日韓両政府が慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日韓慰安婦合意から、まる5年がたった。この合意は、2015年当時の米オバマ政権が仲立ちした国際交渉であり、立派な国際合意だった。文在寅政権は、この国際合意を、朴槿恵前政権による「積弊」の一つだとして、いとも簡単に反古にし、国と国との約束を一方的に葬り去った。
この間、文在寅政権は、「被害者中心主義」と称して、慰安婦合意には被害者の声が反映されなかったと批判してきたが、それでは自分たちは被害者のために何をしたのかというと、この間、まったく何もせず、何の手も打ってこなかったことは明らかだ。
慰安婦合意が成立した2015年末当時、47人いた慰安婦は2020年12月時点で16人しか残っていない。その16人に対しても、韓国政府は何の手も差し伸べず、あの世に旅立つのをただ座視するにすぎないだろう。
すくなくとも日本政府は、日韓合意にしたがって、韓国政府が作った「和解・癒やし財団」に10億円の資金を出資し、財団は、当時生存していた元慰安婦47人中35人に1億ウォンずつを支給し、すでになくなっている慰安婦199人の遺族64人に対しても2000万ウォンずつを支給した。
一方、日韓合意では、ソウル日本大使館周辺の静謐を確保するため、韓国政府は、少女像の撤去に向けて取り組むと約束したはずだが、その後も何の行動も起こさず、慰安婦団体が国内各地で進めている少女像の増設を黙認している。さらにそればかりでなく、慰安婦問題をこれ以上、国際問題化しないと合意したにもかかわらず、米国内や独ベルリンなど海外でも像の設置を進めているばかりでなく、「20万人の少女を性奴隷にした」などという荒唐無稽の主張を、ことあるごとに海外に向けて発信し続けている。
慰安婦合意から5年になるのを前に、加藤官房長官は25日の記者会見で、「日本は約束した措置を全て実施した。韓国側に日韓合意の着実な実施を強く求めていきたい。合意の実施は国際社会に対する責務だ」として、韓国側に合意の履行を強く迫った。また韓国側が合意に反し、ベルリンに少女像を設置したことなどについては「極めて残念だ。このような動きは日本国内の対韓感情を著しく悪化させる」と強く批判した。
<時事通信12/25「慰安婦合意、韓国に履行要求 加藤官房長官」>
一方、韓国外交部の崔泳杉(チェ・ヨンサム)報道官は29日の定例会見で「2015年の慰安婦合意は被害者中心のアプローチが欠如しており、慰安婦被害者問題の真の解決にならないというのが国内外の評価だ。人権蹂躙の問題解決の核心は被害者の救済にある」と述べた。ここでいう「被害者の救済」とは韓国政府がやることではなく、あくまでも日本がやるべきというのが彼らの立場なのであろう。だから自らは何も手を下さなくてもいいということか?さらにこのスポークスマンは「2015年の合意は、被害者の意見が十分収集・反映されておらず、主な被害者を中心に合意の受け入れは不可能だという国民的共感が形成されていたのは周知の事実だ。2017年の大統領選挙当時は、主要な候補者すべてが合意の破棄まで主張していた」と述べている。
<中央日報12/30「韓国外交部、慰安婦問題の解決、日本の自発的な謝罪・反省精神に応じる行動が大事」>
しかし、これは自らの外交交渉の失敗を「国民的共感」などという曖昧なものに落として自己を納得させているに過ぎない。それならばなぜ、国民を説得し納得させる自信もなく、外交交渉の結果としての国と国との約束を、堂々と国際社会に公表したのか?
