<証言者がいなくなるのを待っての”だまし討ち”?>
歴史の研究は、文字として記録に残された文献研究から始まる。極端に言って文字として残っていないものは歴史的事実として存在しないと同じであり、単なる推論、推定と見なされる。考古学の場合は、遺跡の形状や発掘品など、つまり具体的な証拠品によって全てを語らせるしかない。
さて、当ブログでは、佐渡金山で働いたという朝鮮半島出身労働者が「強制労働」であったという証拠はどこにあるのかと問い続けている。
韓国側メディアは、その証拠、つまり文字に残された記録をいっさい示していない。当時、佐渡で働いた生存者がいるのかいないのか、それはメディアの取材力で探し出すことは可能だろうし、生存者あるいは周辺の関係者の証言をあつめることも可能なはずだが、そのような努力のあとは見られない。
しかも、すでに終戦から75年以上もたち、当時18歳だった若者でも93歳を超えている。当時、実際に働いたとされる1000人余りの朝鮮半島出身労働者は、その多くは亡くなっていると思われるが、彼らが生存中に佐渡の金山での体験を残した証言記録があるのだろうか?当事者たちの当時の経験を確認し、その証言を記録する手段が失われた段階で、一方的に「強制労働」だったというのは、それこそ日本に向けた「だまし討ち」のようなものだ。
朝鮮日報東京特派員のチェ・ウンギョン記者は、「佐渡の金山」がユネスコの世界文化遺産への登録候補となったあとの12月30日、新潟県佐渡を訪れ、かつての金山の坑道跡などの展示を見学したようで、その取材記を<日本がユネスコ世界文化遺産登録を推進する佐渡金山の現場に行ってみたー「動員開始」「帰国」…朝鮮人強制労働の記述は2行のみ」(朝鮮日報22/01/03)>という記事にまとめている。
<朝鮮人労働者がいなければ成り立たなかった「佐渡金山」!?>
(以下<太字>は引用)
<「(佐渡金山は)1603年、徳川幕府の管理のもとで本格的に開発され、江戸時代に日本最大の金銀の生産地として知られる場所だが、韓国からすれば朝鮮人強制労働の現場でもある。」>
400年以上の歴史を持ち、佐渡産出の金や銀などが世界中に流通し、人類の経済史に残した功績は無視し、終戦前のわずか数年の1000人程度の朝鮮人労働者の存在によって佐渡金山の性格のすべてが決まってしまうような言い方だ。
<「明治時代以降の見学コースでは険しい坑道作業の記録は消えていた。朝鮮人強制労働の事実も同様だ。別途の展示物や案内文はまったくなく、日本の華やかな近代産業化の実績を強調する内容がほとんどだった。
それでも、「朝鮮人」の記録を当時の鉱物運搬用トロッコの保守などに使われていた機械工場の壁の年表で確認できた。明治時代から1989年の廃鉱まで、佐渡金山の近代史を断念(ママ、意味不明)して詳しく記録した約100行にわたる年表のうち、「朝鮮人」とはっきり書かれていたのは「1939年 朝鮮人労働者の日本動員が始まる」「1945年9月 朝鮮人労働者帰朝」のたった2行だった。日本は佐渡金山と韓国の関連部分を隠そうとしたが、1000人以上の朝鮮人がここに動員され、強制労働させられた事実は消せない。」>
チェ記者にとって「朝鮮人」労働者のことしか頭にないから、「朝鮮人」という言葉がないことで、すべてが「虚偽、隠蔽」とみえるらしい。それ以外の説明は見ても聞いても何の意味も持たず、佐渡金山が世界の産業や経済に残した経済史的な意義や鉱山開発や採鉱技術の発展に尽した功績など、まさしく世界文化遺産としての価値などまったく眼中になく、どうでもいいことなのである。ジャーナリストにはあるまじき、偏狭さ、頑迷さで視野狭窄症も甚だしい。こんな記者の記事しか読めない韓国の読者も可哀想である。
記事によると「韓国にある強制動員被害者・遺族のための財団『日帝強制動員被害者支援財団』の実態報告書(2019年)によると、朝鮮人は少なくとも1140人、佐渡金山に動員され、強制労働させられたものと把握されている」という。「・・・ものと把握されている」とは、何とも怪しげな表現で、明確に断定できないことを示しているが、そういう記録があるなら「強制労働」だという明確な証言とその証拠を提示してみてはいかがか。
前々回のブログでも書いたように、日本側の記録では、大正時代から佐渡鉱山の経営に従事した三菱鉱業株式会社(現在の三菱マテリアル)の佐渡鉱山所では、1940年2月から1942年3月までに、1005人の朝鮮人労働者を募集によって集めたという記録が残っているという。この期間は、戦時徴用は始まっておらず「募集工」だった。自らの意思で応募した人に「強制」があったはずがない。しかも、この中に職場放棄して逃走した者が148人いたという。15%もの労働者が逃亡できたということは、監視や脱走を防ぐ措置などはとっておらず、まして島である佐渡は、港の船着き場さえ見張っていれば脱走者はすぐに確保できたがはずだが、それさえしなかったということは、最初から去る者は追わず、という姿勢だったのだ。このどこに強制性があるというのか。
<Korea World Times12/25 青山誠「韓国 江戸幕府も佐渡金山「戦犯企業」? 15%脱走200円の高給」>
チェ記者は、佐渡金山が「第2の軍艦島問題」になるとし、「世界文化遺産登録期間(遺産価値を有する対象期間の意?)を江戸時代に限定し、展示場でも朝鮮人の記録を事実上隠ぺいして強制労働の歴史を消そうとしている」と懸念の声が上がっている」と書く。
