南シナ海「九段線」に法的根拠はない④

南シナ海問題をめぐる初の国際司法判断が出るのをまえに、南シナ海問題とは何かを改めて整理するため、南シナ海問題の歴史的経緯をたどっている。

<「南シナ海」という呼称こそ問題>

だいたいにおいて、この海を「南シナ海」(South China Sea)などと呼び、中文では「南中国海」などと標記するから、おかしくなる。そもそも、20世紀初頭まで「中国」などという地理名や国名は存在しなかった。かつて東南アジアの国々では、この海は「チャンパ海」(Champa Sea)あるいは「チャムの海 」(Sea of Cham)と呼ばれていた。16世紀までインドシナ半島で繁栄を極めたチャンパ王国のことを考えれば、この呼び名のほうがはるかにふさわしい。これまでのブログ記事、「南シナ海は古来より「中国」の海にあらず」で明らかにしたように、古来より、この海域の周辺で暮らし、船で縦横に行き来してきたのは、「オーストロネシア祖語」を話す先住民を共通の祖先に持ち、そこから各地に移動した「南の島の民・ヌサンタオ」の人たちだった。彼らが残した寺院など多くの古代遺跡からは、インド文明や仏教文化の影響が色濃く残っている一方で、シナ世界の痕跡などどこにも見られない。ちなみに、いまのベトナムにとっては、この海はまさに「東海」であり、フィリピンにとっては、アキノ前大統領が2012年9月に行政命令を出して使用を義務づけたように「西フィリピン海」でしかありえないのである。

ところが、紀元前4世紀に書かれた「逸周書」や「春秋左氏伝」、「國語」などの書物には「南海」、「南方海」あるいは「漲海」(膨張する海)、「沸海」(沸騰する海)などの記述がとされ、これらはみな、「“南シナ海”が古来より“中国”の領土である」ことを示す最初の歴史的文書だと主張される。しかし、ウィキペディア英語版(Wikipedia“ South China Sea”) の説明によると、「逸周書」には「“南の海”からやってきた野蛮人が、周の王にウミガメを貢ぎ物として献上した」という記述があるだけで、これをそのまま素直に読めば、南の海は「野蛮人」のものであり、「周王」が支配し所有していたとは言っていないことが分かる。そもそも紀元前4世紀の春秋戦国時代に、シナ世界全体を統治する支配者や国は存在せず、ましてや「中国」など姿かたちもなかった。そんな時代に「南の海」を誰がどのように支配したというのか。

また「漲海」(膨れ上がる海)や「沸海」(沸き立つ海)といったおどろおどろしい表現からは、南の海からやってきた「野蛮人」(つまりは南の島の住民「ヌサンタオ」の人たち)から聞きかじった情報をもとに、実際には目にしたこともない遠い大海について、勝手に想像を膨らませ、恐ろしくて近寄りがたい存在だと見なしていたことがわかる。大陸民族のシナ世界の人々は、インド太平洋の海洋民族とは違って、海を怖れ、海を忌み嫌った人々であり、海の盗賊「倭寇」の脅威から逃げ回った人々だった。西洋では大航海時代が始まり、インド太平洋の海にポルトガルやオランダの船が頻繁にやってくる時代になっても、当時のシナ世界では、「万里石塘」の言い伝えのように、大海の真ん中には船や人を寄せ付けない難所が横たわっていると信じ、また琉球に冊封使として赴くだけでも、まさしく「死出の旅路」であり、それこそ必死の覚悟が必要な人々だった。

おなじくこれまでのブログ記事(「南シナ海「九段線」に法的根拠はない」)で見てきたように、中華民国や共産中国が勝手に線引きをして自分たちの領海、領土だといいだした「十一段線」「九段線」あるいは「U字型ライン」(U字線)は、まったくのハッタリであり、でっち上げに過ぎない。なぜなら、自分たちの領土、領海だという割には、この海域の島や岩礁については何ひとつ知らず、自分の目で確かめたこともないから、島や岩礁の名前も、西洋人が海図につけた名称をそのまま借用して恥じず、海面下にある暗礁を島だと主張するなど、誤解や無知に基づくものばかりだった。九段線やU字型ラインを書き込んだ地図は、国際法的には領土、領海を主張する根拠とはなりえず、ただ無知と無恥をさらけ出すだけの代物に成り下がっている。

習近平は確固とした証拠も示さず「南シナ海は古代から中国の領土・領海だ」と強弁するが、単にハッタリに過ぎない「九段線」の主張と同様に、すぐに嘘がばれるような「古文書」を後生大事に持ち出すから、彼らの見え透いた詭弁は、すぐに底が割れるのである。古代から中国の領土・領海という主張に対しては、彼らが古くから海を恐れ、海を知らない民族であった数々の証拠を示し、断固、反撃し反証しなければならない。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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