人民など介在しない中国式「人民民主」の矛盾

中国に言わせると、民主主義にはそれぞれの国に適合したスタイルがあり、それぞれの国の事情に合わせて都合よく形を変えるらしい。

12月19日に投票が行われた香港の議会・立法会の議員選挙では、「愛国者であること」を立候補の条件にしたため、民主派の人たちは排除され、親中派の議員しか立候補できなかった。これも中国式民主主義と自賛するのだろうか?

バイデン大統領が主催し、世界110か国あまりを招待して開かれた「民主主義サミット」を契機に、中国からは「民主主義」に対する様々なコメント、狂乱狂喜?過激・過剰ともいえる激しい論説が提起されている。

びっくりしたのは中国外交部(外務省)報道官がウェブサイトで発表した「米国の民主主義は他国に干渉するための『大量破壊兵器』だ」とする声明だった。曰く「『民主主義』は長きにわたり、米国が他国に干渉するために用いる『大量破壊兵器』だった」と非難し、米国がサミットを主催したのは「イデオロギー的な偏見に基づいて線を引き、民主主義を道具化・武器化し、分断と対立をあおる」ためだと主張した。

時事AFP 12/11「中国、米の民主主義は「大量破壊兵器」>

民主主義が「大量破壊兵器」だとは驚かされるが、米国は「インチキ民主主義」であり、「米国主催の民主サミットはただのコメディショー」だという中国メディアの社説もあった。

中国共産党機関誌「人民日報」系のグローバルタイムズ(Global Time「環球時報」の英語版)は「サミットは西欧民主主義のただの無意味なショーだ」とし「中国との新しい葛藤を煽ろうとする米国の戦略にすぎない」と主張、「民主主義は米国が規則と配給材料を与えるフランチャイズではない。バイデンは子どものころにKFCとマクドナルドを食べ過ぎたのだろう」と皮肉った。

新華社通信は「『コメディ』になったサミット」という記事で、「コンゴとイラク、アンゴラを招待した米国はなぜボリビアとシエラレオネは招かなかったのか」とし「民主主義的な価値ではなく米国政治を反映したにすぎない」と批判した。中国中央テレビは「米国には真の民主主義はない」という米国市民のインタビューを放送した。

韓国・中央日報12/10「米国主催の民主サミットはただのコメディショー…「毒舌」浴びせる中国」>

マスコミによる批判だけではなく政府も正面から非難した。中国外交部は12月3日、「民主主義サミットは完全に茶番」だと声明を出し、中国国務院は翌4日、「中国的民主」と題した白書を発表、中国こそ民主主義国家であり、中国には完全な民主主義があると主張した。さらにその翌日の5日、中国外交部は「美国民主情況」と題した報告書を発表、米国式民主はニセ物であり、弊害が多いと批判した。

さらに各国駐在の中国大使や総領事が、現地メディアに寄稿したり、紙面を買い上げて記事を掲載させたり、あるいは現地の学者にコメントを求めるなどして、中国的民主主義の優位性と米国式民主主義の弊害を印象づけようとしている。

中には、「西洋の民主主義はピザであり、中国式民主主義はギョウザだ」と主張する珍妙な学者の意見さえも現れた。曰く、ピザは中身は丸見えだが、必ずしも美味しくない、しかしギョウザは外から中身は何か分からないが、実際に食べてみたら美味しい。中国の民主主義も外からは見えないが実は中身が充実している、と言いたいらしい。阿呆か!のひと言しかない。

とにかく、中国政府、外交部、在外公館、メディア、学術界まで総動員で、民主主義サミットへの誹謗中傷、反論反証に躍起なのである。なぜここまで躍起になるのか。反面、ロシアは冷静で、民主主義サミットを終始、無視する態度で一貫している。それに対して習近平の中国が、神経質に過剰に反応し、半狂乱状態になっているのは、それだけ孤立感と焦燥感を深めている証拠かもしれない。

そうした中、民主主義サミットを誹謗中傷し、中国式民主主義を擁護し、対外プロパガンダの最前線に立つのが王毅外相だ。彼の最近の言説から、彼らが言う「中国式民主主義とは何か」を探ってみたい。

王毅外相は今月12日、中国共産党機関紙“人民日報”への寄稿文で「我々は平等な交渉を提唱し、アジア特有の民主理念をとどろかせなければならない」として次のように訴えている。

<われわれは平等な交渉(協商)とアジア的民主理念の発揚を提案している。悠久の歴史を持つアジアは多元的な共生の伝統を持ち、話し合いで共に取組む(協商共事)という民主文化を形成している。66年前、多くのアジア・アフリカの国々がインドネシアに集い、バンドン会議(アジア・アフリカ会議)を開き、各国が平等に交渉し、求同存異(小異を残し大同を追求)し、グローバルな民主政治を求める正義の声をあげた。「東盟」(ASEAN東南アジア諸国連合)は、「協商民主」(交渉を通じた民主主義)の成功的実践者だ。「中国とASEANの交流は何かあれば相談し、事に当たれば交渉する姿勢を堅持し、国際社会における共同交渉・共同建設・共同享有(共商共建共享)のモデルを樹立した。われわれが提唱する平等の協商は、国際関係の民主化の重要な要素とすべきだ。>

