ウクライナ国民と同じ経験を共有するという韓国の傲慢無恥

ロシアによる軍事侵攻という現在のウクライナ情勢にも深く関係する2014年のヤヌコビッチ政権の崩壊につながった大規模市民デモ「ユーロマイダン(欧州広場)革命」を扱ったドキュメンタリーフィルム『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への闘いWinter on Fire:Ukraine’s Fight for Freedom』(2015)を見た。


「ユーロマイダン革命」とは、「ウクライナ革命」(ウクライナ語:Українська революція)とも呼ばれ、EUへの加盟を支持する学生デモが、EUとの通商協定の約束を反故にしたヤヌコビッチ大統領の辞任要求運動に発展し、首都キエフ(ウクライナ語でキーウ)の独立広場(マイダンは「広場」)や周辺の役所などを占拠した市民や学生と警官隊が激しく衝突したもので、ウクライナの市民が「革命」と呼ぶの対し、ロシアは「クーデタ」と呼び、ネオナチに率いられた市民暴動だと評する人々もいる。

しかし、この「ユーロマイダン革命」が、親ロシアのヤヌコビッチ大統領の失脚とロシアへの亡命という結果に終わり、その後のポロシェンコ大統領(2014~19)、現在のゼレンスキー大統領へと繋がったことは間違いなく、そしてマイダン革命でのヤヌコビッチ失脚に反発したプーチン大統領が、その直後の2014年3月、ロシア系住民の保護を理由に起したのが、クリミア半島への侵攻と併合、ウクライナ東部地域での親ロシア派の武力紛争だった。つまり現在のウクライナ軍事侵攻の淵源は2014年に発していたのである。

ところで、ドキュメンタリーフィルム『ウィンター・オン・ファイヤー:ウクライナ、自由への闘い』(2015ベネチア映画祭、テルライド国際映画祭、トロント国際映画祭へ公式出品)は、キエフの独立広場で最初の抗議デモが始まった2013年11月21日からヤヌコビッチ大統領の失踪が明らかになり代理の大統領が任命された2014年2月23日までの93日間を描いている。学生・市民の側に立って何台ものカメラをまわし、運動と弾圧、そして抵抗の経緯をくまなく映像に収め、当時、運動に参加した学生リーダーや現場を目撃した医師や救急隊員、教会指導者やジャーナリストなど、さまざまな人々の回想とインタビューで構成され、事件の全容を時系列に従って克明に記録している。

そこに描き出されているのは、ウクライナの人々の不屈の信念、不正腐敗を許さない正義感であり、一つの目的のために広大な独立広場をびっしりと埋め尽くす人々が集まり、共通の意思を示すために、整然とスローガンを叫び、スマホのライトをいっせいに掲げる。警官隊が隊列を組んで押しかけてくるときには集団で体を張って抵抗し、さまざまな材料を集めて抵抗のバリケードを作る。警官隊との衝突が始まると、警官らは一人の市民を取り囲んで警棒を何度も打ち下ろし足蹴にし、ゴム弾が発射され、さらに特別作戦警察(Berkut)の狙撃手が投入され実弾を発射するようなると市街戦さながらとなり、銃弾に倒れる市民の姿が次々に映し出される。それでも市民が撤退することはなく、抵抗が続く。結局、130人の死亡者と65人の行方不明者の人命被害を出し、数千人の負傷者を出したという。

そこに映し出されたウクライナ市民の勇敢な姿を見てはっきり分かったのは、今回、ウクライナへの軍事侵攻に踏み切ったプーチンは、ウクライナ国民の徹底抗戦の覚悟を見誤り、その固い意志をあなどっていたということだ。なぜなら、2014年当時は、市民が今のように武器まで持つことはなかったが、ワインの瓶にガソリンを詰め、火焔瓶を用意し、男たちは妻子を国境の町に送り出したあとは再びキエフに戻り、ロシア軍が侵攻してくるであろう道路に立って人間バリケードを築く姿は2014年のウクライナ革命の状況とまったく同じだからだ。

