<「色分け論」について>
「三一節・100年記念演説」を読み解く、をテーマに文大統領の歴史観を分析している。今回はその三回目。
文大統領は記念演説で次のように主張した。
<日帝は独立軍を「匪賊」、独立運動家を「思想犯」と見なし弾圧しました。このとき「アカ」という言葉もできました。思想犯とアカは本当の共産主義者だけに使われたのではありません。民族主義者からアナーキストまですべての独立運動家にレッテルを貼る言葉でした。>
要するに、日本人がつくった「アカ」という言葉は(韓国語ではパルゲンイ빨갱이、「アカい奴」という意味の蔑視のニュアンスを持つ)、共産主義者だけを指すのではなく、すべての独立運動家にレッテル貼りをし、民族分断の手段として「親日派」が使っていた言葉だとし、清算すべき「親日残滓(残りカス)」の典型的な事例だと主張する。
これについて、産経新聞特別論説委員の黒田勝弘氏は、次のように解説する。
(引用)<「昔から韓国では親・北朝鮮派や左翼勢力は保守派や一般庶民からは「パルゲンイ」といって非難されてきた。共産主義を象徴するカラーの「赤」を意味する韓国語で、現在の文政権についても政治的非難用語としてよく聞くが、文大統領は今回の演説で、この言葉は日本統治時代に日本当局が抗日独立運動家たちを弾圧するために使ったものだとし、・・・民族独立運動を否定する“親日用語”だからケシカランというのだ。・・・朝鮮半島の抗日独立運動に共産主義者も含まれていたことは事実だが、「アカ」が抗日独立運動家を意味していたわけではない。・・・韓国では「親日」とか「親日派」と言う言葉は、いまなお民族的裏切り者とか「売国奴」の意味を持たされている。そこで文大統領は文政権を「パルゲンイ(赤)」といって非難する保守・右翼勢力に対し、そういうことを言うのは「親日」だといって逆襲したと言うわけだ。保守派は「パルゲンイ」なる言葉は朝鮮戦争の後、北朝鮮や親北派への非難として一般化した用語で日本統治時代は無関係といい、逆に「表現の自由を守れ!」の声さえ出ている。大統領演説の発想は「それは親日だ!」といえば相手を黙らせることが出来るというのだから、韓国ではいまなお親日・反日論は大いに政治的利用価値があるというわけである。>(引用終わり)
のちに詳しく述べるように、文大統領の演説のこの部分は、「色分け論(レッテル張り)」として保守系の新聞や野党から批判を浴びることになり、「歴史戦争に火をつけた」「民族の分断を煽っている」など、多くの反発が沸き起こり、論争が広がっている。
ところで、ここでいう「独立軍」とは上海臨時政府の下につくられたと言われる「大韓独立軍」を指す。ソウルの国立墓地顕忠院には「大韓独立軍」の戦死者を祭る大きな慰霊塔があるが、犠牲になったのはみな無名の兵士だという。それもそのはず、独立軍とはいうが、旧満州東部の間島地区を根城に民間人に対する襲撃・略奪を繰り返していた朝鮮系の馬賊・匪賊というのが実態で、まともに名前が残っている人などいなかった。彼らは3.1独立運動に乗じて複数の武装集団が糾合し「独立軍」を称して抗日ゲリラ活動を行った。しかし日本軍による大規模な掃討作戦に追われてロシアまで逃げ、そこでソ連によって解体されるまで、わずか2年の寿命しかなかった。当時の日本から見たら、彼らは「馬賊」「匪賊」と呼ぶしかなく、それをアカ(共産主義者)とは決して呼ばなかったことは容易に想像がつく。
文大統領は、こうして「アカ」だと規定する烙印が戦後まで続き、民族の分断や現在の政治的対立にまでつながっているとして次のように主張する。
<左右の敵対、理念の烙印(らくいん)は日帝が民族を引き裂くために用いた手段でした。解放後も親日清算を阻む道具になりました。
良民虐殺、スパイでっち上げ、学生たちの民主化運動にも、国民を敵と追い込む烙印として使用されました。
解放された祖国で日帝警察の出身者が独立運動家をアカとして追及し、拷問することもありました。
多くの人々が「アカ」と規定されて犠牲になり、家族と遺族は社会的烙印の中で不幸な人生を送らねばなりませんでした。
今もわれわれの社会で政治的な競争勢力をそしり、攻撃する道具としてアカという言葉が使われており、変形した「イデオロギー論」が猛威をふるっています。
われわれが一日も早く清算すべき代表的な親日残滓です。>
「民族を引き裂き、国民を敵として追い込む手段」として、日帝時代のアカの烙印が使われたのだという。その烙印を押されたことによって起きた「良民虐殺」事件とは、朝鮮戦争中に起きた韓国軍による数々の虐殺事件を指している。
例えば1951年2月に慶尚南道居昌郡で起きた居昌(コチャン)事件では、韓国軍が共産主義パルチザンを殲滅するための堅壁清野作戦として、民間人719人を虐殺した。堅壁清野作戦とは「確保すべき戦略拠点は壁を築くように堅固に確保し、やむを得ず放棄する地域は人員と物資を清掃し、敵が留まることができないよう野原にする」作戦だという。
ほかにも山清(サンチョン)郡や咸陽(ハミャン)郡の12の村々で住宅への放火や銃撃、あるいは渓谷に突き落とすなどで、住民705名を虐殺した山清咸陽虐殺事件。同じく1951年1月、北朝鮮に協力したなどとして島民1,300人を虐殺したと言われる江華島(カンファド)良民虐殺事件。
