「国立墓地から親日派を排除せよ」韓国は古代迷信国家?

8月15日は、日本にとっては「終戦の日」だが、韓国では「光復節」、文字通り「光を取り戻した日」と呼ばれる。つまり「植民地?」という「暗黒時代?」にようやく光が差して、人々が「解放?」され、「独立を勝ち取った?」日だとされる。以上のカギ括弧つきの言葉はいずれもフィクションか、疑問符つきの言葉である。

ことしはそれから75年が経った。しかし、この国は、その75年前の歴史評価はおろか、70年前の朝鮮戦争、40年前の光州事件に至っても、いまだに「歴史的な事実」が確定せず、左・右の政治勢力による互いの攻撃の材料に使われているのが現状だ。

わずか40年前、1980年の光州事件については、いまだに死者・行方不明者の数さえ確定せず、北朝鮮から侵入した特殊部隊600人によって仕組まれた武装工作活動だったとする池萬元氏(「元韓国陸軍大佐の反日へ最後通告」ハート出版2020年の著者)のような主張もある。そもそも光州事件は、1980年代には「金大中が起こした内乱陰謀罪」とされ、大法院(最高裁)で金大中に死刑判決が下された事件だった。金泳三が大統領に就任すると、特別法まで作って光州事件は「5・18光州民主化運動」と規定され、それ以外の呼び方は許されなくなった。それに異議を唱え、池萬元氏のような異論を主張することは処罰の対象となるという「光州事件侮辱禁止法」なる法律さえ制定されようとしている。歴史を自分たちの思い通りに描くためには、法律の力で縛るしか、もはや方法は残されていないのである。

ギリシャの哲学者プラトンは「ストーリーの語り手が世界を支配する」と言ったという。それは万民が納得せざるを得ないストーリーが語られる時であり、口からでまかせのそら言や与太話をいくらしゃべっても誰もついて行くことはない。

朝鮮戦争についていえば、北朝鮮軍の南進で釜山まで追い詰められた韓国軍が局面を打開し、反撃に転じる上で大きな役割を果たした白善燁(ペク・ソンヨプ)将軍がことし7月10日、99歳で亡くなった。偶然にも、元女性秘書からのセクハラ告発を受け自殺したあの朴元淳ソウル市長が死体で見つかった日と重なる。しかし、一方が5日間にも及ぶ市民葬として盛大に葬儀が行われたのに対し、朝鮮戦争の英雄に対しては、保守系市民団体が光化門広場に市民焼香所を自主的に作っただけだった。

朝鮮戦争から韓国を救った1950年8月の「多富洞(タブドン)の戦闘」では、第一師団長として指揮をとり、攻め寄せる北朝鮮軍に向かって反撃する際に「貴官らは私の後ろに続け。もし私が引き退がるようなことがあれば、誰でも私を撃て」と命じて、先頭に立って突入したという伝説の将軍だった。その後、平壌まで北朝鮮軍を押し返して平壌に最初に到達した師団長でもあった。韓国陸軍初代第1軍司令官や合同参謀会議議長を務め、退役後は台湾やフランス、カナダの大使、それに交通部長官を歴任した。

そうした英雄の告別式は、死去した病院でごく普通に行われただけで、軍も国家も関わることはなかった。しかも告別式にはハリス駐韓米国大使やエイブラムス在韓米軍司令官などが参列し、米国務省やホワイトハウスの国家安全保障会議NSCまでが追悼の声明を出したにもかかわらず、文大統領はSNSで追悼メッセージを寄せることもなかった。

東亜日報7/16「文大統領、白善燁将軍の告別式にも追悼メッセージ出さず」

さらに白善燁将軍の遺骨を国立墓地顕忠院に納めるかどうかについても、独立功労者の遺族で作る「光復会」からは猛反対の意見が寄せられた。白善燁将軍は、戦前、満州国軍官学校で学び、満州国軍の関島特設隊で抗日ゲリラの掃討作戦を行い、多数の同胞や中国人を殺した親日派だというのが、その理由だった。しかも朝鮮戦争の際にも、北朝鮮軍を反撃する際に、多数の同胞民族を殺害したことも罪の一つだという。それでは北朝鮮軍が殺した南の住民はどうなるのか?朝鮮戦争は戦わずして北朝鮮に負ければ良かったというのと同じだ。

「光復会」の金元雄(キム・ウォヌン)会長は、8月15日光復節の演説で、李承晩初代大統領の名前を呼び捨てにし、親日派だと断言した。「国立墓地にある親日派の墓を掘り返そう」ともいった。李承晩も朴正煕も国立墓地顕忠院のなかのひときわ大きな墓に葬られている。

国歌の「愛国歌」を作曲した安益泰(アン・イクテ)も親日派だと弾劾し、「国歌を禁止しなければならない」ともいった。安益泰が親日派であるのは間違いない。東京高等音楽学院で学び、満洲国建国10周年記念祝賀曲を作曲した。しかし、それ以上に国際的に活躍し、韓国の音楽文化に貢献した人物である。安益泰の遺灰の一部も国立墓地顕忠院に埋葬されている。

