「神は細部に宿る」(God is in the details)といわれる。「ディテールをおろそかにしては全体の美しさは得られない」「細部にこだわってこそ真実を極めることができる」という意味か。
当ブログでは、<秀吉の朝鮮出兵にも「勝った」と嘘に染まる国>と題して3回に渡って、「文禄・慶長の役」の世界史的意義と朝鮮の「英雄」李舜臣の業績について論じてきた。李舜臣の「世界史的業績」も、詰まるところ「神は細部に宿る」で、検証可能な具体的な証拠、記録、資料を提示してこそ、はじめて論理的、実証的に論じることができ、その「伝説」も美しく完成する。しかし、「伝説」は今でもあくまで「伝説」のままで、真実はどうだったのかの説明にはほど遠い。
<「主権免除」を論じる前に「事実認定」が先では?>
翻って、元慰安婦と称する女性たちが日本政府を相手取って起こした損害賠償請求訴訟だが、原告の元慰安婦だという女性たちの証言の細部、ディテールこそが問題なのであり、その被害を訴える主張を裏付ける証拠、記録が提示されていないために、判決そのものの信憑性が失われている。
ソウル中央地裁は1月8日、元慰安婦とその遺族12人が日本政府を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、原告側の主張を認め、日本政府に一人あたり1億ウォンの賠償支払いを命じる判決を出した。
これについて、慰安婦支援団体の正義記憶連帯の李娜栄(イ・ナヨン)理事長は1月13日の1474回目の水曜集会で声明を読み上げ、「国際人権法と国際人道法上の重大な違反行為の場合、主権免除は適用されず、人類普遍の人権はいかなる国家間の協定より優先されるという真理を気づかせた。個人の人権を深刻に侵害している場合、外国であっても裁判所の審判を受けられるという重要な前例を残した。植民地時期の日本国が犯した行為の不法性が司法界で初めて認定された」と判決が持つ意義を強調した。
「主権免除」という国際慣習法の殻を打ち破り、「個人の深刻な人権侵害は、外国であっても裁判所の審判を受けられるという前例を残した」偉大な判決だといくら賞賛しても、判決の前提となる人権侵害の事実認定が曖昧で、信頼できなければ、まさに「神は細部に宿る」の警句を無視することになる。その結果はまさに、「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」で、どんなに高邁な理想を掲げ、世界史的な意義をいくら強調しても、最後の簣(もっこ)一杯の土を欠くだけで、全てが無駄になってしまうことを示している。
判決文では国際裁判管轄権の有無について、「物的証拠は大部分が消失し、基礎的な証拠資料は大部分が収集されており、日本での現地調査が必ずしも必要ではない点、国際裁判管轄権は排他的なものではなく併存可能である点などに照らすと、大韓民国は本事件の当事者及び紛争となった事案と実質的な関連性があると言え、大韓民国の裁判所は本事件について国際裁判管轄権を有する」と言っている。
要するに原告が韓国に居住し、不法行為の一部が自国内で行なわれたというだけで、物的証拠を検証することも、相手国での調査も必要ないとして、国際裁判管轄権があると主張しているのである。このなかで「基礎的な証拠資料は大部分が収集されている」と言っているが、その証拠資料とは何を指すのだろうか。
挺対協が1993年に日本で出版した『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』という証言集がある。元慰安婦19人の聞き取り記録だそうだが、そもそも「慰安婦」の定義は、韓国では「慰安婦被害者法」に規定されている。その第2条(定義)によると、「日本軍慰安婦被害者とは、日本帝国によって強制動員され、性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された被害者のことをいう」とある。しかし、挺対協が聞き取り調査した女性たちの証言からは、前借金を用いた人身売買、相手の貧困に目をつけて「いい仕事がある」などと騙して連行など、いわゆる「日本帝国による強制動員」の具体的な証言など、どこにも出てこないと言われる。
<ほんとに慰安婦だったのか疑問の原告も>
この本にも出てくるが、最初に慰安婦だと名乗り出た金学順さんは親にキーセンとして身売りされた人で、中国の慰安所に連れて行かれたのも養父によってだった。文玉珠さんは朝鮮人の慰安所経営業者によってビルマ各地を移動し、貯金して故郷の家族に家5軒分を買えるほどの多額の送金をしたり、大量の宝石を買い込んだことを自慢している。
