韓国は平凡な人を大切にする社会なのか?③

文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、ときどき変わった言葉使いをする。この6月、北欧3か国を歴訪した文大統領は、オスロ大学で開かれたオスロ・フォーラムで「国民のための平和」と題する基調演説を行った。平和が国民のためにあるのは当たり前のことだ、と思うが、彼が言いたいのは「南北の住民が平和を共に体感し、享受することが、非核化と分断克服に向けた動力になる」という考えだという。

文大統領は演説で「平和が国民の暮らしに実質的に結びつくとき、国民は積極的に分断を克服し、平和を作り出すことに努める」とし、「平和が私たちの暮らしを向上させることにつながるという肯定的な考えが広がるとき、理念と思想によって断たれた心の分断も癒やされるだろう」と述べたという。そのうえで、武力衝突がないだけの消極的な平和にとどまることなく、より積極的な平和に向けて前進することが重要だとして、そのためには南北間の交流と協力を通じて国民の生活を向上させることに努めるべきだと訴えた。

この文大統領の言葉を聞いて、北朝鮮の人々はどう思うだろうか?平和があれば生活がよくなることなど、誰もが知っている。しかし、今の北朝鮮の独裁体制、古代奴隷性王朝国家ともいえる状況のなかで、人々が望む平和という言葉すら簡単に口にすることができない状況こそが問題ではないのか。文大統領の演説は、人々の心に平和への思いが存在すれば、すぐにでも平和が実現できるかのような、まったくの観念論に聞こえる。

同じようなことは、文大統領が就任2周年に合わせて、ドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイティング(FAZ)に寄せた寄稿文「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」と題する文章でも見ることができる。(以下の寄稿文の抜粋は、聯合ニュースの全訳記事からに引用である)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190507-00000001-yonh-kr

この寄稿文のなかで、文大統領は「民主主義」について次のように記している。

(以下、引用)<私は、民主主義は制度や国家運営の道具ではなく、内在的価値だと考えています。平凡な人々が自分の暮らしに影響を与える決定の過程に加わり、声を上げることで、国民としての権利、人間としての尊厳を見いだすことができると思います。」

「民主主義は平凡な人々により尊重され、補完されながら広がっています。制度的で形式的な完成を超え、個人の暮らしから職場、社会に至るまで実質的な民主主義として実践されています。平凡さの力であり、平凡さが積み重なって成し遂げた発展です。」

「100年前、植民地の抑圧と差別に立ち向かい闘った平凡な人々が、民主共和国の時代を開きました。自由と民主、平和と平等を成し遂げようとする熱望は100年がたった今なお強いのです。国が国らしく存在できないとき、三・一独立運動の精神はいつでもよみがえりました。」>(引用、終わり)

何を言いたいのか、理解しようと努力するのだが、よく分からない。

どうも民主主義というのは、平凡な人々の日々の暮らしの中で「内在的価値」として実践されることが「実質的な民主主義」だと言いたいらしい。しかも、それが100年前から平凡の人々の間で実際に実践されてきたという。それにしても「100年前、植民地の抑圧と差別に立ち向かい闘った平凡な人々」とはいったい誰のことを指すのだろうか?

戦前、大韓民国臨時政府主席を務め、数々の抗日テロ活動を命令・指揮した金九(キムグ・1876~1949)は「白凡」(ペッポム)と号した。白凡とは、当時の朝鮮の被差別階級「白丁」(ペッチョン)と凡人を意味し、当時、「賎民」(チョンミン)とも呼ばれた最下層の人と平凡な一般大衆を、自分は代表しているという金九の気概を示すものとなっている。つまり金九が生きた20世紀前半にあっても、白丁という身分差別は歴然と存在したことを示している。それだけではない。今でも韓国では罵倒語として、「白丁」あるいは「白丁野郎」(ペッチョンノム)という言葉が平気で使われているという。そうした白丁が多かったという済州島からは、戦後も多くの人が日本に密航してきた。彼らは「元白丁」と差別され、貧しさと差別から逃れるために日本に渡ってきた人も多いと言われる。彼らはそうした出自を消すために日本にやってきた人々だったのかもしれない。

済州島だけではない。慶尚道と全羅道の地域対立は政治の世界では今でも影響を及ぼし、全羅道への差別意識は就職や人事でも顕著に現れると言われ、そうした差別の目は今、北朝鮮を脱出し韓国で暮らす脱北者にも注がれている。

このどこに、文大統領がいう「自由と民主、平和と平等」があるというのだろうか。こんなことで「平凡な人がもっとも偉大だ」などと訳のわからないことがなぜ言えるのだろうか?

