韓国はIAEA総会(9月21日)で、福島第一原発から出た処理水の海洋放出について、「日本政府は隣国の韓国と十分な協議を行わず、一方的に汚染水の海洋放出を決定した」と非難し、海洋放出を中止させるよう加盟各国に訴えた。ただし、韓国の主張に賛同・同調する国は一つもなく、IAEAは逆に、日本が福島第一原発の事故処理でIAEAと緊密に協力している姿勢を高く評価し歓迎する考えを示したとされる。
ところで、隣国とはいっさい協議することなく、まさに隣国の国民の生命の安全を左右する重大問題を、一方的に決断し主張することの最たるものは、文在寅大統領が国連総会で主張した朝鮮戦争の終戦宣言に関する提言である。朝鮮戦争は現在、「休戦」状態のままで、これを戦争当事国の南北朝鮮とアメリカの3か国、あるいは中国を加えて4か国が戦争が終結したことを示す宣言をしようという提案だった。
しかし、北朝鮮との間で「終戦宣言」をするということは、38度線の非武装地帯DMZを管理する国連軍は不要となり、戦争状態ではないことを理由に北朝鮮は在韓米軍の撤退を要求してくるだろう。しかも、北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルはそのまま温存されたままだ。国連軍や在韓米軍が朝鮮半島からいなくなれば、北朝鮮の脅威に対処するには、対馬海峡がその最前線となる。
北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルが日本国民の生命や財産に与える脅威に比べれば、福島第一原発の処理水の影響など比ではない。文在寅は、こうした状況になる危険性について、隣国・日本に説明するどころか同盟国のアメリカとも事前に協議することなく、一方的に決断し、世界に向けて公に宣言している。文在寅が、終戦宣言は国内の政治問題であり、隣国・日本と協議して決めるような問題ではないというのなら、処理水の海洋放出決定も日本政府が責任を持って決めるべき内政問題であり、これまで科学的な根拠をもって100回以上も説明を繰り返したものの、いっさい聞く耳を持たない韓国などを相手に相談して決めるような筋合いの話ではないというべきだ。
そもそも韓国は、朝鮮戦争の休戦協定の当事者ではない。李承晩が休戦に反対し、休戦協定の締結に参加しなかったからだ。その韓国がいまさら終戦宣言を持ち出す意図はいったい何なのか?
文在寅は2018年の国連総会で初めて終戦宣言について言及し、関係国が非核化に向けた果敢な措置を進めれば、終戦宣言につながると期待を示した。2020年の国連総会でも再び、この問題を持ち出したが、この時は終戦宣言が韓半島の非核化や平和定着につながるという観念的な言及にとどまった。しかし、ことしの演説では、「終戦宣言こそ韓半島に和解と協力の新たな秩序を作っていく重要な出発点になる」と強調し、終戦宣言の当事国について初めて言及するなど、より具体性を帯びた提案となった。
文在寅の過去の発言を含め、この間の経緯をたどると、北朝鮮の非核化が先か、終戦宣言が先かの見解にも変遷があり、2018年の段階では非核化のあとに終戦宣言があるというニュアンスだったように見える。しかし、2019年2月、ハノイでの米朝首脳会談でトランプ大統領と金正恩が終戦宣言に合意するはずと考えた文在寅の秘かな期待はあっさり裏切られ、米朝対話は中断。北朝鮮が文在寅の約束違反や無能ぶりを口汚く罵って、対話を拒否し、南北共同連絡事務所を爆破するなどしたために南北関係も完全に膠着状態に入った。その結果、文在寅にとって、北朝鮮を対話に引き出し、南北関係を打開する唯一の手がかりとなったのが、終戦宣言であり、朝鮮半島の平和プロセスが曲がりなりにも前進していることを示すことができ、残り8か月の少ない任期のなかで、文政権の総決算として唯一取り組めるのが終戦宣言だった。
