竹島、慰安婦、徴用工、間違った教育がこの国を滅ぼす

悲惨なウクライナの情勢を見るかぎり、20世紀初頭、日本が日露戦争を戦い、朝鮮半島を併合した当時と、ロシアの脅威は何も変わっていないことを改めて確認した。今と同じような国際情勢のなかで、当時の日本が戦争ではなく韓国を併合したことを、「不法だ、違法だ」と叫び、今さら「謝罪しろ、賠償しろ」と言われる理不尽さを、改めて考える。 

<毎日が「ドクトの日」だと騒ぐ韓国>

ところで、2月22日は、数字の2が「にゃんにゃんにゃん」と並ぶので猫の日ということで、NHKニュースは朝から夜まで猫の話題で盛り上がっていた。また同じく「にんにんにん」の忍者の日だとして、奈良県甲賀市役所の職員が忍者服で業務を行う姿を報じていた。この日が「竹島の日」であることをNHKも触れなかったわけではなかったが、「猫の日」に比べると見劣りがし、批判が殺到した。

 さて2月22日が「竹島の日」だということを、どれくらいの日本人が認識しているのだろうか。明治38年(1905年)2月22日、当時の島根県知事が、竹島を島根県隠岐郡隠岐の島町に編入したことを告示した日で、100年後の2005年に、島根県議会はこの日を「竹島の日」とする条例を可決した。条例は「竹島の領土権の早期確立を目指し、竹島問題についての国民世論の啓発を図る」ことを目的にしている。 

 実は、この日が「竹島の日」であることの認知度は、韓国のほうがずっと高いと思われる。毎年、この日は、多くの韓国人団体が島根県に集結し、乱暴狼藉を働くほか、韓国外交部は毎年、強硬な抗議を繰り返し、今年も韓国駐在日本大使館の総括公使を呼びつけ、竹島の日を廃止しろと高飛車な要求を突きつけた。

実は、韓国にとっては年に1回の「竹島の日」どころの話ではなく、一年365日、毎日が「ドクトの日」だと大騒ぎだ。ことあるごとに「ドクトはわが領土」だと喚きつづけ、「日本の竹島に対する領有権の主張は不当だ」と言い続けなければ、もとの「竹島」に戻り、日本に奪われてしまうとでも考えているのだろう。韓国政府がことあるごとに馬鹿の一つ覚えのように「ドクトは歴史的、地理的、国際法的に明白な韓国固有の領土」だとあげつらい、騒ぐわりには、その主張には何の根拠もないことを彼ら自身がよく分かっているために、とにかく喚(わめ)きちらし、のべつ幕なしに決まり文句を繰り返すことに必死で、沈黙してしまえば負けだという強迫観念に囚われているようだ。 

日本が竹島を正当に領有してきたという事実は、近代的な行政的手続きとサンフランシスコ講和条約などの国際条約、さまざまな文献や地図資料、漁業や アシカ猟などで経済的に利用してきた実績など、歴史的にも地理的にも国内法でも国際法でも明らかで、日本が竹島の領有権を手放すわけがない。そうしたなかで、韓国が不当な要求を繰り返し、大騒ぎをするのは、単にポーズであり国内向けのパフォーマンスに過ぎないことは明らかだ。 

そうしたなかで、旭日旗は戦犯旗だという妄言を繰り返し、あらゆる放射状のデザインを見つけると反射的にかみつく偏執狂のソ・ギョンドク(徐坰徳)誠信女子大学教授は、毎日が「ドクトの日」を実践するため、オンラインで「独島マーケット」を開設するという。扱われるのは独島コーヒーに独島Tシャツ、独島マグカップなど40種類の「独島商品」だそうで、いっそのことメイド・イン・コリアはすべて「独島商品(ドクトグッズ)」にすればいい。 

Wow!Korea2/22「韓国教授、日本の「竹島の日」に合わせて“独島マーケット”展開」> 

韓国教育部は「竹島の日」に合わせて、「2022年独島教育活性化計画」なるものを発表したが、それによると、全国17の市と道に新設したり改修したりした独島体験館と連携して教育用展示プログラムが整備するほか、来年からは、全国の学校で「独島教育週間」を実施するという。そのために体験中心の教育資料を配布し、デジタル技術を採用した教育コンテンツの開発を行うほか、児童・生徒が独島体験行事を自分たちで企画する独島ジキミ(守り手)学校を指定する、とか。 

KBS日本語放送2/21「来年までに17の市・道に独島体験館を設置へ」> 

そんな教育によってどういう教育効果があり、国民の人格形成にどういう影響を与えるのか、検証はできているのだろうか?こんな無駄な教育で子どもたちの大切な時間を奪っているようでは、おそらく韓国人科学者のノーベル賞受賞は100年待っても無理だろう。 

 さて、竹島が日本の領土であり、韓国領ではない理由と証拠は、すでに外務省が平成21(2009)年2月に発行した竹島広報パンフレット「竹島問題を理解するための10のポイント」(のちの「竹島問題10のポイント」2014年3月)で明らかだ。 

そこには「日本は古くから竹島の存在を認識していた」が、「韓国が古くから竹島を認識していたという主張には根拠がない」こと。「日本は17世紀半ばには竹島の領有権を確立」し、「日本は17世紀末、鬱陵島への渡海を禁止する一方で、竹島への渡海は禁止しなかった」ことなどが論証されている。 

 (長崎奉行が作成した航路図、幕府が竹島を日本領と認識していた証拠(日本国際問題研究所提供)

