「韓流」の蔓延は韓国的特異観念の席巻につながる

国際社会における韓国の行動、たとえば最近の日本の輸出管理に対するWTOへの提訴や福島第1原発処理水に対する主張を見ても、国際常識や一般の科学常識からみれば非論理、不合理もいいところで、何の根拠もないのは明らかだ。旭日旗とそれに類似した意匠への世界中どこでも手当たり次第のクレーム、日本海を東海と呼称せよと求める世界各国での執拗な押しつけなども、自己中心主義もいいところで、声高に叫び声さえあげれば周囲がどう思うとかまわないという自己満足でしかすぎない。それらの問題に対する彼らの考え方、主張の展開は、世界の常識から考えて極めて特異で特殊だということを彼ら自身は自覚していない。そうでなければ、普通は恥ずかしくて口にもできないような事柄だからだ。

彼らが、自分たちの考えや主張が極めて特異であることを自覚していない、ということの恐ろしさ、怖さを思ったのは、いま世界にはびこる韓流文化、K-POPや韓流ドラマなどの韓流コンテンツの世界的な流通、広がりを思ったからだ。K-POPなど韓流コンテンツの世界への波及、席巻が進めば、自分たちの特異な文化や決して一般的ではない彼らの価値観が、世界共通に受け入れられると勘違いし、旭日旗や東海、はては慰安婦や徴用工の問題も自分たちだけの論理や主張が世界で通用するものと誤解することに繋がらないか、それが怖いのである。

10月11日、韓国で今や「K-POPのオリンピック」とも呼ばれる「第19回昌原(チャンウォン)K-POPワールドフェスティバル」が開かれた。韓国政府の文化体育観光部(省)が全面的に支援し、海外公館である韓国文化院が世界80か国で予選会を行い、参加した合わせて6800にも上るチームの歌や踊りの演技を審査し、予選を勝ち残った13組だけが、この昌原のワールドフェスティバル本選に出場できるというイベントで、K-POPファンにとっては憧れの舞台になっているようだ。勝ち残った13組の出場チームの国名をみただけでも、K-POPファンの世界的な広がりを見ることできる。キューバやクウェート、マダガスカルなど、中南米から中東・アフリカまでそれこそ地球規模の広がりを見せ、しかも本物のK-POPアイドルとも遜色のない歌や踊りをマスターしている、つまり韓流文化のスタイルを体得しているということでもある。

<Asia Times Weekly 10/25 “Dancing in the streets at the ‘K-pop Olympics’ “>

https://www.asiatimes.com/2019/10/article/dancing-in-the-streets-at-the-k-pop-olympics/

イギリスメディアさえ「現代のビートルズ」だともてはやすBTS防弾少年団のファンクラブは2018年時点で 日本26万、韓国100万にいると言われ、彼らはARMY(軍隊)と呼ばれる。防弾少年団と同じく防弾チョッキを着た兵隊のようにいつもBTSと一緒にいるという意味だという。何か宗教組織とその信者の関係に似ている。年会費5000円というから小さい子供にとっては決して安くはない。ARMYは世界中に何百万人、何千万人いるかはわからないが、彼らは新しいアルバムがリリースされ、そのミュージックビデオがYouTubeで公開されると瞬く間に「動画再生回数1億回突破」などの記録を作ることになる。恐ろしいほどの熱狂ぶり、信者といってもいい熱心さでもある。

しかし、K-POPの男性アイドルグループといえば、真っ白の顔に目や唇をバッチリと化粧し、金髪など様々な色に髪を染めるなど、中性的なヤワなイメージの若者グループばかりで、K-POP男性アイドルというと、顔もスタイルも化粧法もパターン化され画一的に見える。現代のビートルズと呼ばれるBTSの歌う歌が何か世界に新しいメッセージを発しているかのかというと、そんなことはなく、恋を含めて日常の彼らの思いを綴っているだけで、そこに新しい発見や思想があるわけではない。

K-POPの女性アイドルグループも、短いスカートや腹出しルックなど露出度の多い服装で、顔の整形や化粧法を含めて、ひと目でK-POPアイドルと分かるような、いかにもという感じのワンパターンが多い。彼女らは歌よりもダンスの振り付けで目を引こうという傾向が強く、しかもその振り付けも男性に抱きついて腰を振ったり腰を突き出すような動作の踊りなど、何もそこまで媚びを売る必要はないだろうと思うほどのお色気たっぷりのセクシーダンスが多い。フェミニストたちが見たら、女性をそういう対象として商品化しているとクレームがつきそうだと思うのだが、そうしたスタイル、ファッション、振り付けを含めて、それこそが「韓流」文化の魅力なのだと広く受け入れられているのかもしれない。

