戦略的誤りを犯した習近平③

戦略家エドワード・ルトワックにインタビューしてまとめられた「中国4.0~暴発する中華帝国」(奥山真司訳・文春新書)は、2000年以降から現在までの15年ほどの中国の対外戦略の変化と、その不安定な要素、弱点を論じたものだ。それらを踏まえたうえで、日本が中国に対してとるべき姿勢や対策について、戦略家としてのルトワックの考えを披露し、日本に提言している。

ここでは、中国が日々虎視眈々と狙う尖閣諸島の問題と、人工島を造成し、拡張主義的な政策を推し進める南シナ海問題を中心に、ルトワックの提言を参考に日本のとるべき道を考えてみたい。5月26日27日に伊勢志摩で開かれるG7先進7カ国サミットでは、この南シナ海問題が議題の一つになる。

逃れられない3つの現実

ルトワックはこの本の冒頭「日本の読者へ」のなかで、日本は、「逃れられない3つの現実」から目を逸らすべきではないと忠告する。その「逃れられない3つの現実」とは、以下の三つである。

① 13億人のための意思決定が(政治局常務委員の)たった7人の意向で決まり、さらにそれが次第に(「核心的リーダー」と呼ばれ始めている)たった一人(習近平)の手に委ねられつつあるという現実。

② 習近平が尖閣諸島の占領を軍に対して突然命じることに備えて、日本は警戒を怠らず、離島を守る(もしくは迅速に奪還する)ための実際的かつ現実的な準備を、アメリカの助けを借りずに単独でしておく必要があるという現実。

③ 中国は非民主的な軍事ナショナリズムに支配されていると見られる中で、世界の文化と人道的な徳の受容が、中国国内でも着実に進んでいる。つまり中国の人々は現在の共産党政権よりはるかに進んだ存在であるという現実。習近平は自分以外の13億人の中国人を、できたら北朝鮮のようにがんじがらめにコントロールしたいと思っているが、中国の人民が本を読んだり、海外旅行が自由にできるようになるなかで、そのコントロールも次第に失われつつある。長期的にはそうした中国人に期待できるので、われわれの直面する課題は短期的な展望だけだ、とルトワックはいう。(p7~9)

中国封じ込め政策

この本の冒頭からいきなり最終章の結論部分に飛ぶことになるが、ルトワックは、「本書の結論だ」として、日本が採るべき「中国封じ込め政策」について論じる。

まず、日本の隣には、巨大でありながら先の見えない国という、二つの矛盾した要素をもつ大国が存在する、という状況を直視する必要がある。つまり、中国は巨大な人口を抱え、経済力は世界規模を誇り、巨大な軍事力も持っている。一方で、そうした大国の中国がアフリカの独裁国の小国と同じような、政治的な不安定性を抱えているという状況もある。さらに習近平はこの先何十年間も統治しつづけるかもしれないし、明日、突然、(暗殺で)死ぬかもしれない、これは日本にとって計り知れないリスクである(p168) とルトワックはいう。

では具体的に日本はどう対処すればよいのか。最も効果的な対処法は、「封じ込め(コンテインメント)」である、という。「封じ込め」とは、極めて受動的な政策で、意図的な計画を持たないまま、ひたすら「反応する」ことに主眼を置く政策だ。

ひたすら「反応する」ためには、広範囲にわたる防御的な能力を必要とする。事前に何が必要になるかは予測がつかず、中国自体がその先行きは不確実で予測できなからだ。

封じ込め対策のためには、幅広い範囲での多元的な能力を早急に整備し、事前の準備を行う必要がある。

中国が軍部隊を上陸させ尖閣諸島をいきなり占拠した場合、必要な「多元的な能力」とは、何か。アメリカ政府と米軍の支援は当面は当てにできないという前提の下で、海保、海自、陸自、空自の各組織に個別の独立した任務を与え、あらかじめ用意しておいた対応策を即座に実行に移し、それぞれが躊躇なく実行できる命令システム、法整備を行うことだ。

