8月2日を境にリセットされた日韓関係 ①


日本も韓国も、これまでの関係をすべてリセットしようとしているのではないか。互いの国民も、これまで貯まったフラストレーションを、これ幸いと、この機会に一気に吐き出すチャンスだと思っているのではないか。2019年8月2日は、その転換点となった日として、記憶されるかもしれない。

                   (ろうそく集会 8月2日夜8時撮影)

ソウルの旧日本大使館の敷地に面した、例の慰安婦少女像が置かれた通りでは、2日から週末まで、3日間連続で「反日ろうそく集会」が開かれた。雷鳴が聞こえ、時おり雨がちらつく天気のなか、幼い子供も含め、1000人ほどが通りを埋め、気勢を上げていた。彼らが掲げる紙のプラカードは、NOの丸を赤い日の丸にしたもので、「日本の製品は買いません、日本旅行には行きません、日本料理は食べません」など「No,No運動」のシンボルマークとなっている。そして、そのプラカードに書かれたスローガンは「アベ政権を糾弾する、強制徴用謝罪せよ」だが、その裏には「土着倭寇(親日派)を追い出せ」に続いて、なぜか「朝鮮日報、廃刊せよ」という言葉も入っていた。これを見ただけで、朴槿恵前政権を支持する保守派に対抗し、文在寅政権を支持する左派系市民団体であることが分かる。KBSニュースによると、ろうそく集会を主催したのは、600あまりの市民団体からなる「安倍糾弾市民行動」だと言われ、このあとも毎週土曜日と8月15日の光復節にも集会を開催する予定だという。

 (参加者に配布されたプラカード 「土着倭寇を追い出せ 朝鮮日報廃刊せよ」とある)

かつての「ろうそく集会」とは、比較にはならない規模に過ぎないが、現場にはテレビ局の中継カメラや中継車が何台も出動し、生中継していた。メディアにとっても過去の成功体験を思いだし、時流の気分を煽るには格好の材料になったことは間違いない。

ところで、冒頭に書いた「リセット」しようとしているものが何かと言えば、日本にとっては、過去の歴史について、何年経っても謝罪だ、賠償だと求められ、いつもこれが最後だと思って約束した合意も、いつの間にか反古にされ、振り出しに戻る、そんな謝罪と意趣返しの連鎖を断ち切ることである。安倍総理もいうように、過去には責任を持てない未来の世代に、この先も永遠に謝罪を強いるような関係は、断ち切るということだ。

一方、韓国にとっては、日本が植民地統治の不当性を認めないまま、当時の朴正煕「反動政権」によって締結された1965年の日韓基本条約、日韓請求権協定をいったん無効とし、改めて100年前の民族独立の振り出しに戻り、歴史の正義にもとづく決着を付けようということかもしれない。そうした歴史の見直しがない限り、多くの屈辱を与えられ続けた日本に勝つ方法はないと考えているからだ。

日韓関係が大きく揺れうごいた8月2日、文在寅大統領が国民に向けて発した「談話」メッセージには、そうした思いが込められているように思う。(「談話」の全文は後掲)

しかし、そうなった場合、先人たちが長い時間をかけ、互いの智慧を出し切って、ようやくまとめ上げた合意が破棄され、1965年以降、日韓関係を規定してきた経済を含めたすべての土台が崩され、最初からすべての議論を始めるということになる。

その場合は、日本人が朝鮮半島に残してきた莫大な民間資産の財産権の問題や朝鮮半島からの引き上げに際して特に日本人女性らが受けた身体的精神的被害に対する賠償問題、さらには戦後、李承晩ラインが引かれたことによって多くの日本の漁船が拿捕され、乗組員が抑留され、過酷な取り扱いによって多くの死者を出したことに対する賠償問題も、改めて議論されることになるだろう。

そして、強制があったとされる慰安婦や徴用工の問題も、本当に「性奴隷」というような実態や人権侵害の過酷な労働があったのどうか、募集と応募というプロセスのなかで、何が強制性の実態だったのか、そしてその「強制」を伴ったと言われる募集において、いわゆる女衒や募集係としての役割を果たした朝鮮人自身の行為や責任問題も、改めて一から検証しなおすことになると期待したい。

そしてさらに、韓国併合や植民地統治の不当性を訴えることになるとしたら、韓国の人たちも、客観的な歴史的事実を掘り下げ、歴史の真実に真摯に向き合い、日本人自身も納得せざるを得ない論拠を提示する必要があるだろう。

その際に、韓国の人たちが、歴代政権の思惑や学校教育を通じて醸成された歴史に対する固定観念を脱ぎ捨てて、彼らにとって不都合な歴史の真実にも目を逸らさず向き合えるかどうか、彼らの過去史に対する見方が、客観的で説得力をもてるかどうか、その一点に掛かっている、と思う。それは日本のわれわれ側も同様であることは論をまたない。

(写真はいずれも8月3日夜8時撮影、旧日本大使館前でのろうそく集会)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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