安倍氏国葬に4時間並んで一般献花して考えたこと

国葬反対は分かったから当日ぐらい静かにできないか

9月27日の安倍晋三元総理の国葬儀をめぐっては、世論調査で反対意見が60%を占めるなど、賛否が大きく分かれる中で行われたとされ、外国メディアも国葬をめぐって日本がまるで二つに分断されたかのように伝えた。

反対派は、国葬が始まった当日午後2時に合わせて、国会周辺などでデモを行ない、一部では警官隊との小競り合いもあったようで、そのためニュースでは反対派の集会のほうが大きく扱われ、声の大きい反対派の意見のほうがニュースに多く取り上げられたような印象だった。

NHKも含め、国葬を中継する放送の中でも、国葬をめぐる賛否が大きく分かれていることを詳しく解説していた。新聞テレビがこれまでも連日大きく伝えてきたため、国葬に反対している人がいることやその反対の理由は、すでに皆が知っていることで、国葬当日に敢えてさらに解説するほどのことでもないだろう。海外からの賓客も大勢迎えて、すでに国葬は始まっているのだから、故人の霊を前に少なくとも静かにしているというのが礼節であり、品格というものではないのか?

おそらく安倍さんに対する好き嫌いの感情のほうが先にあるのだと思うが、国葬に反対の人は政府がいかに説明しようとも最初から反対なものは反対。一方、国葬に賛成する人は大きな声を出すことはない、ただ静かに安倍さんを偲びたいのである。まさにそれがサイレントマジョリティだと思う。

                       (新宿通りの両側に並ぶ人の列)

一般献花に2万3000人? 献花台まで4時間並んだ

それを証明するのが、私自身がこの身をもって体験した九段下公園での一般献花だった。地下鉄半蔵門線の半蔵門駅を出たところから人の列が出来ていて、警察官の誘導に従って人の列に並び、ただひたすら歩いたり立ち止まったりして、駅を出てから献花台にたどり着くまで4時間以上かかった。

この間、花束を持った人々の列は、乱れることなく、途中で割り込む人もなく、長い長い人の列がどのように続いているのか、いつ到着できるか先のまったく見えない状況の中でも文句を言う人はまったくなく、整然と列は続いた。新聞では、この日午後6時までに献花台に花を捧げた人は2万3000人だと伝えていた。しかし、そんな数字では済まないのではないかと感じたのは私だけではないと思う。

私が地下鉄半蔵門駅を出たのが午後0時半ころ、地下鉄の車内には同じように花束を抱えた人が何人もいて、九段下駅では出口が制限されているというアナウンスがあったため、半蔵門駅で降りた。半蔵門駅周辺の地理には不案内なので、花束を持った人々の後ろにくっついて行こうと思って、出口に向かったが、駅構内ですでに警察官の誘導が始まり、警察官がエレベーターの乗り場前に立ち、使用できないようにしていたので、しかたなく長い階段を使ったが、要するにこの時から人の流れの制御が始まっていたのである。

整然と静かに、まったく乱れることなく続いた人の列

半蔵門駅を出たあと警察官の誘導に従って、駅周辺のビル街のブロックをぐるっと迂回したあと、再び半蔵門駅に出て、そこから新宿通りを四ツ谷駅まで人の列は続いた。四ツ谷駅の交差点で新宿通りを渡って折り返し、再び半蔵門駅まで反対側の歩道を歩く。そのあとは麹町一番町の住宅街の通りに入り、ここでも同じ道を往復させられたりして列の長さが調節され、ようやく内堀通りに出たが、ここでも英国大使館前の方向に右折し、最高裁判所の手前で内堀通りを横断し、ようやく千鳥ヶ淵公園にたどり着いた。

あとは皇居の内堀にそって遊歩道を歩くだけだった。この間、千鳥ヶ淵公園の中は、岩手、青森、秋田の各県警の警察官が数メートル置きに警備につき、手荷物検査やペットボトルの検査も行われたが、その手前、一番町の住宅街に入って内堀通りまでは、人の流れを管理するのは内閣府という腕章をつけた若い女性を含む黒服の職員たちだけで、警察官の姿はまったく見られなかった。

外国だったら、これだけの人の集団、群集のコントロールに、銃も警棒もない一般行政職員が当たるというのは考えられないことだと思う。それだけ日本人の民度が高く、決められたルールは守り、自ら自分たちの秩序を作る能力があることを示している。それに対して反対派の人々の行動はどうだろう。大声を発し、自らを目立たせるために警察官と衝突するなど過激な行為も厭わない人たちだったではないか。

ただ、この人の列に並んだのは若い学生やサラリーマンもいれば、私のような年代の老人も多く、中には両手に杖を持つ体に不自由な人もいた。そういう障害者や杖の老人には、途中で列に割り込ませてあげたり、優先して列の前に進ませてあげるなど、柔軟な考え方もあっていいと思ったが、そうした人々も列の最後に並ぶように言われたのか、列の流れとは反対の半蔵門駅の方に黙って向かっていた。規則にがんじがらめになって優柔性がないというのは日本の官僚社会の欠点かもしれない。

                   (麹町一番町付近の通りに並ぶ献花者の列)

