慰安婦問題を考える①

<反日「慰安婦」映画は日本への挑戦状だ>
韓国で、慰安婦をテーマにしたトンデモ映画が制作され、大ヒットを記録しているという。その映画「鬼郷(キヒャン)」の予告編には、軍服の兵士が少女を家族から無理やり引き離し、大勢の少女と一緒にトラックに載せて連行するシーンや、監獄のような場所で少女らにさまざまな暴行を加えるシーンなど残酷な画面が連続し、正視に堪えない。また映画の終盤では「慰安所の証拠隠滅」を命じられた兵士たちが、跪いた少女たちを横一列に並ばせ、その後から銃口を突きつけ、「集団処刑」しようとする場面がある。

(「鬼郷」予告編 http://www.insight.co.kr/newsRead.php?ArtNo=48016 )

さらに予告編にはないが、逃亡を図った少女たちを深く掘った穴のなかに突き落として射殺し、遺体に油を撒いて焼く払うシーンもあるという。この映画は、韓国人元慰安婦の姜日出(カン・イルチュル)氏の証言をもとに制作され、「実話」に基づいたストーリーだと強調されている。その元慰安婦によれば、日本兵は「伝染病にかかった少女たちを山中の大きな穴に連行し、燃え盛る火の中に放り込み、生きたまま焼き殺した」という。(SAPIO 2016年4月号「史上最凶の反日映画「鬼郷」がついに韓国で公開された」)

要するに、日本と日本人を貶めるために、歴史を改ざんし虚偽をばら撒く、明らかな政治的意図をもったプロパガンダ映画であり、あるいは慰安婦を材料にただ単に彼らの悪趣味な性向を満足させるためのサディスティック(凌辱的)フィクション映画というべきか。予告編には字幕で「20万人の少女(処女)が連行され」「たったの238名が生還し」「46名だけが(今も)生存している」という数字が出てくる。この映画を制作した趙廷来(チョ・ジョンレ)監督は記者会見で「実際に連行された少女たちの年齢は12歳程度で、その多くが初潮もきておらず、男女の関係が何なのかも知らなかった。20万人もいたのになぜ200人しか帰れなかったのか、最後はみな殴り殺されたからだ」と嘘八百を語って恥じない。

http://www.news-postseven.com/archives/20160312_391917.html?PAGE=1#container

さらに趙廷来監督は朝鮮日報に対して、慰安婦問題は「ユダヤ人虐殺のような犯罪」としてみて欲しいともアピールする(SAPIO同上)。恥も外聞もなく妄想と欺瞞を重ね、かくも歴史を歪曲し、日本と日本人を冒涜するかぎりは、もはやわれわれに対する重大な挑戦状だと受け取らざるを得ない。日韓両国政府が昨年末、慰安婦問題で「最終的かつ不可逆的な解決」で合意したことなど、もはや何の意味もなさない。いわれなき冒涜や汚名に対しては、断固反撃し粉砕しなければならない。

<なぜそこまで「12歳の少女」の執着するのか>
日本人ならば、荒唐無稽すぎて、あり得ないと誰もが分かる道理でも、一般の韓国人が抱いている慰安婦のイメージは、まさにこの映画そのものなのだそうな。韓国人にとって「慰安婦」といえば、その中心にいるのは12歳をはじめとする年端もいかない少女たちであり、「10代の少女20万人が強制連行」され、日本兵の「性奴隷」にされたうえ、戦後は皆殺しにされた、という根も葉もない妄想に凝り固まっている。だから、こうしたワンパターンのストーリーから少しでも外れた朴裕河氏の『帝国の慰安婦』は、絶対に許すことができず、言論・出版の自由などお構いなく「魔女狩り」裁判を起こし、国民一丸となって迫害しても何の痛みも感じないのだ。
そうした根拠もない韓国人の話を信じて、同じような作り話をばら撒く賛同者が民主主義の先進国にもいる。女性国際戦犯法廷の支援者で米デラウェア大学のマーガレット・ステッツ教授(女性学)は、ニューヨーク・タイムスへの投稿(2016年1月1日付け)で次のように主張していた。「(元慰安婦の)生存者も証言しているように、性奴隷というこの野蛮な制度の標的になったのは、「女性」ではなく、まだメンスも始まっていない13、14歳の少女がほとんどだった。彼女らは人間の貨物として船に乗せられ、アジア各地の戦場に送られ、そして日常的なレイプを強いられた」。