同じく李容洙氏の場合は、本の中で「1944年、満16歳の時に家出し、赤いワンピースと革靴に誘惑されて日本人について行った」と証言している。しかしその後は、証言が二転三転して内容も過激になり、2018年3月フランス議会での証言では「15歳のとき、日本軍が自分の背中に刀を突きつけて連れて行った」とし、完全に日本軍による強制連行だと証言している。その11年前の2007年2月に米国議会に行った証言は、のちに『I can speak』という映画にもなったが、1944年に連れて行かれて3年間、つまり戦後にかけても慰安婦をさせられたと証言した。しかしこの証言の矛盾を指摘されると、今度は「14歳の時、台湾の神風部隊の慰安所に連れて行かれ、3年間、慰安婦をさせられた」と証言するようになる。1928年生まれの李氏が14歳と言えば、1942年。神風特攻隊が組織され、特攻作戦を行なわれたのは1944年10月25日のレイテ沖海戦が最初で、志願による神風特攻隊が本格的に始まったのは1945年1月だった。つまり、李氏が14歳だったときには「神風部隊」はその名前すら存在していなかった。
<チャンネルfujichan21/1/14「神風特攻隊と李おばあさんのお話。何が本当なの?金柄憲代表解説」>
西岡力氏が紹介しているが、韓国のネットメディア「メデイア・ウォッチ」の黃意元・代表理事が2018年4月に発表した「『従北』文在寅のための『嘘つきおばあさん』、日本軍慰安婦李容洙」という記事によると、黃記者が、李氏が1993年以来、様々な場所で行った証言、20を集めて、①慰安婦になった経緯、②時期、③年齢、④慰安所に連れて行った主体、⑤慰安婦生活をした期間、を比較したところ、「全部、内容が違い、前後が一致するものは一つもない。まったくのでたらめだった。本当に深刻な問題は、米国議会証言とフランス議会証言が違っていて、国際社会でのもっとも公式的な証言が違っていることだ」という。
きわめつけは、去年、李容洙氏が挺対協と尹美香(ユン・ミヒャン)氏の不正会計疑惑を公にした際、それに反論するなかで、尹美香氏は李容洙氏との出会いについて、「自分ではなく友達が慰安婦だ」といって相談の電話をかけてきたのが最初だったと証言した。これによって「李容洙氏は似非(えせ)慰安婦」という見方が一挙に広まることになった。
実は、李容洙氏は、今回の裁判ではなく、本来は1月13日に判決が出される予定だった別の慰安婦裁判の原告に名前を連ねていた。しかし、この判決公判の2日前に、なぜか日程が突如変更され、3月24日に口頭弁論を再開すると発表した。それにしても、これほどにも証言の一貫性がなく、あやふやな証言しかできない原告を抱えて、まともな判決など出せるのだろうか?こんな原告側の証言を根拠に、しかも主権免除を覆して外国政府を裁く判決など、国際社会が認めるはずがない。
今回の判決文では「本事件の行為は、日本帝国による計画的・組織的で広範囲な反人道的犯罪行為として、国際強行規範に違反するものであり、当時日本帝国によって不法占領中だった朝鮮半島内で、我が国民である原告に対して行われたものとして、たとえ本事件の行為が国家の主権的行為だとしても、主権免除を適用することはできず、例外的に大韓民国の裁判所に被告に対する裁判権がある」としている
<読売新聞1/9「慰安婦訴訟 ソウル中央地裁の判決要旨(詳細版)」>
日本による韓国併合条約は、米国をはじめ当時の国際社会に広く承認されたものだったが、今の文在寅政権は、これを「不法占領」だったとし、この不法占領によって被った精神的被害については、1965年の請求権協定や2015年の日韓合意でも補償されておらず、「慰謝料」を求める個人の請求権は残っている、というのが、文政権下で左派系が主流を占める韓国司法界の基本的な考え方でもある。
<日本統治下には法治主義が貫かれていた>
問題は判決文にある「日本帝国による計画的・組織的で広範囲な反人道的犯罪行為」という部分だ。慰安婦の「広義の強制性」を認めたと言われる「河野談話」(1993年8月)でも、「計画的・組織的」という文言はない。「計画的・組織的」であれば、それに関連した政府や軍の公文書があって当然だが、それに類するものはいっさい見つかっていない。
因みに朝日新聞(1992年1月11日)が「日本軍が組織的、強制的に関与した」証拠だと報道した「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(1938年3月4日付陸軍省兵務局兵務課起案)という文書は、慰安婦を募集する上で誘拐や拉致など不法行為があってはならないとし、「軍の威信を保持し社会問題上遺漏なきように配慮せよ」と命ずるための文書だった。また河野談話の中で「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と言及されている事例については、日本軍占領中のインドネシアで一部の日本軍人が軍令を無視してオランダ人女性を監禁・強姦したといわれる「スマラン慰安所事件または白馬事件」のことを指しており、「この事件以外には官憲等が直接加担した事実はなかった」と河野自身が、談話発表後に記者クラブで説明している。つまり、朝鮮人女性に対して、日本の官憲が直接手を下し、強制的に拉致・監禁したという事例は、その記録も証拠もないのである。
