東京五輪“無観客”開催、後世“愚かな決定だ”と蔑まれる?

東京オリンピックの無観客での開催が決まった。何のためのオリンピック開催なのか、その開催の意義が改めて厳しく問われることになった。

「人類が新型コロナウイルスに打ち克ったことを示すオリンピック」という日本政府が掲げた根本理念、開催の意義は、無観客試合では、実体が伴わず、完全に喪失してしまった。

ことは東京オリンピックだけの問題ではない。東京オリンピックから半年後には北京で冬のオリンピックが開催される。東京は無観客で行なわれ、武漢ウイルスの発祥の地である中国では、観客を入れて大規模に行なわれるとしたら、新型コロナウイルスに打ち克った勝者が、どちらかは一目瞭然だ。

中国は、ここぞとばかりに、「中国は新型コロナを手堅く制圧することに成功したが、日本は失敗した」と宣伝し、「ウイルスを制御する感染症対策や医療技術において、中国は世界の最先端を行く一方、日本は中国の後塵を拝することもできない」と蔑むことだろう。

ウイグル人に対するジェノサイド(民族消滅政策)、チベットでの宗教文化弾圧、南モンゴルや香港での自由の剥奪や人権侵害が継続されているにも関わらず、中国は北京冬期オリンピックの開催を通じて、自分たちの国力を内外に誇り、中国が進む道は正しいと世界に向けて宣伝する場として大いに活用することだろう。

五輪は、その開催国が抱える現状と国力を映す鏡であり、過去の五輪の歴史においても、開催国の現実とその時代の世界が抱える現状と課題を如実に映してきた。その意味で、無観客で五輪を開催するという日本政府の決定は、日本がそこまでの実力しか持たず、新型コロナを克服できる能力を世界に示すという気概さえ持たない懦弱の国と国民であることをありのままに伝える機会になった。

ほとんどすべての会場で無観客試合となり、感染が広がる可能性がなくなったにも関わらず、さらに海外各国から次々と選手団が来日する状況になり、開幕式まで残り12日となってもなお、NHK世論調査によると、「大会を中止すべき」という声が30%もあり、無観客試合が「適切だ」とする意見が39%を占めたという。「観客を制限して入れるべき」「制限せずに入れるべき」は合わせて26%、4人に1人しかいなかった。

NHKニュース7/12「菅内閣 「支持」33% 内閣発足以降最も低く 「不支持」は46%」

選手団よりも早く、続々と入国する海外メディアが関心を向けるのは、そうした五輪開催反対を叫んで都庁前やIOCバッハ会長の宿泊ホテル前などで、今もプラカードを掲げる「暇な老人たち」の姿であり、聖火トーチを掲げて走る人に向けて水鉄砲を放ち「オリンピック止めろ」と叫ぶお婆さんのみっともない姿だ。

要するに日本国民全体が五輪の開催に反対であり、パンデミックのなか開催を強行した日本政府の決断を批判的に伝えることが彼らの狙いなのだ。

今後、五輪の期間中を含め、海外メディアが日本から世界に発信するニュースやリポートの多くは、大会運営における日本の優れた側面を伝えるより、パンデミックのなかでのオリンピックという異常事態と日本政府の右往左往ぶりを面白おかしく伝えることに重点が置かれることは火を見るより明らかだ。そうさせたのは、多くの日本国民が「なぜこの時期にオリンピックを開催するのか」と問い、「無観客で開催しても感染は広がる」という根拠のない不安を拡散させた結果でもある。

これは作家・ジャーナリストの門田隆将氏が強調していることだが、これまで日本で確認された新型コレラの陽性者数と死亡者数を年代別に比較すると、年代別には最も数の多い20代の累計陽性者が179428人で死亡者は8人、次に多い30代は陽性者120333人に対し死亡者は27人、10代以下の死亡者ゼロだ。それに対し、80代以上の陽性者数57881人に対し死亡者は8223人、死亡率は14.2%。つまり7人に1人が死亡していることになる。60歳を境に陽性者数と死亡率を比較してみると59歳以下の陽性者数は168440人で死亡者数は451人、その死亡率は0.027%なのに対し、60歳以上の陽性者数は184108人、死亡者は12198人でその死亡率は6.625%、その差は245倍もの開きがある。

資料・厚生労働省「新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)7月7日18時時点

<Youtube[Will増刊号#572]門田隆将「東京五輪“無観客”で日本は世界に恥をさらす」

つまり、武漢ウイルスは高齢者・有病者にとってはリスクが高いが、若い世代についてはそれほど恐れる必要はなく、インフルエンザよりも危険が少ない病気であることは分かってきている。そして、国がこれまで力を入れてきたのも、そうした高齢者の死亡率、重症化率を抑えるために、高齢者に対する全国規模のワクチン接種だった。それこそ新型コロナウイルスの感染者が一人も発生していない離島や過疎地も含め、ワクチンの供給を急ぎ、7月末までに接種を完了するという期限を区切り、全国の自治体にハッパをかけてきたのが菅政権だった。そして当初は無理だと言っていた地方自治体も、そうした国の説得に応じ、ほぼ100%の自治体が7月末までに接種を完了できるという見通しを示し、その通り順調に進んできたのが高齢者ワクチン接種だった。そして、その効果は数字にも明らかに出ている。

NHKの新型コロナ特設サイト「各地の感染状況5つの指標」を見れば、感染拡大第3波のピークを迎えた5月の第2・第3週当時は、「医療のひっ迫具合」を示す「病床使用率」「入院率」「重症者用病床の使用率」の3つのいずれの項目でも大阪や京都・兵庫・愛知・福岡・沖縄・北海道などでステージ4を記録していたのに、7月第1週の時点ではステージ4は沖縄の「重症者用病床の使用率」だけ、そのほかは東京・埼玉・千葉・神奈川・沖縄の病床使用率がステージ3にあるだけで、あきらかに「医療のひっ迫具合」は軽減している。

