日本は真似出来ない、中・韓の強権的“防疫”手法

「武漢肺炎」をめぐる人類史的考察⑨

国連のクレーデス事務総長は、終わりの見えないパンデミックとの戦いを、第2次世界大戦以来の戦時下にあると断言した。IMF国際通貨基金は世界経済が1930年代の「大恐慌」以来となる水準にまで落ち込むとの見通しを示した。100年に一度と言われるパンデミック、世界的な感染爆発だが、その100年前に世界人口の3分の1にあたる5億人が感染し、最大でも4500万人の命を奪ったという「スペイン風邪」は、日本にも何回かに渡る流行の波で到来し、収束するまでに足かけ3年も掛かった。当時の内務省がまとめた『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』(1922年)によれば、感染の流行は1918年8月から1921年7月まで3波に分けて発生し、あわせて2379万人が感染し38万8600人が死亡した。1回目の「前流行」と3回目の「後流行」では死亡率はそれぞれ1.22%と1.65%だったのに対し、2回目の流行時には、感染者は1回目の1割と少なかったものの死亡率が5.29%に跳ね上がった。内務省記録は「流行の経過とともに病勢悪変し肺炎を併発する者多く、これがために虚弱者のみならず強壮者にて倒れたる者、少なからざりしと、その他種々の後発症により死の転帰を取りたる者多数あり」と記述している。

文春オンライン4/14「100年前5億人が感染したスペイン風邪 なぜ日本も終息に丸2年かかったのか?」

イタリアから欧州各国へ、さらに米国へと猛威を奮うなかで、重篤患者や犠牲者が増えている今の状況とどこか似ていて、なにやら今後の展開も彷彿させるような記述だ。

そして今の日本は、死者の数は各国に比べてまだ極めて少ないが、4月8日以降、連日500人前後から700人以上まで感染者が増えつづけ、感染爆発がいつ起きてもおかしくないような状況が続いている。

その一方で、最初に感染爆発が起きた中国では3月10日過ぎには感染のピークは過ぎたと宣言し、4月に入ると国外からの入国者の感染確認はあるが国内での新たな感染者はゼロ、と発表される日もあった。そして感染の震源地となった武漢は1月23日から都市封鎖されたが、4月8日、76日ぶりに都市封鎖を解除した。その解除当日の午前0時には街中の高層ビルがイルミネーションで彩られ、風景はまるで再び正月でも迎えたような沸き立った雰囲気に包まれた。

この間に全国から武漢に送り込まれた医療スタッフは、人民解放軍の軍医1400人をはじめ、計3万人。このほか大量の建設労働者と建設重機が動員され、昼夜兼行の突貫工事で、わずか10日の工期で武漢郊外に二つ大規模臨時病院(火神山病院1000床と雷神山病院1300床)を完成させた。さらに大型展示場にも4000床の臨時病床を設置している。

(写真は、わずか10日の工期で完成した武漢の臨時病院)

しかし、こうして医療施設は整備された一方で、一般の武漢市民は、これらの施設にいったん収容されたら、治療を受けることはなく生きては出られないと恐れた。そのため家に閉じこもって、熱が出ても病院には行かずに我慢し、家で亡くなる人も増えた。そのため武漢市がとった手段は、医療スタッフが各戸を訪問し、住民の熱を測ったり、体調を聞き取ったりするローラー作戦だった。

どれもこれも、共産党一党支配体制という強権政治があるから、できることで、2か月半という短期間に「武漢肺炎」を制圧できたのも、全体主義の管理国家という中国ならでは特質のおかげというしかない。

中国の次に感染爆発が発生した韓国では、一日の感染確認者が900人を越えた2月末をピークに、その後3月15日以降は100人以下に、4月10日以降は30人前後まで下がり、日本の感染者急拡大を横目に、韓国政府は余裕の表情すら見せている。