以前にこのブログでも紹介したが、そもそも当時は合法だった「公娼制」のもとで、朝鮮人を主体にした女衒、人身売買業者が暗躍して、慰安婦となる女性の集めることが多く、その場合、貧しい親が娘を売り渡す時には、娘を女衒の養女として戸籍を変える形をとった。人身売買を示す「人肉市場」という言葉が、当時、朝鮮の新聞紙面を飾り、娘や妻を売り渡す事例が跡を絶たなかった。しかし、養女にして差し出すという正式の戸籍変更の手続きをした場合、どんなに不法な人身売買のケースが疑われても、立件したり起訴することは難しく、人身売買事件が実際に立件されるのはごく一部だったといわれる。いずれにしても、当時の日本は、人身売買を厳しく取締り、法に基づき違法な業者を摘発し処分していた。
法律や規則がないかぎり、現場の警察官も検察裁判所の司法もまったく動けなかった。それだけ日本統治の下では法治主義が貫かれた証左でもある。
<当ブログ20/9/8「人肉市場」が新聞紙面に頻出した韓国の悲惨」>
判決文では「日本帝国は、侵略戦争の遂行過程で軍人の士気高揚や効率的な統率のため、いわゆる「慰安婦」を管理する方法を考案し、これを制度化して法令を整備し、軍と国家機関が組織的に計画を立て、人員を動員・確保し、歴史上前例を見いだしがたい「慰安所」を運営した」としている。
「慰安婦」を管理する方法として「制度化して法令を整備し」とは、いったいいかなる法律のことを指すのか。事実誤認も甚だしいが、そんな法律は存在しない。
そして「歴史上前例を見いだしがたい慰安所」とはよくぞ言ったものだ。国家制度としてその身分と資格を定め、国ぐるみで養成・運営した「妓生(キーセン)」こそが、立派な公的慰安婦・慰安所制度だったはず。
妓生は「諸外国からの使者や高官の歓待、宮中内の宴会などで雑技を披露し、性的奉仕をするために準備された奴婢の身分の女性」のことで、高麗から李氏朝鮮末期まで1000年間にわたり、常に2万 - 3万名の妓生がおり、李朝時代には官婢として各県、各府ごとに置かれていた。「妓生政治・妓生外交」といわれるほど、「妓生なくして成り立たない国家体制」だったと言われ、中国に貢女 (コンニョ) つまり貢ぎ物として「輸出」された。日本による統治で奴婢の身分制度はようやく廃止されたが、その後も民間の私娼宿(「キーセンハウス」など)として最近まで残った。
<韓国は司法の独立もない「司法後進国」だ>
挺対協や正義連は、慰安婦問題を『20世紀最大の人権侵害』だと
称している。李舜臣を「世界最大の海戦」を勝利に導いた「世界人類史上、最も偉大な海戦将帥」だと褒め称えるのと同じ類いの誇大妄想か。
しかし、戦後賠償と請求権に関して「完全かつ最終的に解決」を約束した1965 年の請求権協定当時、慰安婦問題については、両国間で解決すべき外交的な問題という認識さえなかった。つまり、不法行為として損害賠償をすべき問題だという認識もなく、当時の制度や認識においては「人道に反する犯罪」どころか、一般的な犯罪行為でもなかったということだ。「20世紀最大の人権侵害」というなら、その20世紀のほとんどを通じて、この問題にまったく向き合おうとせず、問題として取り扱うこともなかったのは何故なのか?
判決文では「原告の損害賠償請求権は、(日韓)請求権協定や、2015年の慰安婦合意の適用対象に含まれておらず、請求権が消滅したと言うことはできない」という。
国際条約が国内法に優先することは、国際法の常識で、そうでなければ国と国の外交関係など成り立たない。文在寅政権は、国際条約を遵守せず、国際約束を簡単に反古にするだけではなく、国内においては「検察改革」と称して、検察から捜査権を奪うことに血道を上げている。いまその検察は、文在寅大統領が直接関係した選挙介入事件や政権中枢の幹部が関わった経済犯罪や数々の不正疑惑を捜査している。しかし、この捜査をやめさせ、捜査権を奪いとるために、「高位公職者捜査処」という新たな組織を立ち上げ、政権の意向にそった民間出身の弁護士などが検察に替わって政府高官に対する捜査を担当させようとしている。日本の、強力な独自捜査権をもつ地検特捜部が政治家の汚職事件を徹底的に暴く司法制度から見たら、韓国の「検察改革」は司法の独立を奪う、とんでもない改悪であり、政権の横暴だとしか考えられない。
文大統領は徴用工裁判でも、ことあるごとに三権分立を強調し、司法判断を尊重し、介入しないという立場を繰り返すが、自身に関する不正追及を排除するために検察に圧力をかけ、まともな司法制度も機能しないような国の裁判所の判断などに、日本は従う理由がないことは明らかだ。
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