「多元的な能力」には、当然、外交能力も含まれる。ロシアのクリミア侵攻に対する国際社会の対ロシア制裁と同じように、仮に尖閣奪取に中国が動いた場合は、ただちに国際社会を動かし、貨物の貿易処理や入管手続きの厳格化など対中国の経済制裁を発動してもらうよう措置を講じる必要がある。日本のすべての政府関係組織は、それぞれに独自の対応策を考えておく必要がある。

「慎重で忍耐強い対応」は、中国のような規模が大きく、独裁的で不安定な国家に対しては、むしろ逆効果であるとし、ルトワックは日本のトップや対外政策担当者に注意を喚起する。軍事冒険主義が実質的に容認されている中国のような国に対抗するためには、有事に自動的に発動される迅速な対応策があらかじめ用意されていなければならない。あらかじめ合意・準備された行動計画、いわゆる「標準作戦手順(SOP)」のようなものが必要だ。

中国に対峙する日本にとって決定的に重要なのは、日本側からは何も仕掛けるべきではないということだ。逆説的な言い方だが、日本は戦略を持つべきではないし、大きな計画を作るべきではないし、対応はすべて『反応的(リアクティブ)』なものにすべきだ。これが本書の結論だ。巨大で不安定で予測不可能な中国に対し、あえて積極的な計画をもって対抗しようとするのは、馬鹿げたことであり、成功するはずがない。何が起きるかは予測不可能だから、それぞれ独立した多岐にわたる能力に支えられた「受動的な封じ込め政策」を行うべきなのである。(p174)

中国の脅威への対処と米・ロとのバランス管理

アメリカは「日本の根幹としての統治機構システムを守る」ための能力と意思は持っているが、人が住まない島々まで守ることはできない。それらを守るのは完全に日本の責任だ。つまりアメリカは、核戦争や大規模戦争の抑止はできているし、大規模な戦争を戦う準備もできているが、日常的な小さな脅威は、日本が自らの力で対処すべき問題なのである。(P149)

もし島を失いたくなければ、それを守らなければならない。そしてそれを守るためには、そのための物理的な手段(船、飛行機などハード)と、法制上の整備(集団安全保障体制というソフト)と、政治的なコンセンサスが必要となるのは当然だ。

(アルカイダ・マグレブのマリ占領に対して、フランス軍のマリ進駐をオランド大統領が電話一本で命令したように、)ことが起きたとき、(A)領土を守るという国民的なコンセンサスと(B)それを実現するためのメカニズム、つまり電話をとって自衛隊に尖閣奪還を指示できる仕組みの両方が必要となる。

そして重要なのは、日本が実際に行動を始める前に、アメリカに頼って相談してはならない。日本が自国の安全保障のすべてをアメリカに依存しているという印象は日米関係の悪化につながる、というのがルトワックの勧告でもある。

さらにルトワックは、日本が直面する当面の課題として、ロシアのシベリア開発をどこまで援助できるか、という問題を挙げている。これには中国も関わっていて、中国がシベリアの資源を獲得してしまうと、自己完結型の圧倒的な支配勢力となってしまう恐れがある。その意味で、「シベリアを中国の手に渡さないことは日本にとって決定的に重要となる」とルトワックは断言する(p145)。なぜか?

シベリアを当てにできない中国は、船を使って天然資源を輸入する必要があるため、海外に依存した状態となる。この場合、必ず「アメリカの海」を通過しなければならない。

アメリカが世界各地の同盟国・友好国に軍港や空軍基地を確保し、強力な「海洋パワー」として君臨していることは、中国にとっては、そのようなアメリカとは紛争を起こせないという意味で、中国の弱点でもある。しかし、ロシアを吸収できれば、中国にとってわざわざ「海洋パワー」になる必要がなくなり、自分たちの弱点を克服できる、ロシアは現在、シベリアをコントロールし、中央アジアも支配しているが、いずれ巨大になった中国に脅威を感じるようになる。そうなるとロシアは、現在の政策を変更せざるを得なくなり、日米の側につくことになるのだ。

言い換えれば、中国の強大化によってもたらされるのは、中国が日本を支配する事態である前に、ロシアが仲間を変えるという事態だ。この時点でロシアには他に選択肢はない。ロシアが日米の側について、中国に対するバランシングを行うことである。

