文革50年、その「幼児性」を考える

「ビートルズ音楽革命」と「文革・紅衛兵運動」

2016年6月は、ビートルズ来日公演から50年だという。NHK-BSで3時間にわたる特集番組を放送していた(2016年6月25日夜、BSプレミアム「ザ・ビートルズフェス~来日50年記念・3時間SPECIAL~」)。

50年前の1966年といえば、中国では、文化大革命が始まった年でもある。1960年代、日本を含めて西側諸国では、ビートルズに熱狂する一方で、カルチェラタンや東大闘争など「体制」に叛旗を翻す「荒れる青春」の若者たちがいた。あの時代、そんな彼らも、ビートルズの歌に代表されるように、自分の感情や悩みをストレートに表現することができ、ある意味、全身で青春の喜びや悲しみを体感し、自由を「満喫」することができた。

一方で中国の若者たちは、ビートルズの音楽など耳にすることもなく、突然「造反有理」「革命無罪」のスローガンが与えられ、閉鎖国家のなかでの大衆運動に名を借りた権力闘争に巻き込まれていくことになる。

唐亜明著『ビートルズを知らなかった紅衛兵:中国革命のなかの一家の記録』(岩波書店)は、紅衛兵だった著者(日本に留学)の実体験をまとめた証言記録である。

中学高校生が主体で、分別もない若者たちは校舎を破壊し、教科書を焼き捨て、先生や目上の人たちを批判集会に連れ出し、三角帽子をかぶせ、「ジェット式」と呼ばれる屈辱の姿勢をとらせてつるし上げ、さらには「破四旧」と称して貴重な文化財や伝統文化の破壊を繰り返し、チベット寺院の破壊など徹底的な宗教弾圧の先頭にたった。

彼ら紅衛兵は、ビートルズと同世代だった。ビートルズは、半世紀たった今でも、その音楽は多数の若者をひきつけ、いまなおファンは増えている。いまでも若者たちの音楽活動に刺激を与え続け、音楽の文化・歴史を変えたといわれるほどの大きな影響を残している。

一方で、文革時代の紅衛兵たちは、彼らの運動によって何か新しいものが生み出し、ひとつの時代を画し、文化と呼ばれるような足跡を何か残したのだろうか。そんなものは何一つとしてない。

そもそも紅衛兵たちは、ビートルズと同じように自由にものを考え、自分の考えを自由に表明できたのかといえば、そんなこともなかった。あの当時、一部の共産党高級幹部の子弟(習近平など)を除けば、彼らはみな貧しく、生きるのに精一杯で、音楽を楽しむゆとりもなかったに違いない。

文革のなかで、若者たちがとった行動は、彼らがみずから考え、みずから望んで行ったのものではなかった。彼らの願望や発意で行った行為ではなく、毛沢東を中心とする権力グループ(文革工作小組、いわゆる「四人組」)によって、最初から仕組まれ、うまく若者たちを踊らせた結果に過ぎなかった。要するに、「文化大革命」とは称しているものの、「文化」に何か影響を与えたわけでも、新しい文化を生みだしたわけでもなく、ただ破壊だけの無駄な時間、10年もの長い歳月を浪費したに過ぎなかった。

確かに、毛沢東主義あるいは毛沢東「思想」(カッコつきなのは毛沢東思想の何たるかを知らないから)は海外にも輸出され、たとえばペルーの共産ゲリラ「センデロ・ルミノソ」やカンボジアのポルポト派、ネパール共産党毛沢東派、それに日本の連合赤軍などのテロやゲリラ活動の理論的支柱となったといわれる。

しかし、いま考えてみると、毛沢東の「革命理論」よりも、ビートルズが世界に及ぼした「音楽革命」のほうが、はるかに影響は深刻かつ広範で、しかも人類文明の発展にもプラスの効果を与えていることが分かる。ビートルズの曲は一度聴けば、多くに人をひきつけ、その人たちの心を暖かくし豊かにする力があるからだ。ビートルズの美しい音楽、それに心ふるわせた青春の思い出と並べて論じるには、あまりにも悲惨な文化大革命、無残な紅衛兵運動であり、比較の対象にもならない隔絶したテーマであることは百も承知しているが、それらが半世紀前の同時代であったことの確認と、その時代の雰囲気を互いに共有することもなく、閉ざされた社会の向こうで何が行われていたのかも十分検証されてこなかったことを再認識するためにも、もう少しこの問題にこだわることをお許し願いたい。