そもそも、外交交渉という国益をかけた機微の内容をすべて国民の前にさらけ出していたら、外交交渉そのものが成り立たない。それに、戦争でもしないかぎり、外交に100%の一方的な勝利などと言うことはあり得ない。巧妙な駆け引きと知略を尽して、最小の譲歩と最大の効果を得て妥協することこそ、外交術の妙といえる。朴槿恵政権における日韓合意について、かつて「和解・癒やし財団」の理事を務めた人物は、「不可能な最善」と「可能な次善」があったとしたら、朴槿恵政権は「可能な次善」を選んだと評したという。これこそ被害者の救済を第一に考え、行き詰まった日韓関係を前進させるための、外交的な決断だといえる。
<中央日報12/28「【時論】5年前の慰安婦合意を霧散させて無為に歳月を送った韓国政府」>
ところで、さきの韓国外交部スポークスマンは、「問題の真の解決のためには日本政府が自ら表明した責任を痛感し、謝罪と反省の精神に沿った行動を自発的に示すことが重要だ」と言い放っている。自分たちの無為無策と約束不履行は棚に上げて、自分の責任にはいっさい言及することなく、相手の責任だけを一方的言い募り、責め立てることが、「外交巧者」なのだと彼は自慢しているらしい。
幼稚というか、不誠実というか、まっとうな思考回路の持ち主なのかと疑う。自分たちが約束を踏みにじっていることに関しては何の痛痒も感じず、相手の責任と行為だけを根拠なく問責するというのは、まともな人間の精神か?だから、この国は信用できない。そして、こんな言い分をそのまま無批判に垂れ流す韓国の主要マスコミも同様だ。
<「アジア女性基金」の足跡に残る韓国の異様さ>
日本にとって慰安婦問題は、悲しいかな、韓国だけを相手にしてきたわけではない。フィリピンや台湾、インドネシアやオランダとも、厳しくて辛い外交交渉を重ねて来た。そんな中で、際立つのがこの問題に対する韓国という国の異様さと、その特殊な思い込み、虚偽、虚構の多さだろう。
1990年代に慰安婦問題が突如として浮上し、1995年8月の村山談話をきっかけに被害者の救済を目的に組織された「アジア女性基金」の歩みを振り返れば、そうした事情はよくわかる。アジア女性基金そのものは、2007年3月31日、役割を終えて解散したが、その果たした役割と実績は「デジタル記念館『慰安婦問題とアジア女性基金』」としてウェブ上に残っている。
そこに記されている記録を丹念にたどれば、韓国の異様さ、特異性はよく分る。
そもそも「アジア女性基金(女性のためのアジア平和国民基金)」の創設は「政府による補償が必要だ」という意見があった一方で、サンフランシスコ平和条約をはじめ多くの戦後賠償の取り決めがあり、立法措置を伴う補償には多くの障害があって早急な実現は困難だという状況のなかで、「すでに年老いた犠牲者の方々への償いに残された時間はない、一刻も早く行動を起こさなければならない」という切迫した思いが関係者一同に共通してあったことが背景にあったといわれる。2002年11月現在、韓国政府に届け出て慰安婦として認定・登録された被害者は207名。そのうちの72名、3人に1人はすでに亡くなっていた。アジア女性基金が1995年に設立されてからも、すでに25年、前述のとおり2020年末の時点で生存者はたった16名、平均年齢は93歳である。恥も世間体も捨て、勇気を振り起こして「元慰安婦」だと名乗り出た大半の人たちは、韓国政府のサボタージュともいうべき無為無策と、慰安婦団体「挺対協」によるアジア女性基金の償い金は受け取ってはならないという圧迫、横槍のせいで、この世で報いられることもなく、ただ恨(ハン)だけを抱いてあの世に旅立つしか残っていない。
「アジア女性基金」の正式名称「女性のためのアジア平和国民基金」からも分るとおり、この「国民基金」は、1995年8月31日の戦後50年に際して発表された村山談話の中で、「慰安婦」問題について「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表明したことにあわせ、その反省とお詫びの気持ちを国民全員で分かち合おうと「幅広い国民参加の道」として用意されたものだった。お金に色や匂いがあるわけではないが、通り一遍の法律の条文によって支給されたお金より、日本国民の償いやお詫びなど様々な感情が詰まった国民基金のお金のほうがはるかに意味があり、価値がある、と普通の日本人なら考えると思うが、韓国国民はそうは考えない。欺し欺されるという環境に染まった韓国の人たちは、どうせ日本政府がその責任を回避するために企んだ陰謀、裏切り、欺瞞だとしか考えないのだろう。
アジア女性基金が元慰安婦の人たち対して行なった償い事業は、総理大臣のおわびの手紙を手渡し、元慰安婦個人に対して200万円の償い金と医療福祉支援金を手渡すことが基本となった。医療福祉支援金はフィリピンでは120万円、韓国・台湾では300万円だった。そして最終的には、「フィリピン、韓国、台湾では285人の元慰安婦を対象として事業を実施し、オランダでは79人に対して一人あたり300万円の医療福祉支援を行なった」という。そして、「国民からの募金5億6500万円の全額が償い金にあてられ、医療福祉支援には政府資金7億5000万円が支出された」とされる。
