ハノイでの米朝首脳会談があえなく決裂したという結果について、韓国の文在寅大統領とその政権が演じた役割と責任、そしてそれを助けた韓国マスコミの責任と罪は大きいと思う。何しろ、文大統領は、金正恩に非核化の意思があることを北朝鮮に替わって国際社会に代弁し、その見返りとして経済制裁の緩和をヨーロッパ各国などに説いて回ったからだ。文政権の交渉担当者らは、確実な根拠もないまま、米朝合意の進展は間違いないと楽観的な見通しをマスコミに伝え続けた。それに歩調を合わせて、韓国の新聞テレビは、北朝鮮の段階的な非核化とそれに対応した米側の金正恩体制の保障措置のあれこれを盛んに論じ、経済制裁を解除するとは誰も言っていないのに制裁の骨抜きにつながる開城工業団地の再開や金剛山観光事業の再開など南北経済協力のバラ色の未来を喧伝して南北融和を煽った。あまつさえ、「3.1独立運動」から今年で100年という節目に便乗して、歴史問題や戦後賠償問題で日本に対し南北共同で対処しようという動きまで見られた。文政権が進めた「3.1独立運動」100周年記念行事の南北共同開催や、3月1日に合わせて金正恩のソウル訪問を実現させようと図った計画がそれである。
どれもこれも、二回目の首脳会談で米朝間の合意が成立するのは間違いないという思い込みを前提としていた。
ところが、実際に米朝首脳会談の蓋を開けてみると、「段階的な非核化」どころか、アメリカは「寧辺プラスアルファ」つまり寧辺以外の大規模核施設の存在を暴露して、核、ミサイル、生物化学兵器の完全な廃棄を求め、一方、北朝鮮が見返りとして求めたのは制裁の一部解除どころか、実質的な国連安保理制裁決議の「全面解除」だった。
北朝鮮による段階的な非核化とは、寧辺の核施設の「査察」「検証」「廃棄」さらには寧辺以外のプラスアルファの核施設の申告であり、そのどこまでを北朝鮮がカードとして出すかが、首脳会談の焦点だと言われた。それに対するアメリカの「同時並行的な見返り」とは、終戦宣言あるいは平和宣言であり、連絡事務所の相互の設置、それに人道支援や南北経済交流事業に対する一部制裁の例外措置化だった。米朝それぞれの手持ちのカードを互いにどこまで提示するかが会談の焦点だというのが、NHKをはじめ日本のマスコミの事前の解説だった。韓国の新聞テレビでは、米朝間のそうしたディール(取引き)や北朝鮮の非核化の具体的な中身については、あまり関心がなく、ともかく南北交流が進展すれば結果オーライという雰囲気だった。
しかし、こうした段階的な非核化措置で、制裁が緩和されるとしたら、核もミサイルも温存されたままで北の体制が保障され、さらに南北融和が進むことで、いずれ米韓同盟は必要ないとされ、在韓米軍の撤退につながるのではないかと日本では危惧の声があがった。のちに首脳会談を蹴飛ばして席を立ったトランプについて、「悪い取引」をするくらいなら「合意なし」のほうが良かったと、日米では逆に評価される結果となったのは、そうした懸念があったからだ。
ところが、実際の米朝首脳会談では、北朝鮮側が事実上の完全な制裁解除を求めたのに対し、アメリカが示した「ビックディール」とは、核兵器、生物化学兵器、弾道ミサイルを完全に廃棄すれば、北朝鮮の経済発展を全面的に支援し、バラ色の未来を約束するという取り引きだった。互いにいきなり切り札となる最後のカードを見せたようなものだった。
これについて、韓国「中央日報」の金玄基(キム・ヒョンギ)ワシントン総局長は米朝首脳会談を総括するそのコラムのなかで、「なぜ我々(韓国)はこのような結果を予想できなかったのか、アメリカが会談の場で示したとされるビッグディールについては、事前に韓国側にはまったく伝えられていなかった。実は、事前に韓国に示せば北朝鮮に筒抜けになるという危惧が米側にあったとされる」と書いている。(中央日報日本語版「ハノイの3つの疑問、3つの誤解」)
実は、国家安全保障担当のボルトン大統領補佐官は北朝鮮の非核化に向けた連携を確認するため、谷内正太郎・国家安全保障局長や韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)・大統領府国家安保室長と24日に釜山(プサン)で会談する方向で準備を進めていたが、その直前の22日になって急遽、訪韓を中止していた。(産経新聞2月23日「ボルトン大統領補佐官、訪韓を中止」)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190223-00000541-san-n_ame
ところで、首脳会談前の実務担当者による交渉では、北朝鮮の非核化については、寧辺をはじめ核施設のなかで、どれを廃棄の対象とするかなど、交渉の基本であり核心である問題については、何も調整できていなかったことが、明らかになった。何のための実務交渉だったのか、ということになるが、独裁国家にはありがちなことだが、結局はトップの決断なしには何も決まらないのだ。
