文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、2019年5月初め、その就任2周年に合わせて、ドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイティング(FAZ)に寄稿した「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」と題する文章を材料に、前回ブログに引き続き、彼の政治哲学と歴史観を検証してみたい。(以下の寄稿文の抜粋は、聯合ニュースの全訳記事からに引用です)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190507-00000001-yonh-kr
文在寅氏は、自らが公約に掲げる「包容国家」について、以下のように説明する。
(以下、引用)<平凡な人々の日常が幸せであるとき、国の持続可能な発展も可能になります。包容国家とは、互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国です。
韓国は今、「革新的包容国家」を目指し、誰もが金銭面を心配することなく好きなだけ勉強し、失敗を恐れず夢を追い、老後は安らかな生活を送れる国を築いていっています。こうした土台の上で行われる挑戦と革新が民主主義を守り、韓国経済を革新成長に導くものと信じています。」>(引用、終わり)
文在寅氏は「誰もが金銭面を心配することなく好きなだけ勉強し、失敗を恐れず夢を追い、老後は安らかな生活を送れる国」、それが自ら公約に掲げる「包容国家」であるとする。しかし、現状を見てみると、彼が政権を取ってから、包容国家という理想と現実の開きはむしろ大きくなっている。若者(15~29歳)の失業率が12%を越え、大学卒業予定者のうち正社員として就職できるのは10人に1人という超就職難にあえいでいる。若者たちの多くは結婚も出産も諦め、出生率はついに1%を割り込んだ。人口が縮減するなかで、生産労働年齢は2017年から減少に転じ、経済の先行きも明るくない。働き盛りの40代の労働者の雇用率が減少し、50代60代の自殺率がOECD加盟国25か国のなかで一位という現実などを考えると、包容国家というにはほど遠い現実が分かる。
文在寅氏は韓国経済の現状を次のように言っている。
(以下、引用)「韓国は植民地支配と戦争で廃墟と化しましたが、わずか70年ほどで世界11位の経済大国に成長しました。・・・農業から軽工業、重化学工業、先端情報通信技術(ICT)に至るまで、どの国も不可能だったとてつもない変化を自ら成し遂げ、第2次世界大戦後の新生独立国のうちで唯一、先進国に飛躍しました。韓国には、裸一貫から成功を遂げた底力があります。」>
これだけを読むと、韓国の経済発展は、すべて自力で成し遂げたように思われるが、誰もが知るとおり「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展は、1965年の日韓基本条約で日本が経済協力金を提供したことが契機になったことは明らかだ。しかし、いまの文在寅左派政権は、歴史博物館の展示内容を変更し、朴正煕時代の経済発展に関する展示を撤去する方針だといわれる。まさにそんな歴史の書き換えを行っていることがよく分かる文章でもある。
それにしても「韓国は植民地支配で廃墟と化した」といっているが、それでは廃墟となる前の植民地支配以前には、韓国にはいったい何があったというのだろうか。近代的な国家体制も、産業化も都市整備もみな日本が統治した以降のことなのだが。
平凡な人たちがもっとも偉大だといい、100年前の3・1独立運動からその平凡な人たちが朝鮮半島を支配してきたというけれど、植民地時代はともかくとして、戦後も現代に至るまで、その平凡の人たちを大切にしてきた国家なのか。
ソウル市の南郊・江南区に「良材市民の森」という公園がある。そこには1932年(昭和7年)4月29日、天皇誕生日(天長節)を祝う上海の式典会場で爆弾を爆発させ、日本軍や民間の要人多数を死傷させた爆破テロリスト・尹奉吉(ユン・ボンギル)の巨大な記念館「梅軒記念館」がある。ユン・ボンギルは「梅軒」と号したが、公園に接する地下鉄の「良材市民の森駅」は別名「梅軒駅」とも名付けられている。要するに広大な公園と駅名を、たった一人のテロリストのために捧げ、それを恥ずかしげもなく「良材市民」と称しているのである。ところで、その公園の一角には、1987年11月29日、バクダッド発ソウル行きのKAL858便に爆弾が仕掛けられアンダマン海の上空で爆発、乗員乗客115人が犠牲になった大韓航空機撃墜事件の犠牲者と1995年6月29日、ソウル市端草区にあった地上5階地下4階建てのデパートが突然崩壊し店内にいた502人が亡くなった三豊デパート崩落事故の犠牲者のための巨大なモニュメント・慰霊碑がたっている。これらは、韓国現代史の裏側にある悲しい事件であり、平凡な名もなき人々が国家や社会の犠牲になった忘れられない事件でもある。これらの事件に連なって、1994年10月、漢江にかかる聖水(ソンス)大橋が崩壊し、バスが落下してバスの乗客など32人が死亡した事故、2010年3月、韓国海軍の哨戒艦天安(チョナン)号が爆発して沈没し46人の水兵が犠牲になった事件、それに2014年4月、貨客船セウォル号が沈没し修学旅行の高校生など死者行方不明者304人を出した事故なども思い出されるが、これらの犠牲者もやがて「良材市民」の葬列に列せられることになるのだろうか。
地震や津波、洪水や土砂災害など自然の猛威を避けるのは困難で、人間の力ではどうしようもできない部分もある。また社会的存在としての人間であれば、理不尽な事件や過失事故に巻き込まれ、人命が失われることもある。日本の場合、それが不可抗力の自然災害の場合もあれば、オウム・サリン事件のように通常ではない思考形式、人為的なある種の狂気によって起こされた悲惨な事件もある。しかし、韓国での一連の大事故、大事件は、あきらかに国家による暴力であり、安全を無視した社会の構造的欠陥に原因があるようだ。とりわけ朝鮮半島の歴史においては、出自によって人間の価値を決め、両班とそれ以外では、天地ほどの違いがあった。両班が自分たち以外の人々をただ搾取する対象とだけ見て、他者の生命を軽んじる思考が日常の生活に組み込まれていた。生命軽視の思考、傾向がある段階にさしかかると、その冷徹さが一挙に牙を向き、朝鮮戦争における数々の「良民虐殺事件」や「保導連盟事件事件」、「4・3済州島事件」、それに「光州事件」などに繋がったのではないか。
どう見ても、平凡な人間どころか、人間そのものに優しい社会とは思えない。(続く)
(以下の写真は、ソウル市江南区「良材市民の森」公園にある尹奉吉記念館と慰霊碑)
大韓航空機爆破事件犠牲者慰霊碑
三豊デパート崩壊事故犠牲者慰霊碑
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