しかし、そうした韓流スタイルが世界どこでも通用すると思ったら間違いだ。イスラム諸国では、女性が肌や髪を見せるのは御法度であり、日本では、たとえばAKB48や乃木坂46の女の子たちがそんな踊りを披露したら、母親や教育関係者をはじめ多くの人が目をむき、反対世論が巻き上がることは間違いない。つまり、そうしたK-POPの特異性、特殊性を人気の渦中のいるK-POPスターたち自身、それに韓国国民はどこまで意識しているのだろうか。

ところで、K-POPファンたちは、韓国語の歌詞を理解し自分でも歌いたいと思うのか、ハングルを勉強する人たちが多い。日本でもNHKが特集するほどだが、女子高校生の間で独学でハングルを勉強するブームが起きていて、けっこう大勢の若い人がしゃべれるようになっているという。そうした傾向はどうも日本だけではないようだ。

韓国KBSの国際放送ワールドラジオがこの夏、YouTubeへのビデオ投稿を通じた外国人による韓国語スピーチコンテストを行った。日本からの応募はたった1人だったが、世界57の国から244人が参加し、中近東やアフリカなど発展途上国からの参加が目立ち、韓国語・ハングルの普及が地球規模の広がりになっていることがわかった。しかも、多くの参加者の韓国語能力が母国後レベルの流暢さに達していることに驚かされた。海外の日本語学習者が日本人と変わらない日本語をどれだけ話せるかと考えると心許ない。

彼らの韓国語習得の動機が、KPOPの歌詞を理解したくて、韓国ドラマを字幕なしで見たいから、韓国のバラエティー番組が好きで、など動機はいろいろだが、彼らの身の回りの生活には韓国製の家電製品があふれ、テレビやインターネットでは韓国語の歌やドラマが洪水のように流れている実態が分かる。そうした韓国製品や文化に日常的に触れる生活を通じて、韓国の文化や生活スタイルなどに共感をもつ人の多さにも驚かされた。

韓流ドラマのなかに頻繁に現れる韓国語による感情表現に接し、学ぶうちに、自分たちの国の言葉にはない韓国語の感情表現の豊かさに、外国人は魅力を感じるのだという。

韓国ドラマならでは、とも言えるが、「マクチャンドラマ」と呼ばれるドラマがある。いわゆる「はちゃめちゃ」ドラマのことで、白菜キムチで頬をぶたれたり、水を頭にぶっかけたあと頬をひっぱたいたりと刺激的な場面や極端な感情表現が満載で、恨みをあからさまに表現した復讐劇が展開される。儒教の伝統が残る韓国社会では表立って表現できなかった感情を替わりに表現してくれるこうした登場人物に、「代理満足」を感じることができるマクチャンドラマが以前から多かったそうで、そうしたドラマを見た外国人も「ストレスが解消され、気持ちがスカッとした」などと感想を持つのだという。それだけ抑圧された社会に生きているということも言えるのではないか。

KBSワールドラジオの韓国語スピーチコンテストを特集した番組を聴いて、興味深く思ったのは、スピーチコンテストに参加した外国人のなかに韓国と韓国語に関心をもつきっかけとなったのは、幼い頃に祖父から韓国の話を聞き、韓国に興味をもったという人がいたことだ。ドイツやトルコ、エチオピアなど複数の参加者が、そんな祖父との関係を話していた。彼らの祖父は若いころ、国連軍として朝鮮戦争に参加し、韓国で過酷な体験をした元兵士たちだった。

朝鮮戦争で国土を完全に破壊された韓国が、その後、短期間で復活し、先進国の仲間入りした奇跡に目を見張り、韓国の歴史に興味を持ったという外国人も多いらしい。

<KBSワールドラジオ 第4回韓国語スピーチコンテスト特別企画《ハッシュタグ韓国》>

http://world.kbs.co.kr/special/kbscontest_2019/?lang=JP

おそらくそうした戦後の経済発展、「漢江の奇跡」の背後で日本がどれだけ貢献したかは聞かされていないのだと思う。韓流コンテンツが世界を席巻し、韓国語学習者が海外で蔓延するということは、韓国的な思考様式や韓国特有の歴史観、韓国人の特異の価値観がそのまま拡散するということでもある。

日本という国自身も、天皇の「即位礼正殿の儀」を見ても分かるように、世界で唯一の伝統と長い歴史、文化と価値観をもった特異な国である。日本人自身は、そのことを誇りに思うと同時に世界のなかで特異な存在であることを意識している。そうしたなかで、世界のなかでの日本の立ち位置や振る舞いを考えている。韓国にも、自分たちの文化や考え方が特殊であり特異であること、けっして普遍的ではないことを自覚させる必要がある。

そして韓流コンテンツを楽しむ海外のファンや韓国語を学ぶ外国人には、たとえば韓流歴史ドラマで描かれる史実は、時代考証もいい加減で、脚色が多いこと、彼らが語る歴史が真実を伝えているとは限らないこと、そして日本など隣国の視点に立てば、全然別な角度から韓国が見えることを理解してほしいと求めることも必要だと痛感する。

写真は、「ノージャパン」(日本製品不買運動)「ノー安倍」を掲げる屋台と市民集会

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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