「熊使い」に踊らされたという「慰安婦」

韓国には、「芸は熊がやり、カネは熊使いがかすめ盗る」ということわざがある。苦労する人間と利益を手にする人間は別々、という意味だ。この言葉を自称「元慰安婦」の李容洙(イ・ヨンス)氏が、30年間活動を共にしてきた挺対協(挺身隊問題対策協議会)の代表・尹美香(ユン・ミヒャン)氏の不正を告発する記者会見の場で使った。この場合、ことし55歳になる尹美香氏が当然「熊使い」で、91歳の自分がうまいこと使われてきた、という意味である。

因みにこの「熊使い」の代わりに「カネはトェノムがかすめ盗っていく」という言い方もある。トェノムとは、中国人を蔑(さげす)んで言うことばで、「ウェノムは解き櫛(くし)、トェノムはすき櫛」という韓国の慣用句にも出てくる。ウェノム(倭奴)とは日本人の蔑称で、つまりは「日本人は目の粗い櫛で髪を梳(と)かすだけだが、中国人は目の細かい櫛ですべてをこそぎ取っていく」という意味だ。中国大陸からやってくる人々にむしり盗られ続けてきた半島人の悲哀をよく表わしている。

さて、「芸は熊がやり、カネは熊使いにかすめ取られた」と語り、「30年間、利用されるだけ利用され、欺され続けてきた」と語った「元慰安婦」李容洙氏の、尹美香氏と挺対協、その後身となる正義記憶連帯(正義連)に対する告発は、その後もメガトン級の迫力を持って韓国社会全体を揺るがしている。その恨み(ハン=晴らせない無念の思い)の深さは、恐らく「慰安婦問題」という得体の知れない怪物に支配されてきたこの間の日韓の歴史を根底からひっくり返すほどの衝撃波・インパクトがあると私は見ている。

李容洙氏は5月7日、突然の記者会見をして告発の口火を切ったあと、5月25日には2回目の記者会見を行った。この間、朝鮮日報や中央日報など保守系メディアの報道を通じて、尹美香氏と挺対協にまつわる疑惑が次々と浮上し、収拾のつかない状態になっている。その間には、尹美香氏は李容洙氏が姿を隠していたホテルを何の前触れもなく訪ね、李容洙氏に対し土下座をして謝ったという。しかし、その突然の訪問に李容洙氏は体の震えが止まらないほどの恐怖の反応を示したと言われる。二人はソウルの日本大使館前で30年近くに亘って反日糾弾デモ「水曜集会」を主催し、毎回必ず参加してきた主要メンバーであり、外にはその硬い同志的連帯を見せつけてきた間柄のはずだった。しかし二人の今の姿、関係性は、そうしたイメージからはあまりにもかけ離れている。

李容洙氏の告発以降、公に姿を現すことなく居所を隠していた尹美香氏は5月29日になって、ようやく記者会見を開いた。この日は、4月15日の総選挙で与党の比例代表候補として当選し、国会議員としての任期が正式に始まる5月30日の前日で、まさにぎりぎりのタイミングで記者会見を開き、疑惑についてはちゃんと釈明しましたという、いわばアリバイづくりのための会見に過ぎなかった。

この日、40分に亘った会見で、尹美香氏はその半分以上を使って用意してきたA4用紙37枚もの原稿を一方的に棒読みし、自分にかけられた疑惑のすべてを否定した。残り10分は場所を変えて、記者の質問に答えたが、その答えの大半は、「今は検察の捜査を受けているので詳細は答えられない」という言い逃れに終始した。顔面蒼白の表情の一方で、会見の途中からは、首から胸元にかけて流れ落ちるほどの汗がぎらぎらと光り、司会役の与党議員が「これ以上は本人も辛そうなので、質問はやめてくれ」と間に入って、会見を途中で打ち切るほどだった。普通の人間だったら、正直に答えることに何の戸惑いも恐れもないはずで、あれほどの汗をかくことは尋常ではない。おそらく、あの汗はビクビクと震えている体から出た「冷や汗」であり、人間の体は、その心の内に嘘をつかないことを教えてくれている。逃げるように会見場をあとにする尹美香氏に対し、「議員を辞退するつもりはないのか?」「なぜ逃げ回っていたのか?」など、厳しい質問が投げかけられた。