一方、韓国の東北アジア歴史財団は、こうした日本の「竹島問題を理解するための10のポイント」の内容への反論だとして「日本が知らない10の独島の真実」をネット上に公開した。しかし、この批判に対して、島根県の「Web竹島問題研究所」は、下條正男拓殖大学教授の反論レポート「韓国が知らない10の独島の虚偽」を掲載して、韓国側の反論の一つひとつを論破している。 

下條氏によると、歴史の根拠となる文献資料の読み方で、韓国側には意図的に誤読・曲解し、事実でないことを事実であるように捏造する傾向がある。近代的な歴史研究でもっとも重要なのは、適切な文献批判だが、韓国側が自分たちの主張の根拠として引用する文献には、その元となった以前の文献の検証や、その出所・出典となった歴史資料についての確認がいっさいないことがわかる。自分にとって都合のいい部分を引用し、一方的な主張の裏付けに使うだけで、その前後の文脈や関連する文献との突き合わせがいっさいない。事実を追究し、真実を教えるという教育や学問という観点からも、こうした非学問的で非論理的な教育はのちのち大きな禍根を残すことになるだろう。 

<悪い教育に憤り立ち上がった韓国の親たち>

 竹島に関する教育もそうだが、慰安婦に関する教育も嘘にまみれ、多くの虚偽に彩られている。現在、韓国には144体の慰安婦像が全国に建っているそうだが、子どもたちはその慰安婦像(平和の少女像)をまるで宗教的な場所でもあるかのように集団参拝し、ソウル南山北麓にある「記憶の場」などの慰安婦モニュメントの数々を巡礼させられ、「性的虐待」がどうの、「性奴隷」がどうのと、嘘で固められた話を、幼い子どもたちに聞かせ、幼な心に恐怖を植え付けている。 

毎週水曜日に慰安婦支援団体が旧日本大使館前で行っている「水曜デモ」に対抗して、「慰安婦法廃止国民行動」の人たちが同じ場所で毎週集会を開き、少女像の撤去を求めているが、2月2日の集会には「悪い教育に憤る父母連合」の代表が壇上に立ち、次のような演説を行った。 

「悪い教育はたくさんありますが、その中で本当に悪い教育は慰安婦に関する教育です。慰安婦がどんなウソなのか。慰安婦がいかに反人権的なのか、慰安婦のすべての証言を詳しく見ても、いかにウソで飾られているかをすでにたくさん語られています」 

「どこの国で、どこの学校が、こんなウソの歴史、間違った歴史を学生たちに堂々と教えているというのか。誇らしくもない、本当に恥ずかしいことを、性奴隷が何で、どんなふうにして性的虐待を受けたのかを幼い子どもに教えている」 

「私たち父兄はこれ以上黙って見ているわけにはいかない。この慰安婦を取り巻く汚いウソ、詐欺のようなウソについて、これからは家庭の中で子どもたちをちゃんと教育します。教師たち、正気を取り戻しなさい。自分たちが間違っていたことに気づき少し勉強してください。どうして批判もせず、間違っているのかをちゃんと調べもせずに教えるのか?それが正しいことなのか、間違っているのか、判断してください。子どもたちに教えていいことなのか、教えてはならないことなのか、何が真実で何がウソなのか、どう批判すべきかを教えることが正しい教育ではないですか?」> 

チャンネルfujichan「悪い教育に憤る父母連合」驚愕の教育現場!!

 確かに、理性的に客観的、論理的に慰安婦問題を考えたとき、慰安婦を作り出した歴史的背景は、韓国農村社会の貧しさにあり、ラムザイヤ-教授も指摘するとおり、親が借金の肩代わりに娘を売り、娘を買う女衒が各地で暗躍し、売買契約が行われていたことはまごうことなき事実であり、河野談話が言及したとされる「広義の強制性」があったというのなら、まずはそうした朝鮮半島の当時の貧困状況、伝統的・儒教的な家父長主義、男尊女卑に基づく同調圧力的な「強制性」こそを問題すべきであり、日本の「植民地支配」のせいにするのは間違いだ。

むしろ日本の韓国併合によって、朝鮮時代の奴隷制身分制度が廃止され、奴婢というまさに売り買いされる性奴隷が解放された一方、植民地近代化によって地方にも学校教育が普及し、農村経済も拡大し、農民の寿命も延びたことは明白な事実で、仮に日本軍や官憲が強制的に若い女性を20万人も拉致・監禁したというなら、各地で暴動が起きて当然なのに、そうした暴動がいっさい起きていないことがなによりそれを証明している。 

<経済合理性がない「強制労働」>

佐渡金山や端島炭鉱で「強制労働」が行われたというが、日本人と同じ給料が支払われ、住居や食材が支給され、家族まで呼び寄せて一緒に暮らすこともできて、このどこが「強制労働」なのか。そもそも、炭鉱や鉱山という高度な技術や万全の安全対策が必要な労働現場では、強制的に奴隷労働のように働かせても効率が上がらないだけでなく、事故の危険性が高まり、一緒に働く日本人の同僚にとっても危険きわまりない。

企業経営や経済合理性の観点からも、「強制労働」がどれだけ割に合わないかは、誰が考えても明らかで、募集や官斡旋、あるいは戦時徴用で集めても、厳しい労働に対する対価を約束し、安全教育・訓練を施したのちに本人の意思のもとで働かせたのである。 

それを上から、慰安婦は「強制連行」、「性奴隷」だと言われれば何の疑いもなく、そのように子どもたちに教え、「徴用工」が「強制労働」だと言われれば、裁判所もマスコミも、その労働の実態に考えをめぐらし検証することなく、何の疑いもなくそのまま「強制連行だ」と断じて、すべての論陣を張る。これほどお気楽で、単細胞の民族には、ただただ呆れるばかりだが、そんな嘘の教育ばかりしていたら、いずれこの国は滅びるしかないだろう。 

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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