一方、インドネシアでは慰安婦の認定が行われなかったことから、総額3億8000万円をかけて高齢者福祉施設の整備を10年間かけて実施することとなり、インドネシア社会省が指導する全国の福祉施設235か所のうち69カ所に基金の支援で施設がつくられたという。
<韓国以外の国の慰安婦問題への対処法>
フィリピンでの償い事業の実施は、フィリピン政府のなかに、外務省、社会福祉開発省、司法省、保健省、それにフィリピン女性の役割委員会で構成されたタスクフォース「『慰安婦』問題特別委員会」が設置され、このタスクフォースが「償い事業」のフィリピン側の協議機関となった。タスクフォースは、「慰安婦」の認定についてはフィリピン司法省に実務の執行を委ねた。申請書類が提出されると司法省の検事が面接をした上で、書類の内容を確かめ、さらに詳しく質問した上で、認定、非認定の結論を出した。
また医療福祉支援事業では、フィリピン社会福祉開発省とアジア女性基金の間で覚書をかわし、1997年1月から事業をスタートさせた。基金の資金でソーシャルワーカーが雇用され、一人ひとりの要望に添ったサービス、バリアフリーへの住宅改造、介護サービス、医薬品の供与、車椅子の提供などの援助が行なわれた。
2002年9月、フィリピンでの償い事業終了後も、基金のフォローアップ事業の一環として、マニラ首都圏ケソン市での高齢者福祉施設拡充計画やフィリピン総合病院内高齢者診察室拡充計画など、日本政府による草の根・人間の安全保障無償資金協力プロジェクトとして高齢者への援助を継続実施している。
台湾の場合は、1992年に台湾の立法院(国会に相当)、外交部、内政部、中央研究院、台北市婦女救援福利事業基金会(略称「婦援会」)が「『慰安婦』問題対処委員会」を発足させ、この問題の調査を開始した。この委員会の委託により「婦援会」が、慰安婦の認定作業や台湾当局からの月々15000元(約6万円)の生活支援金の給付代行などを行い、台湾の慰安婦問題対応の核となる作業を一手に担った。これが他の国とは大きく異なった点だという。「婦援会」は日本の国家賠償を求め、アジア女性基金に対し強い反対の立場をとったため、アジア女性基金が「婦援会」から情報を得て被害者に接することはできなかった。またアジア女性基金が、医療福祉支援事業として一人あたり300万円分を支給するとしたのに対し、基金に反対する婦援会が中心となって被害者一人あたり約50万元(約200万円)のお金を配付し、その際にアジア女性基金からの金は受けとらないという誓約書の提出を求められたという。
さらに、98年2月には、台湾の立法院議員らが台湾政府を動かし、日本政府からの「補償」の立替金として、被害者一人あたり50万元(約200万円)の支給を実現させた。
そうしたなかで被害者たちの多くは困窮状態にあり、基金の償い金と医療福祉支援事業を受け取ることを希望するという問合せも多く寄せられた。他方で「受取ってはいけない」という圧力を受けた被害者たちは、「もし受け取れば、生活支援金を打ち切られる」という不安を抱いていたという。
そのためアジア女性基金は日本による償い金と台湾当局による生活支援金はまったく別のものであり、同時に双方の受け取りが可能だと訴えるとともに、台湾の弁護士頼浩敏氏に協力を依頼し、その法律事務所を償い金の受け取りを希望する元慰安婦からの申請の受付先に指定し、97年5月台湾の有力3紙に広告を掲載し、事業を開始した。
2002年4月の現地報道によれば、被害者として認定され生存している台湾人女性は36名だった。そのうち何人が償い金を受け取ったか明らかにはされていないが、アジア女性基金によると以下のように総括される。
「こうした困難な状況であったにもかかわらず、幸いにも、それなりの数の元「慰安婦」の方々に償い事業をお届けすることができました。そして受け取った方々からは、大変喜んでいただきました。もちろん償い金や医療福祉支援事業も被害者たちの大きな助けになりましたが、それに添えられた日本の総理のお詫びの手紙は、私たちの想像以上に被害者たちに感動を与えました」。
<各国・地域における償い事業の内容-台湾 慰安婦問題とアジア女性基金> (awf.or.jp)
