「中華植民地」習近平のモンゴル人・ウイグル人支配

中国共産党総書記・習近平は、9月25・26日、2日間にわたって開催された「中央新疆工作座談会」で、「中国の特色ある“社会主義新疆”を建設するための新時代の治疆方略(新疆ウイグル自治区統治政策)」に関する重要講話を発表した。

それによると、今後の「治疆方略」すなわち新疆工作の目標は「依法治疆、団結稳疆、文化潤疆、富民興疆、長期建疆」、つまり「法に依って新疆を治め、団結して新疆を穏定(安定)させ、文化で新疆を潤し、民を富ませて経済を振興し、長期に安定した新疆を建設する」ことだという。中国語の漢字というのは、政治スローガン(標語)を作るときには「簡にして要」、短く的確に表現できるので便利だ。しかし、そこにどんな具体的な中身を盛るかについては、当然のことながら、長い説明が必要で、こうした習近平の「重要講話」は、このあと全国の共産党員がその中身を必死で暗記させられることになる。だから「四字成語」でやたらと政治スローガンを作るのは、老百姓(大衆)にとっては実は迷惑も甚だしいのである。

ところで、習近平は「重要講話」のなかで「中華民族の共同体意識」という言葉を強調した。

「各民族の団結を強固にするためには、中華民族としての共同体意識を固く持つことを主体にしなければならない。新疆は古来、多くの民族が寄り集まって暮らし、各民族には中華民族の血脈が流れる中華家族の一員でもある。中華民族として共同体の歴史と多元一体構造の研究を強化することによって、中華民族の共同体意識に関する教育を、新疆の幹部教育や青少年教育、社会教育に取り入れ、各民族の幹部と大衆に正確な国家観、歴史観、民族観、文化観、宗教観を樹立させるように教育指導し、中華民族の共同体意識を心霊(精神)の深層に植え付けなければならない。」とした。その上で「新疆のイスラム教を中国化させる方向を堅持し、宗教の健全な発展を実現する。イデオロギー分野での活動を注意深く上手に行うことで、”文化潤疆”(文化で新疆を潤す)というプロセスを深く展開する」とも述べている。

ここでいう「中華民族の共同体意識」という言葉は、国民の実感として具体的に何を意味し、どう理解しているのかは、実際にそこに暮らす人々しか分らないだろう。この言葉に習近平がいかなる意図を込め、この言葉が具体的な内実を伴って人々の心の中に機能しているかどうかは別にして、チベットやウイグルの実情に触れ、その歴史を学んできたわが身にとっては大きな違和感を抱かざるを得ない。

私は6年前にチベットを旅行し、5年前と4年前には新疆ウイグル自治区をそれぞれ訪れたことがある。新疆ウイグルの旅では、区都ウルムチやホータン、カシュガルなどを旅行し、その体験は以下のブログとYouTube動画でも紹介している。

「新疆ウイグルでいま何が起きているか~街の息苦しさは刑務所の中と同じ~」(2017/11/15)

 YouTube動画(「新疆ホータン、カシュガルでの厳重警備と監視」)。

本当に「平和と繁栄」の「一帯一路」か?~中国パキスタン経済回廊の現地を見る~」(2017/11/16)

YouTube動画「一帯一路 中パ経済回廊を行く


このうちYoutube動画「新疆ホータン、カシュガルでの厳重警備と監視」を見てもらえれば分るが、新疆ウイグルの主だった都市には、「便民警務站」と書かれた青い看板の「派出所」の建物が街のあちこちに設置され、それこそ街の中心部では数百メートルごとに置かれている。そして異様なのは、この派出所の建物は周囲が鉄柵や金網で覆われていることだ。つまり外部からのテロ攻撃や人民の襲撃に備えて、本来なら市民を守るべき公安(警察)が鉄柵によって市民と隔絶し、市民の反抗心と敵意のなかで、金網で自らを守らなければならない存在なのである。