人の命に、どうしてそこまで残虐になれるのか

毛沢東が発動した文化大革命、その先兵になった紅衛兵運動の実態をみると、毛沢東「主義」あるいは「思想」といわれる本質が理解でき、同時に、有史以来のシナ世界に住む人たちの習性、本性も理解できる、

毛沢東の革命思想は、カンボジア・ポルポト派による無差別大量殺戮、映画「キリング・フィールド」で描かれたような悲惨な状況に代表されるように、人民や一般大衆(「老百姓」)と呼ばれる存在も、単に砂粒の集合体でしかなかった。要するに、人の命は砂の一粒に過ぎず、ひとり一人がそれぞれに持つ別の表情や個性、感情は無視された。毛沢東がフルシチョフに語ったという「米国の原爆が中国に落とされて人口が半分になっても、残り半分生き残れば十分だ」という言葉も、人間を砂粒としてしか見ない発想からきている。

紅衛兵たちが各地で行った破壊活動や残虐行為、中国人全体が熱病に侵されたかのように行った批判闘争集会、つるし上げと拷問、罪状をでっち上げる謀略と捏造、親さえ告発する集団監視と密告社会、はては分派対立から戦車や機関砲まで持ち出しての市街戦まで演じた抗争事件、などなど。いずれを見ても、彼らの人の命に対する考え方は理解できる。

文革中の抗争事件で重慶での市街戦についてはPhilip P. Pan著『Out of Mao's Shadow: The Struggle for the Soul of a New China 』(邦訳「毛沢東は生きている」PHP出版)に詳しい。

要するに、人の命を虫けら同然に軽んじて恥じず、人を傷つけ人の命を奪う行為に何の躊躇(ためらい)もなく、人の死に何の畏怖も感じず、遺体をむごたらしく損壊しても天に恥じない、そんな彼らの習性を垣間見ることができたのも文化大革命の実相だった。

実際、文化大革命時代に行われたチベットや内モンゴルでの少数民族に対する弾圧、ジェノサイド(大量殺戮)や民族浄化の具体例を見ると、言葉にするのもおぞましいほどの残虐性、嗜虐性を示していることがわかる。文革時代の内モンゴル人民革命党に対する弾圧、そのなかで行われたモンゴル人に対する大量殺戮、民族浄化を狙ったモンゴル人女性に対するレイプや性的拷問の実態は、静岡大学教授・楊海英氏の『墓標なき草原』上・下(岩波書店)や『共謀国家・中国の正体』(扶桑社新書)に詳しい。

文革大革命が見せた異常性は、シナ世界の人々が、古来から連綿と引き継いできた民族的習性、風俗、民族文化を垣間見せることになった。そうした遺伝的体質がよく出ているのが、人肉食(カニバリズム)という中国人特有の習性だ。文化大革命のなかで、対立する相手を打倒し、殺害したあと、その内臓などを食べる人肉食の例が各地で報告されている。鄭義著『食人宴席―抹殺された中国現代史』(カッパブックス1993年)や楊継縄著『毛沢東―大躍進秘録』文芸春秋(原書は『墓碑』2008年)に詳しい。

伝統的に人肉食の習性があることは、彼らの漢字文化に動かせない証拠が残っている。「晡醢」という言葉が現代の辞書にも載っている。「晡」とは干し肉、「醢」は肉を細切れにし塩漬けにすることで、「晡醢」とは「古代、死体を塩漬けにして乾燥させる極刑」(『中日大辞典』)とある。つまり人間の死体を切り刻む行為や塩漬けにする行為にも、それを指す漢字がしっかりとあり、そうして造られた塩漬けの乾燥肉を示す単語もしっかりと存在する。言葉があるということは、古くからそうした食品をつくり、ごく普通に食べてきたことを示す確かな証拠ではないか。

東洋史学者桑原隲蔵が書いた『支那人間に於ける食人肉の風習』(初出1924年、Kindle版で公開)によれば、『前漢書』『後漢書』などには、いたるところに「人相食」の記述が見られ、『水滸伝』では「随所に食人肉の記事が見えて、一々開列するに堪えぬ」というほどだ。