これはすなわち、7月12日の時点で65歳以上の高齢者の76%が一回目のワクチン接種を受け、2回目まで受けた人も46%に上るというワクチンの効果であり、高齢者の感染が減少し、重症化するケースが抑えられていることを示している。全国各地の高齢者はワクチンの効果を信じ、ワクチン接種にここまで協力したのに、政府は今回の決定に際し、そうした事実に真剣に向き合おうとせず何の考慮も示さなかった。何のためのワクチン接種、何のための接種の加速化だったのだろうか?五輪がなければここまで急がせる必要はなかったはずだ。

東京五輪を無観客で行なうと決定したことは、こうした科学的なデータを無視した決定で、ワクチン効果に関する科学的な知見を否定することにもつながる。

スーパーコンピュータ「富岳」が出した国立競技場での感染者は限りなくゼロという結論も無視した。

常識的に見ても、緊急事態宣言下でもプロ野球やJリーグ、大相撲などは観客を入れて実施し、オリンピックだけが無観客というのは、理屈が合わない。少なくともオリンピックの各国代表選手と競技スタッフ、大会関係者は全員がワクチン接種を完了していて、競技を通じてクラスターが発生することはありえない。しかも海外からの観客はおらず、日本人だけなのだから、国内のスポーツ観戦と何も変わりはないはずだ。

海外の人々からは、サッカーの欧州選手権や南米選手権、MLB、テニスの全仏・ウィンブルドンなどがすべて通常通りに観客を入れて、しかも観客は皆マスクなしで大歓声をあげる。英国のジョンソン首相が19日から、すべてのコロナ規制を解除すると宣言したのも、ワクチンの効果で死者や重症者が抑えられ、デルタ株の感染拡大が続く状況のなかでも、医療資源は十分に耐えられると判断したからだ。一国の指導者として、軽症の感染者がいくら拡大しても、経済を回復させ、人々の日常を取り戻すことのほうがはるかに重要だと決断した結果だった。おそらく、ジョンソン首相の決断は、今後の歴史の検証のなかで優れた政治家の決断だったと評価され、東京オリンピックの無観客大会を決定した菅内閣の判断は、後世の人々から愚の極みとして語り次がれるような気がする。

何故こんなことになってしまったのだろうか?

東京オリンピックに関して言えば、森喜朗組織委員会会長の「失言」による辞任騒動がその典型だが、片言双句を針小棒大に取り上げて人格攻撃までする風潮は、今回の無観客大会決定の過程でも通底していたように思う。コロナ感染拡大の緊急事態宣言下では、何があっても人が集まることは阻止しなければならない、それに反する行為や考え方は、絶対に許されず、決して認めてはならない、という「全員、右向け右!」のいわば全体主義的な考え方である。そして、それを煽ったのは朝日新聞や東京新聞に代表されるマスコミであり、共産党から公明党まで大衆迎合主義政党であり、自分の責任を回避したい専門家集団だった。

産経新聞の阿比留瑠比論説委員は、森会長辞任騒動について「この観に起きた異様な騒動は、正義ぶったマスコミやその同調者らがいう『正当な批判』などでは決してない。気に入らない相手のささいな非を拡大鏡で大きくし、血祭りにあげた集団リンチであり、限度を知らないいじめにほかならなかった」と書いた。<『正論』2021年4月号>

門田隆将氏は『新・階級闘争論 暴走するメディア』のなかで、次のように書いている。

<「日本のマスコミの特徴は、『権力の監視』などと格好のいいことを口にし、“自己陶酔”することだ。日本では政権批判なら何でも許される。いくら攻撃しても、政権から反撃が来ることはないからだ。反権力などと自己陶酔している記者たちは、常に絶対に反撃されない『時の政権』を叩き、自分の思想や主義・主張、さらには虚栄心を満足させるのである。だが、彼らは、自分が血を浴びるような強大な権力とは決して戦わない。たとえば中国(以下略)・・・」

「ジャーナリズムの崇高な使命とは無関係に『政治的な主張』や『自分が理想とする主義』が先行する人たちがいつの間にかマスコミでは大勢を占めてしまった。記者というより活動家と評した方がいい人たちである。」>(同書、位置No453~455)

門田氏がいう「新・階級闘争」とは、「たとえ小さく些細なものでも、そこにある『差異』をことさら強調することによって“差別の被害者”を生み出し、それに対する『不満』を利用して、本来はあり得ない一種の『階級闘争』に持って行く」ことだと定義される。そしてネット時代、SNSの爆発的普及が、全体主義を目指す特定の政治勢力に利用されることよって、発言の趣旨を「まったく正反対」にすることもでき、その一翼を担っているのがマスコミだともいう。

<「メディアが健全な社会実現にために役に立たないどころか、むしろ『敵』となっている今、私たちは、より現実を見据え(中略)、マスコミ報道のウラに何があるかを考えなければならない」>(位置No457)

欧州議会は7月8日、「中国政府が香港や新疆、チベット、内モンゴルをはじめとする国内の人権状況を検証可能なかたちで改善させないかぎり北京冬季五輪への政府代表や外交官の派遣をボイコットするよう求める決議を賛成578、反対29、棄権73と圧倒的多数で採択した。英国議会も同じようなボイコット決議の採択を目指している。

Forbes JAPAN07/13「北京五輪の「外交ボイコット」、英議会でも採決へ」

東京五輪無観客大会に賛成の論陣を張った朝日新聞など日本のマスコミが、中国北京の冬期五輪に対してどういう報道姿勢、主張で望むのか、刮目して見守ることにする。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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