ところで、首脳会談前の実務協議の状況について、韓国は事前にどの程度、米側と情報を共有していたのだろうか。青瓦台報道官の会談決裂直前のはしゃぎすぎともいえる楽観的な見通し、会談決裂後の慌てぶりなどを見る限り、何も情報はなかったに違いない。一方、河野外相は、3月8日、衆議院外務委員会の答弁で「事前の実務協議の段階で『なかなか進展は難しい』ということを日米で共有していた」と述べ、米政府からは、合意が成立しないこともあり得るという見通しを事前に聞いていたことを明らかにしている。
(NHKニュース3月8日「米朝首脳会談めぐり米側から事前に「進展難しい」と 外相」)
ボルトン補佐官が事前に釜山に来て、日米韓の3か国で事前のすりあわせをすると言われた予定が、直前になってキャンセルされたのは、河野外相に伝えたような、まさに外交交渉の機微に触れる情報を韓国側に示せば、それがそのまま北朝鮮にも筒抜けになると、米側は懸念していたからだ。だから今回、米側がそれこそ最大のカードとして提示した「ビックディール」についても、韓国側にはいっさい伝えず、トップ会談まで伏せていたのだと考えられる。
理解できないのは、米朝首脳会談が決裂した今になっても、文大統領は「寧辺の核施設が廃棄されれば不可逆的な非核化措置につながる」と強弁し、相変わらず北朝鮮の肩を持っていることだ。(中央日報日本語版「文大統領、寧辺核廃棄は不可逆段階」)
そればかりではない。文在寅大統領はハノイ会談の翌日3月1日には「金剛山(クムガンサン)観光事業と開城(ケソン)工業団地の再開案を米国と協議する」と述べたほか、4日には9カ月ぶりに招集したNSC国家安保会議全体会議で、南北協力事業の「すみやかな準備」を指示している。開城工業団地や金剛山観光事業の再開には国連安保理決議の制裁の緩和が必要であり、米財務省や国連安全保障理事会の承認が必要だが、米国は、これまで何度も経済制裁の緩和は検討していないと言明してきた。それにもかかわらず南北融和に前のめりの姿勢は、顔を北朝鮮にしか向けていない証拠でもある。
アメリカは非核化の対象として『寧辺プラスアルファ』を提示し、寧辺以外の主要な核施設の存在も知っていると金正恩に脅しをかけたとされる。首脳会談後にメディアに名前が出たプラスアルファの核施設は、分江(プンガン)地区の地下高濃縮ウラン(HEU)施設、平壌(ピョンヤン)近隣の降仙(カンソン)発電所の核施設などだが、これについて、韓国国家情報院は、北の核施設については米韓の情報当局の間ですべて情報を共有しているとし、海外のメディアの報道などで名前が挙がった核施設についても情報を把握し、監視を継続しているとした。それが本当だとしたら、寧辺以外にもっと大規模で現に稼働している核施設があり、その存在を知りながら、北朝鮮にはその廃棄はいっさい求めることなく、「寧辺の核施設の廃棄だけで不可逆的な非核化が達成される」という文大統領の発言は、欺瞞そのものであり、国際社会への裏切りというしかない。
寧辺の核施設はその存在は誰も知っているうえ、すでに廃棄したも同然の鉄くずに過ぎない。金正恩は、その寧辺を高く見せるために、トランプが席を立ち帰国の準備をしているときに、寧辺の「すべての核施設」を廃棄の対象とするというメッセージを米側に伝えたという。しかし、米側は、寧辺に限定した提案には、いっさい応じることはなかった。米側は当初から「寧辺プラスアルファ」あるいは核・ミサイルの全面的な廃棄しか念頭になかったからだ。寧辺だけですべて事足りると金正恩に勘違いさせたのは、「寧辺の核施設が廃棄されれば不可逆的な非核化措置につながる」と言明した文在寅大統領であることは明らかだ。それだけに米朝首脳会談の交渉経過における文政権の罪は深いのである。
朝鮮日報はその社説で「多くの専門家は、今回の会談が過去20年と同じく「偽の非核化」で終わることを懸念しており、また国民の多くも大韓民国が派手なショーの末に北核の人質とならないか心配している。安全保障は最善を追求しながら最悪に備えることだ。ところが韓国の大統領は最悪に備えないだけでなく、最悪に備えるよう求める声を「敵対を望む勢力」などと非難までしているのだ」と批判している。
(朝鮮日報社説2月13日「文在寅政権にとって偽の非核化を心配する国民は敵対勢力なのか」)
非核化には何の進展も見られなかったにもかかわらず、米軍と韓国軍がこれまで毎年春に行ってきた指揮所演習「キー・リゾルブ」と野外機動訓練「フォール・イーグル」、それに毎年8月に行ってきた合同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン」の3つを今年からすべて中止することは決めた。喜ぶのは北朝鮮だけで、北朝鮮は何の譲歩もすることなく、最大の見返りを手にしたことになる。
一方、北朝鮮は、米朝首脳会談の前から、東倉里にあるミサイル発射基地で、施設の復旧の動きが見られ、首脳会談が決裂した直後から、西海衛星発射場では衛星あるいはミサイルの発射準備をしている兆候が見られるという。北朝鮮に非核化やミサイル放棄の姿勢を期待するほうが間違っていたのである。
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