しかし、核兵器開発を堂々と進め、弾道ミサイルや巡航ミサイルの試験発射を繰り返すいまの北朝鮮の現状をみると、とても終戦宣言を出せるような状況ではないことは明らかだ。
文在寅が国連総会の場で終戦宣言について演説したまさにその前日(20日)のタイミングで、IAEA国際原子力機関のグロッシー事務局長は「北朝鮮でプルトニウム分離とウラン濃縮などに対する作業が全速力で進んでいる。北朝鮮が核プログラム(核武装)に全力を傾けている」と警告した。国際社会の目には、文在寅の終戦宣言の提言は、世界中を敵に回して核開発に突き進む北朝鮮の現実から目をそらした、完全に浮世離れした空想の産物であることがはっきりした瞬間だった。
文在寅自身も、国連総会の演説で、各国からは期待したような反応が得られなかったことを自覚していたようで、帰国の途についた大統領専用機の機上で記者団に対し、「国連総会をうまく活用すれば、南北関係を改善するきっかけになると期待していたが、思い通りにはいかなかった」と残念な気持ちをにじませたという。その上で「北朝鮮はいずれ対話と外交の道を選択するだろう」との認識を示し、「ただ、今の政権では実現せず、次の政権で努力が続けられることになるが、予断は難しい」と語ったという。
<KBS日本語ニュース9/24「文大統領「北韓は対話と外交の道を選択するだろう」>
一方、北朝鮮側の反応だが、北朝鮮の外務次官は24日、談話を発表し、終戦宣言は時期尚早だとの立場を示した。アメリカの敵視政策が変わらない限り、終戦を100回宣言しても変わることは一つもない」と指摘し、「終戦宣言は虚像に過ぎず、現時点では韓半島の情勢安定に全く役に立たない」とし、アメリカの敵視政策の撤回が先決だと主張した。
<KBS日本語ニュース9/24「北韓「終戦宣言は時期尚早」 米の敵視政策撤回を要求」>
しかし、それからわずか7時間後、今度は金正恩の妹、金与正党副部長が談話を発表し、「終戦宣言は悪くない。長期間続いている韓半島の不安定な停戦状態を終わらせ、相手に対する敵視を撤回するという意味で、興味深い提案であり、良い発想だ」とし、「今後の韓国の態度次第で関係改善を議論できる」と一転して前向きな認識を示した。
<KBS日本語ニュース9/24「金与正党副部長「終戦宣言は興味深い提案」>
こうした突然の方針の変更は、北朝鮮の中で何かが動き始めている証拠であり、何を画策しているのか、不気味だ。しかし、もう一つの当事者アメリカは、国防総省の報道官が、「終戦宣言に関する議論は開かれている」と述べたものの、従来からの主張の通り、北朝鮮の非核化が前提という姿勢に変わりはないようだ。そして日本では、次の総理を選ぶ自民党総裁選の真っ最中だが、候補者4人の外交安保問題に関する政策討論会のなかで、拉致問題への言及はあっても、韓国や朝鮮半島問題という議論はほとんど聞かれないのは何故か。菅政権でも文在寅との対話はついに実現しなかったように、韓国問題に関わるのは面倒くさい、できれば踏み込みたくないという雰囲気が日本の政治家には見られる。仮に終戦宣言が実現するなどという事態になったとき、日本はどう対処するのか、議論がなくていいのだろうか。
龍谷大学の李相哲教授によると、1938年のドイツと英国との平和協定や、1973年のベトナム戦争でのパリ協定など、終戦宣言や不戦条約が結ばれた直後に、かえって戦争状態が深刻化する事態を迎える例も多く見られるという。朝鮮半島での終戦宣言によって、在日米軍基地や日本にある国連軍後方支援基地がどうなるのか、この地域の安全保障環境、戦略環境がどう変わるのか、見極め、日本としての戦略を立てておく必要がありそうだ。
戦争博物館(ソウル)
0コメント