ここで、日本と朝鮮の身分制度を少し振り返ってみたい。

日本の「士農工商」(四民)という言葉は、身分の上下を決め、差別するための区分ではなかった。そもそもそうした身分制度自体が存在しなかったとして、最近の歴史教科書では使われなくなっている言葉だ。農民も職人も商人も、その職分に応じて尊敬され、社会的な役割と居場所を持っていた。中には一国の藩主、大名よりも経済的な実力と権威をもち一目を置かれる豪商や大地主もいた。一方、「士」すなわち武士は、農・工・商のように普段、生産活動に従事しない代わりに、いざとなったら、つまり戦(いくさ)になったら、彼らを命をかけて守らなければならない存在だった。

「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige 仏語)=「高貴さは義務を強制する」、つまり身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという意味の言葉は、西洋の貴族社会の道徳規範を示す言葉ではあるが、実は鎌倉時代から江戸時代にかけて武士社会にも共通にあった道徳観念でもあった。

同じ頃、朝鮮には「両班」(ヤンバン)という身分階層があった。彼らはまったく働かず、体を動かさず、汗を流さないことを誇りとし、その存在の証とした人々だった。彼らは武力を軽蔑し、国を守る気概もなかった。両班の下には、下っ端役人である中人(チュンイン)と小作農である常民(サンイン)という階層があったが、彼らは両班に奉仕し両班から搾取される存在に過ぎなかった。さらにその下には賎民(チョンミン)と呼ばれる階層があり、そのなかに白丁(ペクチョン)と奴婢(ノビ)と言われる人々がいた。ペクチョンもノビも、特定の職業につくことで差別された、いわゆる不可触賎民(アンタッチャブル)であった。彼らは姓・名字を持つことも、文字を知ることも、公共の場に出入りすることも禁止され、とりわけ奴婢は家畜同然に売買される存在、まさに奴隷そのものだった。

20世紀の初めまで、そうした奴隷階層は人口の30%に及び、姓を持たない人は90%を越えていたと言われる。19世紀末、日本や朝鮮を旅して『朝鮮紀行』を書いた英国人女性イザベラ・バードは「(日本による)改革があったにもかかわらず、朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人(ハイン)は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。(位置No7194)」と書いていた。

両班に「ノブレス・オブリージュ」という道徳規範がなかったことは、平民を搾取するだけ搾取し、何の見返りも、何の保護も与えなかったことでもわかる。

ところで、古代から引きずってきたそうした身分制度は、いつから廃止されたのかというと、韓国では今、高宗が大韓帝国を宣言し、元号を光武と改めた1897年から高宗が無理やり皇帝から譲位させられた1907年までの間に行った、いわゆる「光武改革」のなかで、身分制度の撤廃が行われ、姓を持たなかった白丁や奴婢も姓を持てるようになったと教えている。

しかし、実はその3年前、朝鮮半島をめぐって日本が清と戦った日清戦争当時、日本が朝鮮の内政改革を要求したのがその始まりだった。

1894年、東学党の乱が発生すると、清は朝鮮国王の要請に基づき鎮圧のための軍を派遣した。このとき日本も、居留民保護を名目に軍を派遣。東学党の乱が収まり、互いに軍を撤収するという交渉のなかで、日本は、朝鮮自身が内政改革をしなければ再び内乱が発生すると主張し、朝鮮国王が内政改革を宣言しなければ兵も撤収しないと朝鮮側に圧力をかけた。日本は、内務大臣井上馨を朝鮮公使として派遣し、高宗に対して、清との従属関係を絶ち独立を鮮明にすることや、王室事務と国政を切り離し内閣と各省庁の権限を明確にすること、人々からの徴税は法で定め乱りに課税しないこと、投獄・懲罰を乱りに行わず人々の生命と財産を保全すること、人は家柄素性に関わりなく雇用され、官吏の登用は首都と地方を区別しないことなど、14か条にのぼる改革案を示し、高宗に認めさせた。

この改革案は「洪範14条」と呼ばれ、朝鮮初の憲法と位置づけれられている。

高宗は1985年1月8日、朝鮮王朝の祖先を祭る社稷壇を参拝し、天に誓いをたてる誓約書とこの「洪範14条」を読み上げ、公に宣布した。つまりこのとき、高宗は、朝鮮の清国からの独立を自ら宣言し、近代国家としての内政改革に着手することを公に宣言したのである。こうした経緯は当時、朝鮮に滞在していたイザベラ・バードの『朝鮮紀行』に詳しく書かれている。