派出所だけでなく、街の道路上ではあちこちに臨時の検問所が設けられ、歩行者やバイクに乗った人を呼び止めては、身分証を調べ、荷物検査を行っていた。また一つの都市から別の行政区の都市に移動する際には、境界にある交通検問所で、すべての出入りする車両の検問が行われ、どこも大渋滞が発生していた。ここでは、車から全員が下り、全てのドアを開け放たなければならなかった。警官は、リアウィンドーやバンパーまで開けさせ一台一台調べていた。

そしてドライバー以外の同乗者やバスの乗客は全員、別の通路を歩かされ、X線検査による身体検査や身分証と顔認証による身元の確認が行われた。ところが、われわれ外国人に関しては、団体旅行客の名簿リストさえ見せれば、バスを下りる必要はなく、そのまま検問所を通過できた。

つまり、地元に住む住民に対してだけ厳しい身元確認や荷物検査が行われる一方、よそ者の外国人はスイスイと何の障害もなく検問所を通過しているのである。こうした様子を見て、古くからそこに住む住民たちは、どう思うだろうか。自分たちの土地に、異民族の外部の人間が入り込み、好き勝手なことをやり、自分たちを追い出し、支配しようとしているという違和感、疎外感しか感じないのではないか。

このどこに「中華民族の共同体意識」とかいうものが生まれる余地があるというのか?「中華民族」としての意識どころか、「共同体」への共感さえ持つことはできまい。「共同体意識」とは本来、自分の生きる場所があって、そこで互いが共に平和に豊かに暮らしているという感覚があるからこそ生まれるものだと思う。

実は「便民警務站」という名の派出所・交番の設置は、2016年に新疆ウイグル自治区のトップ、つまり共産党書記に就任した陳全国が、新疆統治のために始めた政策だった。陳全国は、その前の5年間、チベット自治区の党書記を務めた人物で、チベットでも「便民警務站」という名の警官の詰め所を至るところに設置していた。2014年当時、チベットのラサで私が実際に見た「便民警務站」は、単にテントや大きなパラソルを設置し、その下で数人の警官がたむろする様子に過ぎなかったが、要するに街のあちこちのあえて目立つ場所に「便民警務站」を置くことで、チベット人に対し24時間監視していることを見せつけることに目的があったと言われる。チベットの簡易型「便民警務站」の発展型、つまり多数の警官が寝泊まりできるほど大型で、金網に覆われた頑丈な公安施設をウイグル全土に張り巡らしているのである。

自分たちの「共同体」のなかの住民なら、24時間監視する理由も必要もないはずだ。やはり、チベット人もウイグル人も、自分たちとはちがう異民族であり、自分たちの支配に反抗的で、独立を志向し分離主義的傾向を持つから、24時間厳しく監視し、力で押さえつけなければいけないと考える。つまり、かつての中国が西洋列強の帝国主義によって香港や上海、青島、旅順などが簒奪され、日本による満州国建国を許したのと同じように、かつて否定したはずの植民地支配を、中華民族主義の習近平政権がみずから堂々と行っているのである。

今まさに内モンゴル自治区では、民族の言葉であるモンゴル語に代わって中国語による授業を小中高校に押しつけようとする政策に対して、モンゴル人の激しい抗議運動に起きている。

アメリカに拠点を置く人権団体「南モンゴル人権情報センター」は、現地からの情報として、8月下旬以降、4000人以上のモンゴル人が当局に拘束されたと伝えている。

NHKニュース9/27「内モンゴル自治区 中国語教育強化に抗議の保護者ら 当局に拘束」

現代中国について研究し、商売上の付き合いを含め中国と何らかの関わりをもった人なら、現代中国にとって周辺の少数民族問題は、彼らの政権の正当性を問う一大課題であり、毛沢東時代を含め、いつの時代も中国共産党のアキレス腱だったことを知っている。

習近平が『中華民族の共同体意識』に言及した今、その内実を問い、突っ込みどころ満載の時代を迎えている。

NHKニュース画面9/27より

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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