中国には「剖棺斬屍」という言葉があるという。字のごとく、墓を暴き、棺を壊し、屍を引きずりだし、改めて切り刻んで処罰するという極刑のことをいう。これと同じことが21世紀の韓国で行われようとしている。その名も「破墓法」という名の、国立墓地法の改定が行われようとしているのだ。国立墓地に埋葬されている「親日派」として、69人の名前を特定し、彼らの墓を外に移転させようというのである。

「親日派鬼神のせいで愛国志士たちが安らかに眠れない」というのが法改定の趣旨だという。黄泉の世界で、親日派と愛国抗日志士が一緒になったら安穏に眠れないというのである。法案には、与党「ともに民主党」など国会議員300人中、190人が賛成しているという。

どこの世界、いつの時代の人々なのだろう?甲申事変に失敗し、日本へ亡命後、上海で暗殺された金玉均の遺体を朝鮮に運び、改めて八つ裂きの刑「凌遅処斬」に処し、その残骸を野ざらしにした120年前の発想と何ら変わっていない。漢字の言葉として残っているということは、そうした刑罰がかつては中国に存在したことは間違いない。しかし、現代社会にそうした観念を引きずっているのは韓国人だけだろう。死んだ人でも、さらに罰して辱めを与えると言う発想は、その行為を行う人、あるいはその行為を目撃して喜ぶ人が、それによって溜飲を下げるという自己満足、自己陶酔の意味しかない。そんなことで満足できるおめでたい人々ともいえる。

一方で、日本は、悪人でも往生でき、山川草木悉皆成仏、草も木も人も、死んだあとはみな平等、仏になるという死生観、宗教観をもつ民族である。それとは真逆の発想をもち、われわれには理解不能な行動をする人々がすぐそばにいるということを、忘れてはならないし、そのことを意識して付き合う必要があるだろう。

親日清算を掲げる文在寅(ムン・ジェイン)政権は、2019年に「独立有功者の全数調査」を始めると宣言し、その調査対象者は1万5000人に達するという。当初の調査期間は半年と言われたが、1年半が経過しても結果は音沙汰なしだった。しかし、最近、その第1次分として調査を終えた619人のうち、親日行為の疑いがあって叙勲の取り消しを検討すべき人物として16人の名簿が示されたという。その中には、文大統領が今年6月。国立墓地顕忠院の追悼式で独立軍の英雄として賞賛した崔振東(チェ・ジンドン)将軍もリストに含まれていた。大統領自ら独立有功者として褒めたたえたのに、その人物の勲章を剥奪しなければならない状況に追い込まれたのだ。

「朝鮮日報」によると、中学・高校の教科書に作品が幾つも載っている韓国近代文学の巨頭の一人も、今回の調査で親日派として指摘された。親日派だと最終的に烙印(らくいん)を押されたら、教科書から作品を全て削除しなければならないということもあり得るという。<朝鮮日報コラム8/23「親日追い込みのブーメラン」>

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/08/21/2020082180192.html

韓国近代文学の巨匠といえば李光洙(イ・グァンス)や金東仁(キムドンイン)、金史良(キムサリャン)、張赫宙(チャンヒョクチュ)など多くの名前が挙がるが、彼らは最初、日本語で文章を考え、それをハングルに直すことで作品にしたという。そうした事情は金哲著「植民地の腹話術師たち」(渡辺直紀訳・平凡社2017)という本に詳しい。文学者の親日履歴をいちいちほじくり出していたら韓国の近代文学史は成り立たないだろうし、光復以後の韓国の行政機構の日本統治時代からの連続性を考えたら、「親日派」を排除するということは、戦後の韓国を全て否定することに繋がる。

要するに、文在寅政権が進める親日清算とは、自分の足元に斧を振り下ろすことでもあるのだ。

お墓と言えば、大統領になるためには、風水の良いところに先祖代々の墓をもたなければいけないと言われ、風水師に占ってもらって地勢がいいという占いが出たところに墓を移すということが、過去何代かの大統領によって実際に行われてきた。そして、いま「ともに民主党」の大統領候補となった李洛淵(イナギョン)前首相も最近、同じように墓を移したと報道されている。一国を率いるトップからして、古代の発想のままで生きている人々なのだ。理解できないというだけでなく、不気味というしかない。

国立墓地顕忠院(ソウル銅雀区)、1955年に開設され、365エーカーの敷地に17万6000柱の兵士、独立運動の闘士、国家功労者が葬られている。朝鮮戦争で戦死した兵士のうち名前が分かっているのは10万4000人、無名戦士は6000人。将校5万4000人は階級ごとに山腹に墓石が並ぶ。李承晩、朴正煕、金大中、金泳三の4人の大統領の墓、上海臨時政府の閣僚、独立運動家、文化人など国家功労者らの墓石、満州での抗日ゲリラに参加した「独立軍」無名戦士の碑などがある。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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