慰安婦問題を考える③


<曲解と捏造、最初から結論ありきの「慰安婦」本>

千田は、上海の中国人経営の淫売窟で売春婦の性病検査をした陸軍軍医・麻生徹夫少尉が軍上層部に上奏した「麻生意見書」なるものを取り上げ、「この麻生軍医の意見書が、当時の軍幹部に、理想的慰安婦としての朝鮮人女性、その草刈場として朝鮮半島に目を向けさせた」(p72)と書く。しかし、麻生意見書にはそれに類した記述はなく、千田の思い込みに過ぎなかった。それが証拠に、麻生軍医の遺族からは「千田は自分の都合のいいところだけ拾い読みし、初めから結論ありきで書いている。完全にフィクション(創作)だ」と訴えられている。千田は誤りを認めながら、結局は訂正せず再版を重ねたのである。(産経新聞2014年5月20日【歴史戦第2部 慰安婦問題の原点】軍医論文ヒントに「完全な創作」世界に増殖 誤りに謝罪しながら訂正せず)http://www.sankei.com/politics/news/140520/plt1405200005-n1.html 

また千田は、昭和16年の「関東軍特別演習」(通称「関特演」)で関東軍の兵站担当参謀を勤めた元少佐に誘導尋問的な質問を繰り返し、慰安婦2万人を調達するよう当時の朝鮮総督府に依頼したという話を引き出し、次のように書いている。

「“必要慰安婦の数は二万人”とはじき出し、飛行機で朝鮮へ調達に出かけているのである。ここで、つまり昭和16年には、すでに朝鮮半島は慰安婦の草刈場となっていたことがわかる。実際には一万人しか集まらなかったというが草刈場になった事実は動かせない。」(講談社文庫P120)

しかし、「関特演」に関係した関東軍参謀など他の軍幹部は、関特演での慰安婦動員という話は聞いた事がないと証言する。「関特演の際の大量の兵士や軍馬の動員は極秘に準備されたもので、慰安婦集めのような目立つことをするわけがない。そもそも関特演は二カ月の作戦予定であったので、慰安婦は必要としなかった」。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E7%94%B0%E5%A4%8F%E5%85%89

<「一日370人を相手した」という途方もない嘘>

他にもこの本は、少し冷静に考えれば、すぐに分かるような嘘を平気で書いて恥じない。昭和17年1月から18年6月にかけてラバウルに派遣された歩兵第144連隊の兵長「西山幸吉さん」から聞いた話として、千田は次のように書く。

「『ラバウルに彼女ら(慰安婦)が着いて商売をはじめた第一日め、三キロも兵隊の列ができ、彼女らは1日がかりでその相手をした。3キロといえば3000人以上の兵隊の列です。もっとも女の方も十人ほどいましたが…』という西山さん話。割り算するとこの日、一人の慰安婦が三百七十人から三百八十人の兵隊を一日で相手にしたことになる。」(P17)

千田は「西山幸吉(仮名)」と紹介しているが、実際は西村幸吉さんであることはすぐに類推できる。西村さんはラバウルの戦場から生還した数少ない生き残りの一人で、戦後は長期にわたり戦死した戦友の慰霊と遺骨収集に携わった人だ。

 その西村さんは、『週刊朝日』1997年10月17日が「パプアニューギニアの慰安婦は1万6000人」という記事を書いたとき、次のように反論している。

「あの話(『週刊朝日』の記事)にゃ、高地の戦友たちも随分と怒ってましたよ。『何が女じゃ!何日か食わんとおって、そんな事が出来るか実際に試してみい』ってね。戦場では、食糧も武器も尽きたんです。食いもんの確保と、逃げ道を探すこと、この二つで頭ん中いっぱいですよ」(『祖父たちの戦争』、P191)

「それと鉄砲を持った兵隊がドンパチやり合ってりゃ通常、住民はいち早く逃げてます」「私は、戦後はニューギニア各地を随分回りましたが、白人との混血はあちこちの村におります。彼らも、もう60代になっているわね。だけど日本人との混血児には一度も出会ったことがない。うわさすら聞いたことありません」(同上、P192)

http://blog.livedoor.jp/raspi2012/tag/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E5%B9%B8%E5%90%89

そもそも3000人を10人で割ったら300人のはずで、なぜ370人や380人になるのかその計算根拠が分からない。またそこまで計算するなら、24時間ぶっ通しで働いたとしても4分弱に1人の割合で相手にしたことになる。いかに戦場という特殊な環境であったとはいえ、たった4分弱の行為に金を出し、長い時間をかけて列を作る価値があるとは思えない。それに女性一人が1日300人もの男を相手にしたとしたら、その途中で、女性の体は惨めに傷つき、使いものにはならないはずだ。レイプを繰り返された女性の体には穴があき失禁する「瘻孔(ろうこう)」と呼ばれる症状が現れることを、南スーダンの「レイプキャンプ」の実態を報じたAFP記事で知った。http://www.afpbb.com/articles/-/3062964

 すこし頭を働かせば誰でもわかる道理を無視し、適当な嘘を平気で書く千田は、男性読者の関心めあてに筆をすべらせ、興味本位の猥褻な読み物に仕立てあげたのではないかと疑う。

<今も世界に拡散する「慰安婦捏造」本>

しかし、この千田の本は、最近になって中国の湖北人民出版社によって中国語に翻訳され出版されている。この本を紹介した『人民日報』2015年2月5日のネット記事は、西村さんの証言部分を「掲慰安妇惨状:每天平均接待370多名日本士兵」(慰安婦の惨状示す:毎日平均370人以上の日本兵を接待)というタイトルをつけて紹介している。しかも、この人民日報記事に使われた写真もそうだが、中国のネット記事では、当時の従軍看護婦や軍慰問団、それに挺身隊の女生徒を写した写真をすべて「慰安婦」の写真として使っている。これを見ても明らかのように、真実などどうでもよく、ただ日本を貶めさえすればいいというのがネット記事の目的なのだ。

http://js.people.com.cn/n/2015/0205/c360303-23802509.html

そしてこの人民日報記事を、さらに韓国の新聞やネットメディアが、面白おかしく引用し拡散させているのだ。

http://kankokunohannou.org/blog-entry-709.html

http://history.people.com.cn/n/2012/0704/c198306-18444025.html

千田が「割り算」と称して、何の根拠も示さず勝手に仕立てたとんでもない数字(「370人」)が、歴史的な事実として、今も拡散していることをどう受け止めればいいのか。

彼らの歴史を材料にした不当な宣伝戦に対して、われわれはどう向き合ったらいいのだろうか?意図的に拡散された虚偽の情報については、真実をはっきり示し、反論を記録に残す必要があると同時に、そうした虚偽を拡散する彼らの意図については、白日のもとに晒さなければならない。彼らを前に「沈黙」は有害なだけで何の役にもたたない。さらにはわれわれ側からの反転攻勢も必要だ。彼らが隠して決して公にしようとせず、黙り込んでいる歴史の事実を、われわれの側から積極的に示し、真実はどうだったのか、世界に問うことである。例えば30万人、あるいは70万人とも言われる人々が餓死した「長春包囲戦」、日本人居留民200人あまりが無残に虐殺された「通州事件」、今に続くチベットやウイグル、内モンゴルでの虐殺事件、などなどである。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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