国際観艦式で旭日旗に敬礼したことが「恥辱的だ」と大騒ぎする韓国

20年ぶりの国際観艦式に参加12か国

20年ぶりとなる国際観艦式が11月6日、相模湾で行われた。海上自衛隊の艦艇20隻、海上保安庁の巡視船1隻と航空機33機のほか、海外12か国から18隻の艦艇・潜水艦などが参加した。

確か10年前の2012年の観艦式だったと思うが、一般招待客として自衛隊の艦船に乗船し、洋上で観艦式を見学させてもらったことがある。青い海を白い航跡を描きながら、さまざまな種類の艦船数十隻が一直線に並んで、整然と進んで来て真横を通り過ぎる光景は、実に壮観で思わず興奮するし、日本の海軍力を誇らしく思う瞬間でもあった。

そのときも外国の海軍の船は、何隻かあったように思うが、今回は「国際観艦式」という名が示すとおり、日本の海軍力の実力を各国に示すと同時に、参加してくれた各国に対し、インド太平洋の平和と秩序を守るために日本が先頭に立つ覚悟と、そのために参加した各国と協力し連帯する決意を示す機会でもあった。

韓国海軍も旭日旗に「敬礼」が政治問題化?

この国際観艦式には、韓国海軍も7年ぶりに参加し、輸送船を派遣した。岸田首相が観閲に立つ護衛艦「いずも」に向かって、韓国の将兵もみな敬礼を送った。

当然のことで、むしろ敬礼しなかったとすれば、その方が、国際的な礼節を欠く行為として世界から非難され「外交惨事」になっただろう、しかし韓国では、この国際観艦式に参加して敬礼したことが大問題となり、政権批判の材料として使われている。外国人26人を含む若者156人の命を奪った梨泰院惨事で、政治の責任を追及する声が大きくなり、国民が二つに分断されようとしているとき、野党側にとっては、政権批判の材料が増えることは願ってもないことでもあり、国政の場で大事な経済や物価など民生問題が置き去りにされてもいっこうに構わないのである。

日韓の防衛協力は破綻状態

国際観艦式に韓国が参加するかどうかは、ことし日本が韓国を招待したことが分かった7月ごろから、大きな注目となっていた。というのも、2018年、韓国済州島で行われた国際観艦式に海上自衛隊を招待した際に、韓国側は、旭日旗を掲げないで参加するよう要求してきたため、日本は参加を拒否した。

翌年2019年の日本の観艦式は台風の接近で開催は見送られたものの、韓国は初めから招待されなかった。その前年の12月、海上自衛隊哨戒機に対する韓国駆逐艦のレーダー照射事件があり、日韓の軍事交流は完全に中断していたからだ。この時、韓国側はレーダー照射そのものの事実を否定し、逆に自衛隊哨戒機が低空飛行で威嚇してきたというハチャメチャな難癖をつけ、GSOMIA日韓軍事情報包括保護協定の破棄まで通告するなど、事態をここまでエスカレートさせたのは完全に韓国側だった。

「自衛隊との共同訓練は旭日旗を韓国に呼び込むこと」だって?

今回の国際観艦式への韓国参加がいまだ決まっていなかったころ、最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は、北朝鮮が発射するミサイルに対抗するため、日米韓3か国が海上共同訓練を行ったことに対し、日本と共同訓練を行うことは、自衛隊を正式な軍隊として認めることであり、旭日旗を再び朝鮮半島に上陸させることにも繋がるとして、尹錫悦政権の国防政策を「親日行為」だと非難した。また与党の議員は、国際観艦式に参加して、旭日旗に敬礼することになれば、一大恥辱であり惨事だとも言った。

韓国では今、「旭日旗」といえばナチスのハーケンクロイツ(鍵十字)と同じ「戦犯旗」であり、それを掲げる自衛隊は旧日本帝国陸海軍と同じ血筋を持つ武装組織とでも考えているようだ。