http://www.nytimes.com/2016/01/01/opinion/girls-in-japans-war-brothels.html?_r=0

ここまでしつこく慰安婦の多くは「12歳、あるいは13、14歳だった」と強調されると、そう言わなければならない裏の事情、もしくは隠された意図があるのではないかと勘ぐりたくなる。容易に想像できるのは、「慰安婦」と「挺身隊」を無理やり結びつける必要があることだ。そもそも挺身隊と慰安婦はまったく別な存在だったことは、慰安婦問題の最大の政治圧力団体「挺身隊対策協議会」(挺対協)自身が十分に分かっているはずだが、いまだにその団体名すら変更できない背景には、挺身隊と慰安婦の混同をあやふやにしておきたいというこの映画と同じ事情を抱えているのだ。
もうひとつの隠された意図というのは、慰安婦の多くは、日本人慰安婦もそうであったように、すでに「花柳界」に身を置く女性たちで、当時は公認の職業だった「公娼」を自らのなりわいとして選択した人たちだったことと関係がある。現在の韓国でも、売春で生計を立てる女性は無数にいて、そうした営みがごく普通の風景であることは、何より韓国人自身がよく知っている。当時の「慰安婦」が同じような「職業的売春婦」だったことを隠すために、売春婦のイメージからはもっとも遠い12歳だとか、13、14歳の無垢の少女をあえて前面に押し出す必要があったのではないか。

<父祖の名誉と日本の尊厳に関わる重大問題>
それにしても、皇軍兵士として祖国のために戦ったわが父、わが祖父たちは皆、いたいけな「12歳の少女」を弄び、慰みものにして恥じない鬼畜のような存在だったのか。しかも「20万人」にも及ぶ少女たちを組織的に陵辱したとなれば、ことは日本人全体の品性、あるいは民族の資質が問われていることでもなる。我らが父祖たちは、獰猛な敵軍を相手に、生きるか死ぬかの戦闘に明け暮れていたのであり、銃弾飛び交う戦場で、分別も弁えぬ足手まといの「12歳の子供」らを相手に「お守り」をしている暇などなかったはずだ。普通の思考能力があれば、誰でもわかるそんな簡単な事実を無視して、日本人が鬼をも怖れず、好き好んで12歳の少女を犯したという作り話を流布させる韓国人の所業は断じてゆるすことはできない。
ことは、われわれの一、二世代前の先祖の名誉に関わる問題というだけでなく、わが民族2000年の栄光の歴史に泥を塗り、大和民族の崇高な精神と伝統を汚辱にまみれさせようとする重大問題でもある。わが父祖の名誉と民族の尊厳を守り、今を生きる日本人の威厳を確保し、これからを生きるわが子や孫たちには不名誉や恥を残さないためにも、うそ偽りの宣伝工作に対しては断固として立ち向かわなければならない。

<自らの体験や記憶がなければフィクションも生まれない>
わが父祖と民族を貶める彼らの主張に根拠がなく、虚偽だという明白な事実は、「12歳の少女を強姦して欲望を満たす」という犯罪事例が、今も昔も日本人社会のなかでは見当たらないという事実である。そうした犯罪事例が多発し、それに関する犯罪記録が多数存在するというなら信じられるが、そんな記録は見たことも聞いたこともない。
一般的に言えるのは、人間が何かを空想し思い描けるイマジネーションの範囲というのは、自分が経験したことや目にしたこと、あるいは家族や民族が集団として記憶し、伝承してきたものの範囲を超えることはほとんどない、という現実だ。