さて、これからが本題である。

韓国の「中央日報」は3月3日、「いま韓国にゼレンスキーほどの政治家はいるか」と題したアン・ヘリ論説委員のコラムを掲載し、この「ユーロマイダン」デモとドキュメンタリー映画『ウィンター・オン・ファイヤー』を紹介して、現在の韓国大統領選挙に引きつけて、論じている。その中に以下のような文章があった。

<独立(1991年)してわずか20余年の新生独立国家として政治不安と外勢威嚇に苦しめられるウクライナの姿が、大韓民国の建国、そしてその後に続く戦争の傷などと重なって深く感情移入してしまったようだ。遠くにある東欧の国ではなく、私たちの過去と向き合った感じだったといおうか。>

過去に韓国も、ウクライナと似たような歴史を持っていると言いたいのである。

<事実当時デモ隊はこのように証言する。「逃げませんでした。命をかけて祖国のためにずっと戦いました」「木の盾だけ持って戦火の中へ飛び込みながらも、自分の行動がどれほど勇敢か分かりませんでした。死ぬかも知れないからと引き止められたら、死ぬために来たと答えました。より良い祖国を作るという信念で、降り注ぐ銃弾の中に喜んで飛び込び(み)ました」。それこそ老若男女、宗教を超越した愛国心の現場だった。私たちがその時期そうだったように。>

このなかのカギ括弧のなかの証言は、ドキュメンタリー映画『ウィンター・オン・ファイヤー』に登場したユーロマイダンデモの参加者の証言である。最後の「私たちがその時期そうだったように」とあるのを読んで、思わず「その時期って、いつのことだよ」とついつい茶々を入れてしまった。

1919年の「3・1独立運動」のことか?1980年の光州事件?1987年の民主化抗争?あるいは2017年の「ろうそく革命」のことをいいたいのだろうか?いずれにしても何か、みな嘘っぽくて、違うなぁ、というのが率直な印象である。「3・1独立運動」で独立宣言を起草した指導者たちは、そのあと警察に自ら出頭している。その後、警察署や駐在所などを襲撃するなど各地で起きた騒乱は、当時のスペイン風邪の厳しい取締りに対する不満の爆発だとも言われる。光州事件も民主化抗争も軍事政権に対する抗議という面はあったが、政権打倒まで狙ったのだろうか?「ろうそく革命」に至っては、選挙という民主主義的手段で選ばれた大統領を、証拠もない不確かな情報と国民情緒に煽られた「声の大きさ」だけで追い落としたもので、しかも「ろうそく集会」そのものは、当時の革新系ソウル市長朴元淳の全面的支援を得て、会場周辺ではソウル市によるさまざまな便宜供与のなかで、大々的に開催されたものだった。このどこに、ウクライナ市民の「自由のために命をかけた戦い」と比較できる要素があるというのだろうか。

韓国大統領選挙の与党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)候補は、2月25日のテレビ討論会で、「ウクライナで初歩政治家が大統領になり、NATO加盟を公言してロシアを刺激したため、結局、衝突することになった」と発言した。対立候補の野党「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソクヨル)候補も政治経験のない素人だから安保政策は危ういと揶揄するために、ゼレンスキー大統領を引き合いに出し、侮辱したのである。他にも与党関係者からはゼレンスキー大統領について「指導力が不足したコメディアン出身大統領」〔秋美愛(チュ・ミエ)元法務部長官)などといった辛辣な言葉が投げつけられた。

これに対し、野党候補の尹氏はフェイスブックで「李候補は不幸な目に遭っている他国とその指導者を慰めるどころか、選挙に利用するためにひどいことを言って彼らを軽んじた。これはゼレンスキー大統領を支持するウクライナ国民を愚弄することだ」と非難した。「国民の力」の報道官も「侵攻したロシアではなく侵攻されたウクライナが戦争を自らまねいたという李氏の認識は衝撃的だ。事実上、李氏がロシアの武力侵攻の肩を持った」と論評した。

