすべて棚ぼた式で、与えられたものだった。ついでに言えば、日本の「大統領」という言葉は「共和制」の政治体制と固く結びついていて、国民の直接選挙で選ばれ、日本の立憲民主制とは違うため、そこに「王朝」とか「帝王」というイメージが結びつくことはあり得ない。

ちなみに、日本には総理や自治体の首長には議会解散権があり、逆に国会や地方議会には総理や首長に対する不信任決議を可決し、「選挙」という手段で国民・住民の意思を再評価、再確認できる制度がある。しかし、韓国には一期5年の任期の大統領を辞めさせるには弾劾という手段しかなく、一方、大統領には国会を解散させる権限はなく、どちらも任期の途中で改めて民意を問うという手段を欠いている。そのため、国会選挙で野党が圧倒的な勢力を占め、行政府と対立した場合、与野党の間で妥協が成立せず、政党対立は任期4年の間、解消されることはない、ということになる。

「日本」と結びつけた牽強付会の大統領批判

ところで、韓国の大統領弾劾裁判の過程で、もう一つ日本の話題が出てきたことがある。

それは2月4日、憲法裁判所の弾劾審判第5回弁論で、非常戒厳の際に国会議員の逮捕をめぐる大統領の命令や指示があったか否かをめぐって証人尋問が行われ、その法廷でのやりとりを聞いていた尹大統領が最後に意見陳述を求められ発した言葉が契機となった。その時の尹大統領は、「今回の事件を見ると(国会議員の逮捕という事態は)実際には何も起こらなかったにもかかわらず、「(私が)指示をした」、あるいは「その指示を受けた」というような話を聞くと、まるで、湖の上に浮かぶ月影のようなものを追いかけている感じを受けた」と発言した。「国会議員を逮捕しろ」などとひと言も言ったことがないのに、自分が指示したといわれ、思わず発した大統領の率直な感想だったのだろうが、普段は直接的な言葉しか言わない大統領が詩的な表現を用いたというので話題になった。

しかし、韓国の一部のメディアやSNS上で出回っている情報によると、この言葉の「出典」は、日本初の女性弁護士、三淵嘉子をモデルにNHKが去年放送した朝の連続テレビ小説『虎と翼』の法廷シーンの中に出てくるセリフに似ているという。このシーンは戦前の1934年に実際に起きた「帝人事件」という政財官を巻き込んだ疑獄事件をモデルにしたものだった。ドラマでは「共亜事件」となっているが、その疑獄事件を担当した裁判官が「検察側が主張する通りに事件の背景を組み立てようとするのは、あたかも水中に月影をすくい上げようとするかのようだ」と述べ、検察の無理な捜査と起訴を批判するシーンがあった。そして実際の判決文でも「水中に月影を掬(きく)するがごとし」(「掬する」とは,「水を両手ですくうこと」)という言葉があったという。

韓国人の大多数の認識では、尹大統領は『親日派』勢力の代表であり、そんな尹氏が「日本のドラマのセリフを引用した」として、韓国メディアにとって格好の攻撃材料となり、政治的に窮地に立たされた大統領をさらに追い詰めるための格好のネタとなったわけだ。「日本のドラマのセリフを使うなんて正気なのか?」といった刺激的なタイトルの記事やYoutube動画が続々と出ているという。コメント欄でも「日本の奨学金をもらって留学した父を持つ息子らしい言葉だ、親日が骨の髄まで染みついている」「だから朝鮮総督と呼ばれるんだな」「親日の血は隠せない」「だからそんなに日本に屈辱外交したのか?」などの批判が寄せられているという。

キムチわさび2月13日「希望があるか/희망이 있을까?」

しかし、このNHKの朝ドラ『虎と翼』を、尹大統領が実際に見ていたという証言や証拠でもあるなら別だが、ドラマのセリフが『出典』とまでいうのは少し大げさではないか。

実は韓国語にも、「猿猴取月」(원후취월)《猿猴(えんこう)が月を取る》という意味で「不可能なことを行なって失敗することのたとえ」。あるいは「海底撈月」(해저로월・かいてい-ろうげつ)《水面に映った月を取ろうとして海底をすくう》という意味で「実現しないものに無駄な労力を費やすことのたとえ」(いずれもデジタル大辞泉)などの言葉がある。

つまり、「水中に月影をすくう」というのは、猿のイメージとともに多くの人の頭にある言葉で、少し教養がある人ならこれらの四字成語も知っているはずだ。韓国の人たちが日本のテレビドラマまで熱心に見てくれることには感謝するが、尹大統領の発言をことさら「日本」のドラマと結びつけるのは、尹大統領を「親日派」として糾弾するための、為にする議論だろう。

戒厳令や弾劾裁判はあくまでも韓国の国内問題で、日本とは関係ないのだから、日本のことはどうか抛っておいてほしい。


富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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