<環球時報12/12「王毅《人民日报》撰文:不存在唯我独尊、高人一等的民主」

王毅外相は、バンドン会議やASEANを「交渉(協商)を通じた民主主義」の模範だと持ち上げているが、バンドン会議もASEANも本来は弱小の発展途上国のあつまりで、小さな蟻たちが超大国の巨象に踏まれないようにいかに立ち回るかを考える集合体だった。しかし中国は今や、世界2位の経済力を背景に食糧や地下資源を買い漁り、中国製の工業品で席巻する超大国として、小さな蟻たちを踏み潰す側であることを分かっているのだろうか?

バイデン大統領が民主主義サミットを開催した12月9日、王毅外相はそれに対抗するようにインドネシアで開かれた第14回バリ民主主義フォーラムにオンラインで出席し、「アジア特有の民主理念をとどろかせよう」と提案した。 彼が言う「アジア特有の民主」として挙げたのは、習近平思想の重要理念の一つとして中国が大々的に宣揚している「全過程人民民主」という考え方だった。

「全過程人民民主」とは、2019年11月、習近平主席が上海を視察したとき、「われわれが歩んだ道は中国の特色ある社会主義という政治発展の1本の道だ。人民民主は一種の全過程の民主である」と話したことが元になっている。

新華社通信によると、その「人民民主」とは、<あらゆる重大な立法措置の決定は、手続きに則り(依照程序)、民主的な調整・根回し(民主酝酿)を経て、科学的な政策決定(科学决策)を通して、民主的な決定(民主决策)によって生み出されたものだ>という。そして<習近平思想のなかの重大理論の一つであり、社会主義民主政治理論に対する重大な創造(創新)であり、わが国の社会主義民主の特質と優位性を十分に闡明している>といい、これでもか、というくらいの高みに押し上げ、押し戴(いだ)くのである。

新華社7月20日「全过程人民民主是社会主义民主政治的鲜明特点」>

そんな馬鹿な、と言いたい。「人民民主」を名乗っているが、その「全過程」のいったいどこに「人民」が関わっているというのだろうか。人民の影などどこにも見えないではないか。そもそも「民」が参加しない、関与しない「民主主義」とは、「民を主とする」という字義に反し、民主主義とは到底呼べない。

中国の「人民民主」には、選挙もないし、人民を代表する代議制議会もない。人民の声を聞き、人民の知る権利に応えるまともな言論報道機関は存在せず、あるのは権力側の意思を伝える「喉と舌」のプロパガンダ機関だけ。全土に張り巡らされた監視カメラとネット上での個人情報の収集は、「目と耳」として人民を監視し統制するための手段として使われる。市民が直接関われるような仕組みはなく、市民は監視の対象でしかないから、まさに専制主義であり、独裁政治と呼ばれるのであり、それを民主主義と呼んではならない。

「アジア特有の民主」というのなら、中国や香港とはまさに対極にあり、12月18日に台湾で実施された公民投票のような、さらに総統直接選挙など高度な民主主義を実行し、人々がすべての自由と権利を享受するアジアの模範生・台湾の直接民主主義をなぜ語らないのか。

中国は、世界貿易機関(WTO)加入からちょうど20年を迎えた。この間に、GDP国内総生産は世界6位から2位に、貿易収支は6位から世界1位になったという。中国は去年、一人当たり国内総生産(GDP)が中所得国の水準とされる1万ドル(112万円)を初めて超えたとする一方で、李克強首相が言うように、6億もの人が平均月収1000元(1万8000円)前後で暮らしている。様々な経済危機を内包しているなかで、不動産大手・恒大グループの経営危機問題は世界が大きな関心を注ぐ一方で、このニュースを中国国内で目にすることはない。中国政府が報道させないからだ。

女子テニスの彭帥(ポン・シュアイ)選手が、中共政治局常務委員の張高麗元副首相から受けた性的暴行被害を告発し、その後失踪したと伝えられているニュースは、中国国内ではいっさい報道されない。NHKの海外向け国際放送がこのニュースを伝えれば画面はすぐに真っ暗になることでも、中国国内ではこのニュースを完全にシャットアウトしていることがわかる。習近平としては恥ずかし過ぎてとても国民に説明できる話ではないからだ。

中国人民に対しても胸を張って正々堂々と説明できない「人民民主」などという、いい加減な屁理屈を、国外に向けて発するのは、それこそいい加減にしたらどうか。毛沢東の人民革命理論と同じく、恥を人類史に永遠に刻むことになることが分からないのだろうか。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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