文化大革命は、太平天国の乱や義和団事件と同じようなカルト集団の系列に属し、さらに遡れば、共産党による中国革命も、後漢末期の「黄巾の乱」をはじめ、数々の王朝の交代の引き起こした農民の反乱や民衆蜂起と同じと考えることもできる。そのうち『三国志』の時代につながる「黄巾の乱」では、大量殺戮や戦乱による飢餓で当時の人口が十分の一以下に激減するといった悲惨な歴史も経験していた。

また彼らの街は、周囲を城壁で囲われた城郭都市が一般的だが、その城壁のなかの住民をひとり残さず虐殺し、街全体に火をつけて焼く尽くす作戦、つまり彼らのいう「三光作戦」(殺し尽くし、焼き尽くし、奪いつくす)とは、それこそ古代から20世紀まで、彼らの間では一貫して続けられてきた伝統的な戦闘手法であった。たとえば国共内戦時代には、林彪率いる東北軍が長春市の周囲を1年半に渡って完全封鎖し、80万人もの犠牲者をだした包囲作戦があり、犠牲者の数では彼らが30万人と主張する南京事件の比ではない。

また日本人230人が惨殺された「通州事件」での、彼らの残虐非道な殺害方法、殺害後もなお遺体を損壊し犠牲者の尊厳を奪う行為、その鬼をも恐れぬ、血も凍るような無慈悲さは、日本人にはとうてい想像も及ばない、彼らにしかできない非人間的な行為というしかない。理性も知性も失った集団が、ここまで残虐になれるという証拠を残すためにも、通州事件は、ぜひともユネスコの世界記憶遺産への登録を目指すべきだ。

根本から深く考えることのない「幼児性」

日本人を集団で殺害した通州事件の凄惨な現場、文革時代に紅衛兵がとった残虐行為、チベットやモンゴルなど異民族に対して行った大量虐殺、民族浄化、宗教弾圧、文化破壊の実態を知って、つくづく思うのは、シナ世界に住む人々の「幼児性」ということだ。

たとえば、敵対する人間を罵倒し、徹底的に辱めを与えるため、私たちには考えられないようなむごたらしい虐待や拷問の方法を考え、殺害したあとも死者をさらに鞭打つかのように、目も当てられないほどに遺体をもてあそぶ。しかも、それらの行為を彼らはむしろ楽しんでやっているかのように見えることだ。彼らには、人の命に対する考え方がわれわれと根本的に違うのではないか。

ここでいう「幼児性」とは、別の表現を使えば、人間の命に対する尊厳、畏怖といったものが微塵も感じられない、軽薄皮相な行為、今だけ良ければいいという刹那的快楽主義といってもいい。

たとえば「因果応報」、「輪廻転生」といった古代インド・ガンダーラで生まれた教えは、漢訳仏典を通してわれわれは学び、幼いころから「悪いことはしたら必ず罰せられる」、「現世で善行を積めば来世では必ず報われる」と聞かされ、日本の子供たちならそれをごく当たり前のこととして考えている。そうした考え方は、仏教を信仰するチベット人やモンゴル人、アッラーの神を信奉するイスラム教徒もおそらく変わりはない。

あるいは「一木一草、すべてものに神は宿る」と考え、自然を大切にし伝統を敬う日本神道の多神教的な考え方。あるいは人知を超えたところに永遠の存在である全能の神がいて、すべてを律していると考えるキリスト教的な唯一神の考え方。そのいずれの考え方に従っても、人間の知恵や力の及ばないところに超自然的で永遠の存在があり、すべてに超越する絶対的な存在がつねに頭上にあると考えるから、人間は自己を振り返り、自己を律することができるのではないか。

シナ世界の人たちには、そうした宗教観も生命観も見られない。生命とは何か?宇宙とは何か?というような根源的な問いに対して、とことん思索をめぐらし、徹底的に考え抜き、導き出された思想、哲学の深みといったものが感じられない。

つまり彼らの「幼児性」とは、「中華思想」の浅薄さの現れであり、古代インドの思想家やギリシャの哲学者のようにラディカルに(根本から)考える思考の深みや、永遠なるもの、あるいは畏怖し畏敬する存在を追求する真摯な姿勢が欠如している証でもある。

彼らの体質となっているものの見方・考え方は、一朝一夕で変わるはずもない。そうならば、彼らの考え方・行動様式とは最初からそういうものなのだと、私たちの側で見極め、それにいつでも対処できるように常に身構えておく必要があるのではないか。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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