韓国は旭日旗を敵として戦ったことはない

そういう韓国は、いつ、どこで旭日旗を掲げた旧日本帝国陸海軍と戦ったことがあるというのだろうか?旭日旗を掲げた軍隊を敵として、本気で戦った経験があるのなら、旭日旗を敵の軍隊の旗として、口汚く罵っても構わないが、実際には、当時の韓国人は、志願して日本の兵や軍属となり、旭日旗の旗の下で日本人と一緒に戦い、駐屯地や捕虜収容所の雑役に従事した軍属のほうがはるかに多かったのである。

ところで、帝国陸軍は1938年から、また海軍は1943年から、朝鮮半島出身者にも特別志願兵制度による入隊を認めたが、陸軍志願入隊者に対する応募者の割合は1942年は4000人の定員に対し62.4倍、1943年6000人に対し50.6倍という狭き門だった。このほか陸軍士官学校への入学は認められたが、帝国海軍は、海軍士官を養成する諸学校への朝鮮人の入校は最後まで認めなかった。

たった一人の妄言・妄想に踊らされている

旭日旗について、戦犯旗だと言ってあちこち吹聴し回っているのは、誠心女子大学の徐(ソ)何某という教授で、放射状に線が延びる形象物、意匠物を見つけるとところ構わず「ハイ、戦犯旗です」とご注進する人物だが、いわば旭日旗問題は、こうした大学教授を名乗っているものの学問業績も社会的名誉も何もない、ただ時間だけを持て余してあら探しだけしているようなヒマ人に牛耳られているのだ。

さらに徐何某がインスタグラムを通じて発信するどんな些細なことでも、いちいち新聞記事に取り上げるのが、韓国サムソン財閥系の新聞「中央日報」で、いわば旭日旗問題で一番の「戦犯」は、この新聞であることは間違いない。

朝日新聞社旗や北マケドニアの国旗にも文句を言えよと言いたいが、恐らくそれをしたことはないはずだ。

かつて敵として戦った英国は旭日旗に礼節を見せる

ところで、ことし6月、海上自衛隊の練習艦隊「かしま」と「しまかぜ」が、世界一周121日間の遠洋航海の途中、英国を訪れ、英国海軍との共同訓練を行った。そのとき英国艦隊Royal Navyは、公式Twitterで“Konnichiwa, Kyokujitsu-ki 「こんにちは旭日旗」で始まるコメントを投稿してくれた。

つまり、英国艦隊は、旭日旗は海上自衛隊そのものを指すことばとして使ってくれたのである。第2次世界大戦で日本は英国とも海戦を含む激しい戦争を戦った相手である。かつて敵同士として戦った国が、旭日旗を丁重に礼節をもって扱ってくれるのに対し、敵として戦ったこともない韓国が、いま異常なほどの執着心で旭日旗を目の敵(かたき)にしている。とてもまともなこととは思えない。

一介の大学教授や中央日報ごときがいくら騒いだからといって、自衛隊旗や自衛艦隊旗から旭日旗のデザインがなくなるはずがないし、世界が旭日旗を「戦犯旗」だと認め、世の中からすべて排斥する日が実現するはずもない。竹島が日本の領土であり続けるのと、同じことだ。

韓国で旭日旗の議論が盛り上がったのは、周知のとおり、2011年サッカーアジア杯の日韓戦で韓国の奇誠庸(キ・ソンヨン)選手が日本を侮辱するためにサルの真似をしたのが政治的なパフォーマンスだと批判されたのに対し、その言い訳として会場の応援席で旭日旗が振られるのを見てカッとなってやったと釈明したことに始まる。しかし、実際には会場で旭日旗の存在は確認されず、この証言はでまかせのウソだったことが分かっている。こんな虚言で始まり、日本の歴史的、文化的背景など何も分からない似非(えせ)教授の妄想・妄説が、ここまで広がり、韓国左派陣営の反日の材料になったに過ぎない。

過去には旭日旗など問題にもならなかった

実際には、2007年9月12日、海上自衛隊の護衛艦「さわぎり」と「しまゆき」、練習艦「かしま」の3隻が旭日旗を掲げて仁川港に入港し、韓国海軍と戦術機動訓練を行っている。