それに朝鮮戦争中、共産主義からの転向者やその家族を再教育するためとして設立された「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯・民間人などを韓国軍や警察が秘密裏に処刑し、一説には114万人の犠牲者がでたと言われる大量虐殺事件・保導連盟事件事件などがある。
しかし、朝鮮戦争は、金日成が仕掛けて南に侵攻した戦争であり、国連軍の介入で北朝鮮軍を38度線の北に追いやったあとは、「38度線は越えない」という国連決議に従って戦争を中止すれば済んだのに、この機会に乗じて南北統一を図ろうとした李承晩の命令によって、国連軍まで巻き込んで38度線を越えて北に侵攻し、鴨緑江まで攻め上がった結果、義勇軍と言う名の中国人民解放軍の介入を招いた。その結果、戦争は泥沼化・長期化し、国土を荒廃させ、300万人にも及ぶ犠牲者をだしたのである。李承晩の無謀ともいえる統一の野望がなければ、中国軍との戦争による犠牲者も自国軍による良民虐殺もなかったはずなのだ。
それをあたかも日本の責任であるかのような「アカのレッテル貼り」に起因するかのような文大統領の言い方は許すことはできない。
また演説のなかで、戦後「日帝警察の出身者が独立運動家をアカとして追及し、拷問することもあった」といっているが、日本統治時代の警察出身者や行政官を戦後もそのまま使ったのは、他に人材がいなかったということもあるが、何より反共で凝り固まっていた李承晩大統領が選んだ道であり、また、韓国より工業化が進んでいた当時の北朝鮮と対峙しなければならなかった朴正煕軍事政権の選択でもあった。それに対して、戦後も、日本による思想弾圧が継続したような言い方は、開き直り、責任逃れも甚だしい。しかも、そうした「アカのレッテル貼り」が、1987年民主化抗争に参加した学生を北のスパイとして拷問し死亡させた事件の背景にあったとし、さらに現在の文政権に対する野党側の批判にも同じような構図があると指摘し、「われわれが一日も早く清算すべき代表的な親日残滓」だと主張する。つまり、「アカのレッテル貼り(色分け論)」が完全に親日派と結びつけられ、しかも現在もその残滓(残りカス)がいまも蠢いているというのである。ここに至って「親日派」と規定されるのは、文政権批判勢力であることが明らかになり、「親日派」という言葉は文政権特有の極めて政治的なレトリックであることが分かる。自分を批判する者は「親日派」として徹底的に排斥するという意思の表れでもあるが、今の韓国で「親日派」と宣告されることは、財産の没収を含め生存空間がすべて奪われるのに等しい。
こうした文氏の演説に対して、韓国の保守系の新聞を中心に反発が広がっている。
政界からは「親日が『アカ』攻勢につながったという主張は歴史的・論理的な関連性が乏しい。アカは親日ではなく6・25(朝鮮戦争)と南北イデオロギー対立の産物」という批判が出た。
保守系紙・朝鮮日報は演説の翌日、次のような記事を載せた。
(引用)<野党側は「親日とアカ(という呼び方)にどういう関係があるのか」と批判した。自由韓国党のナ・ギョンウォン院内代表は「色分け論を親日と等値にするのは、韓国の自由民主主義と市場経済を否定する勢力に(われわれが)口も開けないよう、枷をはめたいということ。もの凄い『逆・色分け論』」とコメントした。「正しい未来党」のイ・ジョンチョル・スポークスマンは「三・一精神で国民を統合すべき大統領が、国民を引き裂く不必要な歴史論争を触発した」と指摘した。>(引用終わり)
(朝鮮日報3月2日「文大統領『アカ』と『色分け論』は親日残滓」)
同じく保守系紙・中央日報は「憎くて遣る瀬なくても日本と親しくなれ」というコラムで次のように論じた。
(引用)<日本を見る文在寅(ムン・ジェイン)大統領の視線は穏やかでない。三・一節(独立運動記念日)100周年の前後に日本に対して激しい表現をした。彼は韓国社会の多くの不条理を日帝植民支配から引き出した。慢性的理念葛藤、経済的不平等構造、君臨する検察・警察の胎生的限界をすべて日帝のせいにした。
左右のイデオロギー衝突は親日派のパルゲンイ(=赤い奴、共産主義者)指弾にその起源を見いだそうとした。「日帝が独立活動家を弾圧しようと押した理念の烙印」がパルゲンイだとし、「今でも政治的競争勢力を攻撃するセッカル(=色)論であり、清算すべき親日残滓」と述べた。不公正な富の偏りと世襲の一因として「親日をすれば3世代が羽振りよく生きる」世相に言及した。ゆがんだ権力機関の弊害は「日帝の刀を持った巡査」に圧縮した。一言でいえば日帝は悪の帝国という印象を残した。
我々の歴史で過去100年は日帝強占期、解放と分断、冷戦と韓国戦争(朝鮮戦争)、産業化と民主化争奪時代の屈曲した時間だ。長い流れの中で抗日独立運動・民主化進歩勢力と親日派・産業化保守勢力に区分しようとするのが文大統領の歴史解釈であるようだ。そのような二分フレームを作って現政権の正統性を確保しようとする個人的な所信は自由だとしよう。しかし大統領が日本の過去を批判して大衆の怒りを刺激する行為は賢明でない。>(引用終わり)(中央日報3月15日「『中央時評』韓国、憎くて遣る瀬なくても日本と親しくなれ」)
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