軍艦島問題とは、2015年、長崎県の端島炭鉱(通称:軍艦島)などを含む「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された際、韓国側の強硬な主張に応じて、「朝鮮人強制労働」について説明し追悼のための施設をつくることを日本が約束し、その後、東京都内に「産業遺産情報センター」を開設したが、そこでは元島民の証言などから端島炭鉱で強制動員や強制労働があったことを否定していることを指す。
当ブログでも何回か取り上げたが端島炭鉱を含む「明治産業革命遺産」の世界遺産登録の際の韓国政府の横やりこそ、だまし討ちの最たるものだった。
<詳しくは過去ブログ「デタラメ映画と徴用工のウソ」2017/08/08参照>
世界遺産委員会開催半月前の2015年6月、日韓外相会談で、互いに世界遺産登録を目指していた「明治日本の産業革命遺産」と「百済歴史地区」の案件を両国が共同推薦して協力すること約束していた。しかしその1か月後のユネスコ世界遺産委員会で、韓国側は登録に協力するとした前言を翻し、展示資料などに「強制労働」の文言を入れるよう強く要求。仕方なく日本は登録施設の一部において「意思に反して」連れてこられた朝鮮半島出身者がいたことを認めた上で、「情報センター」の設置など、犠牲者を記憶にとどめる措置を行うこととした。これについて、韓国メディアは一斉に凱歌(がいか)を上げ、「日本、国際社会で初めて強制労働認める」などと報じた。日韓外相会談での合意を反古にし、ここでも完全な「騙まし討ち」だった。
その後、「産業遺産情報センター」の加藤康子所長と元島民の手によって、軍艦島の実態がどうだったのかの証言記録が、YouTubeチャンネル「軍艦島の真実 朝鮮人徴用工の検証」などによって次々、公開されている。
それによると、朝鮮人労働者の強制労働などという実態はなく、当時、小学生だった元島民も、教室で朝鮮人の同級生と机を並べて勉強し、仲良く遊んだこと、アパートでも朝鮮人労働者を差別することなく、近所づきあいをしたことなど証言している。
<「上半身裸の朝鮮人労働者」という貧弱な想像力>
またNHKが軍艦島をテーマに1955年に放送したドキュメンタリー「緑なき島」の映像は、韓国のKBSやMBCが無断使用し、軍艦島が地獄島の証拠だと主張しているが、ここに映し出されている半裸の炭鉱労働者が横になり這うようして狭い炭鉱で働いている映像は、当時の規則では制服を着てヘルメットとキャップライトなど完全装備をしないと坑内では働くことができなかったことや、当時の坑道は立って歩ける高さがあり、横になって作業をする場所はなかったことなどを理由に、元島民らは、別の炭鉱で撮影された「やらせ映像」だと主張している。
こうした映像に影響されたというか、騙されて、韓国では「強制労働の朝鮮人労働者」といえば、皆ふんどし一張の半裸状態で作業に従事したという固定観念に囚われ、当ブログの前回、前々回でも紹介した光明洞窟(始興鉱山)の「資源収奪と強制徴用の現場」として展示している蝋人形のパノラマでも労働者は上半身裸の姿で描かれている。
チェ記者が紹介している佐渡金山の江戸時代の労働者でさえしっかりと着物を着ている。固い岩石を打ち砕き、その破片がどこに飛ぶか分からないような危険な現場で、裸で作業することがどれだけ危険か、そして、そんなケガ人だけを増やす作業現場が経済的にもいかに割に合わないか、冷静に考えればだれでも想像できることだ。
過去ブログ「うそをウソと認めない嘘まみれの韓国」でも紹介したが、ソウル汝矣島のSeMAバンカーという地下のイベントスペースで去年(2021年)の4月30日から6月6日まで「強制労働」を扱った「있지만 없었던(あるけどなかった)Naming the Nameless(名なしと名付けられて)」という企画展示が行われた。その展示写真を見れば一目で分かることは、あのガリガリに痩せた裸の「徴用工」像のような労働者の姿はどこにもないということだ。当時、日本で働いた朝鮮半島出身労働者が記念に持ち帰った写真、炭鉱などさまざまな現場で撮影した集合写真を見ても、みな規律正しく統一された制服、時には詰め襟で体にぴったりと合った労働服を着て、ヘルメットをかぶり、キャップライトを付けていて、安全のための身だしなみや完全装備が徹底されていたことが分かる。その一人ひとりの体格や表情をみるかぎり、いかにもどっしりとして力強く、栄養状態が悪くガリガリに痩せた人などどこにもいない。当然であろう、重労働で危険が伴う採鉱現場に、ガリガリに痩せて、安全のための支度も装備も整わない労働者を投入しても、何の役にも立たず、却って足手まといになることは明らかだからだ。
さらに朝鮮半島出身労働者が日本語による命令も聞き取れず、命令が行き届かないような現場は、日本人の同僚にとっても危険極まりない。そのためにも、当然、安全教育を兼ねて一定期間の訓練を積まなければ、現場には出さなかったはずだ。そんな誰にも分かる当然のことを想像すらできずに、ただ「強制労働」だ「奴隷労働」だと言っていれば済むと考える、そんな貧弱な発想しかできない韓国の記者は本当に智慧がない、というか、バカ丸出しだと思う。
強制労働や奴隷労働は朝鮮王朝末期の20世紀初めまで、韓国自らが行ってきた過酷な制度で、人間をモノとして扱った朝鮮半島の人々は、奴隷・奴婢には名前も与えず、文字を覚えることも禁じ、自由に売買したり姦淫したりしても、何の痛痒も感じず恥じることもなかった。そんな祖先を持つ自らを省みることもなく、そうした民族の経験を、日本に対しても勝手に投影しているにすぎないのではないか。
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