何を言いたいかというと、「12歳の少女を強姦した」とか「多数の女性を強制連行した」、あるいは「30万人を虐殺した」「多数の女性を手当たりしだいレイプした」といういわゆる「南京大虐殺」、日中戦争で日本軍が行ったといわれる「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という「三光作戦」。これらはどれも日本人にとっては想像すら及ばない範疇の出来事だが、かの国々では昔も今も、当たり前のように行われてきたことが多数の文献に記録されている。そうした意味で、彼らなら「12歳の少女を平気で陵辱する」こともやりかねない、さもありなんと推測できるのである。
たとえば中国に関して言えば、わずか40年前には毛沢東という独裁者による権力闘争から10年にも及ぶ「文化大革命」という悲惨な時代を経験し、互いに血で血を洗う暴力が全国で吹き荒れ、何千万人もの犠牲者を出した。文革の党派対立のなかで、人肉食という悪弊が、20世紀の現代にもなってなお、平然と行われたことが記録に残されている。共産中国になって、チベットやウイグル、内モンゴルでは、反抗者に対する大規模な虐殺、民族文化の抑圧、民族浄化を狙い女性に対する陵辱が繰り広げられた。新疆ウイグルで治安警備を担う駐屯軍「新疆建設兵団」に、800万人とも言われる女性が「花嫁候補」として強制的に送り込まれ、まさに「性奴隷」とされた(鳴霞著『中国、驚愕の性奴隷』)。最近、習近平による腐敗摘発キャンペーンで、元政治局常務委員の周永康や重慶市党書記の薄熙来などが逮捕摘発されるなかで、中国共産党最高幹部の間では、美人歌手や国営テレビの女性キャスターを囲い込み、最高幹部への「貢ぎ物」「賄賂」として提供され、「公共情婦」(党幹部共有の情婦)という名の「性奴隷」にされていた実態が明らかになっている。最高幹部だけでなく、末端の共産党幹部の間でもその権力を嵩に、若い女子学生などを「情婦」として囲い込む醜聞(スキャンダル)事件は、いまやネットの世界ではごく普通の事象として流通している。

韓国に関して言えば、古くからシナとの朝貢・宗属関係のなかで、シナへの貢ぎ物として女性の奴隷、つまり「貢女」が差し出されたことはよく知られている。この「貢女」と「強制連行の性奴隷」の間に、何か違いはあるのだろうか?現代においても、朝鮮戦争の当時、「基地村」という名の慰安所が韓国政府によって設置され、「洋公主」と呼ばれる韓国政府認定の慰安婦が米軍に提供された。またベトナム戦争では、韓国軍部隊によるベトナム人に対する虐殺・レイプが平然と行われ、「ライダンハン」という名の混血孤児を多数残した。そして今なお「性産業」に従事する多数の女性を国内に抱えるだけでなく、広く海外にまで進出させて外貨獲得の手段として活用している。


慰安婦問題を考える②


<日本人が創った「慰安婦」問題>
私たちが肝に銘ずべきは、日本軍が相手にしたとされる「慰安婦」は、そのほとんどが12歳など年端もいかない少女たちだったというイメージが、世界中ですでに固定化されているという事実である。なぜそうなったのか。人権活動というより政治運動そのものというべき「挺対協」による宣伝工作、米グレンデール市に慰安婦像を設置した在米韓国人組織などによるロビー活動、それに今回の映画『鬼郷』のような反日プロパガンダによって、韓国人の妄言・妄想をそのまま受け入れた結果でもあるが、慰安婦問題を最初に焚き付け、誤った観念を植え付けたのは、日本人だったという事実も直視しなければならない。

そもそも「慰安婦20万人」という数字を最初に提示し、韓国人の妄想に「根拠」を与えるきっかけとなったのは、他でもない日本人だったことを思い起こすべきだ。吉田清治の作り話とそれを拡散した朝日新聞も許せないが、元毎日新聞記者で、慰安婦を材料に売文目当てのトンデモ本を出した“ノンフィクション”作家・千田夏光(せんだかこう)も絶対に許すことはできない。フィクションかノンフィクションか見分けのつかないその作品「従軍慰安婦“声なき女”八万人の告発」(双葉社1973年、講談社文庫1984年)には、以下のような記述がある。
「朝鮮において組織的に大量の女性が集められたのは昭和十八年からだった。…”挺身隊“という名のもとに彼女らは集められた」(講談社文庫P132)
「このとき連れて行かれた挺身隊員で慰安婦にされた娘は、一人として帰ってこなかったという。こんな話は韓国の田舎を歩くといくらでもある。」(同P139)、
20万人という数字は、実はソウル新聞1970年(千田は間違って1969年と記述)8月14日付けの「解放記念日」特集号の記事にはじめて出てくる。千田はこの記事をそのまま引用して、「一九四三年から四五年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮婦人約二十万人が動員され、うち“五万人ないし七万人”が慰安婦にされた」(同P118)と書いている。