日本にとってロシアとの関係が重要だとしても、日米関係はそれ以上に重要で、日本の対外政策はロシアとアメリカとの間のデリケートなバランスをうまく管理するしかない。

ルトワックが提唱する「チャイナ4.0」

チャイナ1.0からチャイナ3.0への変遷のあとに来る次の対外戦略「チャイナ4.0」として、ルトワックが提唱するのは、中国は「九段線」という地図を引っ込め、南シナ海の領有権の主張を放棄すること、そして空母の建造を中止することだ(p153)という。これは中国にとって究極の最適な戦略だが、と同時に中国にはおそらく実行不可能だということは、はっきりしている。中国の「面子」にキズがつき、人民解放軍が叛旗を翻すことは目に見えている。中国が、こうした「チャイナ4.0」の戦略を思い描くことができないのは、彼らが「戦略」を理解するのが不得手で、そもそも「外国」というものをうまく理解できないからだ。大国になればなるほど、外国への理解度は低くなるが、中国の場合、そこに「天下」という世界観、「冊封体制」というメンタリティーが付け加わり、ますます外国を理解できなくしている。(P154)

戦略文化という考え方

過去の歴史を見ると、国家の性質は二つの要素によって構成されている。ひとつは物質的に計測可能な要素、つまり人口、経済規模、テクノロジー、軍事力、兵器などである。こう一つは、物質的に計測不可能な要素、つまりその国の精神や文化であり、これを「戦略文化(ストラテジック・カルチャー)」と名づける。

イギリスやアメリカ、ロシアは戦争に勝つ「勝利的(ヴィクトリアス)」な戦略文化をもつが、中国やドイツ、イタリアは戦争に負ける文化を持っている。

戦略文化が弱い理由と原因は、中国の場合、(A)内的なコンセンサスの欠如と(B)外的な理解の欠如にある。

中国のもう一つの戦略的誤り――「海洋パワー」と「シーパワー」の取り違え

「sea power」とは「海における軍事力」つまり艦船の数や性能、その乗組員の能力や規律のことである。装備や訓練を拡充すること、つまり国民が海軍に税金を投入することで、シーパワーは増強することはできる。ところが「maritime power(海洋パワー)」は「シーパワー」だけで決まるもではなく、自国以外の関係性から生まれるものだ。

代表的な海洋国家であるイギリスの圧倒的な影響力は、狭義の軍事力だけではなく、友好国との軍事的、外交的、経済的、文化的な関係などに基づくもので、これらが組み合わさって「海洋パワー」という総合力を形づくっている。

チャイナ2.0で、中国は艦船を着々と建造すると同時に、周辺国に恐怖を与える結果となった。つまり、中国は海軍力を増強して「シーパワー」を手に入れたが、代わりに「海洋パワー」を失ったのである。(p161)

「海洋パワー」とは、他国との関係性、とりわけ沿岸国、島嶼国、半島国との関係が重要になる。「シーパワー」と「海洋パワー」の区別がいかに重要かは、日露戦争の例が教えてくれる。バルチック艦隊はバルト海からアフリカ大陸を大回りして日本海にたどり着いたが、その航海の途中、燃料や水の補給で寄港した港ではほとんど協力を得られなかった。

「海洋パワー」を欠いた「シーパワー」は無力なのである。

冷戦時代のソ連極東海軍は、多くの軍艦を建造し保有したが、彼らが寄港できたのはベトナムのハイフォン港だけで、中国や日本、フィリピンなど沿岸国に近づくことさえできなかった。同じ錯誤は中国にも見られる。中国はチャイナ2.0によって周辺国と余計な摩擦を起こしてしまったために、中国海軍の艦船は、日本、フィリピン、ベトナム、インドネシア、マレーシアなどの港からは敬遠され、寄港など考えられない状態になっている。中国は艦隊を建造しつづけるが、沿岸国、島嶼国、半島国と友好的関係を築かなければ、この艦隊はほとんど力を発揮できない。