与党・李候補の発言は、海外を含めて驚きと怒りの反応が巻き起こった。論争が大きくなると李氏はフェイスブックに「本意とは異なり少しでもウクライナの国民に誤解を与えたとすれば、ひとえに私の表現力が足りなかったせい」と書き込み、卑怯にも自分の表現能力のせいにしたのである。

<中央日報2/28「尹錫悦、旧日本軍進出を許容?」vs「李在明、ロシア侵攻の肩を持った」>

韓国与党の大統領候補が「初歩大統領」とバカにするゼレンスキー大統領だが、ロシアから暗殺者グループが送られているという情報に接しても国外脱出の提案を拒否して首都キエフに留まり、戦闘服姿で繰り返しテレビ画面に現れては、ロシアへの徹底抗戦を呼びかけ、国民を鼓舞し続けている。

3月1日、欧州議会でのビデオ演説では「ウクライナの子どもたちが生き続けるところを見たい。自由のために戦っている、EUの一員になるために戦っている」と述べ、またハリコフの無差別攻撃の惨状を訴えた場面では、同時通訳の男性が涙で声を詰まらせる一幕もあった。演説が終わると会場からはスタンディングオベージョンの拍手が沸き起こり、演説は世界の人々の心を動かした。

前掲の中央日報のコラム記事「いま韓国にゼレンスキーほどの政治家はいるか」は、「(韓国には)与野党を問わず、果たしてゼレンスキーのように暗殺の脅しにも(屈せず)、脱出提案を蹴って家族と共に祖国に残って最後まで戦う政治家や国家指導者が何人いるか」と自問し、「過去の行動を見れば、残念なことに国民の大多数はおそらくこれといった期待はしないだろうと思う。実利や国益という大層なレトリックを掲げ、責任を回避する不明瞭な態度で結局名分と実利をすべて失う愚を冒すことがなければ幸いだと考える」と自答している。

そもそも国際社会がウクライナ国民への連帯を表明し、ロシアを最大級の言葉で非難し、軍事侵攻を停止させるために強力な経済制裁に共同で対処しようとしているときに、韓国の外交当局者は、「対ロシア制裁は、ロシアとの協力関係も重要であるため、韓国政府はいまのところ、制裁を留保している」とし、「ロシアには高官級の対話を通して自制を求めた」と説明するなど、完全に腰が引けていた。

KBS日本語放送2/24「ウクライナ情勢 外交部「高官級でロシアに自制求めた」

その翌日には、青瓦台の朴洙賢(パク・スヒョン)国民疎通首席秘書官が「われわれが独自に何かの制裁を行える時代ではない。欧米がロシアへ制裁を加えれば、われわれも自然と参加することになる」とし、アメリカと足並みをそろえる姿勢を示す一方で、渡航禁止や金融制裁などの独自制裁は考えていないという立場を明らかにした。

KBS日本語放送2/25「大統領府 ロシアへの独自制裁を重ねて否定」

ロシアの力による現状変更の試みには断固として反対するという国際社会の意志とは明らかに異質な韓国の姿をここに見ることができるが、そこには、自分たちの経済的な利害を最優先にすることしか考えておらず、一国の主権とか、国民が自ら指導者を選び、自らの国のあり方を決める自主権、そして何より自由に生きる権利などには全く関心がないことを示している。

「中央日報」論説委員のコラムは、自分たちは過去に日本による侵略を受け、奪われた自由の回復のために戦った歴史をもつということを強調したい意図があるようだが、ウクライナ国民と共通の過去があるというなら、いわゆる「慰安婦」にしても「徴用工」にしても、自由を奪われたというその「被害」の瞬間には、何の行動も抵抗もせず、80年近くも経って今さらながらに騒ぐ意図は何なのか?それはウクライナ国民と比較し、誇れることなのか、答えて欲しい。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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