最後には隣の人と連帯感さえ生まれた 反対派に負けたくない

4時間ものあいだ、ひたすら列に並び、歩いたり立ち止まったりの繰り返しで、私の前の学生は足が吊りそうなのか何度も屈伸運動をしていた。しかし、私と同年配のお年寄りも含め、脱落する人や途中で諦める人はまったく見られず、列に最初に並んだときの前後の人の顔ぶれは最後までまったく変わらなかった。途中から片言の会話を交わすようになったご老人とは、千鳥ヶ淵公園に着いたときには万歳の歓呼をあげて祝い、献花をしたあとには握手をして互いの健闘を称えながら別れた。

この我慢づよさはいったい何なのだろうかと考えたが、ひょっとして安倍さんのことをこき下ろして批判する反対派の人たちだけには絶対負けたくない、という気持ちがあったかもしれない。

国葬に賛成する人たちがこんなにたくさんいることを誇りたい気持ちもあったかもしれない。だから最後まで歩き通せることができたのだと思う。

列に並びながらスマホで式典に中継画面を見る

武道館での式典の模様は、テレビ東京や日テレがYoutubeで流した中継映像をスマホで確認することができた。友人代表として菅義偉前総理が語りかけた『追悼の辞』には、涙が止まらなかった。

「安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。」

菅さんが安倍さんの遺影に向けて、そう語りかけたときには、「まさにその通りだ」「よくぞ言ってくれた」と涙がどっと溢れた。

確かに自分の目の前には、一本の菊の花を持った学生がずっと一緒に歩いていた。若い女性やサラリーマンの男性の姿も見られた。年寄りも多かったが、若い人も確かにそれなりの数はいた。

菅さんは、続けてこうも言った。

「総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。―これがあなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。」

安倍さんの8年の事跡をたどる映像のなかで語られたのは「戦争に関わりのない子供や孫の世代にまで謝罪の宿命を負わせるわけにはいかない」という思いだった。若者たちに未来への希望を与えるためには当然のことだと思うが、これを歴史修正主義と批判する隣国がある。

安倍さんが「美しい日本」というスローガンを掲げただけで、「美しい日本とは何事か?」と怒り出す人がいた。それだけ日本が大嫌いな日本人もいるというわけだが、そんなに嫌いな日本に暮らしていて、人生、楽しいか?と聞きたい。

国葬反対の理由はもはや論理破綻している

立憲民主党や共産党は、国葬は「内心の自由を侵し、憲法違反だ」と主張している。しかし、反対派は大きな声で「国葬中止」を叫び、日本中いたるところで反対集会を開いて、内心を思う存分に表明しながら「内心の自由がない」はないだろう。外国の大使館にまで手紙を送って国葬へ出席拒否を迫り、賛成派が静かに弔意を表わすこと自体も批判することこそ、内心に自由の侵害にならないか。

野党は「安倍総理の政治的な評価は定まっていない」として国葬反対の理由に挙げるが、どんな政治家だって人によって評価は分かれ、どんなに時間が過ぎても評価が定まらないことのほうが多い。

安倍さんに対する国内での評価はともかく、外交での活躍などで海外からの評価は高く、それだけ敬愛されてきたということは、海外からの出席者が217の国と国際機関から734人が出席したことからも証明できるし、海外の人たちに安倍さんへの慰霊の機会を提供することができただけでも、国葬を実施した意義はあるのではないか。

安倍さんの外交戦略は将来も語り継いでいって欲しい

いまの小学生や中学生、それに高校生ぐらいまでの世代は、物心付いてからの日本の首相といえば、ずっと安倍さんで、総理大臣といえば安倍さんの顔をすぐに思い浮かべる世代だと思う。その彼らが大人になったとき、隣の中国や北朝鮮が、日本や世界に対してどういうスタンスをとる国となっているのか?また韓国・台湾を含めた東アジアの情勢がどうなっているのか?非常に気になるところだ。そして、そうしたこの地域の将来を見通して、安倍さんが提唱したのが「自由で開かれたインド太平洋」という考え方であり、日米豪印4か国による枠組みQuad、そしてTPP環太平洋パートーシップなどの実現だった。そのいずれもが、尖閣諸島や南シナ海の島々に対する領有権を主張し、覇権主義的な海洋進出を図る中国への対抗であり、中国包囲網づくりだった。そうした流れはバイデン政権が進めるIPEFインド太平洋経済枠組みや半導体サプライチェーン同盟のチップ4にも完全に引き継がれている。つまり、対中国を構想した新たな世界戦略は安倍さんが最初に発想したものであり、それは欧米諸国やインド、豪州など民主主義社会の主流の考え方になっている。

いまの子供たちが大人になったとき、中国やロシアなど権威主義・専制主義の国がどうなっているかはほんとうに気になるが、そんな中で、彼らが大人になったときに思い起こして欲しいのは、昔、安倍晋三という日本の首相がいて、中国に対抗するための新たな世界戦略、新たな世界秩序を構想した人であること、テロの凶弾に斃れて志半ばでなくなったけれど、その国葬には世界中から大勢の人が集まり、その死を悼んだということだ。そして安倍さんの国葬がいつか日本人が誇ることができる、まさに「レジェンド」として語り継がれていくことを願っている。

富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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