「海洋パワー」は「シーパワー」を破壊できる。中国はこの「海洋パワー」を欠いているために海軍力の増強が国力の増強に繋がらないのだ、とルトワックは見る。

中国支配の進む南シナ海の維持コスト

中国はいま、南シナ海の8つの環礁を埋めたて、軍事基地化している。スプラトリー諸島の3つの環礁(スービ礁、ミスチーフ礁、ファイアリークロス礁)を埋め立て3000メートル級の滑走路を作り、そのほかの4つの環礁(ガベン礁、クアテロン礁、ヒューズ礁、ジョンソン南礁)にはレーダー施設を作っている。さらにパラセル諸島のウッディー島には対艦ミサイルと長距離地対空ミサイルも配備している。

「南シナ海全体の制空権・制海権を確保し、中国のコントロール下に置くためには、どれほど「シーパワー」が必要かは見当もつかず、軍事費を毎年10%以上拡大し続けてもまだ間に合わない軍事力、装備、要員の拡大が必要だと思われる。経済が萎縮し、格差が拡大し、人民の不満が高まり、国内は一触即発の治安状況にあるなかで、どれだけシーパワーに国家資金を投入し続けることが可能なのだろうか。

中国にとっての南シナ海は、北朝鮮にとっての核・ミサイルと同じような存在で、国の面子を取り繕うために南シナ海の領有権を主張し、一度主張したことは絶対に取り下げたり、変更することはできない。しかし、その南シナ海の維持管理のための莫大の国家予算を、人民生活の向上に使えばどれだけの貧困層が救われるか、少し考えれば分かりきったことだ。北朝鮮の核やミサイルは、ただ単に金正恩のための「使われない玩具」としての価値しかなく、金正恩がもてあそぶ「高価な玩具」のために、その下の人民は飢えと寒さでいずれ皆消滅する危機に瀕している。

同じように中国にとって、第一列島線のなかの東シナ海・南シナ海全体を囲いこみ、人口島建設や制空・制海権を確立しようという目的は、この海域に戦略核ミサイルを搭載した原子力潜水艦を潜航させ、米国に代わる世界覇権を確立するための世界戦略の一環として南シナ海を中国の内海にすることだ。しかし、そうした戦略核や原潜の存在を誇示し、「シーパーワー」の力を見せ付けるが日が実際にきたとしても、世界の国々と人類が中国の覇権に従うことはおそらくないだろう。ルトワックが言うように、「海洋パワー」になれない中国は、永遠に世界の大国となることはできないからだ。

したがって南シナ海は、今のところ領土的にも資源的にも何の価値もなく、絶海の孤島の「リゾート基地」として、ただ兵士の休養と暇つぶし以外には何の役にも立たない。だが、そんな無駄な軍事基地を守るために、国費のなかから莫大な維持管理費をかける一方で、その日の生活の糧にも困っている大陸本土の億単位の貧困層は無残にも取り残され、政治から無視され続けているのである。

少しでも頭を働かせて考えてみれば誰にでも分かることだが、南シナ海全域の管轄権を維持するためには、無数の艦船と航空機を本土との間で往復させ、そのやりくりのために大量の燃料を駄々漏れ状態で無駄使いすることになる。人工島を作っても経済的には何の価値も生み出さない一方で、貴重な珊瑚礁の自然を埋め立てることによって、海洋生物や天然資源を再生不可能なまでに破壊し、周辺海域の汚染を広げる結果をもたらしている。

尖閣問題についても同じことがいえる。尖閣諸島の領有権を主張しても、島自体に何か経済的な利用価値があるわけでもなく、周辺の海底にある原油・天然ガスだって、開発コストに見合った資源量があるかどうかさえ疑問符がつく。資源確保をねらって海底油田の掘削リグを設置しようとしても、国際法の根拠が何もない行動には、日本や国際社会の猛反発を受けるのは明らかで、実行はほぼ永遠に不可能だ。そのうち化石燃料を使う時代は終わり、尖閣周辺にたとえ石油・天然ガスの海底資源があったとしても、ほとんど価値を失うだろう。そんなところに莫大なコストとエネルギーを賭けて固執する意味がどこにあるのか。それより目の前の国内問題の課題に真摯に向き合えと中国の国家指導者には声を大にして言いたい。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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