しかも、新興宗教団体の教会で集団感染が発生し、国内1万人あまりの感染者のうち6800人あまりが集中する大邱で、市民の自主的な外出自粛が要請されたのを除き、韓国では都市封鎖や緊急事態宣言のような事態にはなっていない。テレワークと「社会的距離」(ソーシャル・ディスタンシング)の確保が呼びかけられ、オンライン授業で新学期が始まった学校を除き、経済活動や社会活動、地下鉄などの交通機関の運行もほぼ通常どおりだ。

日本ではいまだにマスクの入手は難しいが、韓国では3月初めに一時供給不足が見られたものの、その後、「公式マスク」といって国民健康保険に加入している全員に、一人週2枚の購入が可能になり、現在では薬局で普通に箱入りのマスクが購入できる。国民皆保険の健康保険は住民登録ナンバー制度と連動していて、一人週2枚という制限でのマスクの購入が可能なのも、「国民背番号制度」である住民登録ナンバーによって全て把握され、管理されているからだ。

日本のPCR検査の少なさと比較して、韓国の大量・迅速なウイルス検査体制が感染拡大の防止に効果を発揮していると言われる。特に注目されるのがドライブスルー方式と呼ばれる検査体制だが、実はこれは韓国が初めて発明した方式ではなく、2009年の新型インフルエンザ流行時にアメリカのスタンフォード大学が開発した手法だという。しかも、検査の総数からいうと、ドライブスルー方式より「移動検診」という検査の方が多いという。「移動検診」とは、濃厚接触の疑いがある人の自宅を保健所職員らが訪問し、その場で検体を採取する手法で、中国・武漢でのローラー作戦とそれほど変わりはない。宗教教団の集団感染が発生した大邱市の場合、濃厚接触者の信者をしらみつぶしに検査する「移動検診」による検体の採取が半数以上を占めたという。

そうした検査、検診を行うには膨大なマンパワーが必要だが、徴兵制のある韓国では、政府の命令一つで動員できる若い医師が3000人近くいる。それは「公衆保険医」という存在で、徴兵が義務付けられている韓国では、医学部を卒業して医師国家試験に合格した男性の場合、過疎地域などで医師として3年間診療すれば、兵役を務めたと見なされ、公衆保険医の資格をえるのだという。韓国政府は、今回、新型コロナウイルスの蔓延を受けて、この公衆保険医2700人を検査態勢の最前線に送り込んだ。日本の保健所に常勤する医師は全国で728人(平成30年厚生労働白書)だそうだから、日本はとうてい太刀打ちできない。

渡邊康弘FNNソウル支局長「韓国式大量検査は徴兵制の賜物…新型コロナが揺さぶる「自由」の価値」

要するに、大量・大規模なウイルス検査が可能なのも、マスクの公平な配布ができるのも、今も北朝鮮と対峙し、準戦時体制にあるという韓国の特殊な事情があるからだ。徴兵制も国民背番号制度も、北朝鮮と対峙し、いつでも国民すべてを巻き込んで動員体制をとらなければならない必要のなかから生まれた。準戦時体制の韓国では、つねに北朝鮮からの脅威を意識していて、いざという時には多少のプライバシーや私権の制限はやむを得ないと考える国民も多いはずだ。

今のところ、新型コロナウイルスの感染拡大を効果的に抑えたといえる中国や韓国がとった手法や経験が、他の国でもそのまますぐに応用できるわけではない。一党独裁の全体主義国家・中国や、未だに準戦時体制下にある韓国のように、いざという時には国民を強制的に動員できる体制や制度を全ての国が備えているわけではない。

とりわけ日本は、憲法に非常事態宣言の規定もなく、中国や韓国の真似など到底できないし、真似しようとも思わないだろう。日本は新型コロナウイルス対策において、いくら生ぬるい、遅いとなじられても、今のまま続けるしかなく、批判はただ甘受するしかないのかもしれない。

(ソウル市庁舎に掲げられた感染予防策を呼びかける巨大ポスター)

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

0コメント

  • 1000 / 1000