『帝国の慰安婦』の著者朴裕河(パク・ユハ)教授によると、千田が引用したソウル新聞の記述は、日本の挺身隊(工場への勤労動員)と慰安婦を完全に混同した韓国人記者が「日本で施行された制度がそのまま韓国でも施行されたかのように理解し、さらに挺身隊に行くとそのまま慰安婦なるものだと考えていた」(『帝国の慰安婦』P53)ために、まったく誤解にもとづく記事だったという。
朴裕河教授が『帝国の慰安婦』のなかで証明するように、慰安婦のほとんどは二十歳以上であり、十代の少女が含まれるという主張は、12歳以上を対象にした学徒動員の女学生、いわゆる「挺身隊」と「慰安婦」を完全に混同した結果なのである。実際にも、勤労挺身隊の募集が始まったのは戦争末期の1944年からで、対象年齢が12歳にまで下がったのも1944年8月だった。しかしそれさえも、あくまで日本国内で実施されたことであり、「朝鮮では公式には発動されなかった」(同P52)。
史実を歪曲しても恥じない韓国人の虚偽を、無批判に素直に信じて、そのまま“ノンフィクション”と称する本の材料にする日本人作家も、無責任で、罪は深い。いったん固定化されたイメージを解消するのは非常な困難を伴う。「南京大虐殺」の重要な「例証」とされたあのまぼろしの「百人斬り」でさえ、野田少佐、向井少佐の反論は実らなかった。それでも私たちは、父祖たちの名誉と日本の尊厳のために、欺瞞の歴史を押し付けようとする試みとは断固戦い、粉砕しなければならない。

<“天皇の下賜品”という大噓>
千田が引用した問題のソウル新聞記事には次のような記述があり、映画「鬼郷」にも通じる韓国人一般の慰安婦イメージとも重なる。
「十二歳以上四十歳未満の未婚女性を対象にした挺身隊は事実上、少女隊員という名の慰安隊として残忍な状態に落ちて行った。・・・大部分は南方や北満州などの最前線に送られた。獣のような生活を強要させられた。

「第一線部隊に女子たちがひっぱられていった。一個小隊に二、三名ずつ配属され、“天皇の下賜品”として飢えた兵士たちのオモチャとなり、朝になれば違う部隊に追われていって、同じ屈辱を経験させられねばならなかった。
「そうした少女たちの中には恥辱的な生活に我慢しきれずに自ら命を断つ女性が続出した。フィリピンやサイパンなど南方に送られた女子たちの大部分は悲しい死をとげた。」(千田P133-4)
ここに出てくる“天皇の下賜品”という言葉は、米マグロウヒル社の教科書に「慰安婦は天皇からの贈り物として捧げられた」という記述にも使われている。千田の小説まがいのフィクション本は、クマラスワミ報告などにも「事実」として、そのまま引用されているが、ソウル新聞記事と千田の本から借用した表現であることは間違いない。かりに慰安婦は“天皇の下賜品”という認識が日本軍にあるなら、恐れおおくもその「下賜品」を最後に殺して処分することなど、なおさらあるわけがない。
千田は1970年代の始めに、韓国でようやく元慰安婦一人を見つけだし取材したが、肝心なことはいっさい話してくれなかった体験を書く。さらに「ソウル新聞のバックナンバーをめくっていっても、慰安婦、いや挺身隊に関する記事はこれだけであった。彼らはあえて書いていないのである。今日(1970年当時)の韓国人は過去の日本と日本人のして来たことを口に出しては言わない。とくに新聞人や知識人はそうである。相手が日本人となれば尚更である」(P134)とある。

そんな馬鹿な!!である。韓国人が「過去の日本と日本人」について何も言わないなどと誰が信じるか。今と全く違うではないか。20万人もの少女が連行され慰安婦にされたことが、当時、「事実」と知られていたら、彼らは狂ったように騒ぐはずである。しかし、そうはならなかったのは、当時は、誰もが挺身隊と慰安婦が違うことは自明のこととして分かっていて、こんな与太記事は誰も信じなかったからではないのか。
そもそも12歳の自分の娘がどこかに連れ去られ、行方が分からなくなったとしたら、必死になってその跡を追い、取り戻そうとするのが、親としての普通の姿であろう。当時、そうした親たちの抵抗や訴えがあったという記録があるのなら、それをぜひ提示してほしい。終戦後、彼らの言う「光復後」に、帰らぬ自分の娘がいたなら、その安否を確認するための調査を政府に要求し、もし「強制連行」という事実があるならその責任を追及する裁判をなぜすぐに起こさなかったのか。この問題が韓国側から提起されるのは、終戦から半世紀ちかくも経った1990年代であり、しかも「慰安婦」が恥を忍んで自ら名乗りでることはあっても、その家族・親族からの訴えは今にいたるも一件もないのである。韓国人とは、そこまで情が薄いのか。そんなことはあるまい。(続く)



富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

0コメント

  • 1000 / 1000