オランダは、サンフランシスコ平和条約の締結国で、同条約第14条に基づき賠償請求権、並びに戦争によって生じた国民の請求権を放棄した。さらに1956年3月、オランダ国民の私的請求権に関する問題解決のための「日蘭議定書」が結ばれ、日本側は「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを「見舞金」として「自発的に提供する」ことにした。このような経過で、日蘭間の戦後処理は、平和条約によって法的に解決済みであり、更に日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認されていた。しかし、こうした措置にもかかわらず、先の大戦中に被害者が受けた癒しがたい傷は依然として残り、1990年には被害者団体「対日道義的債務基金(JES)」が結成され、日本政府に対して法的責任を認めて補償するよう主張し、一人当たり約2万ドルの補償をもとめる運動を始めた。JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府であるという立場をとっていた。一方、現地の日本大使館前で抗議デモを行なっていたJESの幹部と現地駐在日本大使との直接的な対話・交流を通じて築いた信頼関係をもとに、JESの関係者を日本に招く平和交流計画が1997年から10年間行なわれた。JESは当初、アジア女性基金の償い金に対しては反対の立場を表明していたが、償い金を受け取りたいという被害者個々人の要望に応えるための窓口「オランダ事業実施委員会(PCIN)」の結成には積極的に協力した。こうしてアジア女性基金とそのカウンターパートとなるPCINとの間で1998年7月、覚書が署名され、オランダにおける償い事業がスタートした。
しかし、前述のとおり、オランダはすでに賠償請求を放棄したという立場を取っていたため、償い金の支給ではなく、医療福祉支援を個人に対して実施する形をとった。その結果、オランダ以外の海外に居住する被害者を含め79人に対し、総額2億5500万円の医療支援を行なった。
インドネシア政府は個々の慰安婦被害者を特定せず、償い金や医療支援を高齢者施設への支援として総額給付の形をとったが、かつての宗主國であるオランダ政府も医療支援金を総額給付する形をとったため、両国は結果的にはおなじかたちとなった。
以上、アジア女性基金の活動に対する各国の対応をみると、いずれも慰安婦問題を解決するためにそれぞれの国の事情に基づいて、政府内に慰安婦問題を専門に扱う政府組織を設け、アジア女性基金に対する立場や距離感に濃淡はあっても、日本側と責任をもって対処する窓口機関を設け、さらには誠意をもって慰安婦対応にあたる民間団体に実務を委託したことがわかる。それらの組織・機関は、高齢化した元慰安婦被害者を救済し、個々の要望に応えるために真剣に誠意を尽したことも分った。
それに引き換え、韓国の対応である。韓国で慰安婦問題を対応する政府機関としては家族女性部(省にあたる)があるが、その家族女性部は去年9月、慰安婦支援団体「挺対協」や「正義記憶連帯」の元理事長尹美香(ユン・ミヒャン)被告による補助金の不正受給などが問題になったあと、2021年からは家族女性部が支援事業を直接管理する方式に全面改編すると発表した。女性家族部が慰安婦被害者の医療、住居、日常生活に必要な支援を確認し、個別に提供する予定だという。
<聯合ニュース9/25「韓国政府 慰安婦団体の支援事業を直接管理へ=補助金不正疑惑受け」>
つまり、女性家族部はこれまで慰安婦支援団体の挺対協や正義記憶連帯に補助金を支給する事業は行なうだけで、慰安婦を直接支援する仕事は何も行なってこなかったことがこれで分る。
実際に、韓国で慰安婦問題といえば、発言権を行使できるのは「挺身隊対策協議会(挺対協)」とその後継の「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連)」という民間団体しかなく、この問題の全てを牛耳る独占的な権限が与えられ、政府もマスコミもいっさい口出しできない、まさに治外法権、アンタッチャブルの存在になっていた。
アジア女性基金の償い金の受け取り拒否を元慰安婦に指令し、2015年の日韓慰安婦合意を破棄せよと韓国政府に迫ったのも、この団体だった。日本が国家プロジェクトとして行なった慰安婦への償い事業を全て否定し、国家間の外交交渉の結果として生まれた国際合意をいとも容易く破棄せよと韓国政府に命じたのも、国の上に立つ一介の市民団体だったということになる。しかも、日韓慰安婦合意に関しては、元慰安婦の声は反映されていないと文在寅政権は批判するが、元慰安婦の李容珠(イヨンス)氏の告発からも、実際には、この合意に際して、慰安婦支援団体の元理事長尹美香氏には、交渉の内容が外交部の担当者から事前に知らされていたことが分っている。慰安婦の声を聞かなかったわけではなく、尹美香氏が慰安婦の声を集約することをサボタージュし、合意内容を知らなかったことにカモフラージュしたのである。
さらに韓国に関して最大の問題なのは、外交部にも青瓦台にもまっとうに外交交渉の窓口となる人物がいないことだ。というより、外交部と青瓦台が互いに牽制しあい、それぞれが個別に外国との交渉にあたり、その結果、交渉に失敗しても誰も責任をとらない。相手国からしたら、だれが交渉担当者で決定者なのか最後までわからないし、交渉のなかで約束したこと、合意したことがこの先も国家として守ってくれるか、確信がもてないというのが、この国の一番の弊害だろう。韓国とは、いかなる約束を交わしても意味がないというのが、日本が学んだ一番の教訓かもしれない。
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