(引用)「1985年1月8日、私は朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは国王に対し、<土地の神の祭壇>[社稷壇]前においてその破棄宣言を正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、さらに提案された国政改革を行うと宗廟前において誓えと要求したのである。(位置No4078)」(引用終わり)

バードは当時の日本の朝鮮改革への努力に高い評価を与えているが、いまで言えば、完全な内政干渉であり、国家主権の侵害も甚だしい。そのため、いまの韓国では、こうした歴史はいっさい無視し、高宗による光武改革によって朝鮮の近代化は始まったと教えている。そして、日本による併合や植民地支配がなくても、韓国は自身の力で立派に近代化は達成できたとし、むしろ日本の植民地支配があったから韓国の近代化は遅れたと主張する。そして、日本による韓国併合は初めから不法だったのだから、日韓基本条約で和解し経済協力金が支払われたからといって、その過ちを認めない条約は無効であり、そのことで被害を被った慰安婦や元徴用工の被害者個人の精神的苦痛に対しては、謝罪と賠償、慰謝料を要求する権利がある、というのが彼らの論理なのである。

ところで、日本が突きつけた国政改革は今から見れば近代的国家の体裁を整える上では、至極まともな要求に見えるが、高宗をはじめ保守派の閣僚や取り巻きはまったくやる気を見せず、むしろ改革に徹底的に抵抗した。こうしたなかで起きたのが閔妃暗殺事件であり、高宗のロシア公使館への逃避(「露館・俄館播遷」)だった。つまり、日本が朝鮮の独立をかけて日清戦争を戦い、下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせるための厳しい交渉を行っても、当の朝鮮は国王をはじめ多くの人は、独立の気概を示すこともなく、近代国家とは何たるかも知らずに古代からの惰性のような生活をむさぼっていたのである。

ところで、高宗の近代化への取り組みを、これでもかというようにしつこく教える施設が、高宗の最期の住居があった徳寿宮のなかにある「石造殿」(ソクジョジョン)である。着工から10年を経て皇帝退位後の1910年に完成したというルネッサンス様式の西洋建築は、1980年代からの長い補修工事や復元工事を経て2014年10月に「石造殿・大韓帝国歴史観」として内部が公開されている。

そして、その展示内容は、かつてこの国には「帝国」を称した時代があったこと、そしてその皇帝を中心に数々の近代化改革を行ない、未来に希望あふれる「バラ色の時代」があったことを一生懸命に描こうとしているように思える。

高宗は、一年にわたるロシア公使館への逃亡生活のあと、徳寿宮に住居を移し、帝国を宣言したあとは、ワシントンをモデルにした皇都=皇帝の都を造る計画をたて、その中心となる徳寿宮をいまの三倍の敷地に拡大する計画だったという。しかし、その徳寿宮の敷地のなかには、なぜかロシア人の将校が暮らす宿舎やロシア人教官も一緒に住んでいた兵舎が何棟もあったという。

以下は、徳寿宮の住まいで国王と2度接見したことがあるというイザベラ・バードの『朝鮮紀行』のなかの記述である。

(引用)<「(徳寿宮の周辺は)衛兵は多いとはいえ、国王が衛兵のみに警護を頼っていないのは明らかで、住まいに通じる二つの門のうちひとつのすぐそばには、軍隊を組織するために国王が呼び寄せて1890年秋に来朝したロシア人将校の住む宿舎がある。そしてもうひとつの門のそばには小さな兵舎が何棟かあり、朝鮮軍のロシア人教官が住んでいる。門のひとつを出れば、イギリス公使館がすぐ目の前にある。これまでの体験から、非常時にいかに王宮を脱出するかが、まず第一に国王の念頭にあったにちがいない。」>(引用、終わり)

そればかりではない。ソウル観光案内のサイト(韓国旅行KONEST)によれば、徳寿宮のなかのテラスを持った西洋風の建物「静観軒」(チョングァンホン)は、高宗が宴会を催した場所だというが、その建物の裏には、ロシア公使館にも通じる狭くて長い秘密の地下通路が今も残っているという。

外国の力を頼り、いつでも逃げ出す準備が出来ていた一国の主を、国のトップとして仰がなければならないということに、無一文・無一物の平凡な国民たちはいったいどう思ったことだろうか。

「高宗の道」(高宗がロシア公使館に逃避する際に使ったとされる道を2018年に復元)

「静観軒」(この建物の裏にロシア公使館に通じる秘密地下通路があるとされる)

社稷壇

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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