繰り返される「大惨事」はなぜ?
なんでこんなことが起きるのか?世界中の誰もが最初は理解できないと思った大惨事であり、そして、次第に現場の状況が分かり始めると、なんで事前に対策を立て、警告が発せられた時点でなぜ、人々を規制しなかったのかと改めてその対応に疑問を抱く、まさに国家的人災といってもいい事件だった。
ソウル梨泰院(イテウォン)といえば、もともとは韓国駐留米軍基地に近いことから、米兵相手の歓楽街が作られた場所で、その後、モスクが建てられアジア系のイスラム教徒など外国人が多く集まる街になった。
しかし、2000年代半ばごろから、地下鉄駅がある大通りから一つ山側に入った裏通りにケバケバしいクラブやカフェが立ち並ぶようになり、普段も大音響の音楽が外まで溢れだし、パーティー用というのか?K-POPスターを気取ったような派手なファッションの若者たちが集まる、ある意味、日常からはかけ離れた特殊な雰囲気の場所となった。
梨泰院という非日常空間
今回ハローウィンで人々が集まった通りも300メートルほどの距離しかなく、渋谷のセンター街周辺と比べると、道路幅ははるかに狭い上に、普段は道路脇の屋外にも店のテーブルや椅子が並ぶため、通り全体は激しい音楽とともになおさら喧噪感と圧迫感に満ちているように感じられる。そこに私のような場違いな年寄りが迷い込めば、たちまち白い目で睨まれそうな雰囲気がある。
今回、多くの人が犠牲になったのはそうしたメイン通りに通じる脇の坂道だが、それにしても狭い道路で人々が行き場を失い、一歩も動けない状況となった中で、後から来た人々が前には進めないと分かっていて、なぜ、そんな狭い道路に足を踏み入れ、前の人に体を押しつけ、むりやり群集の渦のなかに入り込もうとしたのか、それがどうしても分からない。
地下鉄出口を出てきた人たちは、笑いながらぞくぞくとその脇道に入っていったという目撃証言もあり、ハローウィンという、どんな仮装をしても許される特殊な時間、いままでコロナで人が集まるという体験を味わうことが出来なかった鬱憤を晴らすために、そんな危険な人の渦のなかに自ら身を委ねていったということなのだろうか。しかし、一度その中に入ってしまえば、蟻地獄と同じで、自分の力で抜け出すことは無理で、自分の意志ではどうにも出来ない状況のなかに身を委ねることになるということを、そのとき誰も知らなかった。
経験済みだった「群集雪崩」という危険
日本では2001年7月、兵庫県明石市の花火大会で歩道橋の上に集まった市民が群集雪崩を起し、11人が死亡するという事故があり、裁判では警備会社と警察官、明石市職員ら4人が業務上過失致死傷罪で有罪になった。また、この事故を教訓に、2005年に警備業法と国家公安委員会規則が改正され、警備業務に「雑踏警備」が新設された。
また、日本では、明石市の花火大会での事故を契機に、「群集雪崩」のメカニズムに関する研究が進み、震災時の帰宅困難者対策として密集状態での移動を避けるため、現場に留まることなどのマニュアル対策も作られている。
実は、韓国でも今回の梨泰院での事故と同じような「群集雪崩」による圧死事故が17年前に起きていた。2005年10月3日、慶尚北道尚州(サンジュ)の市民運動場で歌謡番組の収録直前に1カ所の出入口に人が集まり11人が死亡、148人の負傷した事故で、この時も傾斜した通路で事故は起きたという。
<中央日報10/31「【韓国梨泰院圧死事故】「後進国型事故ではない」…15年前に圧死体験した専門家が見た問題点」>
北朝鮮有事を抱え 雑踏警備の重要性は知っているはずなのに
専門家による調査研究で、群集雪崩の発生メカニズムは分かっていた。それなら、その調査研究に基づいて、雑踏警備に関して何か具体的な法整備や対策は執られたのだろうか?
事故発生の3時間40分も前に、現場からは路地に集中した人で「圧死しそうだ。規制すべきだ」という電話が警察に寄せられるなど合わせて11本の通報があったにも関わらず、警察が現場に出動したのは4回だけ。結果的に事故を防げなかったということは、危険性は認知していたかもしれないが、「雑踏警備」に関する有効な対策マニュアルはなかったということだ。
ところで、韓国の地下鉄駅は、有事の際のシェルター(避難所)の役割も担っていて、駅のホームにはガスマスクを収納した棚を見ることができる。
韓国は、北朝鮮という異常な国を隣りに抱え、首都ソウルは北朝鮮との軍事境界線から最短で50キロという近さで、北朝鮮からのミサイルや砲弾がいつ飛んでくるか分からないような状況を抱えている。実際にミサイルが着弾し、人々が地下街や地下鉄駅に逃げ込むという事態になったときに、群集行動の秩序は維持できるのか。
(2022年5月1日ソウル光化門通りで撮影。「勤労者の日」の労組員デモと警備の警察)
手薄な警備体制 左右対立という政治状況の犠牲か
ところで、梨泰院周辺に十分な警察官を配置できなかった背景には、その日29日の土曜日、近くの大統領府周辺とソウル市庁周辺では、与党保守系と野党左派系のデモ集会がそれぞれ開かれていて、与・野党支持者の衝突も予想されたため、両派の集会参加者を引き離すため、警察はそちらに3000人ずつの要員を配置していた。それによって、警察の人員不足が生じ、梨泰院の雑踏警備に要員を割り当てる余裕がなかったというのが実態だった。ある意味、梨泰院の惨事は左右・保革が激突する今の韓国の政治状況を反映した災難だったという側面もある。
韓国警察は、街頭デモや政治集会の警備に関して言うと、1980年代の民主化闘争の時代からノウハウを積み上げてきた。学生デモの鎮圧に催涙弾を使用し、ガスマスクをかぶり警棒を手にした「戦闘警察」は市民から恐れられた。
実は、ソウルの街は今も、汝矣島の国会周辺やアメリカや日本の大使館がある光化門通りの裏道などは、常時、警察の厳重な警備体制が敷かれ、警察のバスが列を作って駐車するなど、警察の姿があちこちにあふれる街でもある。しかし、それは政治的な集会や暴動に対する警備と政治行動に対する監視と警告という意味合いが強い。日本の永田町や霞ヶ関周辺と比較すると、その警察の数の違いは一目瞭然で、霞ヶ関周辺の官庁街は土日ともなれば人っ子ひとりいない閑散とした街になるが、韓国の場合はコロナ期間を除いて、毎週土日となればソウル中心部の光化門通りでは、必ずデモや政治集会が開かれ、多数の警察が警備のためにかり出されるという風景が繰り返されている。それに費やす行政コストと警察のエネルギーたるや相当のものだろうと察しが付く。(続く)
(2022年5月1日ソウル光化門通りで撮影。「勤労者の日」デモを警備する警察)
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