ところで、翌日、国会に登院した尹美香氏は、前日のオドオドした姿とは打って変わって満面の笑みを周囲にばらまき、自分が疑惑の渦中にいることなど微塵も感じさせず、普段どおりの強かなところを見せつけた。しかしそれには理由がある。正式に国会議員になった今は、国会が同意しないかぎり任期中は逮捕されることはない、いわゆる「不逮捕特権」を手にしたからだ。全議席の5分の3、180議席を占める巨大与党は、前日の記者会見で尹美香氏はしっかりと釈明したとして「禊ぎは済んだ」というような態度で、今後は検察がどう動こうとも逮捕に同意するはずがない。

しかし、逮捕の可能性はないとしても、これまでに浮かび上がった疑惑の数々に対しては、国民が納得するまで追求は続くだろうし、国会議員になった以上、それなりの重い説明責任を負うべきことは当然のことだ。それに政権与党の「ともに民主党」と大統領府青瓦台が、尹美香氏の疑惑解明に蓋をし、国会議員就任を許したということは、尹美香氏の疑惑について、与党と青瓦台にも説明責任が生じ、政権全体の疑惑にも発展したということでもあるのである。

それにしても次々と暴かれる尹美香氏と挺対協をめぐる疑惑は、陳腐な言い方になったが「疑惑のデパート」などという程度ではなく、次から次に、剥けば剥くほど疑惑が出るとして「タマネギ男」の名前を戴くチョ・グク前法務長官に因んで「女チョ・グク」と呼ばれるほどだ。

挺対協と正義連はこの4年間、政府から13億ウォンもの補助金をもらっているが、これをどこに使ったか記者会見ではいっさい明らかにしていない。しかも、文在寅政権になってからの3年間で、政府補助金の額が46倍まで膨れ上がったことが明らかになっている。

挺対協と正義記憶連帯が朴槿恵政権時代の2016年に受け取っていた国からの補助金は、教育部からの1600万ウォン(150万円)に過ぎなかった。しかし、その翌年、文在寅が政権を握った2017年には、女性家族部から1億ウォン、教育部から2000万ウォン、ソウル市から3000万ウォンの総額1億5000万ウォン(1400万円)、2018年には女性家族部から3億3000万ウォン、ソウル市から1億ウォンの総額4億3000万ウォン、2019年には女性家族部からは前年の二倍近い6億3900万ウォン、ソウル市からの1億808万ウォンの計7億4808万ウォン(7000万円)に増えて、何と文在寅政権の3年間で国の補助金は46倍まで膨れ上がった。この間、挺対協が何か目立った活動をしたかといえば、2015年12月の慰安婦問題をめぐる日韓最終合意を突き崩すために、慰安婦らに日本の慰労金は受け取ってはならないと圧力をかけ続けたぐらいで、破壊はあっても建設的なことは何もせず、高齢化した慰安婦が次々にこの世を去っても政府に慰安婦救済のための対策を求めるわけでもなかった。それにも関わらず、補助金の急増ぶりは、文在寅政権と何か、裏取引きや癒着があったのではないかと疑わせるに十分でもある。

この間、国からの補助金以外にも、挺対協と正義連は、この4年間で49億ウォン以上の募金を集めている。慰安婦バッジなど関連の商品を製造・販売している企業は正義記憶連帯に6億5000万ウォンを寄付したといっている。しかし正義連はこの収入を記録していない。また尹美香氏はこの間、様々な募金の呼びかけを行い、自分の複数の個人口座に振り込ませていた。記者会見でその個人口座の詳細を公開するよう求められても、検察の捜査を理由に拒否している。

自身にかけられた疑惑を全て否定するということは、この疑惑を最初に提起した李容洙氏の主張はすべて間違いだった、記憶違いだったというのだろうか。記憶違いのおばあさんを散々利用して、嘘をばらまいてきたということなのか。しかも、前回のブログでも紹介したが、尹美香氏が李容洙氏と最初に接触したとき、李容洙氏は電話の向こうで、「自分ではなく、私の友達が慰安婦だった」と言っていたと尹美香氏はSNSでばらしている。つまり、李容洙氏はもともと慰安婦ではなく、慰安婦を装っていた可能性があるのだ。李容洙氏は、台湾で慰安婦をしていたと証言しているが、台湾は戦場でもなく慰安所を設置する理由もなかった。尹美香氏はどちらにしてももはや立つ瀬はなく、しっかりと説明責任を果たすことが求められている。

それにしても挺対協と尹美香氏をここまで聖域化しアンタッチャブルの存在にしたのは、何が原因だったのか?次回、それを詳しく解明したいと思う。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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