聯合ニュース07/09/12「日本の海上自衛隊艦艇3隻、きょう仁川港に入港」

海上自衛隊は、韓国が行った国際観艦式には前述のとおり2018年は参加を拒否したが、その前1998年と2008年には旭日旗を掲げて参加しているし、前回2002年に日本で行われた国際観艦式には韓国海軍も参加している。

つまり、当時は、旭日旗のことなど何の問題にせず、互いに交流していたのに、ここわずか10年の間に、急に旭日旗は「戦犯旗」などと不当なことを言い始め、純粋な国防戦略とか戦術などの軍事に関わる問題とはまったく関係ない些末な問題で、防衛協力体制を台無しにしたのが韓国なのである。

韓国側がそんなことは十分に分かっていて、北朝鮮からミサイルや砲弾がバカスカと韓国に飛んでくるときにも、それでもなお旭日旗を掲げる自衛隊とは一緒に訓練をやらないといい、自衛隊の船や飛行機は韓国の港や飛行場に絶対入れないというのであれば、日本は当然、朝鮮半島有事の際に、北朝鮮からの攻撃の一方的な対象にならないためにも、在日米軍基地から韓国に向けて発進する戦闘機や艦船の出発を拒否する権利があるのではないか。検討する余地は十分にある。

日本の文化・伝統としての旭日旗

以下、Youtube動画 「JNW-世界から見た日本 【海外の反応】英国全土が大騒ぎ!!海上自衛隊の登場に現地が物凄いことに!!「旭日旗がイギリスにやってきたぞ!」」を参考に、旭日旗の歴史・沿革をまとめる。

実は旭日旗はもともとは軍隊のためのものではなかった。旭日旗は、大漁旗や出産のお祝い、節句のなど、昔から“ハレ”を表わす縁起物ととして日常的に使われてきた。軍旗として使われるようになったのは、明治維新前後のこと、戊辰戦争で幕府軍が日章旗(日の丸)を軍旗にしたため、新政府陸軍は別のものを軍旗にする必要があり、旭日旗を採用した。正式に軍旗として定められたのは1870年(明治3年)に大日本帝国陸軍が「陸軍御国旗(軍旗)」として採用したのが始まりで、少し遅れて1889年(明治22年)には、大日本帝国海軍でも旭日旗を軍艦旗に採用した。

第2次世界大戦の敗戦によって帝国陸海軍が解体され、軍旗としての旭日旗もいったんは消滅するが、1954年(昭和29)自衛隊の発足と共に、陸上自衛隊の『自衛隊旗』、海上自衛隊の「自衛艦旗」として旭日旗が採用された。この時採用された旭日旗は、陸自は太陽光線が8本の“八条旭日旗”、海自は旧帝国海軍と同じ”十六条旭日旗“だった。

当時、採用にあたって自衛隊の前身・保安庁は専門家の意見も聞いたという。東京芸術大学の専門家は「旧帝国海軍の軍艦旗は最上のもの」という意見、ある歴史画家は旭日旗について「動・静のいずれにおいても毅然とした美しさがあり、色彩的には、青い海、白い雲、どちらにもよく映える。非常に素晴らしいもので、これ以上のものは考えられない」と評したという。

当時の吉田首相は「世界中でこの旗を知らない国はない。どこの海に行っても日本の艦艇であることが一目瞭然だ。旧帝国海軍の良い部分を受け継いで、海国日本をしっかり守って貰いたい」と語り、賛成したという。


富士の高嶺から見渡せば

大学で中国語を専攻して以来、半世紀にわたって中国・香港・台湾を見続け、朝鮮半島にも関心を持ち続けてきました。これらの国との関係は過去の歴史を含め、さまざまな虚構と誤解が含まれています。富士の高嶺から、雲海の下、わが日本と周辺の国々を見渡せば、その来し方・行く末は一目瞭然。霊峰富士のごとく毅然、敢然、超然として立てば、視界も全開、隣国を含めて同時代の諸相に深く熱く切り込めるかもしれません。

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